投稿者8:カレー(法学部2年)
定期試験がやっと終わりましたね。自分にとって「終わる」というのは二つの意味があります。
まず、形式的な意味の「終わる」とは、定期試験が終了するという意味です。これは時間的な問題なので、学説・判例とも争いはありません。そしてもうひとつが、実質的意味の「終わる」です。この「終わる」の解釈には大きく二つの学説に対立があり、思うような試験問題が出ずに途方に暮れる「終わる」、いわゆるオワタ説(orzと表現することもあるかもしれません)と、予想通りの出題で問題なく淡々と解答を書くことができ、無事憲法Uの試験というヤマを「終わる」ことができたという、いわゆる自信あり説とがあります。
今回の定期試験では、前者が支配的であるという印象が強いです。改めて言うまでもなく、私も前者の一人であることは間違いありません。なお、今回の判例(試験問題)は、学説(受験者の私たち)から大きな非難が予想されており、政府は保守的な裁判官を送り込み事態の収拾を図ることも辞さないでしょう。
憲法学的に今の心境を書いてみました。前置きはそれくらいにして(笑)、試験中に感じたことは、論じるべきことを限られた時間内に考え、自分の持つ知識を再構成し、答案を作成してゆくことの、予想外の難しさでした。期間を決めて、短時間で講義風景リポートを書くようにしなさいという南野先生のご指摘は、ここで生きてくるのかもしれませんね。
私としては、問題文を読めば出題者の意図がすぐに分かる問題を予想していましたが、その作業に相当苦労する問題でした。これは、まだまだ勉強不足であるという証なのかもしれません。春休みから気合いを入れ直して、鍛え直すことにします。
余談ですが、試験前からかなり気になっていたのですが、憲法学者の方々は、法学部時代憲法の定期試験の問題にどのように答えていたのでしょうね。例えば、高橋和之先生であれば、法学部時代の定期試験で私人間効力が出題されたら、そのころから新無適用説をためらいもなく淡々と書かれていたのでしょうか。ほかの憲法学者の方も同じで、現在主張する学説は、法学部生時代から頭の中にあったのでしょうか、それとも、やはり学者になってから構築された考え方なのでしょうか。もし前者であるならば、(自分の解答が学説にまで発展するというつもりは毛頭ありませんが)解答の幅が広がりますね。ただその場合、裏付けを考えるだけで90分が終わってしまいそうですが。あぁ、現在の学説の状況を書く型にはまった解答ではなく、カレー説を淡々と展開すればよかったかな(笑)
最後に、問3のIの問題ですが、私は最終回を欠席したとをこの場で公表した身、あれはかなりの悪意があるなと感じましたよ。出題意図は明らかではありませんが、ピンポイントに攻めないでください(笑)
とりあえず、みなさんおつかれさまでした。先生にとっては、今日が終わりではなく採点までが定期試験ですが、今日の定期試験風景リポートが幾許かの解放感とともに送信されていることをお許しください(笑)。
改めて、半年間ありがとうございました。
P.S.
この講義では、ノートの取り方も鍛えられたと感じています。その点も、先生にお礼を言わなければなりません。
この講義が始まって間もないころ、先生の法学部時代のノートを見せていただいたことがあったと思いますが、そのおかげで、いままでで一番の出来のノート(改善の余地はまだまだありますが)を完成させることができました。その節は本当にありがとうございました。文章ではうまく表現できないので、みなさんにも、一度ご覧になることをお勧めします! |