九州大学法学部 2015年度

第13期南野ゼミ「憲法学の世界」

ゼミ風景リポート集(活動の記録)

更新:2016年2月5日

 


 

第1回~自己紹介・活動計画決定・総決起コンパ 第2回~「君が代」判決 第3回~少年事件の実名報道
第4回~マイナンバー法 第5回~議員の免責特権 第6回~夫婦同氏制(民法750条) 第7回~再婚禁止期間(民法733条)
第8回~制度後退禁止原則 第9回~表現の自由 第10回~同性婚 第11回~接見交通権
第12回~著作権 第13回~国公立女子大 第8回東京研修旅行&4大学5学部合同ディベート合宿
第14回は特別企画(南野生誕祭) 第15回~財産権・森林法違憲判決 第16回~切り札としての人権
第17回~大学の自治 第18回~改正条項の改正 第19回~部分違憲と司法的救済 第20回~憲法判断の回避
第21回~取材の自由 第22回~刑罰と憲法 第23回~安保法制と9条 第24回~12月16日の大法廷判決
第25回~二重の基準論 第26回~全国民の代表 第27回~憲法変遷論 第28回~国家と文化
最終回~内閣総理大臣の指揮監督権    

 

 

 

 

第1回(2014年4月10日・金)~自己紹介、活動計画決定、諸幹事決定等+顔合わせ決起コンパ@あっけら館 + 有志二次会@パッカーズ

投稿者:ムタ   #001  

 みなさん、初回ゼミお疲れ様でした。今回は初回ゼミということで、先生の有難いお話の後、自己紹介、係決め、報告日程決めが行われました。なぜか三年生が一人おらず、ゼミを破門されるのではないかと心配しましたが、来週からは全員そろってゼミができそうで一安心です。自己紹介を聞く限り、三年生はちょっと謎な人が多そうですが、一年間みんなで楽しく頑張っていけたらいいなあと思います。

 ゼミが終わった後はコンパが行われました。今回はコンパ係不在のため、私が選んだお店に行くことになったのですが、テーブルが四つに分かれていたためになかなか席替えが難しく、もしかしたらみんなと話せなかった人がいるかもしれません・・・すみません! 私はヴィオラのテンパーくんと先生につかまっていたアンテナくん以外とは話すことができて楽しかったです。今年は新ゼミ長が韻を踏みながらカメラでたくさんの思い出を残していってくれそうなので、そちらにも期待しておきます。

 さて、来週からはいよいよ報告が始まります。最初は私たちのグループが担当で、「君が代」判決について報告します。報告の準備は優秀な三年生に任せている部分も多いのですが、私も先輩らしく議論を盛り上げていけるようにあと一週間準備を頑張ろうと思います。次回もよろしくお願いします!。

投稿者:ガク   

 とうとう南野ゼミ13期が始まりました。一人寝坊でゼミに間に合わなかった不届き者がいるかと思うと、自己紹介で上手いことを言おうとして墓穴を掘る結果となったカフェオレの存在など、波乱の展開を予期させる幕開けとなりました。自己紹介において私は、中々ユーモアに富んだ自己紹介を書けたと思っていたのですが、滑りに滑ってしまったので次回以降のゼミで名誉挽回したいと思います。

 飲み会も非常に楽しい雰囲気の中、心地よい時間を過ごすことができました。普段はめっぽううるさいイブが、酔うと静かになるという残念な一面を見せてきましたが、基本的に皆程よい個性の持ち主で昨年度に負けない楽しいゼミになるのではないかと期待しています。

 次回は「思想・両親の自由」がテーマです。しっかり予習文献を読み込んで、議論に参加できるよう頑張ります。そして、マスクが伊坂幸太郎好きだからという訳ではないですが、少しずつ伊坂幸太郎の本を読んで読書の習慣を身に着けようと思います。

投稿者:さんとす

 いよいよ第13期南野ゼミが始まりました。これから一年間このメンバーで仲良く頑張っていければと思います。よろしくお願いします!

 4年生は昨年のメンバーに加え、今年からましゅ麻呂くんが入ってきてくれました。ましゅ麻呂くんは初めてで緊張しているかと思いきや、初回から何の違和感もなくゼミに溶け込んでいて、まるで去年からずっといるような錯覚に陥るほどでした。ましゅ麻呂くん、すごいですね。2年目にも関わらず初回から緊張で震えていた僕も見習いたいものです。

 3年生は報告準備を一緒にしている3人以外はみな初対面で、どんな人がくるのだろうとドキドキしていましたが、自己紹介文を読んで感じていた通り、個性溢れる人ばかりでした。初回でしたが静かになることもなく、ゼミを通して和気藹々とした雰囲気で、これから楽しくゼミをやっていけそうです。3年生は人数も多く、なんだかみんなパワフルなので、3年生に負けないように4年生も頑張らないといけないなぁと感じました。

 案の定、自己紹介が長引いてその後のコンパの時間に間に合わないという展開になりましたが、コンパでもとても楽しい時間を過ごすことができました。無口が売りなのでほとんど話ができなかった人もたくさんいますが、これから徐々に親交を深めていければと思います。

 さて、来週は、ムタさんチームによる「君が代判決」についての報告です。初回から分厚い文献がたくさん配られて大変ですが、予習文献だけでなくパッタイさんの論文にも目を通せるように頑張りたいと思います。

投稿者:茶畑

 4月10日、南野ゼミ13期が始まりました。しかし、なんと僕は無断欠席をしてしまい(先日スマホをキレイに割って壊し、連絡の一部を受け取り損ねたという遠因とも呼べぬ事情はありましたが..)、冷や汗だらだらでコンパ会場に向かうこととなってしまいました。先生、またゼミのみなさん、本当に申し訳ありませんでした。次回から始まる報告に向けてしっかり準備し、汚名を濯げるようがんばります。

 遅れて参加した初回コンパ(ごめんなさい・・)と二次会はとても楽しいものでした。恒例の席替えシステムのおかげでたくさんの人と話すことができたように思います。先生からの突発的なフリに何度も見事な韻でもって対応したじょいさんが僕の中で強烈なハイライトです。先ほど元祖をYOUTUBEで確認しましたが引けをとらないレベルだと思います。

 来週から報告が始まります。力不足ではありますが、楽しみながら臨みたいと思っています! よろしくお願いします。

投稿者:トムリンソン   #005

 長かった春休みも終わりを告げ、第13期南野ゼミが始動しました。

 初回ゼミということで、自己紹介や係決め、報告の順番決めなどが中心でした。はじめはとても緊張していましたが、ゼミ生のみなさんの個性的な自己紹介とそれに対する先生のユニークかつスマートなコメントを聞いているうちに、次第に緊張もほぐれていきました。なかでも、なかなか黙ることのできないイブくん、ミルクになりたいカフェラテくんと先生のやり取りがとても印象的でした。

 ゼミ終了後の決起コンパでは、持ち前のアルコール耐性の弱さを発揮し、すぐに顔を真っ赤にさせてしまいましたが、ほとんどのゼミ生と話すことができ、楽しく過ごせました。また、その日に健康診断があったからか、パーカーさんをはじめ、たくさんの方が血圧の話で盛り上がっていました。私自身も最大血圧が140と高めだったので、以後、食事には気を遣いたいと思います。二次会では、イケメンな店員さんがいる「パッカーズ」にて、おいしいワインとピザをいただきました。一次会ではできないような深い(笑)お話も聞けて、とても有意義な時間となりました。ありがとうございました。

 いよいよ来週は「君が代判決」について報告です。第1回目の報告担当ということでとても緊張しますが、みなさんの足を引っ張らぬよう精一杯頑張ります。よろしくお願いします。

投稿者:じょい

 いよいよ、南野ゼミ第13期が始動しました! 4年生になっても、初の顔合わせは緊張しました。4年生よりも、3年生の方が多く、また、4年生もましゅ麻呂さんが新たに入ってきて、ゼミの雰囲気ががらりと変わったように思います。  

 ゼミ生19人と南野先生の計20人で、初回ゼミが始まりました。最初ということで、3年生はやや緊張しているようでした。南野先生も、そのことを察してか、おもしろい話を交えつつ、場の雰囲気を和ませていました。  

 まず、第1回グループ報告の報告趣旨と文献が配られました。本格的にゼミが始まるのだなと実感させられました。やや分量が多いですが、全部読まなければならないわけではないので、しっかりと読んでおきましょう。と4年生らしいことを言ってみました(笑) 。僕も頑張って読みたいと思います。  

 次に、ゼミ生の自己紹介を行いました。自己紹介文を南野先生が読みながら、それにツッコミを加えるという、ゼミ生にとっては恥ずかしいことこの上ない方法でしたが、笑いが起き、かつ印象に残りやすいというメリットがあると思います。自分のことを差し置いて言えたものではありませんが、それぞれ個性があって、楽しそうな方ばかりでした。  

 そして、個人報告の日程と諸幹事決めを行いました。今年は、就活の日程変更などで、3年生が前半に固まってしまい、申し訳ないと思います。  

 その後は、恒例の総決起コンパが開催されました。最初緊張していた3年生も、コンパでは緊張がほぐれていたようです。みなさん、いい表情で写っていただき、ありがとうございました。自然な表情も狙っていきたいと思うので、カメラを向けられても、時折カメラを無視してくださいね。トーマスさん共々頑張りますので、よろしくお願いします。

 あと、自己紹介文にも書いた通り、デジカメがもう1台余っているので、写真を撮りたい方は是非! 見た目は普通のデジカメですが、細かな設定ができる優れものです。動画に興味のある方は、古い型ですが、ビデオカメラもあります(笑) 。以上、南野ゼミカメラ部の宣伝でした。(カメラ部の名付け親はトーマスさんです。)  

 これから、久々に授業が始まりますが、特に3年生は体調を崩さないように頑張ってください。4年生も、授業に加えて、進路に向けて頑張りましょう!

投稿者:ましゅ麻呂

 皆様、初回ゼミ・コンパお疲れ様でした。  

 四年生ながら本年度から参加の身でありとても緊張していたのですが、自己紹介文とそれに対する先生のツッコミという一連の流れの中で場の雰囲気が和やかになり、緊張がほぐれていくのを感じました。  

 初回報告グループの方からいただいた資料の多さをみて、優秀なゼミに来たのだと気が引き締まりました。まずは第1クールの報告グループから多くのことを学んでいきたいと思います。  

 ムタさんや超強力機械さんが選んでくださった居酒屋や先生が二次会で案内してくださったバルはお酒料理共に美味しく、コンパ委員についたからには三年生二人と一緒に頑張らねばと感じています。南野ゼミにはグルメの方が多いので、助言をいただけると幸いです。   

 ゼミ・コンパを通じお話しさせていただいて個性の強い方々が多く驚きました! 特にカフェラテさんの自己紹介がすごく面白くて忘れられそうにないです。皆さんからとても良い刺激がうけられる一年になると今からワクワクしています。自己紹介文と重ねがさねの挨拶になりますが、一年間どうぞよろしくお願いします。

投稿者:イブ

 いよいよ第13期南野ゼミの活動が始まりました。教室に入るときには緊張と不安で押しつぶされそうでしたが、先生のお話や、何になりたいのか分からないカフェラテさんをはじめとした個性あふれるゼミ生の皆さんの自己紹介を聞いているうちに緊張なんてどこへやら、初回ですでに「イブ=うるさい」というイメージを皆さんに与えてしまうに至るほどでした。これからは空気を読んで口をはさむことも覚えていきたいと思います(笑)

 その後のコンパでは伝統の席替えシステムのおかげで多くの方と話すことができ、とても楽しい時間を過ごすことができました。「うるさい」というイメージゆえ警戒なさっている方もいらっしゃいましたが、コンパで話せなかった人も含め今後ゆっくりと打ち解けていけたらなと思っております。

 次回はついに1回目のグループ報告、テーマは「君が代判決」です。いただいた配布文献を読み込み、ぐっと気を引き締めて臨みます!

投稿者:りちゃ

 初回ゼミは自己紹介と総決起コンパでした。

 予め送っていたペンネームと自己紹介文を読み上げられるというまさかの羞恥刑的な展開には驚き、緊張してしまいましたが、ユーモアあふれるゼミの方々と触れ合う機会もたくさんあってとても楽しいひとときを過ごせました。自己紹介では、初っ端からイブくんや、カフェラテくんがトークを炸裂させたり、突然山手線ゲームが始まったりと、賑やかなゼミなんだな~と実感しました。

 その後の総決起コンパの、パーカーさんと超強力機械さんの漫才的やりとりもツボでした。とてもいい雰囲気でゼミのス タートを切れた気がします。

 さて、来週からは本格的にゼミの報告が入ってきますが、先輩方の中に交じって自分の考えが述べられるように予習文献をしっかりと読んで心構えをしておきたいと思います。この個性あふれるメンバーで、これからどんな雰囲気でゼミ活動が行われるのか、どんな討論が繰り広げられるのか、ますます楽しみになった初回ゼミでした。これから1年間よろしくお願いします。

投稿者:超強力機械   #010

 一足早くスタートをきった第13期南野ゼミ、初回はガイダンス&自己紹介が行われました。

 今期の3年生は大変個性的な人が多く、3年生のポエティックな自己紹介文やマシンガントークに4年生もタジタジでした。特にカフェオレ君は、ポエマーとおしゃべり野郎の両方の気質を備えており、ひときわ強い個性を放っていたように思います。彼をはじめとする個性的なメンバーの中では私なんかは埋もれてしまいそうですが、最高学年としてのプライドを持って、ゼミでは積極的な発言を心掛けたいと思います。

 初回ゼミ後は天神に移動し、新歓コンパを行いました。お店の都合上、4つのテーブルに分かれての飲み会でしたが、同じテーブルでお話しできた人とはぎゅっと距離が縮まったように思います。まだお話できてない3年生のみなさんはぜひ今週のゼミ後にでもお話ししましょう。個人的に飲みに誘ってくれるのも大歓迎ですよ!!

 初回のコンパにも関わらず、りちゃくんやテンパーくんをはじめとする何人かのゼミ生の恋愛事情が(彼らは不本意なようでしたが)明らかにされていました。 ガクくん、ましゅ麻呂くん、後輩をかわいがるのもほどほどにしてあげてください。

 私は次の日に予定があったので2次会には参加できなかったのですが、皆さんのリポートによると大変盛り上がったようなので、参加できなかったことが残念でなりません。私もゼミ長に韻踏まれたかったな~。

 さて、今週金曜日はさっそく第1回報告です。テーマは「君が代判決」、トーマスくんあたりが張り切って予習してきそうなテーマですね。どんな報告になるか楽しみです。1年間という短い時間ですが、皆さんこれからよろしくお願いします。

投稿者:るいす

 いよいよゼミが始まりました。かなり緊張してこの日を迎えましたが、はじめの先生のお話をきいていくうちに少しずつリラックスできました。と同時に今後のゼミへのやる気が非常に増しました。

 一人一人の文章が読み上げられた自己紹介では、イブくんのなかなか止まらないトークや先生のユーモラスないじりが印象的です。自分のペンネームのもとになった名前の読み方が間違っていたことには衝撃をうけましたが、これからもこのままでいようと思います。

 コンパは天神で行われました。人見知りな自分なので不安もあったのですが、和やかな雰囲気のなか多くの人と話せて非常に楽しかったです。トーク力の高い方々を見習いつつ今後はもっと自分から積極的に話していきたいです。個人的には端でずっと人を煽っていたカフェオレくんが印象的でした。中身のある会話をあまりしてない気が…。二次会には行けなかったので話せなかった人もいて残念でしたが、徐々に仲良くなっていきたいです!

 来週からいよいよグループ報告が始まります。議論についていけるようしっかり予習しておきます。よろしくお願いします!

投稿者:トーマス

 皆さん、初回ゼミとコンパお疲れ様でした。いよいよ13期ゼミが始まりました。

 今年は自分が4年生ということもあってか去年と違う緊張感で始まりました。しかし、先生のいつも通りのトークで緊張感もほぐれ、去年は緊張してそれどころではなかった自己紹介いじりを楽しく聞くことが出来ました。みなさんのことが少しわかり、これから楽しくなりそうだなと感じました。個人的な話になるのですが、この自己紹介で初めて豊満なことがキャラではなく事実であったことを知って驚愕しています。パーカー君の高血圧といい健康面に不安を抱える4年生ですが、一年間頑張っていきたいと思います。  

 ゼミ後は雰囲気の良いお店で初回コンパでした。そこでは、(ビースト)テンパー君や超強力機械さんの馴れ初め話などドキドキするお話を聞くことができました。参考にしたいですね。また、今年はパーソナルスペースにぐいぐい入ってくるイブ君がいるので喋らざるを得ない状況になりそうです。席替えの関係で話していない人も多いので、次回以降話すことができたらいいなと思います。  

 二次会はパッカーズに行きました。そこでは、茶畑くんの○○○○話などと個性豊かな3年生の話を聞くことができました。去年よりも二次会に残る箱崎組が多くて帰りも楽しくなりそうです。南野先生、いつもご馳走してくださってありがとうございます!

 余談ですが、二次会終了後タクシーで帰っている途中で、僕の家に泊まることを拒否したじょい君はタクシー代だけ払いなぜか夜中の呉服町へと消えていきました。また詳細を聞きたいと思います。

 次の金曜日は、ついに第一回目の報告です。「君が代判決」がテーマで分量が多いですが、継続して頑張っていくためにも手を抜かず予習していきたいと思います。それでは、一年間楽しみつつ頑張っていきましょう。よろしくお願いします。

投稿者:ようつー

 ついに初回ゼミの日を迎えました。

 主に自己紹介と今後の日程確認、係決めを行いました。 私自身ある程度メンバーを把握していたものの、とても緊張しました。多少吐きそうになりました笑。初めに先生からお話があった後、自己紹介に移りました。カフェラテ君とイブ君を筆頭に、ユニークな方が多く、今後活動を通して賑やかなゼミになりそうな予感がしました。

 その後、報告日程や係を決め、コンパに場を移して引き続き親睦を深めました。 南野先生のはからいもあって、大半の方と話す機会を得られました。この時には、ゼミ開始時の緊張はほぐれ、いい雰囲気になっていたのではないかと思います。二次会でも宜保愛子の話を中心に盛り上がりました。

 初回から盛り沢山でしたが、いよいよ各班、各個人の報告が始まります。よりよい報告や議論にすべく、準備をしてゼミに臨みたいと思います。最後に、写真を撮ってくださったじょいさん、トーマスさん、お店の予約をしてくださったムタさん、どうもありがとうございました! それから、南野先生ご馳走様でした! 皆さん以後よろしくお願いします!

投稿者:dtk

  いよいよ第13期南野ゼミが始動しました。 緊張しつつこの日を迎えましたが、先生のお話や、イブくん・カフェラテくんをはじめとする個性的なキャラクターをもつ皆さんの自己紹介のおかげで次第 に緊張もほぐれていきました。

 ゼミ後のコンパでは、パーカーさんと超強力機械さんのコンビやガクさんのお話など、非常に楽しい時間を過ごすことができました。ただ、今回南野先生や一部の先輩方とはお話しする機会がなかったので、これからゼミや飲み会を通して徐々に打ち解けていけたらと思います。

 さて、来週からは第一回目の報告が始まりますが、しっかりと配布文献を読み込み来週に臨みたいと思います。それでは、一年間よろしくお願いします!

投稿者:テンパー   #015

  いよいよ第13期南野ゼミが始まりました。初回ということもあり、非常に緊張していましたが、一人一人読み上げられる自己紹介文に対する先生のツッコミや、それぞれの反応を見ていくうちに緊張はすっかりほぐれていました。イブ君はなかなかにハイになっていたようで、マシンガントークが止まらなかったですね。ゼミ生のみなさんはどなたも個性豊かで 非常に楽しいゼミになりそうです。

 ゼミ後のコンパでは、多くの先輩方と話し、様々なことが聞けたので大変有意義でした。席替えの関係等で話せなかった人たちもいたので、今後のゼミ等で積極的に話して、打ち解けていきたいです! また、二次会には次の日の予定があったため行けなかったのですが、次回はぜひ参加したいとおもいます。 春休みは部活漬けだった私も、初回ゼミでの先生の話等を通して、二年生の時とは違う新しい環境に入ったことを身に染みて感じました。

 次回はいよいよ第1回報告の「君が代判決」です。配布文献の量に少し戸惑ってはいますが、しっかり予習して議論についていけるようにしたいと思います。 これからよろしくお願いします!

投稿者:パーカー

 第13期南野ゼミがいよいよ始まりました。3年生が(恐らく)緊張していて、中に入っても物静かな206教室を目の当たりにすると、去年の今頃自分が緊張しながらこの教室に足を踏み入れゼミが始まるのをずっと待っていたことを思い出して、自分が4年生になったことを改めて実感しました。

 今期の3年生は、初回から重過失により欠席をする人、一度話を始めてしまうと止まらない偏頭痛持ちの人、ハンドルネームが本当は「ミルク」であるべきだったのに詰めが甘くてそうしなかった人、自転車に名前を付けて呼んでいる不思議な人、日本語表記限定のはずのハンドルネームをわざわざ英語表記にしている人、高校時代に紆余曲折あったらしき人など、皆個性的な面々で、今年4年生は各自どういうキャラで一年間やっていくべきか非常に悩ましかったのではないかと思います。

 ゼミ後は天神にて初回コンパがありました。コンパでは、南野ゼミ伝統の席替え方式によって、ほとんどの人と話ができたのではないかと思います。今年はサッカー好きな人が多いようで、個人的に嬉しかったです。2次会はパッカーズで、先生においしいピザとワインをご馳走して頂きました。ありがとうございます!! 「芦部先生が実は宜保愛子ファンであった」という話など、1次会では出てこない、あるいは話せない(笑)ような話題で盛り上がる2次会も、南野ゼミの醍醐味なのではないかと思います。

 来週はいよいよ初回グループ報告です。裏ゼミ長のムタさんが3年生をどれだけ調教できているのかが楽しみですが、しっかり予習をして気を引き締めて臨みたいと思います!!

投稿者:アンテナ

 皆様、おはようございます、こんにちは、こんばんは。

 4月10日。初回ゼミ・コンパで13期南野ゼミがスタートすると共に、私にとって大学生活三度目の春がやってきました! 今年は激動の一年になりそうだと感じさ せる、そんな時間でした。 自己紹介は、 先生のウイットに富んだツッコミによってゼミ生の個性が引き出されていました。その後の係決めで、私はディベート合宿の担当となりました。普段のゼミはもちろんのこと、東京研修やディベート合宿などのイベントもとても楽しみです。

 コンパでは初対面の方々とも話をすることができ、有意義な時間を過ごせました。南野先生のつむじが2つあることなど、新たな発見もありました!(笑) 先生に対し無遠慮な発言をしてしまったことについては反省しております……。次回はぜひ二次会にも参加したいです。

 さて、次週から本格的なゼミとなります。気合いを入れて頑張ります!

投稿者:カフェラテ

 初回ゼミと決起コンパおつかれさまでした。初回ゼミではゼミ生の自己紹介が行われましたが、やはり先生の要求されたウィットに富んだ自己紹介を行う難しさを実感させられました。多くのゼミ生が生半可なボケを飛ばすと先生にバッサバッサと撃ち落とされていくのはまさに南野ゼミで求められる水準の高さを物語っているようでした。しかしそのなかでも韻を踏むゼミ長が一番かっこよかったです。あれ以来見る度に韻を踏むあの人とのシンクロ率が自分の中で上がっていってる気がします。

 私はというと先生が入室されるなり「消防士」という新たなニックネームを賜り、その後の自己紹介では紹介文の矛盾を突かれ、危うく何の刺激もない無垢なミルクへと変貌を遂げてしまいそうになりました。あくまで僕が好きなのはコーヒーです。

 決起コンパでは先生をはじめ、多くの先輩方や同期の仲間と親交を深めることができました。皆が個性あるパンチの利いた人ばかりでついついお酒も進んでしまいました。コンパ中はアンテナが先生の横をほぼ独占していましたが、行きの地下鉄では真っ先に横に座らせていただきました。

 次回からはいよいよ報告が始まっていきます。議論の輪に加われるよう気を引き締めて臨みたいと思います。

投稿者:マスク

 皆さん、初回ゼミお疲れ様でした。実は三年生の中で女子一人という状況のため、とてつもなく緊張したまま初回ゼミを迎えたマスクです。しかし、いざ始まってみると和気あいあいとした雰囲気でほっといたしました。まず、私も報告班の一員である第一回報告の概要の説明があり、それから自己紹介が始まりました。  

 この自己紹介では皆さんの個性が光るとともに、先生のツッコミが冴え渡りましたね。突如として山手線ゲームが始まるなどとても楽しかったです(参加していただいた皆さんありがとうございました)。カフェラテ・ミルク論争の結果、カフェラテくんがペンネームを変更しないのか気になるところです。  

 その後、個人報告の順番や係決めをしているとあっという間にコンパの開始時間を過ぎていたのでした。  

 その顔合わせ決起コンパでは、「頑張って親交を深める」というよりは楽しくおしゃべりして過ごしました。最終的に先生からあだ名で呼んでいただいて嬉しかったです。ただ、一部の方、特に男性の先輩方とは同じテーブルになることが少なかったので、これからお話しできれば、と思います。  

 ゼミ風景リポートは以上ですが、なんとガクさんが伊坂幸太郎の本を読んでくださるそうで、歓喜しております。ぜひとも感想をお聞きしたいです。

 さて、いよいよ第一回報告が近づいてきました。ムタさんにご指導いただきながら、よりよい報告を目指して頑張っています。とはいうものの、お手柔らかにお願いします、というのが本音です。  

 また、憲法Ⅰの講義風景リポートのときのような頻度でゼミ風景リポートも(できるだけ)書いていきたいと考えておりますので、その点も併せてよろしくお願いします。

投稿者:パム   #020

 いよいよ第13期ゼミが始まりました。ゼミが始まる前はとても不安でしたが、みなさんの自己紹介を聞いていくうちに緊張もほぐれ、楽しい一年間になりそうだと思いました。

 個人報告の日程決めでは、トップバッターになってしまいました。なるべく早く準備をして、より良い発表になるように頑張りたいと思います。

 その後のコンパでは全員とではありませんが、多くの方と話すことができ、とても楽しい時間を過ごすことができました。一部の先輩とお話しさせていただいて思ったのは、とにかく早く彼女をつくろうということです(涙)。勉強とともに努力したいと思います!

 先生のお話を聞いて、これからかなり努力していかないことを痛感しました。個人報告も一回目ですが、グループ報告も初回ということで、早速、頑張りたいと思います。これから一年間、よろしくお願いします!

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第2回(2015年4月17日・金)~グループ報告①「『君が代』判決と思想・良心の自由」(報告者:ムタ・パム・マスク・トムリンソン、司会者:ようつー)

投稿者:トムリンソン

 南野先生、金曜日は、昼のヨーグルト、夜の中華料理と、ご馳走してくださりありがとうございました。 報告者としては至らぬ点も多く、自分の力の無さを実感しましたが、今後はしっかりゼミに貢献できるよう努力したいと思います。 以下、ゼミ風景リポートです。よろしくお願いします。

 第13期南野ゼミの初回報告担当ということで、報告準備の段階から並ならぬプレッシャーを感じていましたが、一応無事に(?)報告を終えることができ、正直ほっとしています。今回のゼミのように、本格的に議論をすること自体が初めてだったので、議論の流れに沿った発言ができないなど、至らぬ点も多かったと思います。しかし、皆さん議論を盛り上げようと積極的に意見や質問をしてくださり、ありがとうございました。なかでも、イブくんの直接話法による意見の主張は、がちがちに緊張していた私にはとてもありがたいものでした。  

 初回報告である今回は「『君が代』判決と思想・良心の自由」をテーマに、君が代ピアノ伴奏拒否事件判決(最三小判平成19・2・27民集61巻1号291頁)と君が代起立斉唱拒否事件判決(最二小判平成23・5・30民集65巻4号1780頁)を中心に検討し、このような事案についてどのような判断を行うべきか、という点について報告を行いました。

 報告班としては、佐々木弘通説をとったうえで、ピアノ伴奏拒否事件判決、起立斉唱拒否事件判決、ともに違憲とすべきだとしました。しかし、このような判断をするには克服すべき点が多く、自分自身の勉強不足・力不足を痛感しました。特に、佐々木説をとる意義として、一般的・客観的次元ではなく個別具体的な次元での問題把握を志向するためという点を挙げたにもかかわらず、自発的行為と外面的行為の区別をする際に「文化的・社会的」という言わば一般的・客観的次元で「行為の目的が、自主性を伴い始めて達成される行為か否か」を判断しているのではないか、という超強力機械さんの指摘(指摘がこのような意味でなされたのかどうかは分かりませんが、私はこのように理解しました。)を受け、自分の考えの詰めの甘さを感じました。次の報告回はもちろんですが、それ以外のゼミにもしっかりと自分の考えを確立させて臨みたいと思います。  

 ゼミ終了後は、南野先生と半分くらいのゼミ生で弐ノ弐へ行きました。そこでの、麻婆豆腐や担々麺は、とても辛く刺激的でしたが、病みつきになる味でした。また、焼餃子につける、酢醤油にお酢を足すという関西風の食べ方を先生に教えていただき、今後は餃子にはお酢が必須になりそうです。南野先生、ごちそうさまでした。  

 今回の報告に当たり、同じ報告班であるマスクさんやバムくん、特にムタさんには大変ご迷惑をおかけしました。本来ならば、3年生が中心となって行うべき報告のはずですが、ムタさんに頼りっぱなしになってしまいました。そんな私たち3年生を最後まで引っ張ってくださり、ありがとうございました。  

 次回は、「少年事件における実名報道と表現の自由」がテーマですね。予習文献の量が多く大変そうですが、しっかり予習をして臨みたいと思います。

投稿者:さんとす

 初回のグループ報告はムタさんチームによる「君が代判決」をテーマとした報告でした。報告班の皆さんお疲れ様でした。初回ということで緊張して震えが止まらなかったと思いますが、報告だけでなく3年生を中心に質問にもしっかり答えていてすごいなぁと思いました。また、報告班以外の3年生も積極的に発言してくれ、議論も大いに盛り上がり、とても楽しく充実した初回ゼミとなりました。  

 僕の中で今回の報告での楽しみは、パッタイさんの論文が引用されるのか、というところにあったので、レジュメが配られるなり註のところをチェックして、最後の註のところで引用されていることをあらかじめ発見していました。そこで先生のいじりを楽しみに待っていたのですが、はじめは見事にスルーされ、このまま触れられることなく終わってしまうのかと思っていたところ、最後の最後になってようやく先生も発見されたようでした。無事に気づいてもらえて、パッタイさん、よかったですね。論文もとても楽しく読ませてもらいました。今まで読まずに放置していたことを猛省しているところです。

 議論はというと、報告班が佐々木弘通説をとっていることとの関連で僕が少し気になったのは、「外面的行為の強制」型でいう「深いレベルでの衝突」の部分です。報告班は、ピアノ伴奏の強制は「外面的行為の強制」型にあたり、今回の事例では「深いレベルでの衝突」があったため違憲、という見解でした。この点に関して、「君が代」事件における教師の思想・良心としては、「君が代」が過去に軍国主義等との関係で一定の役割を果たしたという歴史観・世界観という側面と、教師に対してその意思に反してでも一律に行動すべく強制することに対する否定的な評価・信念という側面があると思います。実際の事例では前者の側面が中心だったようですが、このうち、もし後者の側面が強調された場合に、それでもなお「深いレベルでの衝突」があると言えるのか、というところが気になりました。

 佐々木説の特徴は、公益審査で正当化されることは「現実にはまずない」という想定のもと、衝突審査の「間口を狭める」ことで、「深いレベルでの衝突」があった場合には強力な保護を与えるところにあると思います。そうである以上、そこで強力な保護の対象として念頭におかれているのは宗教的信仰に準ずるようなものだと思いますが、もし先の後者の側面までもがそれに該当するとなると、非常に強力な保護を導く「間口の狭さ」が、実はそれほど狭いものではなくなってしまうのではないか、と感じました。他方、後者の側面は「深いレベルでの衝突」には当たらないすると、結局は当事者の主張の仕方次第、実際には後者の側面が強くても前者の側面で主張すれば勝てる、ということになってしまうような気もします。もちろん人の内心は分からないものなので何とも言えませんが、そのような場合には前者の側面の「真摯さ」が焦点となるということなのでしょうか。  

 さて、少し長くなってしまいましたが、来週は超強力機械さんチームによる「少年事件における実名報道と表現の自由」についての報告です。表現の自由とプライバシーが交錯する難しい論点だと思うので、頑張って勉強したいと思います。

投稿者:ガク  

 今回は13期ゼミ初報告で、中身は「君が代判決」に関するものでした。頼りがいのある先輩方が抜けた中での初報告ということもあり不安が大きかったのですが、非常に楽しい議論が展開され気づけば20時を回っていたほど白熱したものとなりました。

 その大きな要因としては三年生がきちんと予習して積極的に参加してくれたからだろうと思います。ファーストペンギンとして一目散に質問を してくれたりちゃ君を筆頭に「着座!」のイブ君など、みんな自分なりに考えてこのテーマと向き合うことが出来ていて感心しました。四年生も目まぐるしい進化を遂げており、特にジョイの「問題提起の優しい投げかけ」と「優しい相槌」 にはゼミ長としての気品が感じられました。これからのゼミが楽しみです!!

 少し中身に触れると、今回の「君が代判決」に関する報告班のとる佐々木説の立場にはやや反対です。わざわざ「外面的行為」と「自発的行為」に峻別する必要性が感じられないだけでなく、その線引きの具体性があまりにも乏しいからです。政府による意図的な抑制と非意図的な抑制を分けた上で、後者にはすべて 「衝突審査」を行うという考え方で十分な気がします。「衝突審査」という言葉が一般的なものであるかは定かではありませんが、ほんの出来心程度の思想と自分の人格を作り上げるような深い思想を同じレベルで保護しないための審査は必要不可欠であると考えます。

 そして佐々木説は個人の思想の保護を大事にするため、社会的に一般化された儀礼行為だから保護のレベルを下げる旨の最高裁の考え方を否定することにこだわっていましたが、「世俗化」というファクターは重要な総合考慮の要素だと私は思います。やはり「君が代」は一般化されすぎており、歌う姿が他者に影響を与えることはほぼ皆無に等しいといえるからです。 しかし、報告班も議論が盛り上がってくれればという思いを込めて佐々木説を とってくれたそうなので、報告班の健闘には感謝したいと思います。

 さて来週は 「プライバシーの権利」です。今回の報告のように、ゼミが終わった後楽しかった~と思えるようなゼミにするべく皆さん一生懸命予習を頑張りましょう!!

投稿者:りちゃ

 第1回報告班のみなさん、お疲れ様でした。「君が代」判決と思想・良心の自由という非常にヘビーなテーマのもと議論が行われましたが、ゼミ生からの批判、報告班の反論、再反論…といった具合に次々に意見が出るところなど、さすが南野ゼミだなあと思う場面がいくつもありました。僕も今後、予習文献をしっかりと読みこんでもっと発言できるように努めていきたいと思います。

 議論の内容についてですがやはり僕も最後まで佐々木弘通説には納得できませんでした。自発的行為と外面的行為との基準の曖昧さに加え、国歌斉唱が教師の場合には外面的行為に分類しなおすことは許されない、という点がどうにもひっかかりました。教師といった特殊な立場を持つ人間がどうして他の一般の人と同じ扱いでよいのか、憲法論として許されないの一言で終わっていいのだろうか、と疑問に思いました。もし国家斉唱は自発的行為と外面的行為の二面的な性質を有すると言えるのだとしたら、寄付や献金と言ったものも二面性を有すると言えないのか…といったような考えで未だに頭の中がごちゃごちゃしていますが、こういう機会に気になる点を時間があるときに調べてみたいと思います。知識が足りず、正直先輩方の頭の回転のスピードに正直ついていけていなかったので、もっと鍛錬を積んでいきたいです。

 今回のゼミを通して、司会が3年生に急に振られたり (ようつーくん、カフェラテくんお疲れ様でした)、あれだけ練習していた報告班の3年生が緊張していたりするのを目の当たりにして、これからが多少不安になりましたが、1年間通してすごく鍛えられそうだと改めて思いました。負けずに頑張っていきたいです。

 さて、来週は少年犯罪の実名報道とプライバシーといった、話題性の大きい面白そうなテーマなので楽しみです! 3回目の自分たちの報告でもプライバシーを扱うので、しっかりと予習して第2回に臨みたいと思います。

投稿者:マスク   #025

 グループ報告初回が担当ということで、かなり緊張していた金曜日でしたが、実は先生にゼミ後の弐ノ弐だけではなく、お昼にヨーグルトもご馳走していただきました。また、ゼミの中でも、何度も助けていただいたと思っております。特に「式典における教員の消極的な行為が押し付けとなるか」という論点になったときに、先生が提示してくださった押し付けの例と対比することで考えが整理でき、発言しやすくなりました。本当にありがとうございます。

 憲法についてはもちろん、議論の仕方についても多くを学べた報告回でした。ただ、私自身、力不足を痛感する回でもあったので、これから少しずつ力をつけて議論に資することができればと思っております。正直、報告が終わった当初は、報告班の三年生で落ち込みまくっていたのですが、先生や先輩方から「議論が盛り上がった」という言葉をいただいたので、なんとか立ち直れそうです。

 まず個人的な反省としては、佐々木説の細部への理解が足りていなかったこと、検討で他の学説(西原説や戸波説)についての言及が少なかったこと、知識を入れることに一生懸命になりすぎてより根本的な観点が抜け落ちていたことなどがあります。また、議論の中で質問の趣旨から外れる答えを何度かしてしまったという点も反省します。  

 ただ、やはり一連の君が代事件(特に起立斉唱事件)を個人の思想・良心の自由から論じようとする佐々木説は有用であると思います。もちろん「自発的行為の強制」型と「外面的行為の強制」型の線引きなどは批判を受けかねないところであるとは思いますが、個人的には「自発的行為の強制」型を絶対的に保障できるとした点はもっと評価されてもいいと思っています。

 また、さんとすさんが議論やゼミ風景リポートで指摘していた藤田裁判官が保護領域の段階で指摘した「否定的評価」と佐々木説における「外面的行為の強制」型の兼ね合いについて(趣旨を取り違えていたら申し訳ないです…)、佐々木先生の考えをベースに私なりに答えてみようと思います。佐々木先生は藤田反対意見を評価しながらも「外面的行為の強制」型とは異なる部分があるとしています。その異なる部分というのは、佐々木説は保護を受ける内心を私的なものとしているのに対し、藤田反対意見は公的なもの(佐々木先生はこれを「市民的不服従」論として捉えています)であるというものです。この点については私の理解が追い付かないところもあります。しかし、「外面的行為の強制」型でいくとその効果は個別的免除(これは報告で言及しなかった部分です…)になりますが、藤田反対意見のように一律の強制に対する「否定的評価」を内心とすると、その一律の強制というものは個別的免除では解決できない性質のものであるはずです。このように考えると、確かに藤田反対意見の「市民的不服従」と佐々木説の「外面的行為の強制」異なるように思えます。以上の点から、藤田反対意見は「外面的行為の強制」型とは違う解釈論であるのではないかと考えます。……これが答えになったかは自信がないのですが、いまのところこのように考えております。  

 もうひとつ、「不利益取扱い」型の解釈論で考えられないのかという質問(があったと思いますが、どなたがしてくださったかうっかり失念してしまいました…ごめんなさい)ですが、この点は色々と検討を要するものの、おそらく「不利益取扱い」型に入る可能性もあるのではないかと思われます。

 議論をした上で改めて論文等を読み直すと、以前とは違った読み方ができてつい色々と書いてしまいました。たぶん教育や多様性に関わる問題は、学歴が複雑だったり母校がちょっと特殊だったりする私には気になるものなんだと思います(笑)。また、原告の方が書いた本を読んだことも、個人の思想・良心の自由を重視する考え方に繋がったのかもしれません。  

 そして、ゼミのあとには先生に弐ノ弐へ連れていっていただきました! 一緒になって笑っていいのか分からない際どい話も若干あったような気もしますが慣れていこうと思います笑。他にも色々と書きたいこと(イブくんの「着座」など)はありますが、これ以上書くのはさすがに憚られますので他の方にお任せしますね!  

 最後になりますが、同じ報告班のバムくん、トムリンソンくん、そしてムタさん、本当にお世話になりました。勉強不足でご迷惑をおかけしましたが、報告やその準備を通して多くのことを学べました。本当にありがとうございました!

投稿者:じょい

 今回はムタさんの班が「君が代」判決の検討とそれに代わる、あるべき判断枠組みを報告してくれました。初回ということで、報告班の方々はプレッシャーだったと思いますが、すごく良い報告でした。判例検討や私見もしっかりとした内容でしたが、個人的には、一連の判例がきれいにまとめられていたのが印象に残りました。個別意見が多い一連の「君が代」判決のポイントを、しっかりとかつ簡潔に押さえられていたと思います。   

 昨年(12期)の初回報告は、私も含め、3年生があまり話すことができなかったので、少し心配していましたが、それは杞憂に終わりました。みんな物怖じせずに、積極的に議論に参加していたので、びっくりしました。4年生もよく話していましたね。(あえて名前は出しませんが)ある人が「着座」と言ったり、別の人が「○○先生はずるい」と言ったりと、多くの名言も生まれ、中身の濃い回でした。これも、りちゃくんが発言の先陣を切ったのが大きいと思います。報告者の3年生(バムくん、トムリンソンくん、マスクさん)も、全員しっかりと質問に答えられていたことにも感心しました。そういえば、報告当日の朝から集まっていましたからね。ただ、かなり議論が盛り上がったことは、さんとすさんには chilling effect が生じたみたいです(笑)。(本人談)  

 議論の要点は他の方のリポートに任せるとして、私は今回の報告で思ったこと、考えたことをつれづれなるままに書きたいと思います。報告班が私見で採用した佐々木説についてですが、佐々木説にいう、「外面的行為」と「自発的行為」を分けるメルクマールは、社会的に自発的であることに意味がある行為とされているか否か、あるいは、自発的にさせる意図があるか否かです。しかし、報告中で出ていたように、意図(目的)で分けるというのは簡単なようで難しいと思います。(昨年度、個人報告で規制目的二分論を取り上げたときに痛感しました笑。)

 また、超強力機械さんが言っていたように、「社会的にどうか」という指標については私も懐疑的です。(とは言え、よく使ってしまいますが 、一般人基準などと同様、使うに際してあまり自信がありません。単なる勉強不足かもしれません。)このように、結構質問を浴びた佐々木説ですが、佐々木説を私見で取ったことで、ムタさんが示唆していたように、議論がより盛り上がったと言えるのではないでしょうか。    

 さて、次回の報告は超強力機械さんの班による、少年犯罪と実名報道です。実名報道の是非については、昨今大きな話題になっていますが、私もかねてから気になっていたので、報告が楽しみです。次回も「優しい問題提起」「優しい相槌」を心掛けたいと思います。

投稿者:ムタ

 みなさん、第2回目のゼミお疲れ様でした! 今回はバムくん、マスクさん、トムリンソンくん、私で「君が代判決と思想・良心の自由」について報告をしました。

 初回報告ということで、議論が盛り上がらなかったらどうしよう、と準備をしていて不安に思うことも多かったのですが、いざ議論が始まるとみんなが積極的に発言してくれて、とても充実したゼミだったと思いますし、私自身もとても楽しかったです。これもどんな質問にもきちんと答えようとしていたバムくん、マスクさん、トムリンソンくん、先陣を切って質問をしてくれたりちゃくん、ゼミの雰囲気を和ませてくれた陽気な人声の大きな人のおかげだと思います。そして今回の報告にあたっては、準備の段階で何度もパッタイさんに相談にのっていただきました。みなさんありがとうございました!

 私はといえば、ゼミを振り返ると質問の趣旨とずれたことを答えてしまったなというものがいくつかあるのですが、すでに何人かリポートで議論については詳しく書いてくれているので、個人的に思ったことを書いてみようと思います。ゼミでの発言を聞いていると、意外にも「いやいや、歌えよ」と思っている人もいるのだなと感じました。そして、その考えのベースにあるのは、君が代を歌う時に愛国心や敬意が必要だとは考えられないということ、つまりは最高裁のいうような「君が代は儀礼的行為に過ぎない」ということであるように思えましたが、儀礼的行為だということがそれを(自己の内心に反するとして)嫌がる人にまで強制することの理由にはならないと私は思います。儀礼的行為であることと強制可能な行為であることは次元の異なった話で、儀礼的行為であろうと、それを自己の内心に反するとして拒否する人に強制しようとする場合には強制可能な公的利益がなければいけません(納税の義務、義務教育など)。

 特に思想良心の自由というのは、一旦侵害されると事後的な回復が困難なものであるため、「儀礼的行為だから」という理由で保障の程度を著しく下げることは許されず、そこに強制を正当化するだけの公的利益があるのかどうかというところをきちんと検討しなければならないのではないでしょうか。(ちなみに、アメリカでは国旗、国歌関係の行為は政府の強制可能な利益とする連邦憲法上の根拠はないため、強制があれば違憲とされるようです。)また、こうした事案において、教師であるという事情はどのように考慮されるべきものなのかについてはもう少し考えたいなと思っているところです。  

 以上のことは土屋英雄先生の論文(法律時報83巻9・10号1頁以下)を参考にしました。土屋先生は2003年の都教委の「10・23通達」(今回取り上げた起立斉唱事件のもととなった通達)関係の訴訟にずっとかかわってこられていて、法廷での学者証言もされたらしいのですが、「10・23通達」とそれに基づいた職務命令については、その予防訴訟で東京地裁において違憲判決が出されています。これは「君が代」関連の訴訟で唯一憲法19条違反であると判断されたものなのですが、現場の感触として、それが他の下級審判決にも引き継がれる可能性が高いと思われていたそうです。ところが、その直後に1999年の職務命令について争っていたピアノ伴奏拒否事件の最高裁判決がでて、それがその後の君が代訴訟に決定的な影響を及ぼしたのだとか。月並みな感想ですが、最高裁判決の影響力って凄いですね。  

 さて、次回は少年事件の推知報道と表現の自由についてです。武内ゼミで少年法を勉強しているものとしては、現状に色々と思うことのあるテーマですし、犯罪報道のあり方については春休みにパッタイさん、ふせんさん、ジョイと議論して以来自分の中でとても関心が高まっていて、いくつか文献を読んだりもしていました。議論に貢献できるように今回配布された文献もしっかり予習してゼミに臨みたいと思います。次回も頑張りましょう!

投稿者:パム

 皆さん、第2回ゼミお疲れ様でした。初回のグループ報告担当ということで、かなり緊張して臨みました。とりあえず終わって、今はほっとしております。  

 今回は、君が代ピアノ伴奏拒否事件、君が代起立斉唱拒否事件の両判決について報告しました。内容については、佐々木先生自身がピアノ伴奏行為は衝突審査をパスしないと考えているのに対して、私見において、どのようにしてパスすることができるとするかなどについて考えるあまり、そもそも佐々木説において自発的行為と外面的行為を区別する基準が曖昧であるという点についての検討が不十分だったかなと思いました。他にも議論の中で、理解していたつもりがそうではなかったことに気づかされることが多かったです。また、佐々木説について、準備の段階ではなんとか理解できていたつもりでしたが、実際に質問されて自分の言葉で説明するのは思っていた以上に難しかったです。逆に、ムタさんや、同学年のトムリンソンくん、マスクさんは、質問に対してどんどん答えていて、すごいと思いました。また、報告班でない、他の3年生が積極的に発言していたのも印象的でした。  

 報告準備を通して、班員の皆さんには本当にお世話になりました。特にムタさんには、レジュメの締切を過ぎてしまったりなど色々と迷惑をかけてしまいましたが、最後まで助けていただきました。ありがとうございました。    

 僕個人の反省として、報告班でありながら、あまり発言できなかったことは本当に情けなかったです。言葉がすぐに浮かんでこなかったのは、自分の理解がまだまだ足りなかったせいだと思うので、この反省を次回以降のグループ報告、個人報告に生かしたいと思います。

投稿者:ようつー

 第2回ゼミお疲れ様でした。今回は「君が代判決」を題材として報告が行われました。さて、どういう発言をしようかと考えていると、突如南野先生から司会に指名されてしまいました。次週の報告趣旨を読むのでいっぱいいっぱいだったので、さらに緊張して頭の中が真っ白になってしまいました。初回の報告にもかかわらず、至らぬ司会で申し訳ありませんでした。となりに座っていたカフェラテ君のナイスカバーや陽気なイブ君の名(迷?)言によって、多少救われたところもありましたが、全くといって笑う余裕がありませんでした。ここでもアガリ症を露呈してしまい、次週の報告に向けてさらに不安が広がってしまいました。報告等を通して、克服していきたいと思います。

 今回はとても重い題材だったと思うのですが、非常に議論が盛り上がりました。4年生の先輩方の鋭い指摘はさることながら、先陣を切ったりちゃ君をはじめ3年生からも、積極的な発言が目立ちました。正直、理解が深まらなかった部分も多く、知識や思考力に不足を感じました。他の方が言及しているところではありますが、やはり佐々木弘通説における外面的行為と自発的行為の区別は難しいと思いました。いまいち本質をつかめた気はしませんが、線引きが本当にできるか、あるいはできたとしても実際の行為に当てはめることができるかなどについて疑問があります。

 ともあれ、報告班のおかげで議論が活発化したのには疑いようもありません。困難なミッションであったと思いますが、報告班としての姿勢に学ぶべき点は多いと思いました。いよいよ次週は自分たちの報告です。議論が盛り上がるように準備していきたいと思います。

投稿者:イブ   #030

 今回は初めての南野ゼミでの報告および議論でした。まずは第1回報告班のみなさん、お疲れ様です。ゼミ生の皆さんから発せられる質問に堂々と答えるトムリンソン君、マスクさん、バム君の姿には同じ3年生として負けていられないな、と今後の活動に向けて気持ちを奮い立たされました。

 私は序盤から先輩方を中心に巻き起こされた議論に付いていけず、理解しようとすることで精いっぱいで結果的に「着座」という「名言」を残しただけで終わってしまったため個人的にとても悔いが残っています。配布文献の読み方、自分の考えの整理の仕方など基本的なことではありますが今回得られた反省を活かし、自分もゼミの一員として議論に積極的に関わっていけるよう一歩ずつ成長していきたいです。

 さて、私の反省タイムも終わったということで内容についても少し触れたいと思います。今回は「君が代判決と思想・良心の自由」をテーマに議論が行われました。私は準備の段階では佐々木説は説得的かなぁなどと思っていたのですが、いざ議論が始まるとりちゃさんを皮切りに、外面的行為と自発的行為の線引き、及び振り分けの意義の問題、中間目的での審査の可能性についてなど佐々木説への疑問点や問題点が出るわ出るわ。いかに自分の読みが甘かったかを思い知らされました。まだまだ自分の知識が足りないことに加え、これといった答えの出ない問題だけに今後も思想・良心の自由についてはまだまだ勉強していく必要を感じます。

 ちなみに、今回はゼミの後、南野先生と残っていたゼミ生で「弐ノ弐」に行きました。トムリンソン君、カフェラテ君の2人がかりで私の恥ずかしい若気の至りエピソードを暴露されたりもしましたが、皆さんが笑ってくれていたので良しとしましょう。また、ガクさんと分け合ったタタキキューリの味は格別でした(笑)。

 今回は冒頭でも述べたように非常に反省点の多い回となりましたが、初回のリポートにも書いた通り、向上心を胸に次回の「少年事件における実名報道と表現の自由」についての報告にもしっかり準備をして臨んでいきます! 最後に改めて、自分への戒めの意味も込め、「着座」の意味を確認してこのリポートを締めくくりたいと思います。

 【着座】座に着くこと。着席。[例:指定された席に着座する]「デジタル大辞泉」(小学館)

投稿者:茶畑  

 報告班のみなさん、お疲れ様でした。第一回目の報告ながら非常にレベルの高い報告だなあと、来たる自分たちの報告を思うと身が引き締まる思いでした。

 報告では、佐々木説に立った上で外面的行為の強制型、自発的行為の強制型に分けて当該二つの判決に対して判断がなされていました。確かに19条による保護を強く意識する立場からは、当該二つの判決を合憲とする判断はありうるのでしょうが、審査する対象となる外部的行為を大きく限定すること、また「衝突審査」を厳格化することのある意味「見返り」として公共目的を軽く見るという結果が伴ってしまうことにやはり疑問を感じます。思想・良心の自由に対して制約が課されてしまうのは、それと対立する社会的規範があるからであるという考えを基礎にすると、二つの裁判例が示したように、社会的規範の合理性・必要性を鑑みた上で、思想・良心の自由を制約するだけの正当化を図ることができるかどうかを考えるのが素直な判断方法であろうと思います。社会的規範に反するような外部的行為ばかりを許せば、社会がうま く機能しないことは自明であることから、自発性に基づく外部的行為のみを審査の対象として設定することにより審査の間口をせばめること、また外面的行為の強制型の判断方法に見られる「衝突」審査の厳格化が、社会的規範を考慮しない、もしくは考慮する範囲を縮小することを許す正当化根拠はいったいあるのだろうかという問題は考えられる必要があるように感じます。佐々木説における審査をクリアするような外部的行為は、公共目的の合理性、必要性を鑑みるような状況が生まれないほどに限定的である、という想定があるにしても、それはあるべき判断方法ではなく、結果的に強烈な保護が与えられる外部的行為が少ないということは、裁判所が採用した判断方法であれば保護が与えられたであろう外 部的行為を見落とすことになるのだろうという気がします。

 来週は、「少年事件における実名報道と表現の自由」についての報告です。しっかり論文を読み込んで参加しようと思います!!

投稿者:アンテナ

 皆様、おはようございます、こんにちは、こんばんは。

 ついに13期南野ゼミ、グループ報告がスタートしました。 報告担当のムタさん、マスクさん、トムリンソンくん、バムくんお疲れ様でした! 初めてのゼミだったので、今回私は議論の内容ではなく、全体を通して思ったことを短いですがリポートいたします。

 私は今まで抽象的で難しい物事を考えるとき、なるべく分かりやすい次元におとし、具体的に考えることが多かったような気がします。そのやり方は間違いではないと思うのですが、ゼミでの法学の議論となるとそれでは不十分な面もあるようです。なぜなら 「法の議論は類型化と差異化」という、先生がおっしゃっていた言葉に象徴されるように、ゼミという場では(あるいは法学を学ぶにあたっては)、学説等の考え方の枠組みの中で事例を捉え、議論が進んでいくからです。学説等を検討していく際に、簡単なフィールドに持ってきて考えるだけではなく、そのままのフィールドでも考えられるようになることが、今の自分の課題だと痛感しました。簡潔に言えば、「もっと頭を鍛えなければ!」ということです(笑)。

 アンテナとしては、今回は受信が中心で、たまに発信してもシステムエラーになってしまいました。すみません……(笑)。次回はそれ以上の働きが出来るよう、準備に励もうと思います!!

投稿者:るいす

 ゼミ初回報告が行われました。今回のテーマは「君が代判決と思想・良心の自由」で、二つの最高裁判決と学説をもとに議論されました。ゼミが始まる前には写真撮影が行われましたが、その間報告班三年生の緊張感がひしひしと伝わってきて私もなんだか緊張していましたが、非常に理解しやすい報告だったと思います。

 今回の内容は二年後期の人権論でも少し扱われたものでしたが、予習の段階から自分にとってはなかなか難解な内容でした。どんな感じに議論がすすむのだろうと身構えていたら、早速りちゃくんが自発的行為に関して質問をなげかけ、話が膨らんでいきました。佐々木説に関する様々な批判・疑問点や式典の場での君が代伴奏・斉唱のあり方について多くの意見がでてきましたが、報告班の皆さんがそれらにひとつずつしっかり考えを述べていたところはすごいなと感じていました。と同時に予習文献の読みこみが甘く、自分の考えをうまくまとめられていなかったことを痛感しました。

 私としては、式典という場での円滑な進行や地方公務員の職務の公共性等を強く意識していたあまり、どうしてもピアノ伴奏や斉唱の強制を違憲とした報告班の考えに賛同できていませんでしたが、佐々木説という独特な学説による私見は新たな視点で非常におもしろかったです。皆さんが書かれているように外面的行為と自発的行為の区別や衝突審査の考え方はまだ理解が難しいところがあると思います。

 全体的に大変盛り上がった議論でしたが、なかなかそれに入っていけず最後の最後に拙い意見をいうだけになってしまい、私個人としては非常に残念でした。予習の段階でただ文献を読むだけになっているようだったので、主体的・積極的に発言して議論に参加できるよう、もっともっと自分の考えをまとめて次回の「少年事件における実名報道と表現の自由」という報告に臨みます。「君が代」に関しては国立大で実施することを政府が要請する可能性が新聞等でも報じられているので今後の動向に注目していきたいです。

投稿者:パーカー

 13期の記念すべき初回報告は、ムタさん率いるチームによる「君が代」訴訟判決についてでした。全体的に良くまとまった報告で議論も盛り上がり、報告班としての意見も明確で、配布文献の分量も含めて良い意味でグループ報告のハードルを上げてくれていたと思います。りちゃくんを筆頭に3年生も積極的に発言する流れができていて、「着座」という初名言も生まれ、ゼミとして良いスタートを切れたのではないでしょうか。次週は自分は間接話法を用いて対抗したいと思います。

 報告の内容については他の皆さんが書いているので多くは触れませんが、自分の中では、式典の中で伴奏を拒否したり、起立しなかったりするのは、積極的に式典を妨害しているとは言えなくても、そこでその行動をすることによる生徒に対する何らかのメッセージ性は看過できないのではないかということが一つ気になる点でした。

 ゼミの後は、久しぶりに弐ノ弐で先生に餃子をご馳走してもらいました。結構人数が集まっていて、個人的にも楽しい飲み会になりました。途中、箸を扱う手元が狂ってニラもやし炒めや餃子を机に着座させてしまうこともありました。偏頭痛くんには、次回のゼミでも是非名言を作っていただきたいものです。

 次週は、超変態さんチームによる、少年事件の推知報道と表現の自由についての報告です。超変態さんは去年の個人報告で猥褻を扱っていて、こと表現の自由に関しては人一倍鋭い感覚(当社比)を持っています。一体どのような報告となるのか楽しみですが、しっかり予習をして臨みたいと思います!!

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第3回(2015年4月24日・金)~グループ報告②「少年事件における実名報道と表現の自由」(報告者:超強力機械・ようつー・カフェオレ・テンパー、司会者:マスク)

投稿者:マスク    #035

 金曜日は3限が休講で、学食でお昼をゆっくり食べていました。そこでちょうど先生をお見かけしたので、可愛い友人二人とともにご挨拶させていただきました。「なんだか先週のデジャヴだなぁ」とのんびり考えながら、先週よりはだいぶリラックスした状態でゼミの時間を迎えたのも束の間。まさかの司会者に指名されてしまいました。指名された瞬間から終始声が上ずっていたのがバレていないといいのですが……。という私の個人的な話は置いておくとして、さっそくゼミ風景をリポートします。  

 報告は『少年事件における実名報道と表現の自由』というテーマでした。最近の事件のこともあり、予習段階から気合いが入っていました(とはいえ、土日から文献に手をつけてはいませんでした。次回からさんとすさんの予習方法を見習いたいと思います)。しかし、いざ報告を聞くと、この題材には実に多くの論点があることが分かり、報告班の苦悩がうかがえました。  

 議論では、やはり、本人特定事実は公共性を有するのかという点や公人と私人の区分ができるのかという点が主に指摘されたように思います。これらの点については、私自身、配布文献である葛野先生の論文を読んで、少し乱暴な説明の仕方ではないかと疑問に思っていました。特に成人した私人の実名報道については、葛野先生の見解が妥当であるとは思えず、頭を悩ませました。この論点は、少年事件の実名報道に焦点を当てた今回の報告の趣旨からは外れていたものの、活発な議論から学ぶことが多かったです。個人的には、報告班の意見は理解できるものだと考えます。現在の少年事件の実名報道に「私刑」の側面があることは否定できないと思いますし、成長発達の利益を重視することも必要であると思います。ただ、やはり葛野先生の主張を採用する部分には更なる補強が必要であると思いました。  

 ゼミ全体の雰囲気としては、今回も4年生の先輩方が的確な指摘をしていたのが素敵でした。ムタさんをはじめとした先輩方が様々な観点を提示してくださったため、多角的にこのテーマを論じることができたのではないかと思います。また、3年生も積極的に発言していましたね。特に茶畑くんやトムリンソンくんの質問は議論の核心を突くものであるように思いました。前回は報告班、今回は司会者として参加した私としては(連続して司会者に指名されることはないと信じた上で)次回どのように議論に参加しようかと戦々恐々としています。この点については毎回真っ先に質問をするりちゃや、やっぱり直接話法を用いるイブくんにもアドバイスを受けたいところです。  

 司会者としては、至らない点が多すぎて申し訳ないとしか言いようがありません。黙り込んだり、急に議論に参加したり、視界に入る方々の顔色をうかがったりして、司会者の役割をずっと模索しておりました。でも、(強制させた自覚は若干ありますが)全員に発言していただけたのは嬉しいです。  

 また、先生が指摘していた actual malice など、聞いたことはあるものの定着していない知識が多いことを実感しました。学んだことをを自分のものにできるよう、学習方法を改善しようと思います。最後になりましたが、超強力機械さん、ようつーさん、カフェラテくん、テンパーくん、報告お疲れさまでした。論点が多く、司会者として上手くまとめることはできませんでしたが、とても勉強になりました。今回学んだことを次回のゼミにも活かしたいと考えております。ありがとうございました!

投稿者:りちゃ

 第2回報告班のみなさん、お疲れ様でした。「少年事件における実名報道と表現の自由」というテーマのもと非常に白熱した議論が続きとても有意義な時間となりました。

 今回のゼミを通して改めてゼミ生のすごさが分かった気がします。まず、なんといってもマスクの司会進行のうまさに驚きました。報告班の発表を受けてまとめたり、質問の意図を読み取り分かりやすく言い換えてくれたりするなど、今回のゼミにおけるマスクの果たした役割は大きかったと思います!! そして、土・日を使って文献に目を通して、前日・前々日を使って再び読むというサントスさん…。「現実の悪意」ですよね、とサラっと先生の話に反応できるところもかっこよかったです。また、突然話を振られてもいつも冷静に受け答えをするムタさんの対応や、議論の中で判例を確認するときに使いこまれた百選をさらっと開いて○頁やで!と素早く小声で教えてくださるジョイさんなどを見て、もっと頑張らなければ…と刺激を受けました。

 さて、報告の内容についてですが、主に議論の的となった公的な少年はいないという葛野先生の考えの部分からは大きな批判が寄せられていました。確かに「私」と「公」を分ける基準というのは、共通の基準が社会に受け入れられて初めて定まるものだし、そうである以上、現実的には裁判官の主観的な判断による面が大きいと思います。「公」を政治的なものとして考えるのか、はたまた大部分の人がプライバシーの問題と考えないもののことを言うのか、「公」の範囲によってこの議論の結論も変わってくると思うので、そこは独自の線引きを許すのではなく何かしら基準を立てる必要があると思いました。ただ、21条の表現の自由が自己実現、自己統治を図るものであるから、原点に立ち返ってそこに資する情報のみがこうした兼ね合いの中で表現の自由によって守られるべきだという考え自体は納得することができました。本当に面白い内容でした

 また、少年法61条は少年の成長発達権を副次的に守るのだという前提部分に対して、少年法61条こそが少年の責任感を欠落させ、結果として少年の成長を妨げることになるというルイスマスクによる指摘を一理あると思います。未成年による犯罪が注目されている今日、少年法61条の抱えた問題は大きく今後の動向が気になるところです。 こうした鋭い指摘に対しても、まったく動じた様子を見せずに応答していた超強力機械さんや教室中響き渡る声で報告をしてくれたカフェラテくん、そして懸命に奮闘するテンパーくん、ようつーくん、本当にお疲れ様でした。とても楽しかったです

 次回は「データベース社会におけるプライバシー」です。初めての報告なので、もう今から緊張していますがどうか温かく見守ってください!

投稿者:茶畑  

 報告班の皆さん、お疲れさまでした。近年において社会問題化しているという意味でとてもホットな報告がなされ、前回同様、すごく充実した内容でした! また、論点が多くある、難しい報告でしたが、しっかりとまとめられていたように感じました。

 最近、少年による重大な事件が多く起こっている(ように感じる)からなのでしょうが、「被害者は実名が報道されるのに、加害者のそれが報道されないのはおかしい、社会的制裁を与えなくてはいけないだろう、ネットでも拡散してしまえ」といった、因果関係が全く不明瞭な根拠を元に、自ら勝手に司法を気取って「リンチ」を与えることを良しとするような言説をいろいろなところで目にするにつけ、何だかいやな気分がしていました。このような方々には、彼らが望むように、国家が司法権も刑罰権も有さない原始的な社会に帰っていただいてそれで解決するわけですが、表現の自由に由来する「報道の自由」を有する報道機関においては(多くの場合、上記のような動機でもって報道している訳ではないと信じていますが)、その権利と少年法61条の保護法益との関係についてしっかり考えていかないといけないだろうと思います。

 報告班が示されていたように、実名を含む本人特定事実の公共性は、少年の場合、大方において否定されるべきであると思います(時に、それが公共の利益を害することもあると思うので、訴訟においては一律に否定するのではなく、個別具体的に判断していくべきであるとは思いますが)。成長発達権を幸福追求権から派生する権利と認めてよいか、という論点も意見が分かれる論点であるように感じます。根拠は国際法、憲法諸条項等多岐にわたるようであるので、さらに検討を自分なりにしてみたいと思います。

 私見ではありますが、少年事件に関しては、実名に限らず、本人を推知させるような情報について、事件が起きた地名、通っている学校等の具体的名称を伴うようなものを含め、広く報道すべきでないと考えているので、成長発達の利益を認め、本人特定事実の公共性を否定する立場を取っている報告班に結論として共感できました。

 ゼミ中は、憲法のみならず、少年法や刑事政策の観点からも様々意見を聞くことができて、とてもおもしろかったです! 少し議論となった「月刊ペン事件」の名称を思い出せず、あろうことか「大逆事件」と言ってしまいました(頭の中には「逆転事件」がありましたがそれも違う汗)・・「大逆事件」だけに、この手の事件の名称の安易なミスは、トーマスさんをピクピクさせてしまいそうな気がするので、以後気をつけます笑。

投稿者:じょい

 今回のテーマは「少年事件における実名報道と表現の自由」ということで、表現の自由およびその派生原理と少年法61条の保護法益について触れたうえで、少年事件の実名報道のあり方を検討してくれました。私も、少年犯罪の実名報道はすべきではないという立場だったので、それをどのように法的に主張していくのかを考えることができて良かったです。立論の方法しだいでは、少年と成人をなぜ分けるのかという疑問も生じてしまうので、難しい報告だったと思います。超強力機械さん・ようつーくん・カフェオレくん・テンパーくん本当にお疲れ様でした!  

 実名を含め、少年犯罪の推知報道を禁止する少年法61条は、表現の自由(およびその派生原理としての報道の自由、知る権利)との衝突という問題を抱えています。報告では、少年法61条の保護法益と知る権利との比較衡量を行ったうえで、前者が優越するため、少年法61条は憲法21条に反しないという結論を導いていました。このアプローチでは、少年法61条の合憲性を導くことができるだけでなく、少年の特性(成長発達の利益など)にも着目するため、少年と成人を分けて論じることができます。(もっとも、少年と成人を区別することが、直ちに成人の実名報道を許容するということになるわけではありません。)この考え方は配布文献の葛野先生の考え方とはやや異なったものだと思います。  

 本報告では、上述の比較衡量で、少年法61条の保護法益であるプライバシー権および名誉権と(私的な利益にのみ奉仕する)「知る権利」が対等になるが、前者には成長発達の利益が加わる分、前者が優越するという主張をしていました。しかし、「成長発達権」を憲法上の権利ではないとしながら、憲法上の権利の比較衡量の俎上に、憲法上の権利ではない、成長発達の利益なるものを載せてよいのかが疑問に感じました。私が、成長発達の利益とはどのようなものかを質問したのは、この点が気になったからです。この質問に対して、反射的利益と答えてくれましたが、法律上の利益でさえない反射的利益であればなおのこと比較衡量に載せてはならないと思います。成長発達の利益の性質については、もう少し検討の余地があるでしょう。  

 今回は全員が発言することができて本当に良かったと思います。これもマスクさんの司会のうまさゆえですね。本人は納得していないようですが、すごく良かったです。あと、りちゃくんが私の百選を「使いこまれた」と美化してくれていますが、ただ扱いが雑なだけですよ(笑)  

 ゼミ後の飲み会は、時間が経つにつれて、カオスな様相を呈していましたが、すごく楽しかったです! 南野先生のお宅にもお邪魔することができて良かったです。深夜に騒いでしまって、ご近所の方にご迷惑をおかけしましたね…すみません。最後に、飲み会の後、車で送ってくれたカフェラテくん、泊めてくれたイブくん、ありがとうございました!

投稿者:イブ

 今回は「少年事件における実名報道と表現の自由」というテーマのもと報告および議論が行われました。なかなかに論点が多いテーマのため報告班の方々も準備がさぞ大変だっただろうと思います、お疲れ様でした。  

 このテーマについては自分も報告班と同じく、未成年の実名報道はなされるべきではないという立場で準備の段階から考えており、おおむね葛野説に賛同していたのですが、議論を経てやはり、成人における公人と私人との区別の基準を「社会的地位に基づき公共的な責任を負うべき」か否か、としつつ少年においておよそ公人がいないとして考えを進めていくことには越え難い壁があるように思いました。しかし、かと言って奥平説のように「国政に関係する」か否かを基準とすると、成人している有名企業の社長についての実名報道が制限されてしまうなどの問題を抱えてしまいます。これを受けて私個人としては、成人については葛野説の基準を採用し、未成年については奥平説の基準を成長発達の利益等を理由として採用し、成人と未成年での公人・私人の区別の基準を分けることで、この問題に一応のけりをつけられるのではないかと考えています。(成長発達の利益についてはじょいさんもおっしゃるように疑問は残りますが…)  

 また、今後の実名報道のあり方についての議論においても、少年法61条が機能していないとまでは言えないが制裁がなにかしらないと実名報道をやめさせられないという意見もある一方で強い制裁を科すと表現の自由が制約されてしまうという実情がある、アメリカでは「現実の悪意」の法理を採用し賠償金を大幅に引き上げることでメディアによる悪質な名誉毀損を萎縮させているなど、興味深い意見・発言が多く見られました。  

 個人的な話になりますが、実は今回のゼミでは直接話法を用いないというルールを自分に課していました。発言前に一呼吸おいて自分を落ち着かせることで直接話法癖を乗り越えていたのですが、終盤、以前話題になった「つまようじ混入少年」の話になったときに直接話法が顔を出してしまったため結果的に今回も悔しさが残ってしまいました。油断大敵、最後まで気を抜くことなく次回以降はより理性的に議論に参加していきたいと思います!  

 最後になりますが、今回はゼミ終了後に有志で飲んだ後、南野先生のお宅にお邪魔し、先生が僕たちぐらいの年齢のころの写真を見せていただいたり、某テレビ番組で歌っていらっしゃるビデオを見せていただいたりと非常に楽しい時間を過ごすことができました、ありがとうございました! 後半はカオスな時間帯が存在し、帰り際は特に騒がしくしてしまったことについては深くお詫び申し上げます。

投稿者:カフェラテ   #040

 今週も皆さんお疲れさまでした。今回は自分たちのグループ報告「少年事件における実名報道と表現の自由」についての報告でした。そこでまず共にグループ報告を行った3人に感謝の意をこの場を借りて言わせていただきます。部活漬けの自分を最後まで見捨てず就活の合間をぬって指導してくださった超強力機械さんには特にお世話になりました。自分と同じようにフィル漬けのはずなのにうまくレポートを書くテンパー、文献を探しまくってくれたようつー本当にありがとう。  

 ゼミ報告本番ではまず報告資料の書き方について指摘をいただき、加えて全体像がつかみにくいという指摘もいただきました。それなりに準備してきたはずがこうも十分な準備やチェックが出来ていなかったことは本当に悔しかったですし、2回目以降の報告からはしっかりと注意してまとめていきたいと思います。内容についても自分たちの議論したかった論点へなかなか持っていけず、説明不足な部分に加え、「少年」のほとんどは「公人」とはいえないという前提条件から出発した説であったため例外的な「公人」であると考えられる「少年」についての質問を茶畑君から浴び、ぐうの音もでませんでした。あたふたする3年生を前にムタさん、ジョイさん、さんとすさんが論点を整理してくださったり、情報を提供してくださったりと4年生の偉大さに感じ入りました。

 やはり表現の自由と人格権に包摂されるプライバシー権がぶつかる今回の報告議題についてはこれだ!といった答えは出ませんでしたが、どちらの人権を優先するというよりは公私の線引きを明確に打ち出すことが重要なのではないかと思いました。少年の実名報道は違法で成人の実名報道は許されるのかという問いもいただきましたし、成人のプライバシー権を守る上でもやはり民主主義に資する自己統治の意義をはっきりと見出せる公私の線引きを明確に規定することが今回報告・議論を終えて思ったことです。

 しかしひとえに「公」といっても公務員を指すような狭義の公なのか、政財界の大物も含む広義の公なのかも議論する余地がありますし、結局ある意味報告班の望んでいた尽きない議論ができて良かったです。最後になりましたがスムーズな司会進行をしてくれたマスクさんありがとう。

 報告で冷や汗をびっしょりかいたあとは定例となりつつある弐ノ弐へお誘いいただきイブのアブナい暴露話などをしながら楽しい時間を過ごしていましたが、その後は記憶の混濁が発生しよく覚えておりません。たしか幸運にも南野先生宅へとお招きいただきフランス人美女を両手に抱える若きイケメン(もちろん今もですが)の南野先生やハーバード大へ遊学中の先生の写真をここぞとばかりに記念にパシャパシャしていたはずがいつのまにか自分のほうが被写体へと変化していったような気がします。深夜に騒ぎまくってしまい近隣住民の皆様申し訳ありませんでした。

投稿者:テンパー

 第3回目のゼミ、皆さんお疲れ様でした。今回は、僕とようつー君、カフェラテ君、超強力機械さんで、「少年事件における実名報道と表現の自由」というテーマで報告を行ないました。まず、今回の反省点としては質問の応答の際に冷静に対応できなかったことです。どうも頭を掻く癖があるようで、時間が進むにつれて天パ度が増していっていたようです。(イブ談)お見苦しいものを見せてしまって申し訳ありません。次は毅然とした態度で報告、応答に臨みと思います。

 個人的な反省はここまでにして内容についてですが、「公人」「私人」の区別が大きな問題になりました。確かに一律に「公」と「私」を区別するのは難しいものがあると思います。親が国政に関わるという意味での「公人」であった場合、その子はどうなるのかといった質問については、一概にその子供が「私人」、「公人」であるとは言えず、「公人」である親の育児責任を問うということを報道する利益とその子について報道することで失われる子の利益を個別に比較衡量する必要があると思います。 未成年の場合は上記のような場合を除き、国政に関するという意味での「公人」はいないということに問題はないと思いますが、成人に関する区別は未成年と同じ扱いをすることは困難であるため、イブ君の考えと同様に、成人については「社会的地位に基づき公共的な責任を負うべき人」を「公人」と扱うことで現在の状況等とも整合するのではないでしょうか。

 また、少年法61条がかえって少年の犯罪を助長しており、61条は機能していないのではないかといった意見に関しては、僕は、61条は少年を保護し、マスメディアに対し罰則はないもののメディアのモラルや規律を求めるものとして捉えていたので、少年側から視点は僕にとってはクリティカルなものでした。確かに「つまようじ混入少年」のような事件は起こってはいるもののマイノリティであると僕は考えるため、大部分のところでは、61条は少年の保護という視点では、機能しているといえるのではないかと思います。さらに、この議論から発展した、現在の日本、海外の名誉毀損罪の状況は非常に興味深いものでした。

 今回の報告では、ようつー君、カフェラテ君、特に超強力機械さんには多大な迷惑をかけてしまいました。今回の報告で得たことを元に次回の報告に活かしていきたいと思います。本当にありがとうございました!! 次回は「データベース社会におけるプライバシー」です。今回の報告で少しではありますがプライバシー権を扱ったのできちんと議論ができるよう準備して臨みます。

投稿者:dtk

 報告班のみなさん、お疲れ様でした。今回の「少年事件における実名報道と表現の自由」というテーマは個人的に興味があり準備していたつもりだったのですが、今回の配布文献には論点が豊富に含まれていたため、自分の疑問に思った箇所と、報告の論点がずれていたことに報告後に気づき、予習の詰めの甘さを思い知らされる結果となりました…

 そんな中でも、マスクさんの見事な司会っぷりや、茶畑くんやトムリンソンくんの積極的な発言が目立ち、同じ学年なのに凄いなあとただただ感心するばかりでした。個人的には相変わらず議論に入っていけなかったので、次回こそは南野先生が直々にして下さった特別講義を生かせるようにしたいと思います!

 報告の内容については多くの方が書かれているので今回はほとんど触れませんが、活発な議論が巻き起こったところでもある、公的な少年はいないという葛野先生の主張については、個人的には賛同しがたいものでした。

 さて、次回は「データベース社会におけるプライバシー」です。受け答えできるようしっかりと準備をして、報告に臨みたいと思います。

投稿者:ようつー   

 第3回ゼミお疲れ様でした。今回は自分たちの報告の回であり、少年事件報道と表現の自由の関係を題材として報告を行いました。最近話題にあがったテーマということもあり、報告班としても考えさせられることが多くありました。

 報告班としては、少年法61条と憲法21条の対立軸をもとに論を展開しました。結論を導くまでの過程として、まず表現の自由やプライバシー権など個々の定義や少年法61条の保護法益を概観し、次に少年法61条と憲法21条の対立から生じる問題について触れる形をとりました。それぞれの論点で検討と私見を入れながら、最終的には奥平説を用いて実名報道を否定するとの主張に落ち着きました。

 論点を絞って議論をしていきたかったのですが、プレゼン力の不足は否めませんでした。実際指摘されたように、「公人」と「私人」の区別の基準や成人の実名報道の場合については、根拠立てて反論することができませんでした。また、何よりも形式面(特に注釈)での不備が多々あったのは反省すべき点です。自分自身奥平説や葛野先生の主張に対して深く理解ができていたとはいえず、ろくに発言することもできずじまいでした。今回の経験をいかして次回の報告に臨みたいと思います。

 ゼミ終了後には、先週と同じく弐ノ弐に行きました。料理は大変美味しく、楽しい飲み会になったのですが、最後の最後で体調を壊してしまいましたトーマスさんやましゅ麻呂さんを始め多くの方にご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。体調をわきまえた行動ができず、情けなくなりました。

 最後に、約1か月の間超強力機械さんには名前の通り超強力なご指導いただきました。就活の最中にも関わらず時間を割いていただき本当にありがとうございました。テーマ選びの段階からテンパー君には迷惑をかけっぱなしでした。本当にお疲れさまでした。カフェラテ君も積極的に意見を言ってくれて、また報告の時に発言をしてくれてありがとうございました。本当にお疲れさまでした。

投稿者:超強力機械

 今回は少年の実名報道を題材に、ようつーくん、カフェオレくん、テンパーくんとともに報告を行いました。 報告準備にあたっては、前年度個人報告で表現の自由について取り扱ったにも関わらず、話し合いの中で自分の知識を適切に提示できなかったことや、注釈のつけ方など形式面のアドバイスも十分でなかったことなど、個人的に反省すべき点が多くありました。部活が忙しく時間もなかなか取れない中、こんな超ポンコツ機械と一緒に報告準備をしてくれた3人、本当にお疲れ様&ありがとうございました。

 今回扱ったテーマは、多くの論点を内包するものであり、報告全体の構成を検討する時点でかなり苦労しました。葛野説や奥平説を元に、どうにか論を一通り完成させたはいいものの、皆さんがリポートでも指摘してくださっている通り、公人と私人の区別や、成人と少年の取り扱いの違い、成長発達の利益を憲法上の権利と衡量することの可否についての説得的な説明ができていませんでした。報告班自身、私見についての共通理解が十分にできていなかった点についても大きな反省点です。しかし、刑事政策ゼミを掛け持つムタさんやゼミ長ジョイ、司会のマスクちゃんなどが適宜論点を整理してくれたり、他の3・4年生も積極的に発言をしてくれたおかげで、議論自体は非常に盛り上がったように思います。南野先生からも多くのアドバイスや、論点の提示をしていただき、報告の場を通して自分の考えや理解を深めることが出来たように思います。

 自分の個人報告まではしばらく間が空きますが、次回からの報告で4年生らしい発言ができるよう、さんとすくんを見習い、毎週文献はしっかり読み込んで来ようと思います。

 ちなみに今回のゼミ後の飲み会、私は参加できなかったのですが、ゼミの卒業生も交えた楽しい会だったようですね。今年度のゼミはメンバー同士打ち解けるのが早い気がします。これからもっと距離を縮めて、みんなで色々なところへ出かけたり、ごはんを食べたりできたらいいですね!

 

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第4回(2015年5月1日・金)~グループ報告③「データベース社会におけるプライバシー」(報告者:さんとす・dtk・りちゃ・アンテナ、司会者:イブ)

投稿者:さんとす   #045

 今回は、「データベース社会におけるプライバシー」というテーマで報告させていただきました。dtkくん、りちゃくん、アンテナくん、お疲れ様でした。住基ネットやマイナンバーの制度自体の内容も関わってきて、なかなか大変な部分もありましたが、みんなの頑張りで無事に終えることができました。ありがとうございました!

 さて、内容に関しましては、議論では主にマイナンバー法の制度内容やそれに対する評価、そして住基ネットに対する評価との違いがなぜ生じたのか、といった点が問題となったように思いますが、その点については3年生にお任せしたいと思います。ここでは、住基ネットやマイナンバー法に対する評価とは離れて、データベース社会におけるプライバシー問題一般について書いてみたいと思います。

 このデータベース化によって新たに問題となるのは、特に行政機関内部におけるデータマッチングや名寄せ、そしてそれによって可能になる個人の把握、個人像の構築です。もちろん、データベース化により以前と比べ漏洩の危険性は高まることになると思いますが、データベース化によって新たに生じる問題の考察、という観点すると、第三者に対する外部流出の問題とは切り離して考えることが有益なのではないかと思っています。漏洩という問題は、住民基本台帳の時代であれ住基ネットにおいてであれ同様に起こりうるものであるからです。  

 データベース化によって、技術的・費用的には、個人に関する情報を容易に分析・結合することが可能になりますが、そこでの情報の流れは私たち情報主体には基本的に不可視であり、具体的に捕捉することができません。そのことによって生じる不安、国家によって自分の個人像が作り上げられ監視されているかもしれない、という不安が、私たちの行動に萎縮効果を及ぼすことで、自らの自律的な生を困難にするとともに、民主主義といった社会公共的な側面にも影響を与えうると指摘されています。

 民主主義に対する影響との関連での、アンテナくんの面白いたとえを使うならば、先生にツイッターを見られているかもしれない、という意識・不安が、たとえば僕の表現行為を萎縮させてしまいます。ここで重要なのは、先生が実際に僕のツイッターを見ているか否かは問題ではない、ということです。先生が現に僕のアカウントをリストに入れて監視しているか否かに関わらず、先生が僕のアカウントを特定し、そのことによって僕が監視されうる状況にあるということ、そのこと自体がここでは問題になっているのだと思います。突然リツイートされるなどして見られていることに現に気づいた場合は当然ですが、そうでないにしても、僕のアカウントに関する情報が先生に握られ、もしかしたら監視されているかもしれないという不安が、たとえ実際には監視されていないとしても、僕の行動に影響を与えることになります。

 ことがツイッターならば、カギをかける、ブロックする、ないしはツイッターをやめる、といった方法で何とかなるかもしれませんが、国家による場合にはそう簡単にはいきません。不可避的に国家によって自己の情報が収集されることになる以上、その情報がデータベース上で国家によって自由にやりとりされ、容易に個人像を構築できる状態になっているならば、そのことに対する不安が私たちの行動に大きな影響を与えることになりえます。そこで、国家が有する情報が自己の予期しない範囲で用いられることはない、国家によって個人像が構築されることはない、ということを担保するシステムが構築されているか否か、つまり情報の取り扱いをめぐる不安を軽減できるような構造があるかどうか、という点が重要視されることになるのだと思います。ここでのツイッターのたとえがどの程度論点を捉えているかはちょっと分かりませんが、多少のイメージでもつかんでもらえればと思います。

 マイナンバー法に関していえば、その対象が社会保障と税、それから災害対策に限定されている限りでは、国家による個人の監視、ということにはなりにくいと思います。ただ、議論でも少し出てきたようにテロ対策などが今後盛り込まれるようなことになると、国家による個人像の構築や個人の監視につながるという懸念を、そんなものは杞憂にすぎない、と一蹴することはもはやできないように思います。今後、個人番号の利用範囲の拡大など、社会においてデータベース化がますます進展することになると思われますが、そのような状況の中で、今回の報告が皆さんにマイナンバー制度、そしてデータベース社会において新たに生じるプライバシー問題について考えるきっかけを提供できていれば幸いです。

投稿者:りちゃ

 第4回ゼミみなさんお疲れ様でした。今回の報告ではデータベース社会におけるプライバシー問題を考える上で、住基ネット訴訟について検討し、今後導入されることになるマイナンバー制度について考えてみました。まず、①従来のプライバシーの権利を「ネットワークシステムに接続されない自由」と読みかえ、②国家からの制約(介入)を認めた上で、③その制約を正当化できるかを検討し、④正当性が住基ネットでは認められず、マイナンバー制度では認められるという結論を出しました。両者の結論の違いは、得られる利益が大きくなる一方で、失われる利益である国民の鈍痛(自分の知らないところでデータマッチングや名寄せされる かもしれないという不安)が情報提供等記録開示システムなどによって小さくなるという点から導きだされました。本報告では情報の漏えい問題(激痛)とデータベースに組み込まれることによって生じる不安(鈍痛)を区別した上で、問題となる後者に重点を置いています。

 さて、プライバシーの権利は第1期から第3期へと変遷を遂げ、その保護領域は時代の要請により拡大していきました。従来のプライバシーの権利はプライバシー外延情報を保護しない、または保護の弱いものとなっていましたが、第3期のプライバシーの権利はどの情報も等しく保護されるという見解でした。データベース社会においては使い方次第であらゆる情報の価値が大きくなるといった考えから生じたものです。 この点、データベースから情報漏えいが生じるかもしれないという不安に関しては、第3期のプライバシーの権論では外延情報も固有情報も同等に保護されるためどちらも同じレベルの問題となり、住基ネットとマイナンバー制度について差は生じないと考えられます。

 しかし、データベースの情報をデータマッチングし名寄せをする問題について は、いくらマイナンバー制度が必要最小限でデータマッチングを行えないとしていても、自律的生の根幹に関わる情報(とまで言えるかは大いに疑問ですが、住基ネットよりも広く重要な情報)が扱われるならば、不安は大きいものになり得るかもしれません。前述の通り、使い方次第であらゆる情報が大きな価値を持つデータベース社会において、両システムで扱う情報の種類によって区別すべきではありませんが、より具体的な人格像の構成が可能かどうかという点に着目するとこの点は問題となってくるようにも思われます。

 したがって、どこまでの情報が扱われるか、そしてそれが自律的生に関わる情報かをも考慮した構造審査というのが必要になってくるのだと思います。マイナンバー制度は現在のところ社会福祉・税務・災害対策分野の3分野に関する情報を取り扱うにすぎないため、現制度で十分だとは思っていますが(総務省の回し者っぽいですが笑)、今後拡大利用が予定されていくことを踏まえると、私たち国民が今後の動向に目を光らせていく必要があると思います。

 上記の点に関してマスクテンパーくんから鋭い指摘を受けて、内心焦っていましたが無理やり逃げましたごめんなさい(笑)

 本報告ではまだ導入前で、参考文献も配布していないマイナンバー制度について取り扱ったのにも関わらず、本質的なところを突いてくる質問をいくつもぶつけられましたが、無事報告を終えることができて良かったです。これも、いつも僕たち3年生を引っ張ってくださったさんとすさんと、それについていこうと一緒に頑張ってきたdtk くんとアンテナくんのおかげです! たくさんご迷惑をおかけしましたが、本当に楽しくて有意義な時間でした。ありがとうございました。

 発表でテンパったり、漢字の読み方を間違えたり(知らなかったり)、ゼミ前の突然のTVインタビューで聞かれた集団的自衛権の話に何も答えられなかったりと、法学部生としてとても恥ずかしい思いをした1日だったので、今後もっと精進していきたいと思います。

投稿者:トムリンソン  

 今回は、報告前にRKBのイケメン記者さんから、前回のテーマであった「少年の推知報道」について「報道する側」の意見を、少しではありましたが、伺うことができ、大変勉強になりました。  

 さて、報告はというと「データベース社会におけるプライバシー」がテーマでした。先週に引き続き、プライバシー権が絡むテーマでしたが、先週とは違った側面からのプライバシー権に対するアプローチでした。レジュメの形式・内容ともにしっかりと構成されていて、さすがさんとすさんチームだと感じました。また、報告の際に、レジュメを単に「読みあげ」るだけでなく、適宜わかりやすく、言い換えたり補足をしたりと、工夫して報告していた点も、素晴らしかったと思います。今後の報告の参考にさせてもらいたいと思います。  

 報告の内容に関してですが、報告班はプライバシー権をとらえるにあたって「情報システムへの参入自体を拒否するという、自由権的側面に重点を」置き、情報システムに「接続されない自由」を問題にしていたと思います。このように考えると、承諾なしに個人の情報が情報システムに接続される時点で、プライバシーが侵害されることになります。したがって、住基ネットにしろ、マイナンバー制度にしろ、「接続されない自由」が侵害されているという点に関しては、同様であると思われます。けれども、住基ネットに関してはその侵害が大きいので離脱を認めるべきだとし、マイナンバー制度に関しては侵害が小さいので離脱をみとめるべきでない、とするのが報告班の立場だったと思います。また、その侵害の差の理由として「マイナンバー制度が住基ネットよりもシステム的に安全である」という点を挙げていたと思います。  

 私個人としては、「自由権的側面に重点」を置いた「接続されない自由」が「システム的に安全」かどうか次第で、その侵害の度合いが変わってしまうことにやや疑問があります。確かに、アンテナくんが主張していたように「システム的に安全」であることによって情報処理の「不確実性」が小さくなると思い「鈍痛」が小さくなる人もいるとは思います。しかし、システムはあくまでシステムであって完全無欠なものではないから、その意味で住基ネットとマイナンバー制度、両方に対して、同様の「不確実性」を拭い切れない人たちも相当数いるのではないのでしょうか。(マスクさんはこのような立場だったのかな。)そういう人たちにとって、「情報システムへの参入自体を拒否するという、自由権的側面に重点」を置いた「接続されない自由」の侵害の度合いは、両制度どちらでも変わらないのではないか、というのが私の考えです。

 もう少し詳しく書きたいところがあったのですが、今回は紙幅(しはば)の都合上、割愛させていただきます。(笑)  次回は、一度休講を挟んで再来週の金曜日ですね。ガクさんチームがどのような報告をしてくれるかとても楽しみです。期待しています!!

投稿者:マスク

  本日は先生となっきー出演のラジオ番組をしっかりと拝聴しました。憲法記念日に憲法について考え、これまでとは一味違った5月3日を過ごすことができました。また、Twitterを見ただけなのですが講演会も大盛況だったようですね。お疲れさまでした。ちなみにですが、山本龍彦先生の名前をリポートに書いていたため、先ほどまで一緒にいらっしゃったらしいツイートを見て驚きました。以下ゼミ風景リポートです。  

 みなさん、グループ報告第三回目お疲れさまでした。今回の報告ですが、テーマは「データベース社会におけるプライバシー」であり、住基ネット訴訟の考察を経て、マイナンバー制度を検討するという分かりやすい構成でした。ただ、あえて住基ネット訴訟の高裁の見解を取った上で、マイナンバー制度を肯定的に評価(マイナンバー制度による制約は正当化され、個別的免除は認められない)するという見解でしたので、議論も盛り上がったのではないかと思います。正直、配布文献を読んだときは最高裁の見解をある程度支持した上でマイナンバー制度の正当化を論じるだろうなと思っていたため驚きました。  

 議論の中で私は、第三者機関である特定個人情報保護委員会にかなりこだわってしまったのですが、それは参考文献に挙げられていた山本龍彦先生の「番号制度の憲法問題−−住基ネット判決から考える」を読んだためかと思われます。この論文において山本先生は第三者機関について、①特定個人情報保護委員会の監視機能に疑問を呈し(この点は私が議論の中で何度もしつこく聞いてしまった「見えない符号を用いるからこそ内部的な違反行為を検知できないのではないか」という質問に繋がります)、また別の視点から②制度運用の監視機関であるはずの特定個人情報保護委員会にその制度運用の範囲を定める権限が付与されていること(番号法19条14号)を厳しく批判しているように思われます。特に、②は議論のときに持ち出せなかった論点ですが、せっかくポジティブリスト方式で定められた特定個人情報の提供範囲を監視機関であるはずの特定個人情報保護委員会が広めてしまう可能性があるという点で問題だと考えます。  

 このように機能的な欠陥を持つ可能性がある第三者機関を理由にマイナンバー制度を正当化し得るのかという疑問のもと質問したわけです。しつこすぎて申し訳なかったです……。  

 また、テンパーくんに便乗して発言した、「住基ネットに比べてマイナンバー制度で失われる利益は大きいはずであり、レジュメに挙げられた法的制度で本当に正当化できるのか」という点は、やはり報告班が住基ネット高裁判決の枠組みを使う(つまり、住基ネットは認められないがマイナンバー制度は認める、という結論を同じ枠組みから導き出す)のであれば、より論証が必要であるはずだという思いから指摘しました。  

 紙幅(実は私も読み方に自信がなかったです)の都合上、他の論点については割愛しますが、非常に勉強になる報告でした。マイナンバー制度についてぼんやりとしたイメージしか持っていなかったのですが、今回の報告を機に意識してその動向を見ていこうと思います。報告自体も、プライバシーの権利・住基ネット訴訟・マイナンバー制度と上手くまとめられていました。始まる前からいつになく報告班が落ち着いていたのはやはり自信の表れだったのでしょうか。アンテナくんの秀逸すぎるたとえりちゃの総務省から来たような説明には思わず笑いましたが、分かりやすくて助かりました。また、イブくんの司会ぶりも司会をやるつもりで来ていたのかと思うくらい堂々としていて感心しました。みなさん、本当にお疲れさまでした!

投稿者:dtk

 皆さん、第4回ゼミお疲れさまでした。今回は初めての報告ということで非常に緊張していましたが、さんとすさん、りちゃ君、アンテナ君のおかげで無事に終えることができました。

 さて、今回の報告では「データベース社会におけるプライバシー」というテーマの下、住基ネット訴訟を取り上げながら同制度からの離脱の可否について述べ、 マイナンバー法の制度の概要を通じて同制度の検討をすすめるという内容でした。本報告の中核は住基ネット訴訟の高裁・最高裁判決を比較して私見を述べるという点にあるつもりだったのですが、主にマイナンバー制度のシステム堅牢性や第三者機関に議論が集中してしまい、りちゃ君が総務省の回し者っぷりを大いに発揮するという結果となりました。

 とはいえ、やはりマイナンバー制度は住基ネッ トの改善すべき点をしっかりと考慮していると思いますし、個人情報開示が容易になったことは一番のポイントなのではないでしょうか。 また、議論の中心ではありませんでしたが、個人的に重要な視点なのではと思ったことに、プライバシー権の変容を三つの段階に分けて考え、現代のプライバ シー問題を浮き彫りにしている点があります。配布文献に山本先生の論文をあげていましたので、質問されることはないに等しいほどでしたが、現代のプライバシー問題として「鈍痛」なるものが重要であるという指摘は、特筆に値するものといえるのではないでしょうか。確かに、あるデータベース上に保存されている一定の個人情報が何らかの外部的要因によって漏えいすることで、個人は自らのプライバシーが侵害され、「激痛」という結果がもたらされることになります。

 この問題は、マイナンバー制度で扱われる情報の重要さゆえに、同制度で私たちが抱く一番の不安に値するものかもしれません。しかし、今回の報告では、あくまでも第1・2期には問題とはならなかった、現代的なデータベース社会におけるプライバシー問題に焦点を当てることが主目的であり、住基ネット訴訟の私見の枠組みを用いてマイナンバー制度がシステム的に安全かどうかを検討することにその意義がありました。 とはいうものの、マイナンバー制度で扱われる個人情報の秘匿性の高さは住基ネットと比較しても格段に上なのでやはり漏えいへの心理的不安はあると思います。(私個人的にはマイナンバー制度について少々学んだ今でも、微々たる不安はあります)

 ただ、未だ「見える番号」としての個人番号の利用が実際に始まっていない現在、例えば、使ったことのないマイ・ポータルとは何かを具体的にイメージできない現段階において、真っ向からマイナンバー制度を否定するのも早計かなとも思っています。同制度施行当初は社会福祉・税務・災害対策分野の三分野に限られているとしても、今後は様々な分野への拡大が予想されるため、 データベースの構造上の問題が近い将来生じてくるかもしれません。今後の動向を注視していきましょう。

 最後になりますが、マイナンバーについてインターネットや様々な文献を駆使して調べてくれたりちゃ君、住基ネットの制度と訴訟比較について分かりやすくま とめてくれたアンテナ君、あらゆる面で僕たちを引っ張っていって下さったさんとすさん、本当に有意義な時間を過ごすことができました。心から感謝しています。ありがとうございました!

投稿者:イブ    #050

 今回は「データベース社会におけるプライバシー」というテーマのもと、プライバシー権の捉え方の変遷をおさえ、住基ネット訴訟の検討を踏まえた上で、今年10月から実施されるマイナンバー制度について考えていきました。報告班の皆さん、お疲れさまでした。制度についてもしっかり調べ上げられていて、先生がおっしゃったように総務省のまわし者かと錯覚するほどでした!(ただ、1名だけ漢字の読みについての調べが足りない方がいらっしゃったのは惜しかったですね。)  

 私はと言いますと、司会に指名されたのですが、正直完全に油断しており内心非常に慌てふためいていました。本当は司会として議論のポイントを提供したり、先週マスクさんがなさっていたように必要に応じて議論を整理したりということができればよかったのですが、私自身のスペックが足りず、ゼミ生の皆さんの自主的な発言と先生のアシストに助けられてばかりでした。司会の仕方についてもどこで役に立つか分かりませんし、今後の他の方の司会ぶりを見て勉強させていただきたいと思います。  

 議論についてはトムリンソンくんも言っているように、プライバシー権の自由権的側面である「(制度・システムに)接続されない自由」に関してはいまだに疑問が残っています。報告班の方々の報告および説明で制度的に住基ネットからは進歩・改善が見られることは分かり、自分の知らないところで勝手に自分の人間像が形成されることに対する不安感が小さくなるということは納得できたのですが、自由権的側面であるためやはり感じ方は人それぞれ異なり、なかにはそれでも接続されたくないという人がいることも想定されるのではないか、そういった場合にシステム離脱を認めないということはいかがなものなのかと感じます。この点については第1回目の報告で触れた「強制されない自由」とも関連のあるところだと思われますので、今後こういった自由についても様々な事案を見ることで考えを深めていきたいです。  

 さて、次回はいよいよ私も所属するガクさん班の初報告回、テーマは「議院自律権から再考する免責特権」です。報告担当でないときもゼミ前は緊張で胸をさすっている私。生きて5月16日の朝日を見ることができるのでしょうか、今から胸が痛いです! 過去3回レベルの高い報告が続いていますので私たちもそれに負けないようギリギリまで準備に力を注ぎます!

投稿者:アンテナ

 皆様、おはようございます、こんにちは、こんばんは。今回私は「データベース社会におけるプライバシー」というテーマで初の報告をさせていただきました。 同じグループのさんとすさん、dtkくん、りちゃくんのおかげで無事に報告を終えることができ、 ホッとしています。お三方には本当に感謝しております!!

 さて、報告の内容ですが、 イブ君が司会で言ってくれた報告のまとめが素晴らしかったので、詳細は割愛しますが少しだけ(笑) 。私たちの班はインターネット等の技術発展が著しい現代におけるプライバシーについて取り扱いました。山本龍彦先生の論文を中心に様々な文献を読み、住基ネットやマイナンバー制度において、自己情報を収集管理されることそれ自体にプライバシー権の侵害があると判断しました。それは情報が漏れる可能性があるといった理由から(だけ)で はなく、自分の知らないところで情報がやり取りされ、ネットワーク上のどこかでデータマッチングされ、自分像が作り上げられてしまう危険性があるためです。そして結論としては、住基ネットはプライバシーの侵害を正当化できず、マ イナンバー制度では正当化できるとしました。

 マイナンバーを正当化する際、 第三者の監視や情報通知の制度があることによって自己情報の収集管理に対する不安が小さくなるという論を展開しました。しかし、 超強力機械さんをはじめ とする皆さんのご指摘の通り、不安の感じ方には個人差があります。マイナンバー制度は個人情報保護のための制度がしっかりしているからという理由で、その不安は小さくなるだろうということを私は繰り返し述べました。しかし、個人的にはそもそも接続されない自由を望む人の主観的な不安がシステムの安全性によって緩和出来るとは言い切れないと思います(ムタさんのご指摘もこの点であったかと思います)。けれども客観的なものとしてこの事案を捉えたときには、不安は小さくなる「はず」だと考えられるのではないでしょうか。 (ここからは話が飛躍するので括弧書きです。これを踏まえると、問題点は主観と客観のズレにあると言えるのではないかと思います。この主観と客観というのは、国民が不安を感じても政府が制度をどんどん押し進めるという風に、国民と情報を管理する政府とに対応するような気もしてきます。ズレが大きくなってゆくと、ゼミ中でも話題になったような徴兵にマイナンバーが利用されるなど、大変なことになりかねません。)

 話を戻すと、いずれにせよ潜在的な危険性を含んだマイナンバー制度に対しては、さんとすさんが報告レジュメの最後に書いてくださったように、私たち一人一人が自分たちの人権がないがしろにされないよう、注視していく必要があります。 恥ずかしながら私は、今回この報告の準備を始めるまで、マイナンバー制度のことをほとんど知らなかったのでその必要性を痛感しています。

 最後に…今回の報告やその準備において、自由権的側面や請求権的側面という用語を知らなかったり、レジュメ作りに時間がかかったりとまだまだな部分を沢山発見しました。しかしこの未熟な部分を本田圭佑選手のように「伸びしろ」だと ポジティブに捉えて今後も頑張ります!(笑) 次回はガクさん達の班で免責特権がテーマです。コレまでの人権論と異なる分野なので心機一転、気合いを入れて取り組みたいです。

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第5回(2015年5月15日・金)~グループ報告④「議院自律権から再考する免責特権」(報告者:ガク・るいす・イブ・茶畑、司会者:アンテナ)

投稿者:ガク

 今回は報告者として「議院自律権から再考する免責特権」について考えていきました。報告直前の一週間は他のゼミの報告、就活が見事に重なり怒涛の一週間となってしまい、三年生のグループメンバーには迷惑をかけてしまいました。しかし自主的に自分達なりに考えて報告の準備を進められており改めて三年生(イ ブ、茶畑、るいす)のポテンシャルの高さに感銘を受けた次第です。私の活動と しては報告前に「最高の報告にしような!」と南野ゼミの伝統的な掛け声を言ったくらいでしょうか。イブ君の頑張りが功を奏し20時近くまで及ぶ白熱ぶりを見せてくれたのでホッとしているところです。

 中身について考察していきます。本報告は「イギリス型の強い議院自律権をどうにか日本に見出せないか?」という考えから始まった訳ですが、結局のところ自分達のとりたいイギリス式の議院自律権を踏まえることで免責特権を強く、広く考えていき、最終的に強固な議院自律権が生み出せるといった論調になってしまいました。一番大本になる「イギリス式がそもそも日本の憲法にあてはまるのか?」という検討が不十分であったように思われます。ただ正直なところ、 「日本はドイツ的な流れをくんでいるんだから~」という論調には賛同しかねます。当時の日本の政治に適合しているという理由で君主制国家の代表としてプロイセンから憲法を学んだときに導入した免責特権の概念が、日本国憲法に変わったときにも大きく議論されることなくそのまますんなり導入されることになった経緯を考えると、ドイツ的な免責特権に重きを置く必要も無いのではないでしょ うか。よって、価値判断上「より豊かな民主政治を実現する」ためにイギリス流の議院自律権を日本国憲法に組み込む形で考えることは可能なように感じられます。

 今回の議論の際「国会議員に自由を与えて量で勝負するより、質で勝負すれば良い」と考えていた超強力機械さんや、私達報告班の「マスコミを通じた国民によるコントロールが可能」といった論調に対して、マスコミに私怨があるのか、マスコミに非常に懐疑的であったマスクさん等、報告班の中では中々考え付かなかった意見が出てきたので、多くの人たちと議論をすることの楽しさを改めて実感することが出来ました。

 次回の報告は、野暮用で出席することが出来ないのですが、その分あらゆるものを吸収する意気込みでその野暮用に挑みたいと思っています。次回の報告者の方々の健闘を祈っています!!

投稿者:ましゅ麻呂

 報告グループの皆様お疲れ様でした!! 今回は今年度のゼミ報告において初の統治機構論ということで楽しみにしていました。茶畑くんが単にレジュメを読むだけでなく、口頭での説明を交えながら報告しているのが印象的で今後参考にしていきたいです。

 個人的に議員免責特権と議院自律権との関係をどう捉えるのかについての議論がとても面白かったです。議員免責特権を議院自律権と不可分なものとしてストロード事件時のように捉え、その理論を持ち込み判例を批判するのであれば、現代日本における(過去の英の国王権力とは違う)議院に対する客観的脅威を述べておく必要があると思いました。というのも英国流議院自律権を持ち込む際に重要視される民主政治の豊かさとは主観的なものにとどまると思うからです。ここにおいて、安藤先生が述べられている「直接政府権力と関係のない対国民、あるいは国民の名に籍口した政府権力や政府勢力」(安藤高行「国会議員免責特権―衆議院議員委員会発言損害賠償請求札幌地裁判決―」『議員特権と議会制』成文堂(2008年)261頁。)こそ、議院の脅威となる存在(権力?)であって英国式の解釈をする理由づけとなる余地があります。

 しかしながらこの点につき二点ほど問題点が挙げられます。一つ目は、まずその様な脅威を具体的に想定できるかが疑わしいですし、仮に出来たとしてもそれが、議員の活動によって不利益を被った国民に対する救済可能性を否定する論拠になりえるのかということです。二つ目は、上記のような脅威が存在するとしてそれが、議員の免責特権を広く解釈することと強い議院自律権とを結びつける十分な理由づけたりえるのかというものです。

 以上は報告グループの問題関心とは多少異なると思いますが、私なりに興味のあった内容をまとめてみた結果です。ところで、ゼミ中のトーマスくんの「刑法の違法性と国賠の違法性は違うから」という発言が何故かすごく公務員試験を彷彿させました。今週末からいよいよ始まりますが、みんなで一丸となり頑張っていけたらいいなと思います!! ではでは失礼しました。

投稿者:茶畑  

 今回、初めて報告者としてゼミに参加させていただきました。配布文献をしっかり読みこみ、また、議論を盛り上げてくれたゼミのみなさん、ありがとうございました!

 当初は、日本がイギリス流の議院自律権を持つのだ、という歴史的な論証を行って、そのまま日本の強い免責特権を実現できないか、という問題意識から出発したのですが、それがなかなか難しいと思われたため、イギリス流の議院自律権を当てはめて日本の免責特権規定を再考するという流れで報告を行いました。しかしながら、日本の免責特権規定は議院自律権概念からではなく、明らかに議員個人の特権として正当化されており、また、本報告において持ち出したイギリスにおいても、国王と対立していた時代とは異なり、現在では議員本人の特権として正当化されるように変遷していることを考えると、そもそも議院自律権概念という文言を本報告で持ち出す意味はあったのだろうか、という根本的な問題に気づかされることとなってしまいました。

 報告班では、様々な路線変更の末に、免責特権規定はやはり「議員」の特権として捉え、平等原則との衡量は既に済んでいるという佐藤説でいうところのB1説を採用し、「議員」の特権も広い意味での議院自律権に含まれるから報告の立てつけは問題ないとの考えをとっていました。しかし、そのことは本報告が、免責特権を「議院」の特権として捉えた画期的な考え方をとっているかのような思わせぶりな面を露呈してしまったという意味で議論を分かりにくいものにしてしまったように思われます。そのため、「議院」の特権と「議員」のそれとの明確な区別をしっかり行ったうえで、議院自律権概念という文言を報告に入れ込むべきかそうでないかを決めておかなくてはいけなかったのだろうという気がします。  

 ポンコツゆえ、ゼミが終盤に入るにつれてだんだんとただ座っているだけの機械に成り下がってしまいましたが、ゼミのみなさんからたくさんの質問をいただけて楽しかったです! 一か月強もの期間にわたり報告班を引っ張ってくれ、南野ゼミ秘伝の「最高の報告にしような」発言で鼓舞してくれたガクさん、多くの質問に答えて本番の強さを発揮してくれたイブ君、お金が無いのにたくさんの文献をコピーすることをいとわなかったルイス君、ありがとうございました! 茶畑は捲土重来を期して次回の報告に向けてがんばりたいと思います!

 ところで報告を終えた土曜日、「表現の自由を考える――憲法学の観点から」と題した、我らが南野先生の講演会に参加しました。前半部分は、「憲法主義」の執筆をお引き受けになられた経緯から現政権の危うさを説明し、その中で今日のメディアの果たすべき役割の重要性を示すという構成であったように思います。どのような政治的立場を表明する報道機関であっても、政権に対して批判することを忘れてはならない(発言の趣旨を完全に捉えられているかどうかは分かりません)という考え方に非常に共感できました。 後半は、対談形式で参加者の質問に答えていくという構成でした。ここでは、(金曜日の自分の報告のことを思い出しながら)南野先生のほぼ逡巡することなく質問に回答する力に舌を巻きました。参考にさせていただきます。  

 講演会後、少しお話しをしてくださった記者の方の「もう一度生まれ変わるとしてもこの仕事をしたい」というお言葉から、報道機関で勤務することに対する思いを感じることができました。僕自身、これからどのような職種に就くにしろ、このようなことを言えるように努力することが大切なのだろうと思います。

投稿者:るいす   #055

 今回は「議院自律権から再考する免責特権」というテーマのもと、自分にとっては初となる報告を行いました。イギリスの自律権・免責特権を前提に免責の対象に野次・私語を含める、議院の告発は必要、免責の対象に含まれる発言について議員・国は一切法的責任を問われないという結論をたてて報告準備にとりかかった結果、論点が多岐にわたることになりましたが無事に報告が終わり非常に安心しております。

 一番はじめのタイトルミスや私の漢字の読み間違いの件については申し訳なく思っております…。「質し」「籍口」の読みはもう一生間違えません…

 内容について軽くみていきます。私たちの立場は告発必要説でしたが、この説をとると告発するかどうかを議院で決めるにあたって多数党の横暴を招く恐れがあること、大物政治家の圧力により事実がもみけされうること、告発すると決めると結局は検察権の判断にうつることになることなど多くの指摘がなされました。しかしイブくんが力説していたように、第1決定機関を議院におくことで国民のコントロールが及ぶことになるのが重要だと思われます。国民が情報を知ることについてはマスメディア頼りになってしまうことは否めせんが、そこは難しいところだと思います。

 安藤説の絶対的免責特権論についてはパーカーさんが「安藤教授が本事案の妻のような立場でも同じことがいえるのか。」と指摘しました。確かに被害を受けた国民が訴えによる救済を全く受けられないというのはおかしいと思います。ただ、イギリスの自律権の趣旨だけでなく議員の発言に対する訴訟の増加の恐れを考慮するとやはり訴えを認めるのは難しいと考えます。先生も述べたようにある党の議員の反対勢力の人間による訴訟の提起はあり得ることで、こうなると議員の活動にかなり悪影響をおよぼすことになります。本事案に限って言えば、妻の訴えの提起時期に不自然さが残ったことからもそう考えられます。

 他にも超強力機械さんやましゅ麻呂さんの指摘などは納得させられることもあり、その応答はイブくん頼みになってしまったため反省しています。そして、なぜイギリスの免責特権の経緯を日本に持ち込むのかということや議員の特権を強めることが議院の特権を強めることになるということをもっと突き詰めて検討しておけばよかったと痛感しました。最後になりましたが、 報告班のガクさん、イブくん、茶畑くんには本当に感謝しています。ありがとうございました。ガクさん演じるステイプラーマンは個人的にすごくツボで、緊張をほぐしてもらい助かりました!

 次回は「民法750条の合憲性」というテーマです。しっかり予習しておきます!

投稿者:イブ

 前回のゼミについて触れる前に、先日福岡朝日ビルにて行われました南野先生の講演会について感想を簡単にではありますが述べさせていただきます。今回の講演会のタイトルは「言論の自由を考えるアフター5・3集会 表現の自由を考える――憲法学の観点から」ということで、1987年5月3日の朝日新聞阪神支局襲撃事件を振り返り、日本が昨今抱えている憲法的諸問題や報道における表現の自由についてのお話をいただきました。「報道と表現の自由」というと今年の1月に起こったフランスの「シャルリー・エブド襲撃事件」が記憶に新しいところで、私自身この点について考える契機となりました。しかし、まことに恥ずかしい話なのですが朝日新聞で28年前に同様のまことに胸の痛む事件がこの日本でも起きていたことを今回の講演会で知り、他人事ではなく身近なこととして真摯に表現の自由に向き合う必要性を感じています。

 現在日本では安保法制をめぐる問題の中で国民の間においても憲法に対する関心が高まっているように感じます。先生が5月3日の全国憲法研究会でもおっしゃっていたように「知憲」そして「論憲」 を、憲法ゼミのゼミ生として恥ずかしくないよう、これからより積極的に行っていかなければならないと感じました。もちろん、法学部生以外の方もぜひ南野先生と内山奈月さんの共著『憲法主義――条文には書かれていない本質』(PHP研究所、2014年)から「知憲」を行っていただきたいですね!

 では、今回のゼミについてリポートをさせていただきます。今回は初めての報告担当ということで、ガクさんの「最高の報告にしような!」の掛け声のもと「議院自律権から再考する免責特権」について報告をしました。報告については多くの質問をぶつけていただいたのですが、こちらの検討・理解不足な返答で間延びし、また皆さんに多くの疑問を残したまま終わってしまったことについては非常に申し訳なく思っております。

 議論の内容について触れますと、ぼくたち報告班は「憲法に適合する範囲で強い内容の免責特権(今回で言うと拡大説・告発必要説・絶対的免責特権説の解釈) を日本でも採用し、強い議院自律権を導くことができるのか」というところから 報告をスタートしました。議院の告発を起訴条件とするという告発必要説をとることについて、「議員による検察への圧力については必要説・不要説のいずれを採っても可能性が存在するため、議院の判断というフィルターを置く意味はないのではないか」という指摘がありましたが、それについてはやはり、検察権が暴走し、立法府に対して不当な介入をしようとした場合にはこのフィルターが防波堤となり議員の自由な活動が守られるというメリットから議院の告発を必要とすることは正当化されると考えています。

 今回の報告では、ガクさんや茶畑も言うようにとにかく「なぜ強い自律権を持ってこれるのか、また持ってこようと思ったのか」「なにを守るための免責特権と して考えているのか」というぼくたちの主張の根本部分での検討が甘かったことを先生や超強力機械さんとのやり取りで痛感させられる結果となりました。また、紙幅等の問題もあるとはいえ、議院自律権を考えるうえでは不逮捕特権や歳費受領権についても報告のレジュメに含めないまでも自分なりに調べて考えを持っておく必要があったなと後悔しています。

 最後に報告の準備にあたって、忙しい中就活の合間をぬって私たちを引っ張ってくださったガクさん、コピーミスと遅刻を連発していたもののこのテーマを考え3年生の中心として準備を進めてくれた茶畑、多くの文献に目を通し私たちに用意してくれたるいすにはとても感謝しています。ありがとうございました。 いよいよ次回から3年生はグループ報告2周目ということでメンバーも(場合によっては一部)変わって心機一転、1周目の反省を活かしてより良い報告・議論を 行えるよう頑張っていきましょう!

 さらに、次回はじょいさん班の報告です。報告内容はもちろんなのですが、果たしてゼミ長の韻踏みが見られるのか見られないのか…期待して次回を待ちましょう!

投稿者:ようつー

 だいぶご無沙汰になってしまいましたが、ゼミ風景リポートを書いていきたいと思います。 今回は議院自律権から再考する免責特権というテーマのもと、報告が行われました。イギリス流の強い議院自律権によって免責特権を強化するという流れであったと思います。

 配布文献を読んでいて、やはり感じたのは、イギリスの強い議院自律権は国王権力に対抗するためという要因があり、現在の日本にはイギリスでいう国王権力のような存在がない中で成立しうるのか、ということでした。おそらく超強力機械さんもこういった趣旨の指摘をされていたように感じて、納得しました(違ったらすいません。。。)。発言できないまま終わってしまいましたが、報告班の皆さんのおかげで、配布文献では分からなかったことについて知識を得られました。本当にお疲れさまでした。とてもチームワークがよく、発表や反論の仕方が素晴らしかったと思うので、次回の報告では参考にさせていただきます。

 それから、報告とは別件ですが、私も先週の土曜日に行われた南野先生の講演会に行ってきました。一緒に行ったメンバーの言うところと重複するかもしれませんが、合わせて感想を述べたいと思います。イブ君のリポートにもあるように、朝日新聞阪神支局襲撃事件から表現の自由について考えるというものであったと思います。今年の1月にシャルリエブド社襲撃事件が起きたこともあり、非常にホットな話題でした。また、先日報告で表現の自由について扱ったこともあり、南野先生ご自身が表現の自由についてどのようにお考えであるか、とても興味がありました。そこでは、主に①南野先生が名著『憲法主義』を執筆依頼された経緯と②南野先生が憲法学者になった理由の2パートに分けて、約1時間の間お話がありました。最後の方での先生の言葉にもあったようにメディアに与えられた役割というのはとても大きいと感じました。私の報告でも一部触れた通りメディアには権力を監視する役割を果たしてほしいと願うところであります。

 そんなことを考えていると、先日の第4回の報告の際に、(この講演会との関係は薄いですが)メディアを過度に信頼してよいのかと疑問をもっているようであったマスクさんの言葉も思い出し、難しい問題であると再認識しました。今後も、講演会があればぜひお邪魔したいと思います。南野先生、ありがとうございました。次回は夫婦別姓についてです。配布文献と格闘します。

投稿者:マスク

 今回の報告では、 議院自律権(議員自律権、という後半の議論を示唆するかのような誤植がありました)から再考する免責特権という今までの報告とは少し性質の異なるテーマを取り上げていました。個人的には、予習段階からかなり苦戦しておりまして、当日も報告班と先輩方の議論を聞くばかりでした。

 議論の詳細は他の方が書いていらっしゃいますので、今回は私が議論で持ち出したマスメディア懐疑論(に近い話)と個人的な反省を書かせていただきます。ガクさんがリポートに書いていらっしゃるように、議論の中で、マスメディアの役割についてかなり懐疑的な指摘をしましたが、決して私怨ではありません(笑) 。マスメディアというのはそもそも利潤追求を目的にしていると考えられ、そうであるならば、告発必要説はマスメディアにあまりに大きを求めすぎなのではないか。すなわち、検察が起訴できなかった多数派の犯罪があったとしてもマスメディアが国民に伝えるから隠蔽のおそれはないとする告発必要説の見解は成立するのだろうか、という疑問があったわけです。利潤追求が本来的な目的であるならば、究極的には利益が出ないものを報道しない可能性もあるのではないでしょうか。

 もちろん、マスメディア・マスコミ関係の人が全てそうであるとは思いません。極論を言えば、という話です。つまり、マスメディアにこのような役割を担わせることは、国民に不利益である可能性もありますし、もしかするとマスメディア側にとっても重すぎる負担になるかもしれません。それならば、告発不要説をとって検察権を介入させる方向でもいいのではないか、と思いました。とはいえ、こうして文章にしてみるとマスメディアに対する偏見が入っている感は否めませんね……。大変失礼いたしました。

 そして今回の反省点ですが、私にはテーマを俯瞰して捉える力が不足していると感じました。上記のようにある一点について質問することは一応できるようになってきたとは思うのですが、制度全体についての話になると議論についていけなくなることがありました。これは、知識や思考力が不足しているためであるように思われます。まず、予習をしっかりして知識をつけ、思考力はゼミに積極的に参加することを通して養っていければと思います。

 最後になりますが、今回は、報告班全員の連携がとれている報告であったと思いました。報告班で考えを共有したうえで、個人個人の考えを示してくださったと思います。難しいテーマでしたが、分かりやすい受け答えでした。また、突然指名された司会のアンテナくんの落ち着きようもさすがでした。みなさま、お疲れさまでした。また次回もよろしくお願いいたします。

投稿者:アンテナ

 皆様、おはようございます、こんにちは、こんばんは。今回私は司会を担当しま した。前回までの方に負けないような司会を、と意気込んでいましたが、いざやってみると自分の力不足をまたしても痛感する結果となってしまい、皆さんに迷惑をかけてしまったと反省しております。今後は司会者でないときも、議論の大まかな流れと細かい流れを整理することをより大切にしてゼミに臨もうと考えている次第です。

 さて、今回の報告班の主張は、イギリスの強い議院自律権を日本でも参考にしていくと議員の免責特権に絶対的な効果が認められるというものでした。これについてゼミ中であがっていた論点を、大きく二つに分けてみようと思います。一つ目は大雑把に言うと、イギリスの制度を日本で導入できるのか、免責特権は相対的か絶対的かどこまでが対象となるのか、免責特権と議院の自律はどちらが先にあるのか、といった制度そのものに関わる問題についてです。 二つ目は、議院の告発の必要性の検討における検察あるいは多数党の横暴のおそれ、議員の発言 により被害を受けた国民への救済の可能性、議院の自律を尊重することによって強調される国民の民主主義的コントロールとマスコミの重要性等、制度によっていわば二次的に生じる問題についてです。

 これらの論点のうち個人的に、野次や暴言などの発言にも免責が認められている点と、衆議院議員委員会発言損害賠償請求地裁判決(札幌地裁平成5年7月16日民五部判決)のような議員の発言に対する被害者にも救済がなされないという点に違和感を抱きました。前者については報告班が主張する、自由な発言を絶対的に保障するメリット(民主主義の観点等から)におおよそ納得できました。しかし後者については、やはり私は何らかの救済の可能性を考えるべきであると思います。今回報告班は「議院の自律」からでしたが、もし「議員の発言により被害を受ける国民」など、前段で分けたうち第二の分類から免責特権を考えたならば、 異なった結論になっていたかもしれません。多くの論点があるテーマでは特に、 物事を考える際どの部分に着目するかというのは大切だということを学びました。

 次回から三年生は報告二巡目に入ります。一回目の反省を生かしてより良い報告にしようとみんな意気込んでいると思います。私も負けんようにがんばるばい! (笑)駄文失礼いたしました。

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第6回(2015年5月22日・金)~グループ報告2巡目①「民法750条の合憲性」(報告者:じょい・パム・りちゃ・カフェラテ、司会者:茶畑)

投稿者:パム   #060

 今回は「民法750条の合憲性」について、夫婦別性訴訟東京高裁判決の上告審判決が違憲の立場を採った場合のアプローチを考察する、という進め方で報告を行いました。実際に判決が、国賠法上の違法性まで認めるかはわかりませんが、どのように憲法13条、24条との問題について触れるのかとても楽しみです。  

 議論において、質問に対する受け答えがたどたどしくなってしまって、何を言っているのか分かりにくかったと思うので、ここで内容の一部について触れたいと思います。

 13条との問題においてマスクさんが、米沢広一先生の主張に基づいて、憲法上の人格権と私法上の人格権を区別しないとする僕たちの主張に対して疑問を呈してくれました。人格権の保障する範囲が憲法上と民法上では異なる(民法上では広く人格的利益に結びつくものが保障され、憲法上ではより深く人格的生存に関わるものだけが保障される)のか否かについては学説の中でも意見が分かれているようで、戸波江二先生や五十嵐清先生が区別する実益はないと主張している一方、渋谷秀樹先生は憲法上の人格権を私法上の人格権と同一とすることに反対しています。しかし、最高裁の判例(私人同士の争い)がこれまで人格権の内容として認めてきたものが、身体、名誉、意思決定、氏名に限られていることから、そもそも私法上の人格権の内容自体、人格的生存に深く関わるものに限られていると捉え、人格権の内容は憲法上でも私法上でも変わらないと考えるのが妥当であると思います。氏名が身体、名誉、意思決定に匹敵するほど人格的生存に深く関わるのかという指摘もありましたが、これについてはNHK日本語読み訴訟最高裁判決を参照して、氏名は単に他者との識別機能を持つだけでなく、個人の人格の象徴でもあると考え、人格的生存に深く関与するものであると考えるべきだと思います。  

 人格権について、論者によってかなり理解が異なっていて、それぞれの主張を理解するのがまず大変で、さらに報告班としてどの立場を採ってどのように考えるべきなのかとても悩みました。じょいさんには時間をつくってもらって直接教えていただいたりなど本当にお世話になりました。また、カフェラテ君のおかげで、なぜ日本が第2次世界大戦で負けてしまったのかについて、武器や戦闘機の見地から深く知ることができました。一か月ほどの報告準備は大変ではありましたが、楽しく乗り越えられたと思います。報告班のみなさん、ありがとうございました!  

 来週のテーマは「民法733条の合憲性」ということで、僕らの報告内容と関連する点もあると思うので、しっかり予習をして臨みたいと思います。また、個人報告の準備も急ピッチで進めないといけないので、頑張ります。

投稿者:じょい

 今回は、私たちのグループの報告で、テーマは民法750条の合憲性でした。やはり、報告班の3年生は、どのような質問が飛んでくるのかと緊張していたようです。ゼミが始まる直前まで、各々が真剣に文献を読み返していました。私も、今期初の報告ということで、少し緊張していました。りちゃくん、カフェラテくん、バムくん、2回目のグループ報告お疲れ様でした! ただ、バムくんは、今度は個人報告の準備が始まりますね(笑)

 夫婦同氏制度については、判決が最近出たこともあり、終始文献集めに苦労しました。特に、憲法上の人格権と私法上の人格権について書かれた文献がほとんど無く、最後までどうするか迷いました。そのため、裁判例と戸波先生の意見書に依拠することとなり、人格権にかかる論証がやや不十分になってしまったかもしれません。ただ、文献が少ない分、自分たちの頭で考える機会が多かったことは良かったと思います。特に、りちゃくんとはたびたび議論を交わし、後述する「個人の私生活上の自由」の位置づけについて、90分以上話したこともありました。  

 ここでは、本報告では深く触れなかった、最高裁判例で何度か登場する「個人の私生活上の自由」の扱いをどうするかについて、述べたいと思います。レジュメを作る際、「氏の変更を強制されない権利」を、「個人の私生活上の自由」の1つとして考えるべきか、人格権として考えるべきかが問題となりました。この点につき、人格価値との結びつきを考慮することなく、「個人の私生活上の自由」が憲法13条によって保障されているとしたことから、「個人の私生活上の自由」とは一般的自由のことを指すとする見解を採れば、「氏の変更を強制されない権利」も「個人の私生活上の自由」の1つに含めうると思います。そして、おそらくこの方法が、最もこれまでの判例と整合するでしょう。しかし、このように解した場合には、どのように審査すべきかという問題が残ること、人格権の一内容とした方が直截であることから、報告班としては、人格権の一内容として捉えるという見解を採りました。  

 さて、次回の報告テーマは、民法733条の合憲性です。嫡出推定をどうするかなど、子の問題が絡んでくるので、夫婦同氏制以上に難しい問題だと思います。(守りに入り明言を避けた私たちとは違って、)最高裁判決を予想すると息巻いていたので、とても楽しみです。    

 最後に、自主ゼミの際、貴重な時間を割いてたびたび相談に乗ってくれた、ふせんさん、ムタさん、本当にありがとうございました!

投稿者:カフェラテ  

 今回は民法750条の定める「夫婦同姓制」についてグループで報告を行いました。個人的にはこれが2回目のグループ報告ということで次の個人報告は12月になるので、正直なところ少しほっとしています。

 今回取り上げた「夫婦同姓制」という問題は現在最高裁において係争中の問題でもあります。そこで「夫婦同姓制」について報告を行うにあたって、合憲という判断ではなく最高裁の調査官や裁判官たちが僕たちの報告資料を見て違憲判決を下すのもありだなと参考にするくらいのものを作ろうとみなで笑いながら話しました。しかし形式的平等規定に見える民法750条をどのような道筋で違憲に導くのか、となるとやはりそう簡単ではないなと、報告準備を行いながら感じました。

 グループで1人1つずつ違憲判決へ導くための事柄をサッカーで例えるならばゾーンディフェンスのようにしっかりと堅め、報告の準備をしました。僕自身は憲法問題に直接的な関連は薄いですが、報告の相談に先生の研究室を訪ねた際にお話いただいた現在の世論や実際の旧姓使用率などのデータについて主に堅めました。そこで現在の統計や戦前の明治民法典など現在の民法750条に至るまでのルーツを辿ると、やはり日本に今なお根強く残る家制度が「選択的夫婦別姓制度」の最大の障壁ではないかと感じました。こう言ってしまうとまるで憲法論ではなくなってしまいそうですが、「家なくなれども氏残る」と戦後すぐに言われたように選択的夫婦別姓制度を含む民法改正案が何度国会やそれ以前の審議に提出されても保守派の猛反対を受け可決されないのはやはり戦前の家制度が色濃く残るからこそであると思います。立法事実の変化について、もはや「男は仕事、女は家事」といった高度経済成長期的な家庭は減少し、女性の社会進出が進み、研究成果発表などにおいて婚姻後も旧姓使用が求められるようになっても、やはり改正法案が通過しないのは日本人の意識の深いところにある"家"といった考え方が多分に働いているはずだと思います。

 実際内閣府や厚生省などの世論調査の数値を見ても同姓であることに対し積極的意義を見出だしてる人々は少なくなく、逆に夫婦別姓になると「家族としての一体感に欠ける」といった意見も多くありました。今回は紙幅(しふく)の関係により割愛した子供の姓についてもやはり問題視する意見も多くありました。ゼミの最後にとった世論調査でも合憲派が多数でありましたし、報告班として悔しいながらも今回いきなり違憲判決というのは難しいのかなとも思います。しかし判決が出たわけではありませんので、本判決に期待して待ちたいと思います。

投稿者:マスク

 今回の報告は、民法750条の合憲性というテーマで、次回私が担当者の一人として報告させていただく民法733条の合憲性と重なる部分もあり、とても興味深いものでした。

 バムくんがリポートで書いているとおり、手元にあった米沢広一先生の文献をもとに質問をしたのですが、これもやはり次回の報告の参考にしていた文献です。この文献と報告班の見解がかなり違うものであったので、はじめは人格権の捉え方の問題かと思い質問をしました。ただ、南野先生からもご指摘があったとおり、米沢先生は氏名について報告班とも最高裁とも異なる見方をしているようで、二つの論点を一度に質問する形になってしまいました。氏名についての米沢先生の見解はたしかに特殊で、「呼称」という性格に着目して論じているようです。報告班やNHK日本語読み訴訟最高裁判決のように「個人の人格の象徴」という側面を無視することはできないと思います。ただ、呼称という性格もあることは否定できず、結局は価値判断に近いものなるのだろうかと考えております。ちなみに、よくよく文献を読み返すと、米沢先生はNHK日本語読み訴訟最高裁判決の射程を「他人からその氏名を正確に呼称される権利」に限定して、それと氏名権や氏名選択権を分けて論じているようです。この区分の仕方が可能であるのか別途検討が必要な気がします。  

 もうひとつの論点であった私法上の人格権と憲法上の人格権を区別するか否かという点ですが、司法がこれまで判断してきたものが民法の領域であるからといってイコールで結べるものなのかは若干疑問ではあります。人格権の捉え方は、かなり難解でこれからまた勉強したうえで自分なりに再度考えてみます。  

 また、14条・13条と24条の関係性についても質問しましたが、これはまさに今度の報告で頭を悩ませている点です。そこをちゃっかり質問したのですが、報告班の方がしっかりと答えていて、次回報告のハードルが上がってしまいました。24条の捉え方はなかなか難しいですね…。  

 以上のように、今回は次回の報告と関連付けて考えても非常に勉強になる報告でした。よくサロンでじょいさん率いる今回の報告班をお見かけしました。次回の報告班も頑張ろうと思います…。  

 おまけとして、ゼミの後には4年生不在の4年生壮行会として一部3年生で弐ノ弐に行ってきました。時間的に余裕がありましたら今度はぜひみなさんで行きましょう!と一応コンパ係らしいことを言って今回のリポートは終わります。

投稿者:りちゃ

 今回は2巡目最初のグループ発表で民法750条の夫婦別姓について取り扱いました。夫婦別姓は制度として認めるべきだという声も高まっていますが、実際にそれが憲法で保障されるものであるのかということが問題となる議題でした。個人的には民法750条を違憲とするのは難しいのではないかと考えています。

 その理由は保障根拠になりそうな憲法13条、14条、24条に関して①憲法13条から確立した新たな権利を導き出すには厳格な要件が課されることに加え、②たとえそれが人格権として保障されうるとしても、主に私法上の権利として発達してきた人格権を公私の概念が曖昧なまま対公権力の場面で主張してもよいのか疑問が残ること、③また、憲法14条は一般的に形式的平等のみを保障するものだと理解されるが、民法750条はこれに文言上反していないこと、④そして憲法24条は憲法14条を受けて夫婦間の実質的平等を定めた規定であると解されるが、夫婦同姓を定める民法750条により夫婦間における平等が損なわれていると言えるのかは疑問であることに加え、⑤憲法24条が夫婦間の実質的平等のほか婚姻の自由も保障したものであるとしても、婚姻は前国家的なものでなく制度ありきのものであるため立法府の広い裁量が認められることなどの特徴にあります。

 しかし、夫婦別姓を認めてもいいのではないか、そういうアプローチをとることはできないのか、という思いのもと今回の報告では違憲判決に持っていくための論を構成してみました。そのうちバムくんが扱った人格権の部分は、前回の住基ネット訴訟の報告でも問題となった対公権力の人格権の話だったので個人的に特に興味がわいたところでもありました。個人的には私法・公法の区別はきちんとするべきだと考えていて、森林法共有林訴訟の枠組みを使って、私法上の確立した人格権を憲法上の権利として格上げするという説に則るのが妥当かと思っていましたが、私法上の人格権が認められた分野というのも限られていてそんなに広くないのだから、区別する実益がないとして組み立てたバムくんの論も非常に説得力があって、同じ報告班のメンバーながらもなるほど…と納得させられてしまいました。  

 しかし、レジュメの中にも引用がありましたが、大飯原発差止め訴訟福井地裁判決(福井地裁平成26年5月21日判時2228号72頁)では人格権は憲法上の権利であると何ら理由を示さず述べており、この点について上記判決は少し論の飛躍があるようにも感じているところです。最高裁が憲法13条の人格権についてどう考えているのか非常に気になるところなので、言及してくれることを期待しています。

 学びどころいっぱいの報告回になって、充実した日々を送ることができました。今回の報告にあたっては、たくさんの文献を読んだ上でいつも僕たち3年生に的確なアドバイスを与えてくださったじょいさんや、忙しい部活の合間の時間を縫って多くの文献をまとめ、色々な意味で引っ張ってくれたカフェラテくん、そして僕たちの前に立ちはだかった人格権という大きなテーマと最後まで奮闘してくれたバムくんにはたいへんお世話になりました。特にじょいさんには最初から最後まで頼りっきりになってしまい、本当に感謝しています。これで2回のグループ報告は終わりになりますが、前回・今回の報告で培った経験を次回の個人報告にきちんと生かしていきたいと思います。

投稿者:茶畑   #065

 報告班のみなさん、お疲れ様でした! 今回は夫婦別姓制度についての報告でした。高裁判決に反する形で違憲判断を採る立場から議論を進めており、最高裁の判断が気になるところですね。  

 報告では、13条、24条における論点に対して議論を展開しており、「氏の変更を強制されない権利」が氏名に関する権利利益の中核に位置付けられること、婚姻の自由が24条の保障範囲であることに同意できました。そもそも民法750条の立法趣旨は明確でない、ということでしたが、後づけ的に付されたそれらについても(本報告や配布文献で紹介されていましたね)制定当時ならばいざ知らず、現代においてはなかなかそぐわないものであるように個人的に思います。そうであるならば、それら立法目的の多くが目的の段階で失当なのであり(例えば本報告における②)、手段の合理性判断まで行う必要が無いように感じました。

 恥ずかしながら、僕自身これまでほとんど夫婦別姓の問題について考えてこなかったので、様々勉強になりました。初めて司会をさせていただきましたが、たどたどしくなってしまい、ご迷惑をおかけしました。来週は「民法733条の合憲性」ということで、しっかり予習をして臨みます!!

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第7回(2015年5月29日・金)~グループ報告2巡目②「民法733条の合憲性」(報告者:パーカー・dtk・マスク・テンパー、司会者:るいす)

投稿者:りちゃ

 報告班のみなさん、お疲れ様でした。今回も先週に引き続き家族法の分野を扱った内容で、民法733条の6か月の再婚禁止期間が許されるものか否かを民法772条 の嫡出推定の規定の意義などを踏まえて検討していくというもので非常に面白い内容でした。報告準備に際して報告班のみなさんが訴訟担当の弁護士の方に連絡を取って様々な資料を提供してもらうという凄まじい熱の入りようで(アクティ ブすぎます…すごすぎます…)、板書の図からレジュメの内容までとても分かりやすかったです。  

 さて、内容についてですが、やはり違憲審査の基準に関してまだ疑問を感じて います。裁判所が憲法14条について判断するときに緩やかな基準、中でも合理性の基準を使うと予測するという点は僕自身も報告班と同じ考えに立ちます。(後段列挙事由に当たるから厳格審査を取るという学説の立場を取るならばすごく大きな意義を持つ判決になると思うので、その点少し期待はしていますが…)

 しかし、100日で十分だから違憲だと主張するのは、合理性の基準に立っているのにもかかわらず、目的と手段の合理的関連性のみならず実質的関連性ないし必要性の判断まで踏み込んでしまっているような気がしています。合理的関連性は合憲の推定が働き、当該目的達成のために効果的な手段であれば合憲であるとするものだと思うので、報告班は合理性の基準に立っていないのではないか、というのが僕の疑問でした。うまく説明できなくてすいません。この点気になるので、もう1度審査基準について勉強して、最高裁がその2つをきちんと区別しているのか否かなどこれから判例を読みこんでいきたいと思います。

 さて、来週は制度後退禁止原則の「生活保護老齢加算廃止の違憲性」といった、 またもや面白そうな内容なので、しっかりと予習をして次回のゼミに臨みたいと思います。みなさんお疲れ様でした!

投稿者:パーカー

 今回は、女性にのみ再婚禁止期間を定めた民法733条の合憲性について、自らが報告班としてグループ報告を行いました。 先週の報告に引き続き、今週の報告も大法廷に回付されている訴訟であり、最高裁がどのように判断を下すのかが注目されています。 報告では、今回の訴訟の第一審、控訴審、平成7年の合憲判決、過去の14条に関する違憲判決の最高裁の審査基準、そして733条の再婚禁止期間のそもそもの目的である民法772条の嫡出推定規定に関する最高裁の判断(平成26年のDNAと民法上の親子関係についての判例)を中心に、最高裁がどのような判断を下すのかを可能な限り予想しました。

 733条の考え方としては、大まかにいうと全面合憲論、100日合憲論、全面違憲論に分かれており、報告班は100日合憲論を採りました。733条は嫡出推定に関わらない女性の再婚の事由を過度に制約していますが、全面違憲に持っていくには772条との整合性を無視し得ないこと、過去の審査基準からいって無理があるのではないか、といった理由で100日合憲説となりました。 家族法と憲法の関係については、従来あまり論じられてこなかった感がありますが、夫婦別姓や再婚禁止期間、結婚適齢期の規定など、現状にそぐわなくなってきている規定も多く、今後これらにまつわる訴訟も多くなっていくのではないかと思います。

 りちゃくんのリポートにもあるように、合理性の基準を使うとなると合憲という結論に落ち着くのではないかという指摘は的を射ていると思いますし、報告班も全面合憲か100日合憲のどちらを私見として採用するか、頭を悩ませたところではあります。ただ、報告班としては、やはり余計な80日は772条の規定からして整合性を欠いていること、嫡出規定とは関係のない女性にまで不当に再婚を制約していること、そして最高裁が違憲判決を 出すことの希望も込めて、合理性を欠いているという結論を採りました。今回の訴訟が違憲判決となるか合憲判決となるかは、合理性をどのように評価するのかが分水嶺となると、個人的には思っています。

 平成26年のDNAと民法上の親子関係に関する判例については、賛成3反対2という意見が割れた判決ではありましたが、最高裁としてはあくまでも民法上の親子関 係を重視するというスタンスで、櫻井龍子裁判官の補足意見や他の裁判官の補足意見、反対意見にも見られるように、現状の評価と法律の規定との間に裁判官自 身が齟齬を感じていても、最高裁判所はあくまでも「法の解釈」を行う機関であるという自覚が随所に見て取れました。

 余談ですが、家族法の判例は涙なしには見られないことを学んだのは、今報告を準備する上での収穫の一つです。

 報告では国家賠償訴訟や立法不作為についてはほとんど論じることができませんでしたが、最高裁がどのような判決を下すのか非常に楽しみです。また、判決の予想という報告は去年のゼミではなかった試みで、どのような方向に持っていけばいいのか少し難しかったというのが感想ですが、予想が外れた時は、最高裁がどのような枠組みを採り結論に至ったのかを楽しみながら読むことができますし、予想が当たった時は満面のドヤ顔をできるしで、準備をしていて非常に面白かったです。

 最後に、公務員試験の忙しさにかまけて報告準備にかなりの負担を押し付けてしまったものの、一言の不満も言わずにそつなくこなしてくれたdtkくん、マスク さん、テンパーくん、この場を借りてお礼を述べたいと思います。本当にありがとう!!

 来週の報告は、「生活保護老齢加算廃止の違憲性」についての報告です。最近、 年金引き下げは違憲であるとして受給者が集団提訴した事案もありますし、ホッ トな話題の報告が続いています。皆さん、公務員試験や就職活動、中間テスト等で忙しい時期とは思いますが、体調に気をつけつつ頑張っていきましょう!!

投稿者:るいす  

 報告班の皆様、おつかれさまでした。今回は「民法733条の合憲性」というテーマでしたが、準備・報告の仕方は見習わなければならないところが多く、私見で最高裁の判断の予想もされており素晴らしい報告だったと思います。私としては初の司会を務めることになりましたが、終始たどたどしくなってしまい申し訳なかったです。今までの司会者がしてきたように発言をあまりしていない人に意見を質したり、スムーズに議論をすすめたりする必要があったなと反省しております。

 今回の議論としては、仮に733条を違憲としたところで後始末はどうするのかという問題から始まり、民法772条の300日問題が絡むところが主な論点でした。この300日問題では日数を考慮する必要があるため、やや算数的要素も加わり頭の固い私は少し混乱してしまいました。皆さん様々な意見をもっていて、現代のDNA技術の発達により100日すらいらない・婚姻の成立からの200日と再婚禁止期間を廃止して、離婚後の300日を残すなどの意見がでてきました。この問題は未熟児やDNAの限界事例を考えると、まだまだ難しいものだと感じました。

 子どもを産むということを考える上では冷凍精子、精子売買、体外受精の問題にまで議論が及び、そういった知識のない自分としては話をきくだけで精一杯になってしまいましたが、将来的に技術の発達で、これらの方法が当たり前になる社会がくれば家族形態はさらに多様化していくなあと感じました。 個人的には733条の趣旨が父性の推定にあるなら、再婚禁止期間を100日にすべきだと思います。子の福祉や裁判に時間と費用を要する親のことを考慮すると、期間廃止によって裁判所に父の決定をすべて委ねるのは妥当でないと考えます。また最高裁が血縁説に否定的である以上、簡単に科学の力に頼ることはできないでしょう。

  以上のように、今回の報告は議論が様々な方向にいって盛り上がりをみせました。これから夫婦別姓の問題とともに大法廷に付された事案の動向に注目していきたいです。 次回は私たちの報告で「老齢加算廃止」について取り上げます。お忙しいとは思いますが予習のほうよろしくお願いします!

投稿者:dtk

 皆さん、第7回ゼミお疲れ様でした。今回は報告班として、女性のみに再婚禁止期間を定める「民法733条の合憲性」というテーマについて報告を行いました。前回の民法750条に引き続き家族法絡みのテーマであり、共に大法廷回付されたホットなものではありましたが、今回の報告では「予想」という点により主眼を置きました。判決の「予想」という形式はパーカーさんも未経験の試みで、ゼミが始まるまでどのような結果となるのか見当もつかず、戦々恐々としていましたが、無事に報告を終えることができ安堵しております。  

 議論の内容に関してですが、民法733条について100日合憲論をとった報告班の立場は、民法772条の嫡出推定規定の存在を最高裁が重視しているという点に着目しており、その点でDNA検査等の科学技術の向上と共に台頭してきた「血縁説」とは馴染まないということを根拠にしたものでした。個人的意見にはなりますが、先生が例に挙げられた現代のアメリカにおけるDNAを取り巻く科学技術の発達や精子売買といった社会状況と比較しても、現代の日本においてアメリカほどの社会状況の変化はみられないため、最高裁が血縁説に立ち民法772条、それに伴い再婚禁止期間を定める同733条を廃止させるというような、平成25年9月4日の非嫡出子法定相続分違憲判決において用いられた「時の経過」論的アプローチをとるという方法は、現段階では最高裁が取るとは考えにくいのではないかと思います。今回大法廷回付された意味を考えても、やはり最高裁が民法733条を全面的に違憲ということは考えにくいですし、かといって合憲と判断するかといわれれば、約20年前の段階で法制審議会に民法733条の100日短縮案が答申されており、これまで立法府がそれを放置してきたことをふまえれば、最高裁が何らかの形で民法733条が違憲であるとする可能性はあるのではないでしょうか。

 また、りちゃ君が書かれていますが、最高裁が合理性の基準を用いると合憲性が推定されるという点は鋭い指摘だと思います。報告レジュメには、合理性の基準を用いたという部分があったと思うのですが、最高裁が明確に「合理性の基準」という言葉を用いている訳ではないので、最高裁の審査手法が一定していないということ、それが事案の多様性に即したものであることを、今回の報告では触れるにとどまりました。予想という形式をとった以上、どの審査基準を最高裁が用いるだろうかという点については、はっきりと紙面で予想することはしませんでした。とはいえ、最高裁がどのような審査基準を用いるかという点について、検討の余地があると思いますし、そうすべきであったと反省しております。

 最後になりますが、公務員試験等で忙しい中でも集まりに来て下さったパーカーさん、テンパーくん、マスクさんには本当に感謝しています。さて、次回の報告のテーマは「生活保護老齢加算廃止の違憲性」についてです。基礎知識から足りていない部分だと思いますので、しっかり予習をして臨みたいと思います。

投稿者:テンパー   #070

 今回の報告は、大法廷に回付されている民法733条の合憲性について、最高裁がどのような判断を下すのかといった予想を中心に検討を行っていきました。検討を行うにあたり、大法廷に回付されている事件の地裁・高裁判決、過去の733条に対する判決である平成7年の最高裁判決、733条の立法趣旨である父性の確定に関連した772条についての最高裁判決など前回自分の行ったグループ報告に比べ、多くの判例に当たりました。家族法は、自分にとって未知の領域で、報告テーマが決まった時は不安に思っていましたが、今回取り扱った事案は昼ドラ感覚で読めるものが多くあり、楽しみながら報告準備を行うことが出来ました。  

 今回僕は772条の嫡出推定について、主に担当したのでそれについて書いていこうと思います。772条の嫡出推定の及ばない子の範囲の解釈論として、最高裁は、懐胎時に事実上の離婚状態にある等夫婦関係が破綻していて夫の子でありえないときに推定が及ばないとする「外観説」を採ってきました。議論の中では、近年のDNA鑑定の技術などの発達により、嫡出推定規定は不要なのではないかという血縁説を採ったらよいのではないかといった話が出ましたが、血縁説を採ると、血縁の不存在を理由に訴えの利益のあるものであれば誰でも親子関係不存在確認の訴えを起こすことが出来ることになってしまいます。ということは子が常に法的に不安定な状態に晒されてしまいます。このことは、子の福祉という観点から認められるべきであると私は考えます。また、櫻井龍子裁判官も補足意見において嫡出推定の規定に一定の意義があることを認めており、最高裁の考えとしても民法上の法的関係の安定性を重視していると取れます。  

 今回の報告は、最高裁の判決の予想ということで、これまでの最高裁の考えを追って、どのような枠組み、考え方で判決を下すのか、海外の再婚禁止期間はどのように移り変わっているのか等と検討事項の多い報告だったと感じました。準備段階では、dtkくん、マスクさん、パーカーさんには多大な迷惑をかけてしまい大変申し訳ありませんでした。この場を借りてお礼とお詫びを述べたいと思います。    

 家族法関係は、前回の夫婦別氏、再婚禁止期間、結婚適齢期など様々な問題が残っています。これからの家族法に関する裁判所の判決に期待したいです。さて、次回は「生活保護の老齢加算廃止の違憲性」です! 興味深いテーマが続いているのでしっかりと予習をして臨みます!!

投稿者:マスク

 今回の報告では733条の合憲性をテーマにしました。再婚禁止期間は現在注目されている論点かと思います。というのも、大法廷に回付されたため、最高裁が再婚禁止期間の憲法適合性について見解を示すと考えられるからです。その最高裁の見解を予測するという目標設定をしたため、資料が少ないなど準備が難航する部分もありました。しかし、高裁の判決文を探すなかで当該訴訟代理人の先生に連絡をしたところ、様々な資料をいただくこととなり、なんとか報告の形になりました。  

 ゼミ風景リポートで何について書くか迷っていたのですが、国賠を含めて最高裁がどのような判決をとるかという点について個人的な考えを簡単に書いてみようと思います。今回ゼミにおいて、違憲無効判決を出したとして、どのように処理するのかという議論がありましたが、実は違憲無効判決自体出る余地がないのではないかと思います。というのも、上告理由も違憲無効を求めているのではなく、違憲の宣言を求めているのみであるからです(この点は法令違憲の効力という論点も絡んでくるのでしょうか)。  

 以上をふまえて、国賠請求が認められるかについて考えます。733条の憲法適合性については、レジュメのとおり憲法適合性を有しないと思われます。さらに進んで、国賠請求についてですが、本件は、平成17年の在外邦人選挙権判決がいう例外的に国家賠償請求が認められる場合にあたると考えます。つまり、平成17年判決が示した①立法不作為が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合や、②国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置をとることが必要不可欠であり、それが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合のうち、①はレジュメにも書いた憲法適合性がないことからいえると思いますし、②は法制審議会による女性の再婚禁止期間を100日とする民法改正案要綱が平成8年に採択されていたことに鑑みれば、この点についても認められると思います。  

 以上のとおり、個人的には、733条については違憲の宣言にとどまり、かつ、国賠請求が認められるのではないかと予測しております。国賠についてはまだ深く学習しておりませんので、的はずれなことを言っているかもしれませんが、約1ヶ月という期間で考えることができたのはここまででした。  

 今回の報告は、憲法・家族法・行政法と論点が多岐にわたっており頭を悩ませることが多かったです。特に、ドロドロした事例を読むたびに元気がなくなるテンパーくんやパーカーさんからDVをしないように忠告されるdtkくんを見ていると、家族法の闇を垣間見た気がしました。私はというと、最近計算から離れてしまっていたため期間の計算が分からず、指折り日数を数えるという九大生にあるまじき行動までしてしまいました。報告を終えた今、ほっとしております。  

 今回の準備期間中、公務員試験があって多忙であるはずなのに、報告班を指導してくださったパーカーさんには本当に感謝しております。報告班のみなさん、本当にありがとうございました!

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第8回(2015年6月5日・金)~グループ報告2巡目③「生活保護老齢加算廃止の違憲性——制度後退禁止原則の観点から」(報告者:ましゅ麻呂・るいす・ようつー・トムリンソン、司会者:バム)

投稿者:ましゅ麻呂

 みなさんお疲れ様でした!! そして、パーカー君誕生日おめでとうございました!    

 まずはじめに、配布文献がかなりややこしかったこと、学説と判例を結びつけようとした結果きわめて捉えがたいレジュメになってしまったことをお詫びさせていただきます。すみませんでした。とはいえ、今回の報告を通じて生存権の難しさを実感していただけたのではないでしょうか? 正直な話、学説の整理をしつつ二つの判決の相違点・共通点をみつけ、そしてそれらを関係づけていくことにとても苦労しました。報告準備にあたって、判例を中心にまとめてくれたようつー君、さまざまな文献を持ってきて話し合いを積極的にリードしてくれたトムリンソン君、私見の作成に苦しみ深夜のマックで眠さに悶えていたるいす君、誰か一人でも欠けていたらレジュメを完成させることはできなかったと思います。あらためて三年生の尽力に感謝を示したいです。  

 議論において終始問題となったのは制度後退禁止原則を導き出すことに意味があるのかという点だったと思います。報告班としては、福岡高裁判決と東京上告審判決が結論を異にした一番の理由は制度後退禁止原則(生活保護法レベルか憲法レベルかはここでは度外視)をふまえていたかふまえていなかったかの違いにあると考えていました。制度後退禁止原則の存在如何によって、事実認定の段階で行政が考慮すべきとされる事項に幅が生じると考えていたからです。この点につき、「判断過程審査自体がそもそも司法審査を強めようとして用いられるものであって、制度後退禁止原則を持ち出さずとも審査は十分に可能であったといえ、報告班は前提が間違っている。高裁と最高裁は事実認定の仕方が違うだけ。」というじょいくんからの鋭い指摘がありました。  

 パーカー氏がまとめてくれましたが、生存権と制度後退禁止原則についてじょい君は小山先生的な考え方を前提とし、報告班は棟居先生的な捉え方をしていたことにより生じた理解の齟齬だといえます。同氏をはじめ多くの方が指摘されていたように、両者の学説がお互いに対しかみ合った議論をしているかは怪しいところです(報告の便宜上、かみ合った議論をしていると捉え棟居先生の説にのっからせていただいたわけですが…)。  

 とはいえゼミ中にも述べさせていただいたましたが、小山先生の考え方を押し進めますと、生活保護法56条「正当な理由」の有無に対する違法レベルの判断過程審査しかあり得なくなると考えます。高裁はおそらくこの立場をとり、違法との結論を出したのでしょう。報告班の考え方の根底には、判断過程審査自体に対する疑いの目があったのだと私個人は考えています。裁判所が行政に「考慮すべきだ」と言ったところで、では何をもって「すべき」と考えているのかは怪しいところです。行政の裁量を狭くするという観点からみれば、多くの事項を「考慮すべき」とするに越したことはありません。しかし専門技術的知見に乏しい裁判所が、考慮すべきであった具体的事情を実際に特定することは困難を極めるでしょうし、判断過程審査の枠内に収まるものなのかについても疑問があります。そのような時、「もっと細かく考慮すべきであった」と裁判所が言い放てるために、憲法的規範として制度後退禁止原則を持ち出すことは意味があるのではないかと、肌感覚から思っています。しかし、「考慮すべきであるとする事項(とその数)と憲法上の制度後退禁止原則の有無とが本当に因果関係にあるのか」とじょい君が繰り返し仰ったように、その関係性を肯定するものがあるのかと言われると決定打に欠けるというのが正直なところで、よくわかっていません。    

 加えて、カフェラテ君をフォローする形で先生が指摘してくださったように、(如何なる形・意味であれ)最高裁が憲法的価値として制度後退の原則禁止を認めてしまうことは行政府に対し不要な萎縮効果を与えるおそれあると考え、あえてそれを忌避したという理解が最高裁判決について可能です。そうなると、同原則の憲法的抽出の意味がますます怪しくなってきます。立法不作為の違憲確認訴訟を肯定できない以上、制度後退禁止原則の見地から一定の国民に対する権利侵害が生じているとして直接違憲性を争うことには躊躇がありますから、結局妥当なのは広い裁量論にのまれない56条における判断過程審査の模索だったのかもしれません。しかし最高裁が56条の適用の仕方に誤りがあると述べた以上、今後同条の適用を主張して訴訟を提起する原告が現れる可能性は低いですし、実益に乏しい議論になってしまうと思っています。  

 長々と述べてきましたが、もはや報告班の私見は詰んでしまったのかもしれないと感じてきました。ただ、憲法上の制度後退禁止原則を認める残された利点は、56条を適用せずとも保護基準切り下げ改定の内容に対し「正当な根拠・理由」の提示を行政に課すことができる点にあります。じょい君が(あくまで懐疑的に)指摘されましたが、この点と主張責任とを関係づけることで行政の裁量に一定の制限をかけられる余地があるのかもしれません。以上の点に興味関心をもってくださった方は、是非個人報告でやってみてください!笑  

 来週は表現の自由の根幹に迫る話のようで、また難しそうな問題がくるなぁと思いましたが、最後のグループ報告ですのできちんと予習をし議論に参加できるよう心掛けたいです。なんだか懺悔感丸出しのリポートになってしまいましたが、どうかご容赦ください。それでは失礼しました

投稿者:さんとす

 久しぶりの風景リポートになってしまいました。最近はずっと筆記試験の勉強に集中していたのですが、試験が終わった途端にリポートを書くようにプレッシャーをかけられてしまったので、今こうして書いているところです。確かにここのところ風景リポートは3年生に頼りきりになってしまっている部分もあると思うので、できるだけリポートを書いていけるように頑張りたいと思います。

 今回は、生活保護の老齢加算廃止について、制度後退禁止原則の観点から検討を加えるという内容でした。報告班のみなさんお疲れ様でした。生存権については、僕たちの年の人権論の授業でも最後に少し触れた程度だったので、個人的にはいろいろと勉強になりました。

 議論においては、じょいによる本格的な質問を皮切りに、報告班とじょいとの間で熱いバトルが繰り広げられました。この議論を興味深く聞いていたのですが、このバトルの焦点は、ちょっと語弊があるかもしれませんが、極端に言えば、判断過程審査は"点"なのか、それとも"グラデーション"なのか、というところにあるように感じました。 じょいとしては、そもそも判断過程審査は、実体審査には踏み込めないものの、行政の裁量に一定の枠をはめたいからこそ採られる審査手法であって、判断過程審査を用いている段階で既に行政の裁量に枠がはめられているために、審査の密度はそれ以上にも以下にもならず、判断過程審査をとること自体である程度高い一定水準の審査が確保されるという考え方をとっているような気がしました。そのため、制度後退原則を持ち出す必要はないということになったのだと思っています。翻って、報告班としては、判断過程審査である以上実体面には踏み込めないものの、手続面についてどの程度詳しく見るかというところに違いが出て来うるのであって、そこに制度後退禁止原則を持ってくることで、いわば判断過程審査の中で審査密度をあげるような考え方を採っていたように感じました。この点については、判断過程審査の性格がどのようなものであるかという点が関わってきて、そこのところ僕はあまり分からないので何ともいえませんが、感覚的には、審査の深さというのは事案によって異なることも当然ありうると思うので、報告班の言うように何かしらの原則なりを持ってきてより密な審査を求めるということも考えられるのではないか、と思っています。以上のことはあくまで僕が感じたところに過ぎないので、おかしなことを言っていれば訂正していただければと思います。

 次にこの老齢加算の廃止という問題については、やはり生活保護制度全体のあり方が問題になっていると感じました。生活保護における生活扶助には「基準生活費」と「加算」あるとのことでしたが、僕の初めのイメージは、基準生活費のところで個々人の状況に応じて「最低限度の生活」を維持できるだけの額が給付されているけれども、それでもやっぱり70歳以上だといろいろ大変だろうからプラスで加算してあげましょう、というものでした。そのため、加算はあくまで+αであって、「最低限度の生活」を確保するだけの基準生活費があるのだから、国が財政難に直面している状況ではその+αの部分を削ることも仕方ないのではないか、と感じていました。ただ、報告の最後のほうにもありましたが、実際はそのようにはなっていない部分も多くあるようで、加算されることを前提とした基準生活費の算定がなされているのか、基準生活費だけでは暮らしていけず、基準生活費と加算があわさってはじめて「最低限度の生活」が営みうるような状況があるとのことでした。こうした現状のもとでは、当然ながら、加算は+αにすぎないのだからと簡単に切り下げるわけにはいかなくなると思います。そうした実状を切り下げる側の厚生労働大臣なりがどれだけ把握できていたかは分かりませんが、ここのところに少し実務との間でズレが生じていて、そこから問題がでてきているのかもしれないと感じました。

 さて、次回はトーマス君チームによる表現の自由の原理論に関する報告です。配布文献がとても読み応えがあって面白そうなものばかりなので、気合を入れて予習に励みたいと思います!

投稿者:トムリンソン  

 皆さん、第8回ゼミお疲れ様でした。今回は、ましゅ麻呂さん、るいす、ようつー、私で「制度後退禁止原則」をテーマに報告を行いました。私個人としては、2回目のグループ報告になるので、緊張はそこまでしないだろうと思っていましたが、いざゼミ生の皆さんを前にすると緊張してしまい、きちんと発言等をすることが出来ませんでした。この点は、日ごろのゼミから発言回数を増やし、慣れて克服するしかないと思うので、これを機に今まで以上にゼミ内での発言を心がけようと思います。  

 今回私たちは、生活保護老齢加算廃止違憲訴訟を取り上げ、これらの事案のような生活保護制度の「切り下げ」の場面において、どのように行政の裁量を制限するべきかという点について報告を行いました。報告班としては制度後退禁止原則を憲法25条から導き出し、その上で、行政裁量の判断過程において、より「厳しい」審査を行い、行政の裁量に一定の制限を掛けようとする立場でした。このような報告班の立場に対して、「判断過程審査をするにあたって、報告班の言う『厳しい』審査は、わざわざ制度後退禁止原則を導き出さずともできるのではないか」というじょいさんのご指摘はもっともだと思います。しかし、「切り下げ」という結論ありきの広い行政の裁量に飲み込まれている現状を考えると、憲法レベルでの制度後退禁止原則を認める意義は全くないとはいえないのではないでしょうか。

 とは言いつつも、やはり報告班の立場を貫くは難しいのではないのか、というのが報告を終えた今の正直な感想です。1か月以上前から報告準備を始め、行政の裁量に制限を加えるために、腐心してきたにも拘わらず、報告班としての立場を貫けないとなると、大変悔しいですが、ここは、あえて通説から離れた視点で物事を考えるいい機会に巡り合えたと、ポジティブにとらえたいと思います。  

 今回の報告は行政法の中間テストとも時期がかぶり、報告前の数日は睡眠時間が極端に少なく「健康で文化的な最低限度の生活」を営めていたかどうかは甚だ疑問ですが、無事に報告を終えられてよかったです。ようつー、るいす、そして公務員試験で忙しい中、私たち3年生を引っ張ってくれたましゅ麻呂さん、本当にありがとうございました!  

 次回でグループ報告は最後ですね!! テーマは「表現の自由の原理論」ということで、個人的に非常に興味があるテーマなので、いつも以上に念入りに予習をして臨みたいと思います。

投稿者:るいす   #075

 今回は「生活保護老齢加算廃止の違憲性」というテーマのもと報告を行いました。個人的には前回の報告から三週間しかなかったので必死に文献を読み込んでいったのですが、グループの皆さんのおかげで無事に報告を終えられてホッとしております。 公務員試験があるにも関わらず、いつも話し合いを客観的にまとめてくれたましゅ麻呂さん、複雑な判例を読みこんでうまく整理してくれたようつー、準備当初から制度後退禁止原則を熱心に主張し話し合いを引っ張ってくれ、かつ履物費の読み違いを正してくれたトムリンソンの三人には本当に感謝しています。ありがとうございました。

 内容についてですが、やはりじょいさんのわざわざ制度後退禁止原則を持ち出す必要はないのではないかという指摘がもっとも苦しんだところでした。いかにして老齢加算の一律廃止を違憲とするかと考えた際に、最高裁や高裁の行った判断ではもの足りず判断過程審査をもっと強めるべきだと考えていたため制度後退禁止原則をなんとか持ち出したのですが、まだまだ理解が甘かったことを痛感させられました。

 またこのじょいさんに対する反論はましゅ麻呂さんやトムリンソンに任せっきりになってしまったため非常に反省しております。わざわざ制度後退禁止原則を持ち出す必要はないのではないか、生存権をそのまま持ち出せばよいのではないかなどの考えに対してうまく返答しつつ自分の考えをまとめていくべきでした。報告班としてはさんとすさんがリポートで述べているように、判断過程審査の密度を中間とりまとめが出されてから廃止が決定されるまでの期間、加算廃止によって生活が著しく困難になった実体面を考慮させることで高めようという考えでした。 実際、制度後退禁止原則の憲法からの抽出を主張する学者が自分たちで調べた中ではほとんどおらず、棟居先生にだいぶ依拠してしまったのですがこの原則は厳格な審査を求めるうえでやはり一つの重要な考えだと思っています。ただその上で判断過程審査とこの原則との関連を十分な考察ができていないまま主張してしまった感は否めませんでした。

 また老齢加算に限らないのですが、生活保護との関連では生活扶助基準算定の方法も問題になります。本報告では立ち入りませんでしたが、現在は水準均衡方式という方法がとられています。その方式にはいくつか問題点も指摘されておりまだまだ生活保護の取り決めには難しいものがあるなあと感じております。本報告を機に今後の社会保障制度の動向に目を向けていきたいです。

 さて、次回はいよいよ最後のグループ報告で、表現の自由についてです。昨今よく問題になっているテーマなのでしっかり予習しておきます!

投稿者:ようつー

 皆さんお疲れさまでした。今回は生活保護老齢加算廃止をめぐる訴訟を扱い、制度後退禁止原則を用いて生活保護基準の「切り下げ」にいかに歯止めをかけるかという問題意識のもと、報告を行いました。多くのゼミ生の方々が配布文献の難解さをおっしゃっていましたし、当日の議論の様子からもなかなか糸口を見出しにくかったのではないかと感じています。論点のわかりやすいレジュメをつくることに腐心したつもりだったのですが、うまく伝えることができずモヤモヤしたまま報告を終わらせてしまいました。

 まず、判例について、我々報告班は生活保護基準の決定には高度な政治的知見が必要であるから、判断過程審査によらざるをえないけれども、何とかして行政裁量の幅を狭めることはできないかという考えが根底にあったと思います。それゆえ、福岡高裁のように「正当な理由」の有無を審査する手法をとると結局広い裁量論に飲み込まれてしまうというのは報告では述べた通りです。そこで、制度後退禁止原則を持ちだすことによって問題の解決を図ることはできないかと考えたわけです。学説では主に棟居説と小山説を取り扱いましたが、両説の応答が噛み合っているかとパーカーさんから指摘がありました。また、「判断過程審査それ自体厳しいものであるのに、制度後退禁止原則をわざわざ用いるメリットはあるか」というじょいさんからの鋭い指摘に対しては有効な反論ができませんでした。  

 報告を終えての感想として、やはり前々から準備をしてきたものの、制度後退禁止原則をめぐる議論についてあまりよくわからなかったというのが現状です。パーカーさんご指摘の通り、個人的には学説同士の応答はそれぞれ食い違っているような感は否めず、他説への実体的な反論(例えば、棟居説から小山説への反論など)が未成熟なのではないかと感じています。また、判断過程審査を始めとする裁判所の審査手法にも理解が深まりませんでした。とはいえ、今後ますます社会保障の負担が大きくなることが予想される中で、生活保護老齢加算廃止が与える影響について考える機会をもらえてよかったと思っています。これまでテーマ設定に始まり積極的に話し合いを引っ張ってくれたトムリンソン君や、1回目の報告から間もない中夜を徹して私見を仕上げてくれたるいす君、そして公務員試験の真っ只中にもかかわらず、論点の整理などを通してましゅ麻呂さんには本当に感謝しています。

 次回は、表現の自由の原理論についての報告です。僕も1回目の報告で表現の自由を扱いましたが、違った視点からの報告のようですので、楽しみにしています。

投稿者:じょい

 今週末は2回目の適性試験もあるし、ゼミ風景リポートどうしようかなーと迷っていましたが、前回のゼミでは、臆面もなく長々と話したので、書くことにしました。

 今回の報告テーマは、老齢加算廃止の合憲性ということで、制度後退禁止原則を用いて、裁量をどのように狭めていくべきかを検討 してくれました。さて、ゼミ中では何度も同じ点(制度後退禁止原則を用いても判断過程審査の密度は高まらないのではないか)に議論が戻ってしまいましたが、そこから少しでも進めるよう心がけながら、このゼミ風景リポートを書きたいと思います。

 まず、念のために申し上げておくと、僕は制度後退禁止原則を憲法25条から導くこと自体には、必ずしも否定的ではありません。そして、決して制度後退禁止原則の意義を全面的に否定しているわけでもありません。何度も申し上げて恐縮ですが、私が疑問を持ったのは、制度後退禁止原則によって、 判断過程審査の密度が深まるという点です。棟居先生の論文で、制度後退禁止原則を持ち出すことの効果として、厳格な司法審査基準や羈束裁量による統制を行うことができるということが挙げられていました。このことの前提には、引き下げ前に保障されているものに対して、何かしらの「権利」または「免除」といったものを観念するというプロセスがあると思います。このようなプロセスを経て、制度後退禁止原則には、判断過程統制にとどまら ず、実体的な判断ができるという独自の意義が認められるというわけです。 ただし、この議論は、法的に保護されているに過ぎない権利を、憲法レベルでも実体的に捉えるので、配布文献にもあった通り、内野先生などの批判があります。

 翻って、報告班の見解では、制度後退禁止原則を判断過程審査の場面で持ち出していることから、この原則に、実体的判断ができるという効果までは認めていないものと思われます。この点で、報告班の制度後退禁止原則は、 棟居先生のそれとは性質が異なるものかもしれません。性質が異なるのであれば、どのように異なるのかについて、もし、同じだとするならば、実体的判断をするために用いた制度後退禁止原則で、どうして実体的判断が不可能なゆえに用いる判断過程審査の密度が深まるのかについての論証が必要に なってくると思います。(僕が見落としていただけかもしれませんが。) さんとす君が示唆するように、判断過程審査にグラデーションがあるのかについては、議論があるところだと思いますが、仮にグラデーションがあったとしても、制度後退禁止原則を用いても、密度は深まらないというのが僕の見立てです。

 ついついヒートアップしてしまいましたが、以前から気になっていたテーマだったので、議論していて楽しかったです。他の方にはご迷惑だったかもしれませんが… ただ、生存権にかかる立法裁量を狭めるべきという認識は、報告班と同じだと思います。 さて、次回でいよいよグループ報告も最後ですね。トーマス班のみなさま、 頑張ってください! あと、ゼミ開始前に卒業アルバムの撮影があるので、よろしくお願いします。

投稿者:パム

 報告班の皆さん、お疲れ様でした。今回は「生活保護老齢加算廃止の違憲性」というテーマで、かなり難しい問題だったと思います。生存権については学部の授業でもほとんど触れられなかった分野で、色々な教科書を読みながら予習をしましたが、配布文献の判例や資料を読みこむのは大変でした。  

 議論の内容については、報告班の、憲法25条から制度後退禁止原則を導き出すことによって、行政裁量に対する判断過程審査をより厳しいものにしようという私見に対し、判断過程審査をより厳しくするためにわざわざ制度後退禁止原則を持ち出す必要はないのではないかというじょいさんによる指摘がなされ、大きな論点となりました。僕の勉強不足から、じょいさんの指摘に対するきちんとした反論は思いつかないのですが、これから社会が高齢化していくことによって国の社会保障費の負担が増え、国が社会保障費の節約に傾倒する恐れが増大していくことを考えれば、行政裁量に対してより厳格な審査を司法が行うことはやはり必要で、憲法レベルでの制度後退禁止原則を持ち出すことにも意味はあるのではないかと思います。

 今回初めて司会を務めさせていただきましたが、なかなか難しかったです。もっとゼミで発言することで、全体に対して話すことに慣れていかなければいけないことを痛感しました。報告のまとめもかなり拙くなってしまったので、司会でないときも報告の内容を整理する習慣をつけていきたいと思います。 次回は表現の自由の原理論についての報告ということで、またまた難しそうなテーマですがしっかり予習をして臨みたいと思います。

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第9回(2015年6月12日・金)~グループ報告2巡目④「表現の自由」(報告者:トーマス・イブ・アンテナ・茶畑、司会者:カフェラテ)

投稿者:パーカー

 今回は、今期最後のグループ報告、トーマスくん率いるグループによる「表現の自由の原理論」についての報告でした。 内容は、ざっくり言えば(ざっくりしすぎていますが)、立川反戦ビラ判決を無罪にする、つまり、住居侵入罪を本事案において適用違憲とするアプローチのもと、「Mr.表現の自由」ことミクルジョン、さらにポストらの議論をベースに、自己統治について特に価値を認めよう、というものでした。

 報告の詳しい内容については今回報告を行った人たちや他の人のリポートに任せるとして、ゼミでの議論において、超変態さんの自己実現と自己統治とは不可分のものなのではないかという指摘、また、ジョイくんの表現の自由に優越的地位があるかどうかについて、それを正面から認めることは妥当なのかという指摘があり、自分が普段、表現の自由における自己実現と自己統治の議論や、いわゆる二重の基準論を何の疑いもなく受け入れていたということに気付き、正直ハッとしました。これだからゼミはやめられないですね。

 しかし、こうした鋭い指摘に対して、あくまでも自分たちの前提・報告の目的を曲げず、自己統治の価値についての議論に立ち向かっていたアンテナくん、ル・直接話法くん、茶畑くんには感心しました。3年生だった時の自分と比べて、今年の3年生はしっかり勉強していて、いわゆるウィキペディア報告の鎖は自分で断ち切られている、と感じました。

 また、議論中には、ジョイくんが「それ、ホンマにそうなんかな?」、「ホンマに表現の自由に優越的地位が認められるんかな?」と、日常生活では全く姿を現さないSっ気を議論中に垣間見せ、「嗚呼、彼が平成のマルキ・ド・サドなのか」と息を呑むとともに、そういえば12期のゼミでは、前ゼミ長パッタイさんが「そうかね~ ~??それ、本当にそう言えるんかね~~??」と報告に対して鋭い意見を優しくぶつけていたことを思い出し、なるほど、パッタイズムは13期のゼミ長にも、「ホンマに」という文言を媒介として確実に受け継がれているのだなぁ、と感じずにいられませんでした。

 さて、次回のゼミは、一週間の間隔はありますが個人報告へと移行します。中央図書館では準備に奔走するバムくんをよく見かけます。同性婚は、資料の数が少ないと思いますし、何より初めての個人報告ということで緊張していると思いますが、バムくん、頑張って下さい!!!

投稿者:カフェラテ   #080

 みなさんお疲れさまです。司会を務めたカフェラテです。今回は最後のグループ報告ということ、さらに報告テーマも表現の自由ということで始まる前から白熱した議論が容易に想像できるゼミとなりました。

 報告班からは本来厳重に保障されるはずの表現の自由が実際の判決など現実においては案外すんなりと制限されているのではないかといった疑問点から構築された報告がなされ、報告はまず表現の自由に関する学説や学者別に原理的な部分の主張の整理から入り、最後に「立川反戦ビラ判決」の判例を題材に表現の自由を考えるといった報告がなされました。

 「エマーソンの四分類」を取り上げ、他の権利に対し表現の自由が優越的地位を有することの正当化を図り、そこででてくる「自己統治」といった価値を中心にまたさらに詳しく表現の自由について見ていきました。後の議論でここが一番白熱したところでもありますが、ミスター・表現の自由ことミクルジョンの自己統治論によれば「私的権利から区別された」公的な議論の自由は「無制限の保障」を受けるべきであるとまで述べている。これは自己統治の「公」的意義を極めて強く強調する事によって民主政に対して与える社会的意義を考慮すれば、明白に表現の自由は経済的自由などとは異なり、優越的地位を有するものであるとするものであった。しかし実際のところ本当に「自己統治」に該当する表現とせいぜい「自己実現」にしか資さない表現とはそれほどまでに明確に区別することができるのでしょうか。

 ゼミ長の「そうとも限らへんで〜?」という言葉に代表されるように、ひとえに表現と行っても時・場所・手段によって同じ内容を表現しようとしても与えられるべき保護の具合なども変化してくるはずであるし、どうしても「自己統治」の「公」的性格を強調することによる表現の自由の優越的地位の保障は「表現の自由は守られなければならない」という命題ありきの後付けの議論に聞こえてしまいます。それこそ表現の自由は完全無欠の権利ではないと「立川反戦ビラ判決」において示されているのではないかと思います。隊舎の敷地内に侵入しビラを投函するといった行動は、確かに政治的で重要な事柄に関する国民の意思表示活動とはいえ、だからといってなんでもかんでもゆるされるものではないということだと思います。

 ゼミ中にりちゃが「駅構内でのビラ配布のように風紀を乱す」のと同様に本件被告等らも取り締まられたのでは、という点も確かに納得できます。駅は共有空間ですが、自らの住宅の敷地にずかずかと入ってくるならば不信感は誰しもが感じると思います。 確かに表現の自由はなくてはならないものであり、国家や政府に都合の良いように操作されたり、自由な発言が認められず思想の画一化が強制されたりすることは絶対あってはいけないと思います。しかし最近SNSでよく見かける自らの意見に合わない者を一方的に糾弾し、現実においても物理的攻撃を加えるような脅しをかけるなど、「権利」の乱用というべきか、「表現の自由」をはき違えた人たちがいるのも確かなので難しいところではあります。だからこそこのテーマは憲法を学ぶ法学部生は当然、より多くの人に考えてもらうべき問題であり、最後のグループ報告にふさわしい報告であったと思います。

 次回からは個人報告が始まりますが、これまで分担してきた作業を自分一人ですると思うと大変ですが、議論の質や報告の質はさらに向上していくであろうことを期待して次回からの予習も万全で臨みたいですね。(がんばれバム!) つたない司会進行で申し訳なかったですが、報告班の人たちはお疲れさまでした!

投稿者:茶畑  

 今回は第二回目のグループ報告として、表現の自由の優越性を支える根拠は何か、また、それを踏まえて立川ビラ事件をどのように捉えるか、について論じました。  

 表現の自由はなぜ優越するのか、という命題に対して、自己実現と自己統治の価値がそれを基礎づけることを基本的に認めたうえで、自律の価値も含めた自己統治の価値が自己実現の価値よりも価値的に上位に置かれるという立場を報告班はとりました。この立場に対しては、そもそも自己実現の価値に資する表現と自己統治に資する表現を区別することができるのか、という意見をいただきました。報告班でもこれについては意見が各々別れていましたが、実務において、裁判所が全ての表現を優越的地位におくことがそもそも可能なのかと考えてみると、なかなか難しいのではないか、と今では思います。そうであるなら、自己統治に資する表現か否かの判断を裁判所に任せて、学説段階で、民主政に資する表現の価値を格別重く見ることは、「自己統治の価値にすらまじめにコミットしていない」といわれる実務に対しては意味があろうというふうに思います。

 しかし確かに、その思惑を原理論に持ってくるのは妥当かどうかと考えるとなんだかなあといった感じがします。それから、そもそも財産権に対して表現の自由が優越すると言えるのか等たくさんの痛いご指摘をいただきました。勉強不足が祟った感がありますが、これからしっかり考えてみようと思います。  

 多忙にも関わらず、報告準備を引っ張ってくださったトーマスさん、ル・民主主義かぶれアンテナのおかげで議論を通して表現の自由について様々考えることができました! 報告準備の段階から楽しかったです。ありがとうございました! 次回は、一週間空いて、パム君による同性婚についての個人報告です。個人報告一発目ということで緊張もひとしおだろうと思いますが、楽しみにしています!

投稿者:イブ

 どうも、「ル・直接話法」「ル・民主主義かぶれ」ではなくイブです。今回は「表現の自由」について、13期のグループ報告のトリということで意気込んで報告をさせていただきました。意気込みすぎたためでしょうか、どうしても休憩前の議論に付いては思い出せないのですが、気にせずリポートを綴らせていただきます。  

 今回の報告では「なぜ表現の自由が優越的地位にあると解されるのか」についてエマーソンらの議論を参考にし「立川反戦ビラ判決」を用いて日本の最高裁の考え方の分析、判決の批判等を行いました。我々報告班の立場としては表現に広く自己実現の価値を認めることで表現の自由を憲法的権利として確保し、殊に民主政に資する表現については自己統治の価値から優越的地位を認めるというものでしたが、前提として自己統治の価値を有する表現と自己実現の価値を持つにとどまる表現の区別が可能なのかという批判を議論ではいただきました。

 今回取り上げた立川反戦ビラ判決については民主政に資することが明白であろうと考えるため、優越的地位を認めてもいいのではないかなと個人的には思うのですが、ただ原理論という点で表現一般について考えるならば、民主政に資するかどうか怪しいいわゆる「グレーゾーン」の表現につきどのように判断するのかについては考察が甘かったなと思います。さらに、報告班としては内容中立的規制につき、自己統治の価値を持つ表現行為の制約に関しては「不当」では足りず「著しく不当」であることを要するとして、裁判所に自己統治の価値を重く見させることができると考えていました。しかし、先ほど挙げた批判を受けて改めて考えますと、そもそも自己統治の価値を持つ表現と言えるかどうかを裁判所の判断に任せてしまっている点でこの効果は弱くなってしまうのではないかと思います。民主政に資し得るかがハッキリとしないような表現を内容中立的規制で制約しようとする際に著しく不当と言えない場合には自己統治の価値を有しないと言ってしまいさえすれば、優越的地位は認められなくなり結果的に著しく不当でなくても制約が可能になってしまう、ということを考えると、結局「自己実現と自己統治の区別」の問題となり、この点を避けて説得的な報告とすることには無理があったなと反省しております。  

 また、カフェラテのリポートにもありますがりちゃからいただいた「吉祥寺駅構内ビラ配布事件についても立川と同様に適用違憲と言えるのか」という点に関しては、同じ「ビラ配布」という表現行為ではありますが、同様に適用違憲とは言い難いのではないかと思います。立川の場合はポストに投函するという形でのビラ配布、吉祥寺の場合は直接往来する人に手渡すという形でのビラ配布と、その方法が異なり後者についてはレジュメでも例に挙げた戸別訪問行為に近い方法と言えるでしょう。すなわち、「そのような(吉祥寺で言うと狭山事件の被告人を支援する内容の)ビラを配ろうとするな」と「呼びかけ」を予備的に禁止することはできないでしょうが、その「呼びかけ」に応答する義務があるとは言えないため、もちろん通行人はビラ配布を拒絶することができるでしょうし、住居と私鉄駅構内とでは場所としての性質も異なりますので(このような場所論については本報告では言及を避けましたが…)、立川反戦ビラ事件とは異なった不当性の中身の審査や利益衡量などを要することとなるのではないでしょうか。  

 報告趣旨の説明や以前のゼミ風景リポートでも述べましたが、表現の自由はいまアツいテーマだと言えるでしょう。私自身ももっと深く、様々な視点からこのテーマについて考えていく必要はありますが、ぜひ皆さんにもより興味をもって取り組んでいただけるとよいのではないかと思います。本報告が少しでもそのきっかけ作り等でお役に立てていたならば私たちとしても幸いです。なお、本報告にあたって共に報告をしたメンバーには感謝しています。話し合いにサッカーのユニフォームを着てきがちな茶畑、「自信持って行こう!」と励ましてくれたアンテナ、そして公務員試験の勉強があるにもかかわらず私たちに貴重な時間を割いてくださったトーマスさん、ありがとうございました!  

 いよいよ次回からは個人報告がスタートします。次回担当のバムとはキャンパス内でしばしば遭遇しますが、気のせいでしょうか日に日に痩せていっているような気が…。準備は大変だとは思いますが、テーマ「同性婚」楽しみにしていますので、生きて報告を完遂してください!

投稿者:トーマス

 最後のグループ報告を担当しました。今回は、以前から気になっていた「表現の自由の優越的地位」の意義・根拠と「立川反戦ビラ判決」から最高裁の見解について検討しました。

 報告班は、立川反戦ビラ判決において管理権者が集合住宅の住民の自治的決定を経ずにビラ配布を禁止(被害届の提出)したことによって受け手の利益を害しているという批判をしましたが、それに対して、リチャ君から駅構内ビラ配布事件での「ビラ配布が構内の風紀を乱す」との理由から刑法130条が適用されたのと同様であるのではないのかという質問がありました。この点について、「立川反戦ビラ判決」では集合住宅に定住している特定の表現の受け手がいるのに対して、「駅構内ビラ配布事件」では駅構内という人々が流動的な場でのビラ配布であり、受け手が不特定多数者となります。したがって、駅の管理権者が構内のビラ配布を一律に禁止したとしても受け手が不明確なため受け手の利益への害が特定できないと考えられます。そして、その結果として利益衡量では財産権(管理権)へのウェイトが重くなり、審査密度も緩やかなものになると思われます。しかし、先生の指摘にあったように、駅でビラを配っていることに比べて、知らない人が家の前まで来てビラが投函されているという気味の悪さは確かにあり両者の性質は異なっているので、報告班の考えが正しかったのかど うか悩むところです。

 また、個人的に報告班に対して一番痛いと思われる「表現が自己統治に資するかどうかという判断は可能なのか」という質問を超変態さんからいただきました。例えば、「性表現」は、裁判官が判断する「社会通念」に従って「社会を道徳的頽廃から守る」ために刑法175条によって制約されると考えられています。性表現者がそのような「社会通念」に対しての挑戦?(変革?)を求めて性表現をするのであれば、その表現には自己統治の価値が見受けられます。したがって、報告班は性表現までは保障されないという立場をとっていたので、報告班の考える表現の自由の優越的地位の根拠からすれば説明が難しいことになります。

 今回は人格権同士の衝突であると考えた「立川反戦ビラ判決」をいかに無罪と持っていくかに焦点を当て、今回の表現行為は、「自己実現(人格権的に理解したもの)の価値」の上に「自己統治の価値」が上乗せされるという形で他の権利に優越することを示し、財産権(管理権)を根拠に刑法を今回の表現行為に適用することは許されないという趣旨で結論付けました。表現の自由の優越的地位を前提にしていたため、ジョイさんからそれに対して疑問がなげかけられました。ジョイさんの意見は、石川先生の論文を基に言ってくれていたそうなので、以下簡単にその部分について書きます。

 石川先生は、森林法判決の「職業は・・・各人が自己のもつ個性を全うすべき場として、個人の人格的価値とも不可分の関連を有するものである」という文脈から最高裁が人格権を第1級の人権としてみなしていることを指摘し、従来の考えられてきた「二重の基準論」に疑問を投げかけています。そして、経済的自由は、表現の自由の人格的連関の強さと比べて見劣りしないが、ただ社会的相互関連性を内在しているため規制の必要性が高まるだけであるとしています。(詳しくは、石川健治「30年越しの問い―判例に整合的なドクマーティクとは」法学教室332号58頁以下を見てください。)このことに関して、表現の自由の優越的地位を当然視し検討したのですが、この見解から考えると報告班の結論が変わってしまうおそれがあるので、前提を疑うことの必要性を痛感しました。

 去年、公務員の政治的行為について個人報告をやったのですが、そこで最高裁が表現の自由の重要性を示しているにもかかわらず、制約を容易に合憲と示しており、また個々の事案を詳しく読んでみるとどうしても「表現内容規制」にしか思えてならなかったので、「表現の自由の優越的地位」を改めて考えたいと思い今回のテーマを取り上げたのですが、報告を通してその前提に疑問がでてきました。

 今回の報告では、全員の意見を合わせて報告班の意見にすることが大変難しいところでした。結局、茶畑君を犠牲に多数決で今回の結論にしたのですが、茶畑君がレジュメの中に小さな抵抗を示していてさすが茶畑君と思いました。今回の報告では、試験が近いことを理由にして迷惑をかけてしまいましたが、茶畑君・アンテナ君・イブ君というバランスのとれたグループで報告ができてよかったです。三人ともありがとうございました。次回からは個人報告なので大変だと思いますがバム君頑張ってください。

投稿者:アンテナ

 皆様、おはようございます、こんにちは、こんばんは。今回私は2回目のグループ報告をさせていただきました。ともに報告にあたったイブ、茶畑、トーマスさんには感謝してもしきれません。

 さて、本報告のテーマは表現の自由でした。日本の最高裁がある程度表現の自由の優越的地位を認めつつも、結論において表現をそれほど強く保障しているようには見えないことに疑問を持ち、より強く表現の自由が保障されるためにはどうすべきなのかを考えていきました。その結果、自己実現の価値を有する表現一般を他の権利と同等に保障を認めた上で、民主政に資する政治的表現を自己統治の価値のある表現としてより手厚く保障するという二段構造の考え方をとりました。こうすることにより、「明らかに政治的な表現」は強く守られることになります。そしてその考え方を立川ビラ判決に引用し、ビラ配布行為は合憲であると結論付けました。

 ゼミの前半では、ビラ配布行為を合憲とする根拠の一つである「送り手」や「受け手」の権利についての議論になりました。表現の自由市場と密接にかかわると考えられる「送り手・受け手」論について我々の考察が足りず、議論が迷走してしまいました。これについての私の理解を端的に述べると、戸別訪問のビラ配布においては「送り手」の利益の観点から、表現者に一度は表現する機会を与えるべきであり、それを受け手は拒むことはできても、その行為自体を迷惑行為として事前に規制してはならない、というものです。この見解をもし認めたにせよ、戸別訪問ではない場合はどうするのか、受け取った人々にマイナスの影響を与える恐れはないか、など様々な問題点が生じてくることが議論の中の指摘からもはっきりと分かりました。ここではこれ以上言及しませんが、表現の自由を認めることで生じる悪影響について私は盲目的であったとのではないかと感じさせられました。

 また、ゼミの後半では、原理論の核心部分が議論となりました。ゼミ中にも言ったと思われますが報告にあたり私たちは、「表現の自由は優越的地位に立つ」という命題が「真」であることを前提とし、①「なぜ」「何に対して」「どのように」優越するのか、それを考えていく上で、②表現とは何か、表現の自由を保障することにより何が得られるのか、見ていきました。報告が終わった今となっては、この①と②の検討の順序は逆で、何かしら表現の自由が果たす役割があるからこそ、表現の自由は優越的地位に立つと言わねばならなかったと感じています。なぜなら、ゼミ長の「そう(優越的地位に立つ)とも限らへんで」という言葉にもある通り、私が正しいと思い込んでいた命題が「偽」である可能性があるためです。私にとってはとてつもなくインパクトのある意見でした。

 この点につき整理しますと、超強力機械さんの発言にも象徴されるように、表現が政治的なものか否かを区別するのは難しく、表現の本質や表現を保護すべき理由が政治的表現にあるわけではないと思います。しかし表現の自由を優越的地位においた場合、そこで保障されるのは自己統治に資する表現なのではないでしょうか。言い換えると、政治的表現を保護するために表現の「優越的地位」という考えが持ち出されるということになります。反対に、表現の価値に区別をつけないのであれば、表現の自由に優越的地位を認める必要はないような気がしてきます。いずれにせよ、「優越的地位」を認めるか否かについて、もっと深く考察する必要があると感じました。

 本報告もまだまだな部分が多々ありましたが、議論を通し、表現について改めて深く考えていただけたならば幸いです。 最後になりますが、日本の表現の自由の研究において多大な功績を遺された、奥平康弘先生に敬意を表し、レポートを締めさせていただきます。駄文失礼いたしました。

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第10回(2015年6月26日・金)~個人報告①「同性婚と憲法」(報告者:パム、司会者:テンパー)

投稿者:テンパー   #085

 今回は、「同性婚と憲法」というテーマで、バム君による初の個人報告でした。内容としては、日本国憲法14、24条を検討し、同性婚は、両者が同じ性別という属性にあることによって、現行法上婚姻することができないとため、「性別」による差別と見ることで、厳格審査を適用し、憲法は同性婚が認められることを要請しているとするものでした。

 海外の同性婚は現代では、パートナーシップ制度をはじめとして、多くの国で、同性婚が認められており、同性カップルにも社会保障制度など様々な面で平等な権利保障がなされています。しかし、こういった動きの背景には強い賛成派の活動が必要不可欠です。海外には、同性婚に対して、カトリックの反対やソドミー法といった強い同性婚反対派がいたため、強い同性婚賛成派が生まれ、こうした同性婚を認めるような流れができていったのだと考えられます。日本においては、宗教や法律の強い反対はあまり見受けられないため、日本でも海外と同じような流れができるかと言われるとその点は疑問に思えます。

 さて、14、24条の検討についてですが、私は24条をプログラム規定と捉えて、同性婚の問題は14条で解決していくべきだと考えます。そのため、同性婚の禁止は性別による差別であるため、バム君と同様に厳格審査を行い、憲法は、同性婚を禁止しているものではないと考えるべきだと思います。 また、同性婚を認めると近親婚はどうなるのか等、議論は多岐にわたり非常に有意義なゼミでした。

 休憩後に先生の無茶ぶりで楽器を弾くことになってしまいましたが、お耳汚し失礼いたしました...これからは無茶ぶりにも耐えられるようにしっかりと練習していきたいです!

 ゼミ終了後には、アメリカ連邦最高裁が同性婚を認める判決を下し、タイミングが神がかっていましたね! 日本においてもLGBTの動きは高まってきており、このアメリカの動きを受けて今後、日本がどのように変化していくのか目が離せません!!

 次回はdtk君による「接見交通権」ですね。どのような報告になるのか楽しみです。しっかりと刑訴の勉強と並行して予習して次回のゼミに臨みたいと思います!

投稿者:りちゃ

 今回はバム君による第1回個人報告ということで、憲法24条・14条の観点から現行憲法のもとで同性婚が認められるかどうかについて議論が行われました。最初の個人報告ということもあり発表前にはバムくんが図書館や深夜のマックで根詰めて準備をしていたようで、当日には少しやつれた姿になっていましたが(笑)、議論も盛り上がりを見せ、非常に興味深い内容でした。バムくん、本当にお疲れ様でした。

 内容についてですが、現行憲法で同性婚が認められるか否かはやはり憲法24条をどう解釈するかで変わってくると思います。コンメンタールや多くの論文で24条は同性婚までをも保障している規定ではないと記述されており、また、配布文献にあったように立法者の予定するところでもなかったようですが、日本同様、憲法に婚姻の規定があるのにも関わらず同性婚が認められたスペインや、ゼミ当日に米連邦最高裁が同性婚を認める判決を出したことを踏まえると日本の現行憲法でもそういった解釈をすることが可能であるかもしれないと思いました。

 仮に現行憲法で同性婚が認められるとすれば、憲法24条や民法典の「夫婦」という文言を例示であると解するのか、民法典の文言のみを改正するのかといった新たな問題も生まれてくると思います。法律で予定されていない仕組みをゼロから築き上げるのは既存の法律や制度との関係上、多くの時間と労力を要すると思いますが、同性愛が性的嗜好ではなく性的指向である以上、早急に解決し少数者の権利保護を図る必要がある問題だと思いました。日本はカフェラテくんが教えてくれたように、アメリカのように「3G」の一つとして、同性愛者に対する姿勢が政治の要素として絡んでくることがないため、他の先進国と比べても制度が整っていないというのが現状ですが、最近の同性カップルによる婚姻届に関する事件やアメリカの連邦最高裁の判決の影響を受けて、今後の進展が期待されるところだと思います。

 さて、次回の報告はdtk君による接見交通権ですね! 個人的に刑事訴訟法は好きなので楽しみにしています。しっかりと文献を読みこんでゼミに臨みたいと思います。

投稿者:じょい  

 今回は、今年度初めての個人報告でした。バムくん、トップバッター本当にお疲れ様! プレッシャーも大きかったと思いますが、充実した報告だったと思います。報告テーマは、同性婚と憲法ということで、LGBTと呼ばれる人々がどのような不利益や不便を被っているかという実態面と憲法上の問題点という法解釈面の双方について、しっかりと押さえられた報告でした。さらに、ゼミ終了後にアメリカ連邦最高裁で、同性婚に関する画期的な判例が出されるというサプライズ付きで、バムくんの強運には脱帽しました。どれくらい前から、この判決が出されることを知っていたのかを教えてもらいたいものです。  

 さて、同性婚に関わる憲法上の問題として、バムくんは、憲法14条と憲法24条を検討していました。そして、報告の流れとしては、憲法24条は、立法過程において同性婚を全く意識していなかったことから、同性婚を違憲とする根拠にも、要請するという根拠にもならないものの、憲法14条では、同性婚を認めることが要請されるというものでした。それに対しては、憲法24条の「両性」「夫婦」という文言を踏まえると、憲法24条は男女のカップルによる婚姻を想定しているのではないかという批判や、正反対の意見として、条文に「個人の尊厳」とあるのだから、直截に、憲法24条で要請されているとして良いのではないかという批判がなされていました。

 私からは、バムくんが採った、憲法14条からのアプローチでは、現在禁止されている他のカップルの形態も認めることが要請されるという議論が可能ではないかという指摘をしましたが、この点については、まだ考えが煮詰まっていません。民法750条の合憲性を報告したときにも感じたのですが、これまで、憲法24条についての研究はあまりされてこなかったので、憲法24条にあまり多くのことを読み込むには少しためらいがあります。その意味で、今回のアプローチはこれまで確立した考え(特に憲法14条の理論)を用いており、「安定感」という面で優れていると思います。ただ、民法750条の合憲性で検討したように、憲法24条が「婚姻の自由」を保障していると捉えていることを足掛かりに、それは男女のカップルにも及ぶというようなアプローチも可能かもしれません。  

 次回の報告は、接見交通権と憲法ということで、接見交通権のこれまでの問題に加え、現代的問題についても触れる予定だそうです。dtkくんが最後まで苦しんでいましたが、どのような報告になるか楽しみです。

投稿者:茶畑

 第一回目の個人報告、お疲れ様でした。ここ一か月ほど図書館に行くたび報告準備に追われるパム君をいつも見ていたので、精神的に参ってるんじゃないかとちょっと心配していましたが、元気にゼミに現れてくれたので安心しました。同性婚をテーマにして報告をしてくれましたが、その日にアメリカ連邦最高裁が同性婚を禁止する法律を違憲と判断するあたり、パム君恐るべしといったところですね。    

 全体を通して興味深い議論があったように思いますが、憲法論のところで議論された、日本国憲法における同性婚の合憲性を論ずる解釈論についてちょっと思うところを書いてみようかなと思います。日本国憲法制定当時の議論に照らして、同性婚を禁止する旨の思惑は24条に含まれていないのではないか、ということを理由として、24条が同性婚を禁止しておらず、認められないとは言えないという解釈論が示されていましたが、原意主義的に同条を解釈するにしても、たとえば当時の議事録に照らして「ある事柄が法文の意味内容として説明されていたから」その事柄を法文の意味内容(の全部または一部)として確定させる解釈論と、「ある事柄が法文の意味内容として説明されていないから」その事柄を法文の意味として含めないとする解釈論では、後者の方が相対的に説得力が低いといえるのではないかと思います。憲法24条の問題に置き換えてみると、同性婚の禁止は同条の意味内容として説明されていないから、24条は同性婚を禁止する趣旨ではない、ということになりますが、これは法的安定性の観点から見てもあまり良くないかなという気がします。そうであるならば、制度趣旨を見ることなく法文の文言から客観的に意味内容を確定させた方が良いのかもしれないと思います。しかしそうなるとパム君が指摘したように憲法改正のハードルが問題となってくる場合がありえることから、これもまた同性婚を24条の法規範に含めて考えたい立場からはあまり好ましくないこととなり、難しいですね。    

 同性婚が認められるならば近親婚はどうなのか等、ゼミ中にも様々意見が出され、国家の人民に対する関わり方については考えていくべきことは多いように感じました。今回もまた議論の楽しいゼミでした。さて、次回は「接見交通権」についての報告ということで予習がんばります!

投稿者:パム

 今回は今年度初めての個人報告ということで、「同性婚と憲法」というテーマで報告を行いました。憲法論として同性婚を扱った文献がかなり少なかったため、準備はかなり難航してしまいましたが、なんとか報告を終えることができ、ほっとしております。箱崎マックで毎日のように励まして下さったパーカーさん、トーマスさん、ましゅ麻呂さん、文章チェックなど細かい手伝いをしてくれた、るいすくん、りちゃくん、本当にありがとうございました。

 議論の内容については、様々な論点があったと思いますが、特に、同性婚が容認されると一夫多妻などのあらゆる形態の家族も法律上の家族として認める必要がでてくるのではないかという点について軽く触れたいと思います。今回の僕の報告では、同性カップルに異性間の夫婦と同様の共同生活を送ろうとする意思がありながら、同性婚が認められないのは性別の組み合わせ(男女という形)に固執しているからではないかと考え、婚姻が男女に限られなければならない必要性は、現在では必ずしもあるわけではないこと、また同性カップルが子どもを育ててもその子に何か重大な悪影響があるわけではないといった点から同性婚と異性婚を区別しなければならない理由は存在せず、同性婚も認められるべきであるとしました。

 このように考えると、一夫多妻の形態の家族については、性別の組み合わせだけでなく、一対性(一人と一人という組み合わせ)にこだわる必要性も疑問視することができますし、また、先生が仰っていたように現実にアラビア半島諸国等ではこうした家族が認められ、多く存在することから子どもに悪影響を与えるとはいえないと考えられます。しかし、客観的な資料などに基づいているわけではなく、僕の感覚としてなのですが、同性婚については、互いに愛し合い、共同生活を送ろうとする意思において異性カップルのそれとは違いがない、つまり性別の組み合わせこそ違うものの思い描く家族の形というのはかなり近いように思われるため、異性婚と区別されて扱われなければならない理由が必要であると考えられますが、一夫多妻の場合は(上手くは言えないのですが)異性婚において想定される家族像とはかなり異なった、単純な愛情による結びつきによらない家族を想定していると思われ、結びつきの性質がかなり異なると思います。こうしたことを考慮すると、一夫多妻という形態は異性婚との比較は成り立たないと考えられ、同性婚が認められるならば一夫多妻も認められなければならないとまではいえないと思います。  

 偶然だったのですが、今回の報告と同日にアメリカ連邦最高裁が同性婚を全州で認める判決を下しました。報告準備でずっと同性婚が認められる難しさに触れていた分、このニュースを知ったときはとてもうれしかったです。多くのメディアでもこのことは大きく取り上げられていたので、日本でも多くの人々にとって同性婚について考える良い機会になったのではないかと思います。今後、日本でも同性婚について活発な議論が始まってくれることを期待したいです。  

 さて、来週はdtkくんによる接見交通権についての報告です。僕とは違い、公務員講座や授業にきちんと出席しながら準備ができているようなので、素晴らしいと思います。しっかり予習して、議論を盛り上げられるように頑張ります!

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第11回(2015年7月3日・金)~個人報告②「接見交通権」(報告者:dtk、司会者:トムリンソン)

投稿者:トムリンソン   #090

 今回は2度目の個人報告ということで、dtkくんが「接見交通権」をテーマに報告してくれました。憲法のみの問題ではなく、刑事訴訟法との絡みもあるような論点であったので、非常に関心を持ってゼミに臨むことが出来ました。  

 報告の内容としては、接見交通権の中でも接見指定にテーマをしぼり、安藤・斎藤事件判決(最大判平11・3・24判時1680号72頁)をとりあげて検討が行われていたように思います。加えて最後に、接見交通の現代的課題として秘密交通権の問題を提示し、接見の秘密性が保障されていない現状に一石を投じていました。  

 議論になった接見交通権が憲法によって直接に保障されたものであるか否かという点に関して、報告者としては「接見交通権は国家の捜査権を制約するものとして保障されている」という考えを前提として、憲法により直接保障されたものでないとの立場をとっていたと思います。この点については、接見交通権を憲法が直接に保障したものであると認めたとしても、接見指定の際に「公の利益」などとの衡量は可能であり、わざわざ接見交通権を憲法により直接保障されたものではないとする必要はないのではないか、という疑問がじょいさんからなされました。私個人としては、ゼミ中の議論などを通して、報告者の意見の方が妥当であるような印象を受けました。やはり、判例のように接見指定の合憲性の判断にあたって接見交通権と対立するものとして捜査権を持ち出すのであれば、接見交通権を憲法が直接保障しているとするのは厳しいのではないのでしょうか。  

 ゼミ終了後は、スウェーデンから帰国されたさきりんさんを含む多くのゼミ生と南野先生とで弐の弐へ行きました。久々のゼミ後の飲み会という事で大いに盛り上がりました。りちゃくんの普段は見られないような一面も見られて良かったです。(笑)  

 次回は、マスクさんによる「著作権と表現の自由」についての報告です。予習文献のみならず、南野森編著『ブリッジブック法学入門(第二版)』(信山社、2013年)の該当部分も熟読して、ゼミに臨みたいと思います。

投稿者:dtk

 今回は初めての個人報告で、接見交通権というテーマを扱い報告を行いました。 先週のバムくんの同性婚という大変ホットな話題の次週の報告ということで、ホットさが感じられないテーマを選んでしまったということもあり、かなりびく びくしておりましたが、死にそうになりながらも、トムリンソンくんの名司会っ ぷりのおかげもあってか、何とか形としては報告を終えることができました。また、このテーマについては、憲法学者が書いている文献が少ないということも あって、報告の方向性が決まらないまま、配布文献決めの段階で絶望している中、南野先生やじょいさん、ムタさんには大変ご迷惑をおかけしてしまいました。多大なるご協力心より感謝しております。

 さて、接見交通権というテーマについて調べていく中で、論点が山のようにあることに気付き、その中でも憲法とのかかわりを意識する部分として今回取り上げることになったのが、刑訴法39条3項の接見指定の規定でした。同項の憲法適合性を判断した大法廷判決を中心に据え、具体的には憲法34条前段、同37条3 項、同38条1項に違反するか否かを検討していくという形をとり、結論的には接見交通権が憲法上の権利とまではいえないという主張をするに至りました。 また、刑訴法39条3項を違憲とする論者の、国家の権能である捜査権を本来的には制約するものとして保障されるはずの被疑者の権利を、再度捜査権を持ち出して制約が許されるというのは憲法上の趣旨に反するとする主張に対しては、憲法 31条の適正手続条項の理解をめぐり議論になりました。個人的には、やはり接見交通権を憲法上の権利であるとしたうえで、被疑者の権利と捜査権とを利益衡量するというアプローチよりも、大法廷判決のように接見交通権が憲法上の保障に由来するものととどめることに意味があるのではないかと感じています。

 ただ、 南野先生がおっしゃったように、憲法上の保障に由来するととどめることは、一見被疑者の人権を保障しているように見えるけれども、実際はそうではないので はないかという指摘については、その通りだと感じる部分もありました…逃げるようにはなってしまいますが、接見交通権を憲法上どう位置付けるかということに関しては、判決や憲法学者の方々の意見を待ちたいと思います。

 さらに、接見交通権をめぐる問題の中でも最近話題に上ってきているのが、刑訴法39条1項の秘密交通権に関するものです。今回はその中でも接見時における弁護人の電子再生機器の利用の問題に絞りました。報告の最後に取ってつけたような形となり、検討不足で、ゼミの皆さんには大変ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。ともあれ、写真撮影やビデオ録画を用いた接見がなされていないか、事前に捜査機関側が検査していることよりも、接見中に弁護人がそれを取り出した瞬間に接見を中断するという現状は、被疑者・被告人と弁護人との間の秘密交通権を侵害しており、これからも改善の余地がある問題であると思います。

 ゼミ後には、留学から帰って来られたさきりんさんの歓迎会ということで、久しぶりのゼミコンパで警固の弐ノ弐に向かいました。飲みの席で南野先生とお話する機会はこれが初めてでしたが、様々なお話やアドバイスを聞かせて下さり、非常にリラックスして楽しむことができました!(酔って先生や先輩方に失礼なことを言ってしまっていたらすみません…)

 最後になりますが、次回は、マスクをつけているにもかかわらず、風邪をひいてしまうというマスクさんの「表現の自由と著作権」です。難しいテーマであるとは思いますが、非常に興味深いテーマでもありますので、気を抜かず予習をしてゼミに臨みたいと思います。

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第12回(2015年7月10日・金)~個人報告③「表現の自由と著作権」(報告者:マスク、司会者:りちゃ)

投稿者:ガク

 今回の報告は「表現の自由と著作権」という、日本ではあまり議論が本格化されていない論点であり、聞きなれないフェアユースの法理等が出てきて新鮮な気持ちでゼミに参加することが出来ました。報告もよくまとまっており、さらに「ハイスコアガール」をわざわざ買って読みゼミに持ってきてくれるマスクさんに敬意を表したいと思います。  

 中身に触れていきたいのですが、私としてはイブの考え方に非常に似ているところがあり、わざわざフェアユースの法理を持ち出す必要性はそこまで無いのかなと考えています。その理由としては①考慮要素に引用条項の総合考慮説の要件を持ちこむのであれば、わざわざ立法化しなくても32条で対応できる話であり、また②一度立ち消えになった立法化を再び持ち出すことに果たしてどれだけ実現可能性があるのかという疑問が残るという点です。自分としては最後までフェアユースの有意義性をあまり実感することが出来ませんでした。  

 最初、マスクさんがどのような問題意識を持って何を解決するためにフェアユースを持ち出したのかがレジュメだけではよく分からないところがあったのですが、議論を通す中でその理由が見えてきて、自分と同じようなフェアユース反対派もフェアユースを導入すべきだという考えに変わる人も出てきた今回の議論はとても有意義だったなと1人感慨深く思っていますイブは否定していましたがディ〇ニーの黒い陰謀等も垣間見ることができて満足です。

 次回が前期最後のゼミになります。前期最後を締めくくるということで最高の報告をいしてくれるであろうようつーに期待を寄せつつ、dtkのキレ味抜群の意見を楽しみにしています。

投稿者:トムリンソン

 マスクさん、個人報告お疲れさまでした。テーマは「表現の自由と著作権」ということで、報告を予習文献が配られた段階から楽しみにしていました。私だけでなく、特にイブくんの今回のテーマへの情熱は相当なものであったようで、報告準備をしているマスクさんを煽るような言動も垣間みることができました(笑)。実際、今回のゼミではイブくんの積極的な発言が目立ち、普段議論を引っ張っているじょいさんの姿と重なって見えました。  

 報告の内容に関してですが、アメリカの著作権法に導入されているFair use条項を日本にも導入すべきであるかという点に関して、現行の著作権法と表現の自由の関係やTPP参加への流れなどを考慮して検討がなされました。報告者としては、「現行の著作権法は著作権を手厚く保護する一方で、表現の自由への配慮が十分とはいえないため、一般条項である(日本版)Fair use条項を導入し表現の自由への配慮を見せるべきだ」とし、Fair use条項導入の立場をとっていたと思います。

 私としては、はじめは一般条項ではなく個別的に立法すれば対応できるのではないかという考えでしたが、「情報技術の発展に伴い、個別的規定では対応が後手に回ってしまう事案にも一般条項を導入することで対応が可能になる」との反論に対して、うまく再反論できず、一般条項を導入するのも仕方がないのではないかという結論に至りました。  

 また、今回の報告では「紙幅の都合上」詳細は割愛されていましたが、著作権の保護とその侵害という民事上の紛争に、憲法上の権利としての表現の自由を持ち出す理論構成として、state actionの構成を挙げていました。結論としてはあまり変わりがなく、議論の実益という点では意味のないものかも知れませんが、ここでstate actionの構成を報告者が採用した理由が個人的には気になりました。今度空いた時間があればで良いので、ご教授頂きたく存じます。  

 今回の議論も白熱したものとなり、とても楽しかったです。次回で、前期のゼミは最後ですね。ようつーくんがしっかりと締めくくってくれることを期待しています。

投稿者:じょい  

 今回の報告テーマは、「表現の自由と著作権」でした。これまで、著作権法と表現の自由についての研究はあまりされておらず、著作権法の「言論制約のフレーバー」としての側面は従来意識されてきませんでした。マスクさんはそこに問題意識を持ち、アメリカの著作権法と比較しつつ、表現の自由との調和をどう図っていくべきかについて検討してくれました。著作権法に無知な私を後目に、知的財産法を受けている3年生が中心となって、白熱した議論を展開していました。

 マスクさんは、いわゆる「Fair Use条項」によって、パロディなどの表現活動を保護すべきという立場でした。それに対して、りちゃくんと茶畑くんは、個別列挙による保護の方が良いという考えのようでした。ル・ディズニースパイくんは、臨機応変に互いの立場の弱点を指摘しており、議論中は比較的中道の立場だったと思います。途中で、茶畑くんとマスクさんが、委縮効果と関連して条項の規定方法の議論を展開していましたが、少し噛み合いづらかったようなので、私なりの補足をここでしておきたいと思います。

 茶畑くんとしては、「Fair Use条項」と個別列挙のどちらが表現者にとって予見可能性が高いかという点を重視して、後者の方が、何が免責されるのかが分かりやすいという考えだったと思います。つまり、例えば、表現者としては条文にパロディと書いてあった方が、パロディは保護されることが明白なので、パロディを創作する際の委縮効果が少ないというわけです。それに対して、マスクさんは、現行法よりは「Fair Use条項」を導入することで委縮効果が少なくなる、そして、同条項の方が限界事例に対処しやすいという2点に力点を置いた議論をしていたと思いま す。委縮効果を考える際の比較の対象と限界事例を考慮するかという点の前提が異なっていたので、噛み合いにくかったのではないでしょうか。

 私見としては、典型的なパロディは「Fair Use条項」による免責の典型例になると思われるので、この場合に生ずる委縮効果は、個別列挙よりあまり大差ないでしょう。そして、限界事例にも柔軟に対応できる「Fair Use条項」は魅力的だと思います。 この議論を通して感じたのは、予見可能性を重視しなければならないという考えは、著作権法が罰則規定を持つことと大きく関係していると思います。懲役刑まで用意されていることを踏まえると、何が罰せられるのかをはっきりしておく必要があります。それならば、いっそのこと、刑事罰を廃止して、民事制裁に一本化するのも1つの方法ではないでしょうか。そうすれば、柔軟に解決しても良いという論調に少しは傾きやすいかもしれません。極論ではありますが…

 さて、来週は、ようつーくんの国公立女子大学の憲法学的考察です。次回はどっぷり憲法論になりそうな予感です。前期のゼミも残すところあと1回なので、頑張っていきたいと思います!

投稿者:イブ   #095

 今回は「表現の自由と著作権」というテーマのもとマスクさんによる報告が行われました。6月末には体調を崩したこともあり、非常に準備の時間の少ない中での報告だったと思いますが、それを感じさせない質の高さで感心しました。マスクさん、お疲れ様でした。  

 内容についてなのですが、私はFaire Useの導入の必要性は低いのではないかと考えています。マスクさんは議論の中で「Faire Useを導入すべき」とおっしゃっていました。私も「Faire Useを導入してはいけない」とは思いませんが、「すべき」と言えるほどの積極的な意味付けが可能なのかという疑問があり、まずここに温度差があったなと思います。 ゼミ中にも言いましたが、私はやはり2009年に権利団体の圧力により立ち消えになったFaire Use条項導入計画がいま再び上がったとしても、当時同様立ち消えになる可能性が依然として高いように思います。

 マスクさんが主張なさっていたようにTPP参加に伴って今まで圧力をかけていた権利団体側も「被告」になり得るということに気付くという点には私も異論はありません。たしかにそのように対海外企業の関係で見ればFaire Use条項の導入に対する状況は変化しているかもしれませんが、対国内企業の関係で見れば依然として状況の変化は起きていないのではないでしょうか。仮に対国内企業の関係は変化していないということを前提とすると、権利団体にとってFaire Use条項の導入は敵から身を守る武器を手に入れることにもなりますが、同時に今まで攻撃を仕掛けていた敵に武器を渡すことにもなり、その面で一長一短といえるでしょう。したがってTPPの参加による状況の変化をFaire Use条項の導入の可能性が依然と比較して高まったということの根拠とするには弱いのではないかと思います。

 また今後起こり得る著作権侵害に対してはとりあえずは著作権法32条の「引用」の規定で対応できると考えています。パロディに代表されるようにおよそ著作権侵害には引用の問題の要素が含まれているといえ、そうである限り田村善之先生がおっしゃるような32条の解釈により事案を解決していくことが可能だと言えるでしょう。この考えには「文言以上の」厳格な解釈をすることに対して批判があると思います。そういった批判が向けられる理由としてはやはり予見可能性が低いという点があるように感じますが、阪本昌成先生がおっしゃっているようにFaire Useも明確な結論へと誘導する法準則(rule)ではなく、個別的利益衡量の手法(standard)に過ぎないものであるため、立法のコストを省くことができる分引用規定の解釈での対応が現実的であるといえるでしょう。さらにいえば、TPP参加に伴う対海外企業の問題に関しても日本では著作権法32条で応戦していけばよいのではないかと感じました。

 今回の報告のテーマであった表現の自由と著作権法は個人的に関心の強い分野であり、茶畑が議論の中で言おうとしていた、いわゆる「会社の言論」の問題との関連性など議論の余地が残されているように思いましたので、このテーマにおける今後の展開には注目していきたいと思います。 次回はいよいよ前期最後の報告です。テーマは「国公立女子大学の現代的意義」。報告担当のようつー、ラストスパート頑張ってください!!

投稿者:りちゃ

 今回は「表現の自由と著作権」というテーマのもと、マスクによる個人報告が行われました。憲法と知的財産法との兼ね合いが問題となるものでしたが、非常に分かりやすくまとめられていて改めてマスクのすごさを感じました。  

 さて内容についてですが、初め僕はどちらかというとFair Use条項の導入に反対でした。Fair Use条項が著作権と表現の自由の調和を図るための一般条項である以上、たとえ導入されたとしても、それは最後の手段として用いられるべきであって、個別的立法で対処できるならそれに越したことはないと考えたからです。日本の既存の法制度に鑑みればFair Use条項の適用場面の多くは現在の著作権法で規定のないパロディについての場面であると想定されます。だとすると、フランスやスペインのようにパロディの規定を作れば済む話であり、法的安定性に欠けるFair Use条項は不要だということになると思います。

 しかし、よくよく考えてTPP参加に伴う「非親告罪化」の蓋然性まで考慮すると、あらゆるものが公訴提起の対象となってしまうおそれを回避するためにもFair Use条項のようなものが必要になってきそうです。また、Fair Use条項は二次的創作者を守るだけのものではなく、原作者をも守る役割をも果たすと考えられるため、導入することに一定の意義を見出すことができます。さらに、同条項は一般条項であるとされているものの、学説で述べられているようにその判断を下すための考慮要素が予め明示されているならば法的安定性をある程度確保できると考えられます。

 以上のようなことを考慮すると、(パロディについては個別の規定を作った上で)Fair Use条項を導入する方がよいのかもしれないと思いました。知的財産法に触れるのはまったくもって初めてでしたが、マスクの報告を契機に自分の表現活動や行為が著作権法違反として公訴提起の対象になるかもしれないということを知り、知財法が意外と身近なものであると感じ、少し興味がわいてきました。来年度の知財の講義受けてみようかな…と迷っているところです! カフェラテのディズニーの話もいつもながら面白かったし、とても有意義な時間でした。

 来週はいよいよようつーによる最後の報告ですね! 福岡女子大の訴訟はニュースで話題になっていたときから個人的にすごく関心を持っていた話題なので楽しみです!

投稿者:マスク

 前回までの報告者であるバムくんやdtkくんが追いつめられているのを他人事のように思っていた自分を恨めしく思いながら必死に報告準備を進めたこの約1週間でした。りちゃイブくん、トムリンソンくん、テンパーくん、じょいさんをはじめとしたサロンでの議論にお付き合いいただいた多くの方々、レジュメのチェックをしてくれた友人、会うたびに励ましてくれたゼミ生の皆様、そして助言をくださった小島先生、本当にありがとうございました。

 今回は「表現の自由と著作権」というテーマで報告させていただきました。学び始めたばかりの知的財産法という分野を扱うにあたって覚悟はしていたのですが、やはり難しい点が多く、考えがある程度まとまった後もそれを文章に起こすことに苦労しました。なんとか報告の形にはできたと思いたいのですが、言葉足らずの部分が多かったことを反省しております。 と、ここまで報告準備段階の話をつらつらと書き連ねてきたのですが、実は極度の緊張のせいか報告当日の記憶が非常に曖昧で、上手くリポートをまとめられないような気がしております。とはいえ、色々と反省点はありますので、それをまとめたものをゼミ風景リポートとさせてください。

 反省点の一つ目は、結局著作権法の問題を論じることになり、あまり憲法論にならなかった点です。報告当日は日本版フェア・ユース導入論が主に議論されることになりました。今回の報告では、憲法上の問題として、表現の自由との衝突があるのかという考察をし、著作権法それ自体に問題がある(そこから国家行為という構成をとるわけですが)という観点から論じました。この国家行為(state action)という構成についてトムリンソンくんから「ご教授頂きたい」という恐れ多い言葉をいただいておりますが、一応はアメリカでのtortious speech論の分析枠組を下敷きにしております。ただ、検討不足甚だしいので逆に今度空き時間に「教えを乞いたい」です。

 また、関連するものとして、私人間効力という論点も考えなくてはならなかったと思っている次第です。実は、小島先生から私人間効力について(三菱樹脂事件と北方ジャーナル事件との相違点)の指摘も受けていたのですが、その議論を生み出すような問題提起をすることが難しく、結局取り扱うことができませんでした。これからの課題ですね…。

 二つ目の反省点は、「引用規定の解釈論」、「個別規定立法論」、そして「日本版フェア・ユース」の決定的な違いを打ち出せなかったことです。個別規定立法論は、議論の中で茶畑くんに指摘されたところですし(じょいさんのリポートを拝読して茶畑くんと議論がかみ合わなかった理由にようやく合点がいきました)、リポートではル・次期ゼミ長候補くんが引用規定解釈論を支持しているようです。私の考えは、①もはや解釈論には限界があるため立法をすべきではないか、②立法をするならばFair Use条項を導入すべきではないかという二段階構成でした。以下では、議論において説明が一番不足していたと思われるため、①の点についてイブくんのリポートにお答えする形で書いておこうと思います(決して白血球の恨みではないのでご安心を(笑))。

 解釈論の限界について、議論でも主張しましたが、拡大解釈をしすぎると法的安定性を損なうため一定の歯止めが必要であるという指摘ができます。確かに、阪本先生のおっしゃる通り、Fair Use条項も法準則ではなく個別衡量の手法に過ぎません。しかし、拡大解釈は不文の規定であり、結局のところどのような法律構成が採用されるかが明示されないため、どのような事情が考慮されるかが分かりにくいのではないでしょうか。日本版フェア・ユースであれば、どのような事情が考慮されるかがはっきりと明確に分かるとまでは言いませんが、拡大解釈よりはだいぶましだろうと思うわけです。つまり、個別衡量の手法にもその効果にグラデーションがあると指摘できるのではないでしょうか。また、個別規定の解釈論をいかに駆使しても権利侵害を否定し難いが、価値判断(特に表現の自由の観点)から権利侵害を否定すべきものがあると思います。その典型例がパロディ表現です。仮に表現の自由という観点から、パロディ表現を積極的に支援したいと思うならば、立法論で対処すべきではないでしょうか。つまり、日本の裁判例ではすでにパロディ表現が権利制限規定に該当しないという見解が確立してしまっている(この典型例として「バターはどこへ溶けた事件」東京地決平成13年12月19日があります)ように思えるところ、すでに解釈論からの解決は望めないと思われます。したがって、もはや立法のコスト云々を考慮する段階にないと考え、立法論としての解決の道を探ろうと試みたものが今回の報告でした。

 確かに、TPPとの関連で「Fair Use条項導入論が支持される可能性がある(そのため再考すべき)」という見解は短絡的だったかもしれません。ただ、レジュメではTPPにおけるアメリカ側の要求として「非親告罪化」だけを取り上げましたが、他にも「著作権保護期間の大幅な延長」や「法定賠償金の制定」などの要求があるようで、このような著作権保護強化傾向が社会で問題になる可能性はあるのではないでしょうか。米韓FTAにおいてこれと似た要求を呑んだ韓国が、その反動からフェア・ユースを導入したという状況を考えれば、日本も真剣にこの問題に取り組む必要があると思います。

 ②の立法論として「個別規定」か「Fair Use条項」かという点については、議論の中で詳しく取り扱った記憶があるような気がしてきましたので、ここでは割愛しますが、じょいさんのリポートが非常に分かりやすいので参考文献とさせてください(笑)。 そのじょいさんがリポートで指摘されていた刑事罰廃止についてですが、似た考えが著作権法の分野からも出てきているようです。この見解によると、海賊版の規制なども視野に入れると、刑事罰の全面廃止は難しいようですが、刑事罰の適用範囲を限定することが望ましいとされています(金子敏哉先生がこの見解を主張していたと記憶しております)。実を言うと、途中までFair Use条項ではなくこの「刑事罰の適用範囲」を報告の中心にしようと思っていたのですが、その範囲を明確に画定できるのかという疑問を払拭できず、結局この見解には賛同しかねるという私見に落ち着きました。この論点を報告で全く取り扱えなかったことが第三の反省点です。

 以上三つの反省点を挙げましたが、他のものを全て書き出すとあまりに長くなりますのでここでやめておきます。著作権法には多くの論点があるため、表現の自由との衝突という視点に絞って報告をしたのですが、力不足を痛感する結果となりました。ただ、報告後に今回司会を務めてくれたりちゃから「”意外と”面白かった」という言葉をもらったので、少なくとも著作権法という分野の面白さはお伝えできたかなと思います。私としても、これからもハイスコアガール事件の動向を見守っていきたいと思いますし、著作権法の在り方について考え続けていこうと思います。このような機会を与えてくださって(そしてこんなにも長いリポートを読んでくださって)本当にありがとうございました。

 来週は、報告準備中に深夜のマックで会ったようつーさんの国公立女子大に関する報告ですね。再婚禁止期間のグループ報告のときにお世話になった弁護士の先生が関わっていらっしゃる事案がありますし、その報告の時に読んだ文献の一つが配布文献でしたので、個人的にもとても楽しみにしています!

投稿者:茶畑

 第三回目の個人報告お疲れ様でした! 知的財産法を学んでいる最中ということもあって、今回の報告を楽しみにしていました。報告内容もしっかりまとめられており、分かりやすいものでした。

 Fair Use条項導入に関していくつか議論の中で思った事をまとめてみます(じょいさん補足ありがとうございます!)。Fair Use条項は、確かに法的紛争の中において個別的列挙条項によるものとは別に、自己の表現が原著作物の著作者の権利の制限として正当化される旨の主張を可能にする、という抗弁上の手段を新たに与えるという点で、「創造した成果を『財産権』として"過剰に"保護している著作権法制それ自体が重大な憲法問題を提起している」とされる問題に一つ解決をもたらすものであると思います。

 僕が気になった一つ目の問題として、表現者に萎縮効果をもたらすのではないか、ということがあります。ここではマスクさんがいうように、Fair Use条項の導入によってどの表現行為が正当化事由として許され、どの表現行為が許されないのかという判断が曖昧になる部分において表現者が萎縮する、という側面があると同時に、今まで問題になっていないような表現が正当化される余地が生ずるために萎縮が逆に減少する、という側面もあるように思われます。前者の側面について、Fair Use条項を設ける場合には、Fair Use条項で対象とされる典型的な表現の場合であっても原著作物の利用態様いかんによっては違法と判断されえ、また、裁判所が策定するその正当化基準自体(個別的条項であれば条文として明示可能なものも含め)が突如変動することもありうるため、裁判例の集積を勘案しつつ、その表現をする可否を個別的に、しかし裁判所から許容される表現であると確実には判断されえないことを念頭に検討する、という作業が必要であることを考えると、個別的列挙条項を設けるのとFair Use条項を設けるのとでは、後者の場合に表現者にとって微小ではあれども萎縮効果が生じやすいということはいえるのではないだろうかと感じています。

 次に、後者の側面について、「もしかしたら正当化事由として許容されるかもしれない」、個別列挙条項に無く、判例の集積も少ない(または無い)表現行為をするインセンティブが高まり、萎縮効果が減少することはその通りであるのではないかと思いますが、限界事例的な表現であり、当該表現が法的紛争で問題になりうることまで見越して当該表現をする表現者はおよそ損害賠償まで含めた裁判のリスクを負うことのできる私人であるように考えられるため、後者の側面における萎縮効果をFair Use条項の導入メリットとして考える際にはそれを享受する対象について検討する必要があるかもしれないというふうに思います。

 二つ目の点として、そもそも著作権法の目的が著作者の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することであることを考えると、著作者(ここでは二次的著作物の著作者)に不必要に萎縮効果をもたらし、表現のインセンティブを削ぐ可能性のある条項を著作権法の中に含めることに対する疑問が少しあります。議論中に考えが整理できませんでしたが、確かに原著作物の著作者の権利と二次的著作物の著作者のそれとの間の調整を図る条項であれば、それに従って表現行為を行う際にも、後者にある程度の萎縮性は必然的に生じることとなりますが、個別列挙条項を規定し ないがために生じる表現の萎縮は必然なものではなく、不必要であり、許されないと考えることができるのではないでしょうか。社会における表現活動のインセンティブを高めるという目的に資すために(その目的以外に正当化することが困難であるように思われる)、著作者に対する一定の排他的な権利の付与が許されているのであれば、避けることのできる表現の萎縮をあえてもたらす条項はなかなか著作権法になじまないかもしれません。他方で、原著作物の著作者の権利を保護することが全体としての表現活動のインセンティブを高めることに役立つのであって、Fair Use条項によってもたらされる二次的著作物の著作者の萎縮がそれに資するのだと考えれば、萎縮効果は問題ではないという評価もしえるでしょうが、その場合にはFair Use条項そのものの元来の目的との整合性が問われるかもしれません。

  「著作権と憲法」というテーマの本報告ではいろいろなことを考えさせられました。特に著作権法を学んでいる学生からはチャンスとばかりに発言がされましたが、それにしっかりとした答えで応答してくれたマスクさん、ありがとうございました! ところでのレポートではFair UseではなくあえてFaire Useと表記されているようですね。Faireはフランス語でmakeやdoの意のようですが、どのような含蓄があるのか気になりますね! 

 さて、次回は前期最終回の報告ということで名残惜しいですが、しっかり予習して臨みます!

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第13回(2015年7月17日・金)~個人報告④「国公立女子大学の違憲性」(報告者:ようつー、司会者:ムタ)

投稿者:ましゅ麻呂

 第4回個人報告のテーマはようつー君による「国公立女子大学の違憲性」でした。前期ゼミ最後というプレッシャー、且つ学部試験直前という中、深夜のマックでパソコンと向き合うようつー君はストイックそのものでした。お疲れ様でした!

 ではさっそく、内容について述べさせていただきます。報告者の私見は、国公立女子大学の存在意義の核心を「過去の差別の補償」という点に捉え、本件における男子学生への入学願書不受理処分は違憲となる、というものでした。その論理構成としては、まず特別意味説の立場から、憲法14条後段列挙事由を疑わしい差別と捉えることから始まります。同時に、当該事由と抵触する可能性のある事案への審査基準として厳格な基準を採用します。その上で、アファーマティブアクションによる逆差別の可能性を指摘し、「過去の差別の是正」という国公立女子大本来の目的が失われた今日では(言い方は微妙ですが)逆差別の側面が際立ってしまっている、とのことでした。大雑把にまとめただけなので、至らない点や理解が間違っている点等あったら指摘していただけると幸いです。

 個人的に気になった点について、三つほどお付き合いください。まず一点目ですが、そもそも国公立女子大学の存在意義は「過去の差別の補償」にあるのかという疑問です。たしかに、その側面は否定できないですし、重要な一要素を占めるものであることは違わないと思います。とはいえ、もはや現在においてはその性格は薄れ、「女性の育成、社会的活躍の促進」という目的達成のための政策的手段と捉えるべきなのではないでしょうか。そうなると、合理的関連性の基準を採用したとすれば、違憲という結論になるには議論があると考えます。

 次に二点目ですが、後段列挙事由を疑わしい差別として捉え論理展開することは、果たして実際の裁判で行われうるのかという疑問です。このような考え方を採用した判例があるのか気になります。最後に三点目ですが、入学願書不受理が行政庁としての処分であるのなら、今回の事案では訴えの利益なし(「法律上の利益」(行訴法36条)がない)として却下判決が出る可能性は完全に否定できないと考えます。実際に今回は、無効確認訴訟と国家賠償訴訟が提起されています。また却下されないとしても、本案審理の中で憲法判断まで踏み込むのかは確信がもてないところなのではないでしょうか。

 今回のゼミは前期最後ということで、コンパが催されました。予約をしてくれたカフェラテ君ありがとうございました! そして、特別ゲストとしてお招きした登山家憲法学の先生からは大変貴重なお話をいただけました。勉強になりましたし、とても楽しかったです。ご参加ありがとうございました! 二次会はワインとピザの安定の美味しさでした。ベストセラー憲法学の先生、ごちそうさまでした!! また、OBの方々、とても貴重なお話ありがとうございました!

 次にゼミの皆様とお会いするのは合宿のときだと思います。どんな合宿になるのか、今から楽しみでワクワクしてます! 合宿まで暑い日々が続くと思いますので、体調を崩さないようご自愛ください。それでは、今後ともよろしくお願いします。

投稿者:ようつー   #100

 前期最後のゼミ、お疲れ様でした。前期を締めくくるタイミングで自分の報告となり緊張しましたが、ひとまず終わってホッとしています。  

 さて、今回は現代における国公立女子大学の存在意義について報告を行いました。内容は、平等問題を審査基準論と法の下の平等に関する議論の両面から捉えなおし、審査基準論で関しては性差別事案において合理性の基準や厳格な合理性の基準を用いるデメリットを指摘した上で厳格な基準によって審査する立場をとりました。また平等の本質論に関しては、憲法14条1項の後段列挙事由を「疑わしい分類」に位置づけ、厳格な基準を用いるべきとしました。そして、設立当時に比して国公立女子大学はその達成目的自体が薄れ、憲法14条に反するとの結論に至りました。  

 本報告のテーマに関して直近に書かれた文献があまりなく、現在の状況に合った議論を展開するのに苦慮しました。また、「性別」以外の後段列挙事由については考慮できていませんでしたし、判例での審査のされ方とかけ離れていましたので、説得力に欠ける主張であった感は否めません。途中ましゅ麻呂さんから指摘がありましたが、国公立女子大学の存在意義に関しては、「過去の差別の補償」が核にあったと考えました。が、やはり「女性の育成」という目的も同様に重視されていたと考えています。また、女性リーダーの育成に国公立女子大学が寄与しているとして合憲の立場をとるりちゃくんの意見は説得力があったように思いましたが、やはり「女性専科」である国公立女子大学によって達成される必要性はなくなっているのかなと思います(何よりもりちゃくんが福岡女子大学の内部事情に詳しいことには驚きました)。さらに、国公立大学の法人化を経た今、国公立女子大学と私立女子大学を分けて考える意義はあるのかというじょいさんからの指摘がありましたが、私立女子大学の存在意義についても今後考えていけたらと思っています。  

 そして、南野先生ご出演の今日感テレビの録画を拝見した後、急きょ赤坂先生も合流されてコンパが行われました。前期に個人報告を行った4人が偶然同じテーブルに居合わせるという事態が発生したおかげで、互いの苦労を分かち合うことができ、とても有意義でした。お店の予約をしてくれたカフェラテ君、ありがとうございました。  

 今回の報告では、マスクさんのおかげで訴訟代理人を務めておられる弁護士の先生に資料の提供をいただきました。報告の方向性を迷ったときに一度資料に立ち返ることができ、報告者として非常に心強かったです。また、くんは直前の誤字・注釈チェックとレジュメの印刷を手伝ってくれました。本当にありがとうございました。他のゼミ生のみなさんも、報告の進捗状況等を気にかけていただきありがとうございました。  

 今回をもって前期のゼミが終わりということで、ゼミ生が一堂に会する機会がしばらくなくなり寂しい気もしますが、この夏は合宿や東京研修などのイベントでまたゼミ生のみなさんと共に活動できるのをとても楽しみにしています! 最後に、3年生は試験期間で大変だと思いますが、お互い乗り越えていきましょう! 前期の間、本当にお疲れ様でした!

投稿者:ムタ  

 前期最終回のゼミはようつーくんによる「国公立女子大学の違憲性」についての報告でした。ようつーくん含め、前期に個人報告をしてきた三年生は、試験期間も近く大変だったのではないかと思います。みなさんお疲れ様でした!  

 さて、報告者の私見は、国公立女子大学の歴史から、その目的を「過去の歴史の是正」と捉え、今日ではその目的の意義は失われているとして、目的審査で違憲という結論を導き出すものでした。ただ、報告者としては、個々の事情(理系女子研究者の育成など)によっては合憲といえる国公立女子大が存在すると考えているようで、もっと女子大の目的そのものについて考える必要があるのかなと思いました。この点については、ゼミの議論の中でも女子大に詳しい方々からいろいろな視点が示されていて、勉強になりました。  

 また、報告者は、目的によっては女子大が合憲になる余地があるとしつつ、一方で理学部などの「女性枠」は考慮方式ならば許容される(割当方式だと許されない)、としていましたが、この考えが一貫性をもったものなのか、少し疑問に思うところもありました。  

 ゼミの後はコンパがあり、偶然通りかかった赤坂先生にも参加していただきました。普段赤坂先生のツイッターを拝見していて、勝手ながら、お堅い先生なのかな、と思っていたので、気さくにいろいろなお話をしていただいて少し驚きました。ありがとうございました!  

 前期のゼミも終了して、そろそろ夏休みに入ることになりますが、九重合宿や東京研修、ディベート合宿など、たくさんのイベントがあるので、みんなで楽しんでいきましょう! 今年のディベートの問題も難しく、準備が大変そうですが、今年も全勝できるように、気合を入れて頑張りたいと思います!

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第8回東京研修旅行&4大学5学部合同ディベート合宿(2015年9月15日~19日)

投稿者:超強力機械

 先日、東京研修と他大学との合同ディベート合宿に参加してまいりました。 今年は民間企業の就活解禁時期が後ろ倒しになったため、東京研修・ディベート合宿も例年より少し開催時期が遅れましたが、去年参加した時よりも涼しくむしろ過ごしやすかったように思います。

 東京研修では今年も大手民間企業や行政庁、裁判所、日弁連などを訪問し、一学生ではそうそう経験できないような貴重な体験をさせていただきました。今回の研修で特に印象的だったのが、衆議院での江田五月さんとの懇談会です。正直なところ、「政治家」というものを胡散臭く感じていた私ですが、江田さんが目の前で直接学生とやりとりをしているのを見ながら、そのような偏見にとらわれていた自分を恥じる思いでした。私たちの質問に対して、一つ一つ丁寧に、簡潔に、そして論理的にお話をされていて、政治に対する考え方は別にしても、将来自分もこうありたいというふうに感じました。このように直接政治家の方とお会いできたことで、自分の考えも大きく変わったように思います。ここでは書ききれませんが、他の訪問先での出会いも私にとって新鮮で、多くの学びあるもので した。

 (特に昨年・今年は)お忙しい中訪問先の手配をしてくださった先生、そして快く私たちを受け入れてくださった訪問先の皆様、本当にありがとうございました。 東京での二日間は本当に充実したものでしたが、ただ、一日目の夜に体調を崩し OBの皆様との飲み会に参加できなかったことだけが悔やまれます…。研修前からずっと楽しみにしていたので、ホテルの部屋でマスクちゃんと二人しょんぼり落ち込んでいました。冬のOB・OG会には這ってでも参加しますので、その際に今回お会いできなかった先輩方とたくさんお話ができたらいいなと思っています。 OB・OGの皆様、お忙しいとは思いますが、もしご都合が合うようでしたら冬のOB・OG会、ぜひお越しになってください! 私が積極的におもてなしさせていただ きます!

 東京研修後は山梨に移動し、東京の3大学と一緒にディベート合宿に参加しました。今回、私が担当したのは「混合診療保険給付外の原則」に関する問題だったので すが、これは憲法だけでなく、行政法や健康保険法、生活保護法など幅広い知識が要求される非常に難解なテーマでした。メンバーとのスケジュールもなかなか合わない中で準備を行い、試合当日の朝まで話し合いを行ってようやくメンバー内の共通認識も固まった、というようなギリギリの状況でしたが、無事、試合では勝利することができました。この試合に勝つことができたのは専ら、行政法や社会保障法に関する圧倒的な知識量をもって話し合いを引っ張ってくれた茶畑く ん、そして積極的に議論に参加し、時には鋭い指摘をしてくれたアンテナバムの三年生3人のおかげです。私はメンバーの議論に圧倒されてばかりで正直全然役に立てませんでしたが、みんなとディベートに参加できて本当に楽しかったです!

 そして、今年は九大が幹事校ということで、試合当日も忙しく動き回ってくれていた合宿担当のアンテナの二人、本当にありがとう!100人を超える参加者をまとめ、無事合宿を成功させてくれた二人にはとにかく感謝の言葉しかありません。お疲れ様でした! (合宿後の山元先生とのプチ鎌倉旅行については、他のゼミ生から言及があると思いますので、ここでは省略させていただきます。山元先生、お忙しい中わざわざご案内いただきありがとうございました!)

 さて、今回の合宿が終わって間もないですが、今月末には早速初回ゼミですね。 初回はアンテナくんの報告ですが、ディベート合宿の準備が終わってすぐの報告 で、バテてしまわないか少し心配です。合宿を通して絆も深まったことと思いますし、後期からのゼミもみんなで張り切ってがんばりましょう!

投稿者:ガク

 今回の東京研修とディベート合宿は去年よりもより一層中身の濃いものでした。東京研修では南野先生の人徳と顔の広さのおかげで、会えると思ってもいなかったような有名人と会うことができ、またディベートでは負けると思っていたけれども逆転勝利を収めることができたからです。全てを語りつくすと文字数超過になりそうなので、心に残ったものをピックアップしていきたいと思います。  

 まず東京研修に関して述べたいと思います。一日目からTBS、日弁連と豪華な研修だったのですが、憲法学生のはしくれとして「報道ステーション」によく出演しておられる憲法学者の木村草太さんにお会いすることができたことは非常に嬉しかったです。大変フランクな方で南野先生のことを「おしげ」と呼ぶ姿が印象的でした。木村草太さんと南野先生が安保等の政治情勢に関して言葉を交えている姿を間近に見ることが出来て非常に満足でした。

 二日目は総務省、国会(衆議院)、最高裁を見て回りました。ここで南野先生の本領が発揮されることになるのですが、江田五月元参議院議長と枝野幸男民主党幹事長、辻元清美議員とお会いすることができました。一目見て、やはりテレビ越しで見るのと本物は全く違うのだと実感させられました。カフェラテが「衆議院と参議院の違いは?」と尋ねられ、緊張して「拒否権」などと間違った答えを言ってしまうのもうなずけるほどの圧力がありました(笑)。直接安保法案に関するお考えを聴くことが出来るなどと思ってもいなかったのでこのような場を設けてくださった関係者の方々に深く感謝したいと思います。他にも色々なイベントがあったわけなのですが泣く泣く省略させて頂きます。  

 次にディベート合宿について述べていきます。ディベートの立場としては正直不利な方であった(と思う)ため立論の段階から非常に苦労しましたが、さんとすが中心となって何度も話し合いを行った結果納得のいくものに仕上げることができました。また、去年は先輩に甘えてしまいあまり自分で考えなかったところがあったものの、今回は積極的に議論に参加することができたと思います。ディベート本番は、正直相手が非常に強く「負けてしまったか?」と思うこともありましたが何とか勝利をおさめることができました。特に反対尋問における私の相手が中々曲者で、想像を上回る回答に驚かされてしまう場面もあったため勝ったときは涙が出そうなほど嬉しかったです。「一緒に戦ってくれたさんとすカフェラテマスク茶畑るいす、本当にありがとう。最高のディベートになったな!」 ただ、勝ち負けが全てではないということだけはここに記しておきます。笑  

 最後に、本当に中身の濃い最高の4泊5日でした。南野先生、並びに快く私達の訪問を受け入れてくださった方々、そして合宿係として頑張ってくれたイヴアンテナ、本当にありがとうございました。南野ゼミの伝統としてこの行事がこれからもずっと続いてくれればと思います!!

投稿者:じょい  

 4泊5日の東京研修&ディベート合宿が終わりました。とりあえず、みなさまお疲れ様でした!今年は一段と内容が充実しており、目から鱗が落ちることばかりでした。以下、特に印象に残った日弁連、民主党、最高裁、ディベートに絞って述べたいと思います。  

 まずは1日目の日弁連ですが、何と日弁連会長が面会してくださいました。村越進会長は、人権擁護委員会の委員長も務められた方で、今後の刑事訴訟法改正の動きなどについてお話していただきました。具体的には、取り調べの可視化の対象事件をどのように拡大するかという点で、現在議論されている刑事訴訟法等改正をその足掛かりにしたいとのことでした。他方で、漸進的可視化を批判し、全面可視化を次回の改正で実現すべきだとする市民団体が、日弁連会館の外でビラを配っていたのも印象的でした。

 村越会長との面会の後、人権救済申立制度について説明していただきました。人権救済活動は、時間がかかる、法的拘束力がないという制約を抱えつつ行っているとのことでした。自腹を切ることもあるらしく、弁護士の情熱に感銘を受けました。勧告等を行った事例を見てみると、どれも有名なものばかりで、日弁連が動く社会的インパクトは大きいのではないかと思います。なお、司法修習生の給費制は、しばらく復活しないだろうというお言葉もいただきました…  

 次に、2日目の民主党ですが、辻元清美議員、枝野幸男幹事長、江田五月元参議院議長とお会いしました。お三方とも、長年議員を続けて来られたベテランで、テレビで見るよりもオーラがすごかったです。威圧感と言っても過言ではないかもしれません。我々の質問にも真剣に、かつ分かりやすく答えていただき、さすが言論を「生業」にしているだけのことはあるなと思いました。(「生業」の件を他の方にしたところ、漫才師を連想してしまうとのことでしたが、話し方がすごく上手だったという以上の意味はありません。)安保法案の採決が間近に迫っているという慌ただしい中で、貴重な時間を割いていただいて本当にありがとうございました。国会見学といえば、通常は参議院ですが、今 回は衆議院を見学することができました。見学をしたときは、ちょうど横浜で地方公聴会をしており、国会内は、嵐の前の静けさという言葉がふさわしいほどに落ち着いていました。  

 そして、東京研修を締めくくった最高裁ですが、何度来ても建物に圧倒されました。そういえば、「正門」と「西門」のハプニングもありましたね。今年は、最高裁が耐震補強工事中ということで、残念ながら裁判官室は見ることができませんでしたが、その他は昨年と同じように見学させていただくことができました。昨年は特に注目されなかった大法廷の書記官席も賑わいを見せていました。その後、櫻井龍子裁判官とお会いしました。守秘義務があるなかで、具体的な事件についてもできる限りお話していただきました。  

 場所は変わり、山梨で行われたディベート合宿についてですが、我々の班が担当した問題が難しく、最後まで立論の構成や内容に悩んだので、これで乗り切れるのだろうかと不安と緊張が入り混じっていました。立論シートを交換した後は、切り替えて、昨年同様、働かなくなる頭をコーヒーと栄養ドリンクでだましながら、徹夜でディベートの質問や想定問答を考えました。その時はきつかったですが、今思い返すと充実していたなと思います。ディベート本番は、最初かなり緊張しましたが、午後の班が、準備の時間を割いて応援に来てくれたので、気持ちが楽になり、質疑応答、最終弁論は落ち着いてできました。dtkくん、トムリンソンくん、トーマスくん、本当にお疲れ様でした! みんなのおかげで最高のディベートになりました。  

 最後に、東京研修・ディベート合宿のセッティングをしていただき、南野先生には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました! 冒頭で書いた通り、今年は一段と充実した内容で、深く印象に残りました。

投稿者:むにむに   #105

 4年生にして初めての東京研修が終わりました。私はディベート合宿には参加できなかったため、前半のみの参加となりましたが、非常に楽しく、南野ゼミに帰ってきてよかったと思いました。今年は去年と比べてもより訪問先が豪華となっており、学ぶことも多かったのではないかと思います。アポ取り等手配してくださった先生に感謝です。また合宿係の皆さんも事前準備から合宿中にかけて、忙しい中でよく仕事をしてくださったと思います。本当にありがとうございました。

 合宿中で印象に残ったのは、議員会館・衆議院訪問と櫻井龍子裁判官との座談会です。国会では辻元清美議員、江田五月議員、枝野幸男幹事長とお話しをすることができました。重要な法案の採決が行われる直前だったこともありお忙しそうでしたが、かなり長い間お話しをすることができありがたかったです。日本の未来について深く考えさせられました。 さらに記者会見の様子も拝見させていただきました。民主党の文字をバックにしたカフェラテガクくんの映えようはさすがでした(笑)。また国会を案内してくださった秘書の方は非常にキレキレの方で、本当に楽しく見学ができました。先生の急なボケにも瞬時に返答していたところも印象的でした。

 その後荘厳な最高裁判所を見学した後、櫻井龍子裁判官とお話をさせていただきました。法律や判例に関しても貴重なお話をいただきましたが、超強力機械さんが質問していた「女性にも拘らず男社会で生き残ってきた秘訣」について、「より多くの情報をキャッチすること、ネットワークを広げること」とおっしゃっていたのが印象に残りました。

 また東京での二日間はどちらも国会前のデモを見に行きました。初めて大規模な国民行動を目の当りにして、思うところが非常に多くありました。また国の歴史が変わる瞬間に生きているという実感がわき、これからも有権者として自分の考えを持ち発信していきたいと思いました。

 ディベート合宿は参加できませんでしたが、最終日の鎌倉観光ではもう一度ゼミのメンバーと、そして山元一先生にもお会いでき楽しかったです。 九重合宿に引き続き、今回私は4年生だけでなく3年生ともよく話ができたことがよかったです。また共に勉強ができる後期が始まるのが楽しみになりました。

投稿者:ましゅ麻呂

 東京研修・ディベート合宿お疲れ様でした。とても有意義で大変貴重な経験をさせていただいた五日間でした!! 関わって下さったすべての方々に、貴重な機会を与えてくださった南野先生に、この場を借りてあらためてお礼申し上げます。ほんとうにありがとうございました!! ひとつひとつの出来事が大変感慨深くすべてについて話させていただきたいのですが、そうなると分量的に報告の体をなしてしまうおそれがありますので、個人的にとりわけ印象に残った点を取り上げさせていただきます。

 東京研修の訪問スタートはTBSさんからでした。報道の現場を見られたことがとても刺激的で、東京研修から帰ってテレビニュースを見ると、画面以外の現場の様子が脳裏に浮かんできて凄く臨場感がわきます。普段何気なく摂取する情報がどのようにつくられているかを知れたことで、言い方はおかしいかもしれませんが、報道内容と自分との距離が縮まったように感じます。

 二日目は霞が関、日本の中枢へと訪問させていただきました。総務省、議員事務所、国会、最高裁とまわらせていただき、三権分立とお近づきになれた気がします。特に感激したのは、民主党の枝野幹事長がこの多忙な時期に時間を割いてお話してくださったことです。そして私のような浅薄な学生の質問に、理路整然と目を見て答えてくださったことにただただ感謝しかありません。テレビ画面からでは伝わらない凄みを感じました。新聞やニュースのみで政治家の方々の一挙一投足を捉え非難しがちな私たちではありますが、街頭演説等実際のお姿を拝見できる場に赴くことが、有権者として如何に大事なことであるかを思い知りました。加えて、南野先生のつぶやきを枝野幹事長も閲読されていることが判明しました。先生のつぶやきが如何に高い発信力を誇るかを垣間見ることが出来ました!!

 立法府の後は司法府を見学させていただきました。司法の最高権威だけあり、最高裁の建物はとても荘厳で背筋がピンとなりました。施設見学の後は櫻井判事にお会いできました。行政官から裁判官になられた経歴、とりわけ情報公開審査会の委員を務めた経験に基づくお話をしていただき、憲法と行政法ゼミに所属する私としては大変有意義な時間を過ごさせていただきました。会食の時間では、日本の根幹に携わる方とこんな気さくに話させていただいてよいものなのかと、畏れ多く感じながらもたくさんお話を伺えて大変楽しく刺激的なひと時でした。

 中身の詰まった東京研修の後は、四大学合同ディベート合宿@山梨に参加させていただきました。私が所属した第1班は混合診療禁止の問題を扱いました。非常に難解なテーマでしたがなんとか勝利を収めることができました。超強力機械さんの可憐さ、聡明さ、そして華麗な最終弁論には仲間である私たちさえも圧倒されました! 彼女なくして第1班の勝利はなかったと思います。そして的確な知識と隠れSっ気を如何なく発揮したバム。なにより、合宿係として膨大な業務に追われながらも積極的に話し合いに参加してくれたアンテナの二人には、何て言ったらいいのかわからないほど、感謝とねぎらいでいっぱいです。みんなとディベートできて、とても楽しく刺激的でした!! ほんとうにありがとう!

 夜の交流会では、ゼミ生のために福岡から山梨へと先生が戻ってきてくださいました!! ありがとうございます! 個人的には、先生と只野ゼミの学生がお話している中にまぜていただいたことが、なんだかとても新鮮でした。

 こうして濃厚な五日間を過ごせたのは先生のご尽力と幅広い人脈、もてなしてくださった全ての方々のおかげです。 私は昨年度、南野ゼミに所属していなかったためとても羨ましく感じておりました。今回参加してみて、本当に貴重な体験ができ、かけがえのない仲間をつくれました。このような素晴らしい機会を多くの学生に与えてくださり本当にありがとうございます。これからもゼミ一丸となり、思い出をつくっていけることを楽しみにしています!

投稿者:さんとす

 4泊5日の東京研修旅行・ディベート合宿が終わりました。昨年に引き続いて今年も参加させていただいたのですが、今年は時期が時期であったため、東京、特に国会前はある種異様な雰囲気に包まれていて、そうした状況を肌で感じる機会があったり、また富士山が見えなかったのは残念でしたが、ディベートの会場も新潟から山梨へと変更になったりと、昨年とはまた違った貴重な体験をすることができました。以下では、この期間中で特に印象に残ったことを中心に、簡単にこの五日間を振り返ってみたいと思います。

 東京研修一日目は、木村草太先生と昼食を共にした後TBS、そして日弁連を訪問し、夜にはOB会が開催されました。 日弁連では、取調べの可視化のお話が印象に残っています。可視化の問題について、僕自身は、今回の法律のメインは取り調べの可視化であったはずなのに、可視化が義務付けられるのはほんのわずかな事件に限定されたに対し、むしろ司法取引などの捜査権限の拡大が進められたのでは、という印象を持っていたので、弁護士の方々がこの法律をどのように評価していたのか興味がありました。この点、可視化の委員会に所属されている弁護士の方が、対象事件はたとえ全体の3%でも、全過程の録画を義務付けるのは大変大きな一歩であるということ、そしてこれをきっかけに、法案見直しの際などに可視化対象事件の拡大に努めていきたい、とお話されていたことが印象に残りました。この法案は今国会では成立しませんでしたが、今後の動向に注目してみたいと思います。

 OB会では、日弁連の弁護士の方の貴重なお話を聞くことができました。必ずしも正確な引用ではありませんが、「学生時代はとにかく勉強、ひたすら勉強、社会に出ても、いろいろ勉強ずっと勉強」といった趣旨の言葉が心に残り、これからこのことを実践できるように頑張ろう、と思えました。

 二日目は、午前中に総務省、午後にかけて国会見学と議員の方のお話、そして夕方から最高裁の訪問と盛りだくさんでした。この中で印象に残ったのは、まず枝野幹事長の選挙制度とデモの影響に関するお話です。小選挙区制は、そのときの情勢や党の名前といった追い風に乗っただけで当選する人を多く生み出し、それが議席数の大きな振れ幅となって現れる、そしてそうして当選した人は、デモに表れるような民意になかなか敏感になれないことがありうる、それに対して、情勢が向かい風になったとしても勝てる人はほんの一握りであり、そうした逆風での選挙を経験したことがある人は自然と民衆の声に敏感になる、といったお話で、とても勉強になりました。実際に、辻元議員は週末には選挙区に戻って盆踊りなどのイベントに参加したり、枝野幹事長は駅前で街頭演説をしたりと、お二人のように有名で長く議員をされている方でも、選挙のときに限らず地道な活動を継続的に行っているということを知って驚きました。  

 次に、最高裁では、今年も櫻井裁判官のお話を聞くことができました。その中で、最高裁判事15名の構成に関して、裁判官・弁護士・検察官・行政官・学者と、多様なバックグラウンドを持った人によって構成され、そうした背景の違いを実際の審議の中でも感じることがあるということ、そしてそうした違いがあるからこそ様々な角度から物事を見て議論することができ、事件に関する最終判断としての最高裁判決が国民の常識からかけ離れたものにならないようにすることができる、というお話が心に残りました。

 そしていよいよ山梨に移動してのディベート合宿です。ホテルに到着後、夕方から深夜にかけて準備を行いました。時間が経つにつれ、機能の低下により僕の口数が少なくなっていくなか、ガクくん・マスクさんが中心になって話し合いを引っ張ってくれました。チームに貢献できたかはさておき、去年よりも早く寝ることができて、何とか機能不全には陥らずに済んだかと思います。当日は午後の部ということで、他のチームの勇姿を見ることができなかったのは残念でしたが、当日の朝にも多少の準備をすることができました。緊張のためか、朝ごはんも昼ごはんもまともに食べられないままディベートに臨むことになりましたが、相手を威圧するカフェラテくんの立論、茶畑くん・るいすくんの(予想外の)強気の受け答えを目の前にして、自らを奮い立たせました。反対尋問の出来には多少の後悔がありますが、最終弁論は何とか乗り切ることができ、2時間程のディベートも思えばあっという間に終わりました。結果、みんなの頑張りのおかげで、只野ゼミ相手に、相手の反則による減点もなしに、勝利をつかむことができ、とても嬉しかったです。

 この五日間、非常に充実した中身の濃い毎日を過ごすことができました。この研修・合宿のために訪問先等の手配をしてくださった南野先生、そして今年は南野ゼミが幹事ということで大変だったかと思いますが、中心となってディベート合宿の準備をしてくれたアンテナくんとイブくん、そしてトーマスくん、本当にありがとうございました!

投稿者:パム

 皆さん、東京研修旅行、ディベート合宿お疲れ様でした。本当に色々な経験ができ、貴重な時間を過ごすことができました。各所にアポイントを取っていただき、さらに、憲法主義を掲げつつ僕たちを先導してくださった南野先生には本当に感謝しています。ありがとうございました。また、移動中、電車の乗り換えをリサーチしてくれたるいす君、各地で機を見た動き出しでお土産の通りもんを渡していたdtk君、ディベート合宿の幹事として尽力してくれたイブ君、アンテナ君、お疲れ様でした! 様々な出来事がありましたが、ここでは特に印象に残ったことを挙げていきたいと思います。

 まず、東京研修に関してですが、初日はTBS、日弁連を訪問させていただいたあと、南野ゼミのOBの方々との飲み会がありました。飲み会では省庁で活躍されているゼミの先輩方から、官僚になるためにゼミの議論にどういう姿勢で臨むべきなのかなど、有意義なお話を聞くことができました。

 翌日は、午前中に総務省を訪問させていただきました。総務省では、事前質問に丁寧に回答していただいただけでなく、座談会形式で政策の詳細な説明や、国家公務員としての仕事の様子まで説明していただいて、本当に貴重な時間を過ごすことができました。午後からは衆議院議員会館、国会で辻元清美衆議院議員、江田五月元参議院議長、枝野幸男民主党幹事長とお会いしました。安保法案の採決直前という時期に、実際に政権与党と闘っている現職の国会議員の方々から、現在の政治状況についてどう考えているかお聞きすることができ、素晴らしい経験になりました。国会見学では、とにかく建物の荘厳な造りに感嘆させられました。案内していただいた秘書の方がしてくださった、安倍首相のスピーチのトラウマのお話がとても印象に残りました。僕たちが見学している間は、横浜で地方公聴会が行われていたため、国会内はかなり静かでしたが、夜中のニュースでは昼間僕たちがいた場所が、安保法案の採決をめぐって大荒れしている状況が映し出されていて、不思議な気持ちになるとともに、国政がとても身近なものとして感じられました。

 三日目からは東京から山梨に移動し、ディベート合宿に参加しました。僕は第1問担当でしたが、混合診療については問題を見るまで存在すら知らなかったので、準備段階から理解に苦労しました。東京研修が始まってからも夜遅くまでましゅ麻呂さんに知識の整理を手伝ってもらったりなど、本当に大変でした。合宿係としてディベート以外の作業に追われていたイブ君、アンテナ君は忙しいなかでも勉強してどんどん意見を述べていて、合宿係でもない自分を奮起させてくれました。当日のディベートでは、超強力機械さんの圧巻の最終弁論で相手にとどめをさし、見事勝つことができました! 体調がすぐれない中で僕たちを引っ張っていってくれた先輩方、そして合宿係の傍ら、努力していた三年生の二人がいてくれたおかげで、ディベートを楽しく乗り越えられました。ありがとうございました!

 午後からは第2問チームのディベートを観戦しました。特に只野ゼミとのディベートは両者ともにハイレベルで見応えがありました。その中で、相手の怒涛の攻撃を上手くかわし続けていた茶畑君、普段は温厚ながら、ディベートではアグレッシブに攻めていたるいす君の姿が印象的でした。また、ディベートが終わると、東京研修旅行中から、常にじょいさんからディベートのレクチャーを受け続けていたdtk君に笑顔が戻っていました。出発日の福岡空港までのバスの中からディベートをとても心配していたdtk君の笑顔を久しぶりに見た気がしました。dtk君、お疲れ様でした。

 今回の東京研修、ディベート合宿を通して、自分の将来を考えるにあたっても参考になるような貴重な時間を過ごすことができたとともに、自分自身の足りないところについても思い知らされました。この5日間で学んだことを忘れず、来月から再開するゼミで努力していきたいと思います。

投稿者:イブ

 みなさん、東京研修、ディベート合宿お疲れ様でした。まずテレビの中でしか見たことのないような各分野の一流有名人の方々とお会いする機会を我々に与えてくださるため、依頼や日程調整等を行ってくださった南野先生には感謝の意を表させていただきます、本当にありがとうございました。他大学の人も羨むような充実した研修を送ることができ、数あるゼミの中からこのゼミを選び、先生に採用していただけた喜びを改めて痛感しました。また、東京研修担当ということで準備をしてくださったさんとすさん、ルイスdtkありがとうございました。 そして私と一緒にディベート合宿幹事校の幹事として動いてくれ、会計という非常に大変な仕事を引き受けてくれたアンテナ、それをサポートしてくれたトムリンソンも本当にお疲れさま、ありがとう。

 さて、ここからはこの4泊5日の出来事を振り返ってみたいと思います。 まず初日はお昼に報道ステーションでお馴染みの木村草太先生とランチをご一緒させていただきました。初めて生で見る木村先生は知的なオーラが漂っており 「新進気鋭」という言葉が似合うなといった印象でした。また「木村くん」と呼ぶ南野先生、「おしげ」と呼ぶ木村先生、おふたりの一見奇妙な関係もやたらと印象に残っています。

 その後はTBS、日弁連を訪問させていただきました。TBSでは主にスタジオなど報道の舞台裏を見学させていただき、さらに駒田アナウンサー高畑アナウンサーにもお会いすることができました。特に駒田アナのおっ しゃった「見ている人に伝えるということを意識した話し方」については後のディベート合宿の際にその難しさを実感し、テレビで平然と我々にニュース等を伝えているアナウンサーの実力、言葉だけで伝えることの困難さに気づかされました。またスタジオ等の見学のあとにしばらく1階のカフェでお茶をさせていた だいたのですが南野ゼミ2期生の先輩からここでは言えないような「興味深い」 過去のゼミのお話を聞かせていただき、先輩のガッツにはただただ肝を冷やすとともに改めてOBの方の凄みを実感しました。

 二日目は統治機構Dayでありまして、総務省、参議院、最高裁判所を訪問させていただきました。総務省ではゼミOBの方々や人事担当の方からお話をいただき、 座談会形式で質問の機会を設けていただきました。正直なところ私は総務省の業務にあまり知識がなく「なにが皆を総務省に駆り立てるのだろう」ぐらいにしか考えていなかったのですが、座談会で質問させていただいたいわゆる「忘れられる権利」の保護の問題など私が興味をもってG報告でも取り扱った表現の自由とも関連するようなお仕事が情報通信分野では多いようで、この数時間ですっかり総務省のお仕事に魅了されてしまいました。ちなみに、私は今回初めて中央省庁の建物に入らせていただいたのですが、建物内部の「国家の中枢」感たるや、筆舌に尽くしがたいなにかを感じました。一階からずっーと続く吹き抜けがそれを象徴しているようで、それを見上げ建物の雰囲気に圧倒される私に「この吹き抜けからは飛び降りられないんよ、ガラスがはってあるから」と横でささやくトーマスさんの横顔が異様に印象に残っています。なぜ彼が総務省の建物の構造に詳しかったのかは分かりませんが、彼もきっと建物からなにかを感じていたので しょう。

 次に行った参議院では辻元清美先生、江田五月先生、枝野幸男先生にお会いしました。このような非常に有名でお忙しいであろう方々にお会いできただけでも感激なのに、今回は安保法案成立前夜ということで国会内の空気感、動きなどよそでは決して聞けないであろうお話を聞くことができ、感動と緊張で変な汗が止まりませんでした。そんな中でもカフェラテ君はやはり堂々としたもので、江田先生に衆議院と参議院の違い(答えは天皇陛下の御席がある点)を尋ねられた際には「拒否権」と答えるファインプレーを見せていました。後に一橋の只野ゼミから恐れられる男はすでにこのときからその片鱗を見せていたのでしょう、脱帽です。

 三日目以降は山梨の石和温泉(いさわおんせん)に移動し、早稲田大学・慶應義塾大学・一橋大学との合同ディベート合宿に参加しました。今年は我々南野ゼミが幹事校で、さらに私とアンテナはその幹事ということで運営等に気を配りなが らの人生初ディベートだったため非常に不安に思っていたのですが、同じ班の超強力機械さん、茶畑…ではなくましゅ麻呂さん、バムの協力・活躍のおかげで無事に勝利を収めることができました。特に4年生のお二人の活躍ぶりが素晴らし く、徹底的に質問で相手を追い詰めるキレッキレのましゅ麻呂さん、「立って (最終弁論して)もいいですか?じゃあ立っとこ☆」の一言で会場にいた全員を虜にした超強力機械さんの勇姿は目に焼き付いています。ただ、勝ったとはいっても自分の貢献度は自己評価的には低かったと思っており、点数も僅差であったため、来年は今年の南野ゼミVS只野ゼミのディベートに負けないような質のディベートをできるようにまた1年間憲法の勉強を頑張らなければならないなと気が引き締まる思いです。

 ディベート合宿後は東京に戻り、「いざ鎌倉!」ということで鎌倉に東京研修番外編ということで向かいました。鎌倉につくと前日までディベート合宿でお世話になった山元一先生が現れ、まさかのアテンダントを行ってくださるという素敵なサプライズがありました。ご多忙の中私たちのためにアテンダントを行ってくださったことをこの場を借りて、改めて御礼申し上げたいと思います。ありがとうございました。

 そんな山元先生に率いられ、私たちは鎌倉では鶴が丘八幡宮、大仏、オーシャンビュー寺こと長谷寺を訪れました。九重合宿に引き続き大仏をwatchした今期の南野ゼミはもう立派な大仏ゼミと言えるでしょう、南無三。また長谷寺では弁財窟という狭い洞窟に入ることができたのですが、一同が天井の低さゆえに姿勢を低くしながら進むなか、おもむろにスッと背筋を伸ばし たムタさんが放った「あ、私普通に立てるじゃん。」発言に周囲の男性陣は和まされたことでしょう。もちろん私もOne of them。

 このように今回の東京研修・ディベート合宿は私の人生の中でも非常に大切なことを学ぶことができる機会となりました。いつまでもこの余韻に浸っていたいところですが、そろそろ通常運転に切り替えなければなりません。次回はりちゃくんの報告です。彼は過去に紙幅を「しはば」と読むなど漢字に弱い一面がうかがわれましたので、次回の個人報告でも彼のそんなお茶目な一面が見られることを楽しみに、予習用文献が配られるのを待ちたいと思います。

投稿者:るいす   #110

 皆さん、東京研修・ディベート合宿お疲れさまでした。お忙しいなか、非常に豪華な訪問先の手配をしていただいた南野先生には本当に感謝しています。ありがとうございました! 東京研修では特にさんとすさんやカフェラテに頼りがちになってしまい係として反省すべきことが多かったです。ディベート合宿は忙しいなか多くの学生をうまくまとめていたルとアンテナのおかげでスムーズに進行していったと思います。ありがとう!

 まずは東京研修についてです。東京着後、昼ご飯は気鋭の憲法学者である木村先生といただき、その後のTBSでは報道スタジオの見学をしました。駒田アナウンサーやニュース編集長からは案内のみでなく実務の話もしていただき貴重な時間となりました。見学の際に、ある芸能人が近くにいたことではしゃいでいたトムリンソンはなんだかおもしろかったです。その後の日弁連・OB会も充実していました! 

 1日目から貴重な経験ばかりさせてもらいましたが、二日目に訪問した総務省が特に印象に残っています。公務員志望の私にとって総務省の職種には興味があったのですが、行政管理分野・情報通信分野の魅力を詳しく知ることができました。特に情報通信分野においては、急速な技術革新の中でいかに社会的課題をみつけICT政策を打ち出していくかという点が魅力的で、すでにipadやwifiで国民の生活に浸透していて利活用の仕方が豊富であるこの分野に総務省がどう関わっていくのか興味深いところです。座談会では総務省の取り扱うクラウドの危険性、他の省との関係、学生時代の過ごし方、就職してからのスキルアップについて等々、非常に深くお話をしていただきこれからのモチベーションが非常に高まりました。総務省について新しく知ることばかりだったので、これからは今まで以上にしっかり職種の研究をしていこうと思います。

 その後は議員会館等に訪問し、枝野幹事長江田元参議院議長辻元議員との懇談会では議員たちの熱い思いや誠実さというものを強く感じました。御三方ともオーラがものすごく、お土産を渡すタイミングがうまくいかなかったのは反省点です…。国会見学では一つ一つの部屋や構造はもちろんですが、流暢でユーモラスな案内をしていただいた秘書の方が最も印象的です。些細な情報(小ネタ?)まで丁寧に説明してくださり、非常に有意義な時間でした。夕方に訪問した最高裁では櫻井裁判官のお部屋を拝見できなかったのは残念ですが、とにかく建物の造りに圧倒されました。特に法廷のただならぬ厳かさは感動ものでした。

 ディベート合宿では、行きのバスからディベート開始まで緊張しっぱなしでしたが、いざ本番が始まるとほどよい緊張感の中議論できたことはよかったです。取り扱った第二問は同性愛者と刑務所が絡んでいて今回は刑務所の実務的なところが争点となりましたが、後に講評であったようにもっと憲法論に踏み込むこともできたのかなと感じました。私たちのグループは只野ゼミとの対戦でしたが、ディベート中の振る舞いや論理のたてかたには圧倒され、さすがは一橋大生だと思いました(後に今回のディベートの準備の仕方を聞いて、さらにそう感じました…)。個人的にはまだまだ相手からの質問に冷静に反論し返せる力が足りないなと感じました。結果的には勝つことができ、今回のディベートを通して学んだことは大きかったです。準備の当初から話し合いをうまくまとめていただき、本番でも相手に巧みに反論していたさんとすさん・ガクさん、積極的に話し合いに参加し困ったときには自分に助言もしてくれたカフェラテマスク茶畑が同じグループで本当によかったです。頭がキレキレな方たちばかりで心強かったです!

 夜の宴会ではある2人の豹変っぷりはさておき、私は只野ゼミの方々と多く話をしていました。きくところ福岡についてのイメージは様々なようで天神や博多が危ない町でしょといわれたときは驚きました…。ぜひ福岡に訪れて魅力を感じてほしいものです。 あっという間の4泊5日でしたが、本当に充実した経験をすることができました。こんなに有意義な経験をさせてもらったので、後期からは何事にも今まで以上に頑張っていきたいです。皆さん後期からもよろしくお願いします。

投稿者:ようつー

 東京研修&ディベート合宿お疲れ様でした。企画が盛りだくさんですごく充実した5日間になりました! 東京研修の1日目はTBSと日弁連、2日目は総務省、国会、そして最高裁に伺いました。以下では特に印象に残った体験について書いていきたいと思います。

 初めに伺ったTBSではスタジオ見学等をさせていただきました。そこで、バラエティー番組から報道番組まで幅広い分野でご活躍されている駒田アナウンサーとお会いする機会を得ました。先日の東日本豪雨で現地に飛んだスタッフとしての経験、また最近では、アナウンサーやカメラマンといった職業の垣根がなくなりつつあるという現役アナウンサーならではのお話をしてくださり、とても有意義な見学になったと思います。

 続いて、2日目に辻元清美議員枝野幸男幹事長江田五月元参議院議長とお会いしたことについて。他のゼミ生のみなさんも書かれていますが、お三方とも我々学生にも論理的に、かつわかりやすくお話してくださいました。テレビでお見かけする以上にオーラがあり圧倒された一方、時折素の表情を垣間見ることができ非常にいい体験になりました。安保法案の採決直前ということもあり非常にお忙しいところにお邪魔したと思いますが、貴重な時間を割いて学生の相手をしてくださったことに心より感謝申し上げます。

 ディベート合宿では第2問の違憲側として中島ゼミと対戦しました。班の全員が揃う機会は多くありませんでしたが、限られた時間の中で密度の濃い話し合いを行い、立論を作り上げていきました。結果は負けてしまいましたが、立論の構成や合憲側への質問(攻撃)等のポイントで審判の方から一定の評価を得られることができたことはよかったと感じています。対戦を通じて相手方のディベートに対する慣れをつくづく感じました。やはり、自分たちの主張を貫き通すという点では相手の方が一枚上手であったのかなと思っています。立論の作成を始めとして班員をリードしてくださったムタさん、合憲側に対してキレのある反論を展開し、最終弁論で違憲側の主張をまとめてくださったパーカーさん、立論担当という重責を果たしてくれたりちゃ、そして議論を盛り上げてくれたテンパーの4人の方には本当に感謝しています。1か月間共に勉強してきて学ぶことがとても多く、自分に足りないものを感じさせられた機会になったと思います。

 東京研修係のルイスdtk、ディベート合宿係のアンテナの4人お疲れさまでした。東京研修ではタイトなスケジュールの中、ゼミ生全員の行動を統率してくれてありがとうございました。また、今年のディベート合宿は幹事校ということもあり、お金のやり取りや他のゼミとの意思疎通等の事前準備、当日の陣頭指揮などが大変であったと思いますが、何ら滞りなく進行してくれてありがとうございました。そして、先生には先方とのアポなどを通して我々ゼミ生に貴重な機会を設けていただき、ありがとうございました。 後期からは再びゼミの報告が始まります。5日間の経験を生かして積極的に議論に参加できるようにしていきたいと思います。

投稿者:トムリンソン

 皆さん、東京研修・ディベート合宿お疲れさまでした。この5日間は私の人生の中でも最も密度の高い5日間でした。このような大変貴重な機会を設ける為にご尽力してくださった南野先生、ありがとうございました。以下、簡単ではありますが、東京研修とディベート合宿を振り返りたいと思います。

 初日は、7時30分という朝早い時間帯に集合でしたので、遅刻者がでないか心配していましたが、無事全員揃って飛行機に乗ることができました。東京につくと、いったん荷物をホテルへおき、まずは赤坂へ向かいました。赤坂では、木村草太先生と木村先生の奥さんと一緒にランチをする機会を設けていただきました。残念ながら、席の関係上あまりお話することはできませんでしたが、日頃から勉強のため愛用している木村先生ご著書の『憲法の急所』に「楽勝」の文字とともにサインを頂くことができました。(ル・イブくんの絶妙なアシストのおかげです。ルくん、ありがとう。)  

 この木村先生とのランチだけでも東京にきた目的足りうるのに南野ゼミの東京研修初日はまだまだ終わりません。次は、同じ赤坂にあるTBSへ向かいました。TBSでは、あの「Nスタジオ」の見学や報道制作の裏話等をお聞きすることができました。また「ひるおび」の生放送を行っているスタジオにもお邪魔することができ、そこにはもちろん私の高校の大先輩であるホンジャマカの恵さんもいらっしゃいました。偉大な先輩を前に緊張したため、話しかける唯一のチャンスを逃したことは今でも心残りです。  

 2日目は、まずは総務省へと向かいました。総務省では、主にICT関連のお話を聞くことができました。また、ゼミOBであり現在総務省で働いている方々とも、近い距離でお話することができ、とても有意義な時間を過ごすことができました。総務省を後にし、次は議員会館と衆議院の見学へと向かいました。衆議院では、衆議院議員の辻元清美先生、元参議院議長の江田五月先生、民主党幹事長の枝野幸男先生という大変有名な方々のお話を聞くことができました。また、この日は安保法案が特別委員会で可決される前日で、国会内も騒然としており民主党議員は「禁足」が命じられていたそうです。そのようないわばイレギュラーな状況であったにも関わらず、どの先生も質疑応答を含め、親切かつ丁寧に対応してくださり、先生方の政治家としてのお考えだけでなく、お人柄の良さをも知ることができました。  

 2日目の最後は、最高裁判所へと向かい、最高裁内部を見学した後、櫻井龍子裁判官との懇談会を行いました。櫻井裁判官も私たちの質問1つ1つに丁寧に答えてくださり、普通に生活しているだけでは絶対に経験できないような時間を過ごすことができました。

 かなり詳細は省いていますが、以上で大満足の東京研修は終了し、3日目からはディベート合宿が行われる山梨へと場所を移しました。私は、dtkくん、トーマスさん、じょいさんと同じグループで「混合診療」に関する問題を合憲とする立場からディベートを行いました。今回、ディベートに初めての挑戦ということもあり、様々な不安を抱えつつディベート本番を迎えましたが、前日のほぼ徹夜の特訓が功を奏したのでしょうか、無事ディベートに勝利することができました。自分が理解していることを相手に伝わりやすく、かつ論理的に話すことの難しさとそれを達成できたときの喜びをこのディベートを通して学ぶことができ、また一つ人間として大きくなれた気がします。  

 今回の東京研修とディベート合宿を通して、ほかのゼミでは絶対に味わえないような貴重な経験をすることができました。改めてこのような機会をもうけてくださった南野先生にお礼を申し上げたいと思います。南野先生、本当にありがとうございました。今回の東京研修とディベート合宿で得たものを今後のゼミ活動にも生かしていきたいと思います。

投稿者:トーマス

 5日間の東京研修・ディベート合宿が終わりました。皆さん、お疲れ様です。去年の出来事も記憶に新しいですが、今年はより豪華で貴重な経験ができました。今回のためにお忙しい中様々な準備をしてくださった南野先生、本当にありがとうございました。また、今年は九州大学がディベート合宿の幹事校であり、分からないことが多く大変な中で頑張ってくれたイブ君・アンテナ君もありがとう。また、二人の進行がスムーズになるように動いてくれた3年生もありがとう。以下では、個人的に特に印象に残った出来事を書きたいと思います。  

 まず、1日目はTBS、日弁連に訪問させていただきました。TBSでは、ニュースが伝わる際の裏側まで知ることができてとても興味深かったです。また、駒田アナウンサーにお会いした時に、アナウンサーがいかに言葉に気を遣っているかを聞くことができました。どの場においても言葉は必要不可欠であるので、実際に言葉を伝える仕事をしている人のお話を聞くことができたのはとても良い機会となりました。また参議院とデモでの話ですが、長妻議員や実際に会った議員さんの話し方がとても印象に残っていて、話や言葉遣いが下手な自分は、見習って真似していきたいと思います。あとミーハーで申し訳ないのですが、先生の影響もあってかAKB総選挙をドームに観に行って以降AKBに少し詳しくなってしまったので、ひるおび撮影中にスタンバイしていた元AKBの倉持明日香さんをみて少し感動していました。

 その後は日弁連を訪問しました。人権擁護員会の方の話の中で、外国人技能実習生の待遇問題についての話が印象に残っています。自分の周りでは気付かない所で、外国人を過酷な労働環境に押し付けている現状が日本でも実際にあるということを知り衝撃を受けました。今後のジョイ君たちの活動に期待したいと思います。

 2日目は、総務省、参議院、最高裁判所を訪問させていただきました。総務省に訪問した時は、初めてだった(と思う)…のですが、なぜか懐かしい気持ちもありつつ胸がドキドキしていました。イブ君も感じていたように、自分も「国家の中枢」である建物に圧倒されていたのでしょう。そこでは、九州大学経済学部を卒業された方から業務の説明を聞いた後にグループ別で様々な質問をさせてもらいました。自分のグループを担当してくださったのはOさんでした。いつも相談に乗ってもらってはいたのですが、今回はOさんの働く姿を垣間見ることができました。Oさんは話の中で、国家公務員として働くにあたって、公共サービスを受ける側の国民目線を常に意識しないといけないということをおっしゃっていました。(間違えていたら申し訳ありません。)確かに、自分の所属する組織のために行動しているのでは、なんのために働いているのかわからなくなりそうです。国家公務員だけではなくどの組織に入ったとしても、何が目的なのかを考えてそれにふさわしい行動をとるというのは必要なことだと思うので、Oさんの話をしっかりと肝に銘じておきたいと思います。  

 なんとか総務省を乗り越えた後は、参議院を訪問しました。ここでは、辻元清美議員、江田五月議員、枝野幸男議員にお会いしました。個人的には、同じ岡山県出身の江田議員にお会いできたのが特に嬉しかったです。また、江田議員の息子さんと秘書(?)さんが自分と同じ高校出身だったのですが、今まで卒業生の活躍している話を聞く機会がなかったので、実際に会うことができて自分も頑張ろうという気持ちになりました。また、その後江田議員がお話の中で今の政治の状況について、「1970年代から国政に携わっているけれども、こんな風にするつもりはなかった」(不確かですが)というようなことをおっしゃっていたのがとても印象に残っているとともに、今の政治状況にさらなる危機感を持ちました。

 東京研修後はディベート合宿のために山梨県に向かいました。今回は審判団も認めるほど難しい「混合診療保険給付外の原則についての問題でしたが、じょいさんを中心にトムリンソン君、dtk君で頑張りました。当日は、トムリンソン君の完璧な立論から始まりました。東京研修中もずっと立論を読みこんでいた成果がでたのだろうと思います。また、じょいさんにしごかれ、ディベート前日も午前5時半まで頑張っていたdtk君は、反対尋問をなんとか乗り切り、その後には相手のミスを誘うような質問をしていました。そして、ここぞとばかりに相手のミスにつけ込んだじょいさんの完璧な最終弁論でディベートは終了しました。結果としては、勝つことができました。結果が分かった直後のみんなの表情は忘れることができません。東京研修直前に自分の家で夜通し準備したのも今ではいい思い出です! あまりチームには貢献できませんでしたが、楽しく準備もできディベートに臨むことできました。3人ともありがとうございました。

 今年の東京研修・ディベート合宿は、去年よりもさらに貴重な体験になりました。最初にも書きましたが、先生、準備してくれたみなさん本当にありがとうございました。今回が最後となると少し悲しい気持ちになりますが、また後期のゼミに向けて楽しく頑張っていきたいと思います。

投稿者:ムタ

 先日、毎年恒例の東京研修・ディベート合宿が行われました。終わってから振り返ってみても、昨年と比べ内容がさらに充実したものになっていたように感じています。  

 まず、1日目は、木村草太先生とお昼ご飯をご一緒させていただいたあと、TBSへ行きました。TBSでは、ずっと気になっていた犯罪報道における加害者の実名報道について報道部の方にお話を伺うことができました。知る権利とプライバシーの利益とを比較衡量して、現在は実名報道をしているというお話をされていましたが、比較衡量をした場合になぜ知る権利が上回ることになるのか、まだ少し疑問に思っています。ただ、これは、TBSの方もおっしゃっていた通り、短時間では語ることのできない、簡単に答えの出ない問題だと思うので、これからも納得するまで考えてみたいと思います。  

 そして、その後は日弁連を訪問しました。日弁連会長にお目にかかることができるというだけで、弁護士志望の私にとってはこれからのモチベーションになりましたが、今回は偶然東京にいらっしゃった福島弁護士など、他にも多くの弁護士の先生方のお話を伺うことができ、良い機会に恵まれたなあと思っています。特に、私は取り調べの可視化の問題に興味があったのですが、実際に弁護士の先生方がこれについてどう考えているのか、そして弁護士としてどう活動していくべきなのかをお話していただいて、広く社会の中での弁護士活動のあり方というものを示していただいたような気がしています。  

 そして、夜はOB会がありました。先輩方とお話しするのはOB会や卒業式の日以来でしたが、皆さんお元気そうで、普段から銀座の夜を楽しんでいらっしゃるようでなによりでした。またOB会でお会いするのが楽しみです!  

 2日目は、総務省へいった後(働く先輩方の姿がなんだか新鮮でした)、国会へ行き、衆議院を見学してから江田五月議員、枝野幸男議員、辻元清美議員のお話を伺いました。ベテランの議員さんなだけあって、オーラがあり、質問にもわかりやすく答えてくださって、何期も当選し続けることにも納得するような気がしました。そしてその後は最高裁へ行き、櫻井龍子裁判官にお話を伺いました。その後の食事会でも、たくさんのお話をしていただきましたが、どのお話を聞いていても、やはり最高裁は判決が他の国家機関や、社会に与えるインパクトをすごく計算するものなのだなあと感じました。  

 東京研修が終わった後、3、4日目は山梨でディベート合宿が行われました。ディベート自体についてはあまり良い思い出ではないので詳しくは振り返らないことにしますが、やはり準備が足りてなかった面は否めないなあと思いました。しかし、限られた時間の中では精一杯準備はしましたし、前日の夜もみんなで頑張ったので、悔いはありません! 来年からまた全勝できるように頑張ってほしいですね。ディベートを終えたあとは全体での飲み会があり、私はコモクさんと一緒に阪口先生、山元先生、南野先生の鼎談を聞かせてもらっていました。その後部屋に戻ってからもその続きを聞けて、なんだか贅沢だなあと思ったりしていました。また、酔った山元先生はかわいいという山元ゼミの方々の話は本当なんだな、と思いました。  

 最終日は鎌倉観光へ行きました。鎌倉在住の山元先生がお忙しい中案内をしてくださったおかげで、限られた時間の中で本当に充実した観光ができたと思います。特に私は洞窟のような場所がすごく好きなので、長谷寺はとても楽しかったです! 山元先生、ありがとうございました。  

 今年の東京研修・ディベート合宿も、とても充実していて、貴重な体験をたくさんさせて頂いたなあと思います。お忙しい中訪問先の手配などしてくださった南野先生、そして東京研修・ディベート合宿係の皆さん、本当にありがとうございました。後期からもまたみんなで頑張っていきましょう!

投稿者:りちゃ   #115

 4泊5日の東京研修+ディベート合宿お疲れ様でした。木村草太先生と昼食、TBS、日弁連、総務省、国会議事堂、衆議院、最高裁など普段の生活では体験できないようなことばかりで、充実しすぎた東京研修でした!!

 研修の中では特に国会議事堂の衆議院見学と最高裁の見学が印象に残りました。国会議事堂では安保法制成立直前という緊迫した雰囲気の中で辻元清美議員、江田五月元参議院議長、枝野幸男民主党幹事長とお会いするというたいへん貴重な機会に恵まれ、また、通常はなかなか見学することのできない議事堂の中も色々と見学させていただきました。最高裁では小法廷、大法廷の見学の後に、櫻井龍子裁判官とお会いしてお話を伺うことができました。恥ずかしながら、今回お話を聞く中で初めて、長年法曹として活躍してきた方だけでなく、あらゆる分野で活躍されてきた方々が最高裁判事として任官されるということを知って驚くとともに、そういった背景があるからこそ最終的な判断を下すのにふさわしい場所であることを再認識し、感銘を受けました。

 3日目以降は山梨で早稲田、慶應、一橋との合同ディベート合宿がありました。このディベートに関してはかなり悔しい想いをし、反省すべき点も多々ありますが、ディベートの準備を通して憲法の学習が深まったり、学生間の関係も密になったりと、この合宿に参加できて心から良かったと思っています。また、ディベート合宿のコンパでは、いつも冷静で的確な指示を出してくれるテンパー君の最終形態や、いじられ愛されキャラの茶畑君が他ゼミの女の子とノリノリでハイタッチをして盛り上がっている様子などの新たな一面も見ることができて、ただただ楽しかったです。

 最終日は慶應の山元先生に鎌倉を案内してもらうという豪華企画で、鶴岡八幡宮や大仏を拝みに行くことができました。今まで鎌倉に行ったことがなかったので、今回ゼミのみんなで行くことができてよかったです!

 この5日間はここでは書き表すことのできないくらい濃いもので、一生の思い出になりそうです。 一緒にディベートの準備をしてくださったムタさん、パーカーさん、てんぱーくん、ようつーくん、ディベート合宿の幹事を務めてくれたイブくんとアンテナくん、東京研修の係をしてくださったさんとすさん、るいすくん、dtkくん、ありがとうございました。 そして何よりもこのような素晴らしい機会を作ってくださった南野先生、本当にありがとうございました。研修の企画・訪問先の手配のみならず、ディベート合宿最終日には一度戻られた福岡から再び山梨にかけつけてくださって感激でした!!!  

 今回の研修で学んだこと、掴んだもの、モチベーション、全て後期のゼミに生かしていけるように精進していきたいと思います。ありがとうございました!

投稿者:マスク

 皆さん、東京研修とディベート合宿お疲れ様でした。東京研修では、普段お会いすることさえできない方々からお話を拝聴することができ、貴重な体験ばかりさせていただきました。そして、ディベート合宿では、一橋の只野ゼミとの対戦を経て、ディベート力はもちろん、臨機応変に対応する力も身についたと思います(詳細は後述)。これまで「地の不利」というのは九州大学の弱点だと思ってきましたが、たとえ首都圏にいたとしても今回のような経験はできなかったと思います。南野先生、私たちにこのような機会を与えてくださって本当にありがとうございました。また、ハードスケジュールを上手く回してくれた東京研修担当のゼミ生、幹事校であったディベート合宿を素晴らしいものにしてくれたディベート合宿担当のゼミ生にも感謝しています。参加できて本当に良かったです。前日に点滴を打って正解でした(笑)

 今回リポートするにあたって、時系列に沿って書こうかとも思ったのですが、既に他の方々が詳細を書いてくださっているので、東京研修については自分の学んだことを中心に据えるという少し別のアプローチをしてみようかと思います。学んだことというのは、「その人を知るということの大切さ」です。今回の研修では、マスメディア関係、政治家、官僚、弁護士、裁判官という様々な職種の方にお会いしました。しかしながら、このように職種としてまとめてしまうと、実際の人物と乖離した無味乾燥な響きになってしまうように思います。というのも、これまでの私には、上記のような職種(弁護士の方はお会いしたことがあったので除きますが)に対して、自分と遠いところにいる人たち、といった考えがあり、それが無関心ひいては不信感に繋がっていたのです。血の通った人間であると思えていなかった。想像力が足りていなかったのだと思います。ところが、今回の研修で、実際に働いている方々のお話を拝聴して、その考えは変わりました。一人一人が、葛藤しながらも熱意をもって自分のやるべきことに対峙している。そういったことにやっと気づけました。

 TBSでの犯罪加害者の実名報道の話、辻元清美先生の地元に寄り添った活動、江田五月先生と枝野幸男先生の法学的思考に基づいた安保法制に対する見解などをお聞きして、これまでの私がいかに無知であったかを知ることができました。報道・政治・行政・司法、どれも私たちの生活に近いものであるはずなのにいつの間にかそのことを忘れていました。今回、実際に働く方のお話を拝聴でき、さらには生の現場を拝見することができて本当に良かったです。これからは、社会の動きを単に集合体の動きとして見るのではなく、そこにいる一人一人の存在を意識して、自ら積極的に知ろうとする姿勢を忘れないようにします。

 東京研修のリポートが自分の考え中心のものになってしまいましたので、ディベート合宿はもう少し周りのことも含めてリポートいたします。 今回ディベート合宿が行われたのは山梨県の石和温泉。9月中旬の散策に出たらとても心地よいであろう気候の中、到着してからほとんどの時間をディベートの準備に充てました。さんとすさんとガクさんが率いる私たち第二問合憲班は、ムタさんとパーカーさんが率いる第二問違憲班と同じ部屋で準備をしていたのですが、違憲班が真面目に机に向かっている中、どうも我らが合憲班は自由人が多かったように記憶しています。個人的には、ディベート当日の最終準備中に一人温泉につかりに行った茶畑くんのことが忘れられません(笑) 本番で相手側の想定外の質問に見事な対応をしていたのですが、温泉の効果もあったのでしょうか…。

 かくいう私も、最終準備中に午前の部の観戦をしに行っておりました。一部しか見ていないのですが、反対尋問を受ける側であるはずなのにあまりに的確な返答をして相手チームを圧倒しているじょいさん、淡々とした口調ながら相手チームの弱点を攻撃しているましゅ麻呂さん、反対尋問おわりにめちゃめちゃどや顔をしていたイブくん…と見どころばかりでした。案の定、2チームとも勝利して、午後の部の2チームは物凄くプレッシャーを感じたわけですが…(笑)  

 ディベート本番は、只野先生が部屋の隅で観戦していらっしゃることに気付いて、物凄く緊張したまま始まりました(この点に関しては只野ゼミのメンバーも緊張したらしいです笑)。東京研修中に立論担当が決まったにも関わらず、隣の部屋まで響き渡る完ぺきな立論を披露してくれたカフェラテくんはさすがでした。また、作戦タイムの最後にガクさんの「最高のディベートにしような!」も飛び出し、意気揚々と反対尋問の時間が始まったのですがここからがディベートの山場。反対尋問の序盤は、正直相手チームのパワフルさに圧倒されました。ただ、普段温厚なはずのるいすくんと茶畑くんが厳しく相手の弱点を指摘していましたし、カフェラテくんは相手以上にパワフルで、ガクさんの「問題文の齟齬ということでよろしいですか?」やさんとすさんの「ちょっと話が長くて分かりませんでした」という名言も飛び出したので、勝敗は分からずといった実感でした。最終弁論では、さんとすさんが20秒ごとに咳き込みながらも素晴らしい弁論をしていて、隣でただただ感動していました。そして、結果発表。「2勝1分で合憲側の勝利」という審判の方の言葉に、思わず「私たちって合憲側でしたっけ」と確認するくらいの接戦でしたが、強敵相手に何とか勝利することができて嬉しく思います。チームの皆様、体調不良でご迷惑お掛けしてごめんなさい、そして本当にありがとうございました!

 その後の飲み会では、他の大学とも交流できましたし、福岡から戻ってきてくださった南野先生・阪口先生・山元先生という豪華な鼎談にも立ち会えて、これまた貴重な体験をさせていただきました。

 翌日は、鎌倉に向かったのですが、なんと山元先生が案内してくださいました。少しお話させていただいたのですが、穏やかな笑顔で話してくださる姿が印象的でした。山元先生、お忙しい中ありがとうございました!

 東京研修・ディベート合宿ともにとても有意義な時間でした。訪問先の方々にこの場をお借りして御礼を申し上げたく思います。本当にありがとうございました。そして、このような機会をくださった南野先生、一緒に過ごしたゼミ生の皆さん、ありがとうございました。後期は体調管理に気を配りながら、ゼミに貢献できるように頑張ります。

投稿者:さきりん

 皆さん、東京研修・ディベート合宿お疲れ様でした。今振り返ってみても、たった五日間の出来事だったとはとても思えないような大変濃密な時間で、このような経験をさせていただいた私たちは本当に幸せ者だな、としみじみ感じております。この研修・合宿のために訪問先等の手配をしてくださった南野先生、本当にありがとうございました!! 以下では、この四泊五日間の出来事を、私が印象に残ったものを中心に振り返ってみたいと思います。  

 東京研修1日目は、木村草太先生と昼食をご一緒させていただいた後、TBS、日弁連を訪問し、夜にはOB・OG会が開催されました。2日目は、総務省、議員事務所、国会、最高裁、と日本の中枢づくしの1日でした。国会見学では、辻元清美議員、枝野幸男幹事長、そして江田五月元参議院議長とお会いしました。皆さんオーラがもの凄くて、今、お三方を目の前にしたときのことを思い出すだけでも緊張してしまいます。私達学生の質問に、丁寧にわかりやすく、かつ、熱心に答えてくださり、さらに江田五月さんは、学生一人一人と握手までしてくださって、感激で胸がいっぱいになりました。  

 最高裁では、建物の荘厳さに圧倒されました。その一方で法廷内は少し眠たくなってしまうほど静かで落ち着いた雰囲気でした。施設見学の後は、櫻井龍子裁判官にもお会いし、お話を伺いました。「男社会で生き残っていく秘訣」に関する超強力機械さんの質問に、「老若男女問わずコミュニケーションをとるよう心がけると自然といっぱい情報が入ってくる。普段からのネットワーク作りが非常に大切」だとおっしゃっていたことが心に残っています。その後の会食では、櫻井さんの気さくで柔らかなお人柄に魅了されながら、大変楽しい時間を過ごさせていただきました。  

 このように、東京研修は、テレビの中でしか見ることのできなかったその道の一流有名人に直接お目にかかることができ、とても刺激的で学びの多いものでした。また、研修中には、国会前のデモ見学に行き、テレビ越しでは伝わってこなかった熱気を肌で感じることができました。改めて自分たちが今まさに歴史の重要な場面にいるのだと思い知らされました。  

 2日間の東京研修が終わった後は、ディベート合宿のため、山梨に向かいました。ディベートに参加できなかったのは非常に残念でしたが、皆さんの健闘する様子を少しだけでも見れて良かったです。ディベートの内容に触れることはできないのですが、私がタイムキーパーをしていた時、隣の部屋で立論を行っていたカフェオレくんの声が大きいと話題になり、「マイクじゃなくて地声だった!!!!」とちょっとした騒ぎになっていたのが面白かったです。くんの司会の上手さにもびっくりしました。    

 最終日は山梨から東京に戻り、鎌倉観光をしました。山元先生に案内していただいたおかげで、鶴が丘八幡宮、大仏、長谷寺、と盛りだくさんの楽しい観光になりました。山元先生、お忙しいところご案内いただきありがとうございました! この場を借りてお礼申し上げます。  

 今回の東京研修・ディベート合宿を通して、たくさんの貴重な経験をさせていただき、多くのことを学びました。この経験を無駄にすることのないよう頑張っていきたいと思います。最後に、この研修・合宿をセッティングしてくださった南野先生、私達の訪問を快く受け入れてくださった皆様、そして、合宿係として皆のために一生懸命頑張ってくれたアンテナくん、くん、本当にありがとうございました! 関わって下さったすべての方々にお礼申し上げます。

投稿者:パーカー

 4泊5日の東京研修・ディベート合宿が終わりました。合宿係として活躍してくれたイヴくんとアンテナくん、そしてこのような貴重な機会の設定に尽力して下さった南野先生、ありがとうございました!  

 まず一日目ですが、TBS、日弁連を訪問しました。特に印象に残っているのは、駒田アナウンサーが報道という仕事に携わるにあたって、視聴者に事実を伝えるという立場から、その伝える言葉に自分の推測を混ぜないように心がけているとおっしゃっていたことです。例えば、先日の鬼怒川の堤防が決壊した際に、救助を求める人がタオルかなにかを振り回している映像の中で、それが本当にタオルなのかどうかの確証がない以上、「タオル」という言葉ではなく「白い布のようなもの」という言葉を使う、というような具合です。またひるおびの生放送のスタジオも見学することができ、高畑百合子アナウンサーや、なっきーこと内山奈月さんと縁の深い元AKBメンバーの倉持明日香さんのお姿を拝見することもできました。

 高畑百合子アナウンサーとお会いした時には、「入中(いりちゅう)」という、他の局から番組の一部をマイクロネットで受け取ることを表す言葉で、例えば「入中3」だと三本は他局からの番組の映像が流れるので原稿を読む量が少なくなり、逆に「入中0」だと他局からの番組の映像が全く流れないので原稿を読む量が多く忙しいという、入中の数が増えるほど忙しさは減るという反比例感が語の業界っぽさを引き立てているという言葉を知ることができました。また、倉持さんのお姿を拝見した時には、(こういっては『憲法主義』をお書きになった教授のゼミ生失格ですが)当初自分はずっとPerfumeファンだったのでAKBにはそれほど興味がなかったのですが(笑)、実際に姿を見るとやはりオーラがあって、AKB もすばらしいではないかと心の底から感じた次第でありました。やはりテレビ業界は華やかだなぁと感じずにはいられないひとときでした。

 夜にはゼミのOB会も開催され、社会人として活躍されている先輩方とお話しすることができました。  

 次に二日目は、総務省、衆議院、最高裁を訪問しました。総務省は、個人的に色々あって約1ヶ月ぶりのちょっぴり苦い訪問でした(笑)。南野ゼミOBの先輩方や昔人事の仕事をなさっていた方とお話しする機会に恵まれました。就職活動は人間が人間を選んでいるという性質がある上、最終的には一緒に働いている姿を具体的にイメージしてもらえるかどうかがカギであるらしいので、就職活動に臨む方は是非、そのことを頭の片隅に置いておいて下さい。衆議院では、辻元清美議員、江田五月議員、枝野幸男幹事長とお会いすることができました。超強力機械さんもリポートで言及している通り、自分も「政治家」という存在についてはステレオタイプな良くないイメージも多少持っていたのですが、実際にお話を聞き、日本という国を良くしていきたいのだという熱い信念を知ることができ、そのようなイメージを持っていた自分を恥ずかしく感じました。

 最高裁では、櫻井龍子判事のお話を聞くことができました。最高裁の裁判官15名は、裁判官・弁護士・検察官・行政官・学者という多様なバックグラウンドを持った人材で揃えることにより、最高裁の判断が国民の意識や社会の通念と離れすぎないようにバランスを保っているというお話が特に印象に残っています。その後、櫻井判事との夕食会では、楽しくお話をすることができました。  

 三日目、四日目は山梨に場所を移してのディベート合宿でした。りちゃくん、テンパーくん、ようつーくん、そしてムタさん、準備段階から任せきりな部分があってすみません。結果は負けてしまいましたが、準備や本番を通じて、得るものは大きかったのではないかと感じています。ディベート合宿は4日目に全大学が同じ大部屋で飲み会をするというのも醍醐味で、今年は南野ゼミの席がバラバラだったということもあって、三年生が序盤から積極的に只野ゼミに絡みに行っている姿を見るのが楽しかったです。今年は去年よりも「元気」な飲み会だったようです(笑)。  

 五日目は、山元先生の案内のもと、プチ鎌倉ツアーが行われました。鎌倉に行くのは初めてだったので、鶴岡八幡宮や鎌倉の大仏を実際に見ることができて良かったです。山元先生、ありがとうございました! 去年も参加した東京研修・ディベート合宿でしたが、今年は今年で新たな経験をすることができました。どのゼミにもそれぞれ魅力があると思いますが、このような貴重な機会に恵まれているのはやはり南野ゼミならではではなのないかと痛感しています。後期からゼミが再開しますが、頑張っていきましょう!!

投稿者:茶畑

 東京研修、ディベート合宿お疲れ様でした! 東京研修では、TBS、日本弁護士連合会、総務省、国会議事堂、最高裁判所を訪問し、今まで文章や写真でしか知らなかった世界を実際に見ることができて感無量でした。お忙しい中この研修に関わっていただいたたくさんの方々、なにより企画をしてくださった南野先生、ありがとうございました! 非日常的な体験ばかりで書くことがたくさんありすぎて書ききれない程ですが、他のレポートに詳しくあるので詳細は譲って、ディベート合宿について中心に思ったところを書いてみようと思います。

 東京研修終了後はバスで山梨県の石和温泉に向かい、ディベート合宿が始まりました。早稲田大学、慶応大学、一橋大学、九州大学の四大学五学部で行うものでしたが、よくよく考えてみると僕は大学入学後、九州圏の大学の大学生以外と関わった経験がほとんど無いことに気づき、すごく新鮮でした。初日の夜は来たる翌日午後のディベートに向けて準備を進めていましたが、きちんと議論を準備するためには数点の論点に対してここまで時間を割く必要があるんだ..ということを改めて感じ、一人でしなくてはいけない後期の個人報告を考えると身が引き締まりました。

 翌日午前は、高まってきた緊張をほぐそうと南野ゼミのディベートを中心に見て回りましたが、その活躍を目の当たりにして逆に緊張が高まる結果となりました。そのため温泉に入りました。午後、ガクさんによる伝家の宝刀「最高のディベートにしような」の合図とともに僕たちのディベートが始まります。カフェラテによる、隣のディベート会場にまで影響を及ぼす完璧な立論に始まり、相手側による尋問時に一番に指名されながらも押されぬ切り返しを続けたルイス、相手側に対する尋問ではたくさんの予想外の受け答えがありながらもしっかり弱みをついたガクさん、時折急に笑いだしながら的確な質問、返答を続け、完璧に尋問を締めくくったマスク、そしてアウトプットの鬼こと、さんとすさんによる内容的にも容量的にもこれ以上ないようなほれぼれする最終弁論がなされ、本当に五分五分であったと思いますが僅差で勝利することができました。このメンバーでディベートをすることができて本当に良かったです。ありがとうございました!

 今回ディベートを行ってみて、やはり普段ゼミで行うような議論とは多少違うなと感じました。質問をしてそれに対して応答する、という形式は同じではありますが、ディベートにおいては質問に対する応答をしていても(時間的制約から)「あ、もういいです」と切られてしまうことが多々あり、正直「え!!もういいの..」と動揺してしまっていたのですが、これまで含めてディベートにおける重要な表現力であり、足りない部分だったなという気がしています。それから、ディベートをしてくれた只野ゼミの方々の優秀さにも圧倒されました。このような出会いの機会があるのは本当に幸せなことで、今回の合宿の一番の収穫だったなと思っています。ありがとうございました!

 東京合宿、ディベート合宿では九州にいることの意味を再認識することができました。繰り返しになりますが、関わっていただいた方々、企画をしてくださった先生、本当にありがとうございました。後期のゼミも楽しんでがんばりましょう!

投稿者:テンパー   #120

 皆様、4泊5日の東京研修、ディベート合宿お疲れ様でした。まずは南野先生、お忙しい中、各所へのアポイント、調整などをしてくださり、本当にありがとうございました。TBSや日弁連、総務省、国会、最高裁など普通では体験できないことがふんだんに盛り込まれて、非常に充実していた東京研修でした。  

 東京研修で特に印象に残った二日目のことについていくつか述べていきたいと思います。まず、総務省ですが、恥ずかしながら私は総務省の仕事内容を詳しくは知りませんでした。しかしながら、担当の職員の方の業務説明や、総務省で働いている南野ゼミのOBの方の話を聞いてみると、電子書籍の普及や、地方のクラウド整備などのICT関連の業務は、僕たちの実生活に非常に近いもので、今までぼんやりとしていた総務省のイメージがはっきりとして、総務省で働きたいと思う人たちの気持ちがわかった気がしました。  

 また、国会議事堂では、辻元清美議員江田五月元参議院議長枝野幸男民主党幹事長という豪華な方々とお会いし、お話をしていただくことができました。この日は安保法案で国会内がドタバタとしている時であったにも関わらず、貴重な時間を割いて、私たち学生の質問に答えてくれたりと、非常に丁寧な対応をしてくださり、ありがとうございました。最高裁では、小法廷、大法廷を見学した後、櫻井龍子裁判官から直接お話を聞かせていただきました。最高裁裁判官には行政枠や司法枠、教授枠など純粋に裁判官からキャリアアップしてきた人達だけで構成されているわけではないということには驚きました。最高裁裁判官に多様性を持たせることでこそ、司法の最終判断をできるのだなと思いました。    

 東京研修のあとは、山梨に移動してディベート合宿が行われました。ディベートの結果は非常に悔しいものに終わってしまいましたが、その準備段階などで憲法に対する理解が深まったり、その場で論理的に物事を考えることの難しさを痛感しました。一緒にディベート準備等をしてくださったムタさん、パーカーさん、りちゃくん、ようつーくん本当にありがとうございました!  また、ディベート合宿後の全体コンパでは、醜態を晒してしまい、皆様には多大なご迷惑を掛けてしまいました...この場を借りてお詫び申し上げます。節度を持った楽しいお酒を心がけていきます!!

 この東京研修・ディベート合宿の5日間は、非常に充実しており、南野ゼミに入って本当によかったと思いました! 東京研修の幹事をしてくださった、さんとすさん、dtkくん、るいすくん、ディベート合宿の幹事を務めてくれた、ル・名司会くん、アンテナくんありがとうございました。また、最後に今回のすばらしい企画を行ってくれた南野先生、本当にありがとうございました!! 今回得られたものを糧に、これからより一層頑張っていきたいと思います。ありがとうございました!!

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第14回(2015年9月30日)は、サプライズ企画「南野生誕祭」。みなさん、ありがとうございました!

2015年10月7日(水)は、休講としました。なお、後期から、金曜日ではなく水曜日にゼミを行う場合があります。

第15回(2015年10月14日・水)〜個人報告⑤「民法の憲法化」(報告:りちゃ、司会:さんとす)

投稿者:イブ

 今回は「民法の憲法化」というテーマのもと、財産権保障の意義を考えるため森林法違憲判決、それに対する学説の検討がなされました。今回は後期1回目の本格的なゼミということで個人的には緊張もあったのですが、結果として楽しく議論をすることができ、財産権について理解を深めることができたと思っています。報告者のりちゃ、お疲れ様でした。あの漢字の読みに弱かったりちゃが「輻輳」をちゃんと読めていたことからは成長を感じました。(笑)  

 議論の中身についてなのですが、個人的には茶畑の「29条2項に『財産権の内容は、公共の福祉に適合するよやうに、法律でこれを定める。』と規定してあるからといって、憲法規範である財産権の内容を法律と同じ手続きで変えることができてよいのか」という意見が印象に残っています。これに対して報告者としては「憲法上の規定としてそういう風に(法律で定める=法律と同じ手続きで変えてよいと)してあるため問題ない、ただし(私的財産制度の根幹を揺るがすような?)社会主義的秩序への変更はできない」という論を採っていましたが、やはりこの論では29条1項が死文化してしまうため、29条1項、2項を分離させて考え、1項では憲法規範としての財産権の輪郭を定めており、2項では私有財産制度の運用にあたって法律への委任を定めている、と財産権を解釈するほうが妥当であるように思われます。

 しかし、この1項2項分離論をもとに森林法違憲判決を振り返ると、最高裁が森林法186条について29条“1項”違反だと主張すべきだったという点に落ち着くものと考えられるため、今回の報告で挙げられた学説、報告者の私見が実際に最高裁が“2項”に反していると判示したことを踏まえたものであるとするならば、多少疑義が残るものではありますが内容形成テーゼやベースライン論でもって説明づけようとすることもうなづけます。なかなか結論を下すことが難しいテーマでしたが、やはりカフェラテが言った「安念先生もおっしゃってるけど、この事件の原告を違憲判決によって救済することが妥当であったのだろうか」という点に凝縮されているように感じました。  

 さて、次回はテンパーによる人権と公共の福祉の関係についての報告です。所属する九大フィルの練習の合間を縫ってサロンで虚ろな目をして文献とにらめっこすることが最近のマイブームのようである彼に失礼のないよう、しっかり予習をして臨みたいと思います。 最後になりましたが後期からは新メンバーも1人加わりました。ここ最近は「いろいろなこと」がありましたが心機一転「Let’s じょいなす」の精神で張り切っていきましょう!

投稿者:茶畑

 ついに後期初回の報告を迎えましたね! りちゃ君お疲れ様でした~難しい内容ながらいろいろな考え方がまとめてあって勉強になりました。予習の時張り切って石川先生の『自由と特権の距離』にチャレンジしましたが、時間的都合から読み切れず。これからゆっくり読み進めていきたいなと思っています。  

 報告では共有物請求権を憲法29条の保障範囲に基礎づけるにあたり、いくつかの考え方が紹介されていましたが、長谷部先生のベースライン論はあるメディアの対談企画でも(文脈違いですが)近頃紹介されていたところで気になっていたので、これのことだったのか、と報告を通じて様々考え、理解を深めることができて良かったです。

 いろいろな論点がありましたが、29条1項に憲法規範としての財産権概念を観念せずに法律で規定するところ、憲法規範はどこに行くのか、というのが僕の関心事でした。法律レベルで規範レベルの多段階性を認めて憲法規範としての法律があると考えるのか、憲法上に規定はあるが観念する必要がもはや無いと考えるのか、その他の何かかと想定していましたが、個人的には29条に憲法規範としての財産権概念を用意しておくのが簡単なんじゃないかという気がしました。  

 来週は、テンパー君の報告で「切り札としての人権」です。しっかり予習して臨みます!

投稿者:さんとす 

 後期初回のゼミは、りちゃくんによる報告でした。「民法の憲法化」というテーマのもと、財産権の保障について森林法判決をもとに読み解くというもので、難しい内容でしたが、とても面白く、議論も大いに盛り上がりました。また、後期から南野ゼミに新メンバーが加わるということで、今回からゼミに参加してくれました。自己紹介から歓迎会に至るまで、数々の名言も飛び出したかと思いますが、その模様は他の人にお任せして、僕は今回の報告の内容である財産権について書いてみたいと思います。

 財産権は、憲法の次元ではその対象を確定することができず、法律の規定があることによってその範囲が明らかになるという性質を持つものです。ただ、それは全てが法律のみによって決まるというわけではなく、通説は立法府をも拘束する憲法ランクの保障が29条1項の「財産権」には存在すると考え、その内容は、個々の財産権と私有財産制の保障であると言われてきました。しかし、この見解からは、そのどちらを否定したわけでもない森林法違憲判決を説明できず、また、当該判決が、民法において認められた「分割請求権を共有者に否定することは、憲法上、財産権の制限に該当」すると述べたことから、憲法の保障する財産権とは何なのか、なぜ民法上の分割請求権の否定が憲法上の財産権の制限に該当するのか、といった点について学説の議論が生じることになりました。

 こうしたなかで主張されるようになったのが石川先生の法制度保障論、長谷部先生のベースライン論、そして小山先生の基本権の内容形成論です。その内容についてはりちゃくんが報告で詳しく説明してくれたので割愛しますが、それぞれの見解について思ったことをごく簡単に述べてみたいと思います。 まず、石川説については、小山先生が指摘するように、それは現状保全的に作用するものであると考えられるため、その保障の対象をひろく認めすぎると不都合が生じることにもなりかねないと思いますが、この点、憲法で保障される法制度は一物一権主義に尽きるのか、もし一物一権主義以外に保障されるものがあるとすれば、それはどのようなものなのか、そしてどのような説明で認められるのかが気になりました。

 次に長谷部説については、じょいが言っていたように、判決の説明としては分かりやすいものですが、どうしても事後的な説明になってしまう側面があるように思います。事前にベースラインを提示するためには、それをどこに引くのか、つまり何が「法律家集団の共通理解」であると認定できるのか、という点が問題になりますが、「法律家集団の共通理解」かどうかの判断の仕方がよく分からず、またその吟味がいい加減であるとすると、「法律家の共通諒解としての私法秩序なるものは、単なる法律家の傲慢の産物であるということにもなりかねない」という山野目先生の指摘が妥当するように感じました。

 最後に小山説ですが、小山説は「基本権主体が自身の生活を自己責任的に形成」できるように法制度の内容を形成すべき責務を立法者に課すというものですが、一般論としてはそうだとしても、表現があまりに抽象的であるために、立法府に対してどの程度の拘束が及ぼされるのか、また、実際にある制度の合憲性を判断する際に何を基準にどのように審査を行うのか、といった点が気になるところです。

 総じて、この分野については従来からの説明だけでは捉えきれない部分も多く、判例の登場等に伴ってまだまだこれから議論がなされていくかと思うので、今後の動向に注目していきたいと感じました。さて、来週はテンパー君の「切り札としての人権」に関する報告です。これまたとても興味のある内容なので、しっかり予習に励みたいと思います。

投稿者:りちゃ

 後期初回ゼミ、お疲れ様でした。今回は報告者という立場だったのですが、個人報告を通して前期のグループ報告では、いかにさんとすさんとジョイさんに頼りきっていたかを痛感しました。4年生の存在は大きいですね。来年自分もそんな風になれるようにこれから精進していこう、と報告を終えて第一に思うところです。また、今回の報告は扱う内容が難しい上に拙い報告だったため、定時解散するのではないかとも危惧していましたが、入試や報告準備など各自忙しい中文献を読みこんで、議論を盛り上げようと色々な角度から質問をしてくださったおかげでそれも回避できました!!!感謝しかないです!ありがとうございました。  

 さて、内容についても触れていきたいと思いますが、せっかくなのでイブくんのリポートで指摘があった点について改めてお答えしたいと思います。憲法29条1項は財産権を「侵してはならない」としながらも2項ではその内容を「公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める」と規定されていることから、憲法の最高法規性を否定しているようであるというのは従来から学説上指摘があったところです。そして、茶畑くん、イブくんが指摘した通り、29条1項がある以上は法令の憲法適合性を判定できる憲法上の権利ないし制度の原形があるとする考え方も有力です。

 しかし、条文からあらゆる保障対象が考えられる表現の自由とは異なり、財産権の内容というのは予め憲法が法律による形成を予定していることから内容が定まっていません。これは財産権が「権利の束」と理解されてきたことと密接に絡んでいて、財産権は実際には政府が作り出した様々な権利を束ねて初めて成立する観念であること、すなわち、その社会の実定法規の体型を前提としてはじめて成り立つものであるということを意味します。そうすると、財産権保障を無限定な立法裁量にゆだねることになってしまうという問題に再び直面することになりますが、奥平先生は「財産権を侵害された個人が権利救済を請求し、それを裁判所が認めれば財産の自由という社会制度を維持する効果が発生する点で、財産権と表現の自由の保障構造には差がない」と述べます。つまり、権利保障の有無は国家が権利制限の正当化事由を適切に示すことができるかどうかどうかで決まっており、その意味で抽象的・一般的に「自由」の外延ないし「原形」を提示できないと、権利保障が否定されたことになるわけではないとします。(この点について詳細はコンメンタールをご参照ください。)

 また、森林法違憲判決が29条2項違反とされているのは、その法律が「公共の福祉」に適合しない、過度な制約を課すものであるからだと理解されます。すなわち、憲法29条2項は、国に対し「公共の福祉」に適合する財産法の構築を請求する権利を各国民に保証する条項ということになります。この解釈によると、個人の既得権を不当に侵害する立法は「公共の福祉」に適合せず2項によって既に禁止されているということになりますが、禁止を明確化するために1項を置いている(すなわち表現の自由保障の21条1項と検閲を禁止する29条2項の関係と類似する)と解するのが妥当であると木村先生はおっしゃっています。(詳細については『憲法の急所)をご参照ください。)

 ちなみに、この「公共の福祉」の概念については次回テンパーくんが報告で取り扱ってくれると思うので、楽しみにしています!

  一方、従来の通説では29条1項が私有財産制度という制度保障とあらゆる既得権を保障するとされていましたが、この解釈の下では森林法違憲判決だけではなく他の判例との整合性もとれないため、やはり財産権の内容についての議論は十分とはいえません。1項が保障しているものが何なのか、1項と2項の関係はどうなっているのか等は今後検討していかねばならないところだと思います。

 最後に、ゼミ中に出た法制度保障と抽象的権利についてですが、両者にはあらゆる共通点があるものの、「法制度保障が給付請求権(抽象的権利)から区別される理由は、憲法が設定した抽象的目標に具体的手段と程度を提供するのではなく、法的生活における各人の自己決定の法的インフラを創設することが第一次的な意義であるという点に求められ」ると小山先生はおっしゃっています。"紙幅"の都合上、ここでは詳細を述べないことにしますが、気になる方は『憲法上の権利の作法』を読んでみると、理解が深まると思います。

 長くなりましたが、疑問を解消する手助けができていたら幸いです。さて、次回は「切り札としての人権」論ですね! 南野先生の憲法Ⅱの授業にも出てきたワードで、以前からその内容が気になっていたのでしっかりと文献を読みこんで臨みたいと思います。

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第16回(2015年10月21日・水)〜個人報告⑥「『切り札』としての人権論に見る『人権』と『公共の福祉』の転換」(報告:テンパー、司会:さきりん)

投稿者:りちゃ   #125

 テンパーくんによる第6回個人報告では、人権と公共の福祉の概念を議論しました。抽象的な話でまとめるのが大変だったと思いますが、長谷部先生・高橋先生の両説を分かりやすく整理・報告してくれたおかげで、楽しく有意義な時間となりました。テンパーくん、お疲れ様でした。

 テンパーくんが支持していた長谷部先生の「『切り札』としての人権」論は、従来の通説とされていた宮沢俊義提唱の一元的内在制約説で説明できない難点を克服した上で、いわゆる人権のインフレ化によってパンチ力のかげりが感じられた人権を、公共の福祉によっても制約できない絶対的不可侵なものとして再構成するといったものだったと思います。その内容として、公共の福祉を社会全体の利益と定義づけた上で、憲法上の権利は切り札としての人権と公共の福祉に基づく権利によって複合的に構成されているとし、切り札としての人権は個人の自律を根拠に、自律的な選択が誤っているからという理由で国家に干渉されることを防止する機能を果たすというものでした。

 確かに一元的内在制約説による公共の福祉概念は、人権と人権が衝突した場合の調整原理として働くものとされていて、現在の社会状況に適合するものではなく、長谷部先生はこの点をうまく説明していると思います。そして長谷部先生の論によると、この人権概念のもとでは人権に絶対的な不可侵性があることになるため、人権の価値を高めるという当初の目的を達成できることになります。 しかし、個人的には、極めて狭い範囲でしか機能しないとする「切り札」としての人権は本当に有用であるのか、疑問に思うところです。「切り札」としての人権は、政府が不当な目的で個人に制約を加えることを禁止するという面でのみ機能することになり、その判断に際しては立法目的に隠された真の目的に少数者を害する意図が存在するか否かをみるということでしたが、これは人権概念を広く捉える説に基づいてもできる話だと思います。というのは、個人の自律的な選択・人格の根源的な平等性を否定するような国家の行為は、公共の福祉によって人権は常に制約されうるといった立場をとっても許されるものではないと思うからです。したがって、長谷部先生のいう公共の福祉に基づく権利をも人権として捉えた上で、特定の理由から個人の自律的な選択に干渉するということは人権の性質上許されない、とすればよいのではないでしょうか。その方が憲法上の権利は複合的な性格を有して…と考えるより簡明だと思います。

 もちろん、考えを一概に否定しているわけでなく、公共の福祉によってあらゆる(広義の)人権が制約されうるという現代社会において、公共の福祉に還元され得ない人権の核心とは何かを考察する上で、長谷部先生の説はやはり秀でていると思います。先週のベースライン論もそうでしたが、私は基本的に長谷部先生の説が好きなので、非常に興味を持ってゼミに臨むことができました。

 今回の報告にあたってテンパーくんは、九大フィルとオケ(?) の両方のスケジュールから追われながらも、サロンで多くの文献と奮闘していて、報告当日さえもゼミ終了後すぐに練習に向かうほどのハードスケジュールだったようです。本当におつかれさまでした。

 さて、次週はるいすによる「大学の自治と教授会」ですね。大学の自治、学問の自由、というと東大ポポロ事件をイメージしますが、今回は教授会といった大学内部の問題を取り扱うようなので、楽しみにしています。

投稿者:さきりん

 報告者のテンパーくん、お疲れ様でした! 今回は、「切り札としての人権」というテーマのもと、「人権」の考え方、「人権」と「公共の福祉」の関係について、長谷部恭男先生と高橋和之先生の議論を中心に報告してくれました。 予習の段階では、長谷部説に対して、「切り札の人権」として守られる権利は実際どれだけあるのかという疑問からその概念を持ち出すことの意義、また「切り札としての人権」と「公共の福祉にもとづく権利」の線引きやそれらの具体的内容など、理解できない部分がいくつかあったのですが、議論を通してそういった疑問を解消することができ、個人的には実りあるものだったと思います。

 まず、報告者の私見としては、「人権」の捉え方として長谷部説が妥当するとし、憲法上保障された権利は「切り札」としての人権と「公共の福祉」にもとづく権利の二種類のものがあり、それらによって複合的に構成されること、「人権」は「公共の福祉」という社会全体の利益を超えて絶対的に保障される「切り札」として機能し、一方、「人権」に含まれない権利は、「公共の福祉」に適合する限りで保障される、と結論づけていました。次に、長谷部、高橋両説に対する私自身の見解としては、結論から言うと、テンパーくんと同様に長谷部説が妥当だと考えます。長谷部説をとると、人権の特性である「固有性」、「不可侵性」、「普遍性」に関しても整合性を保ったまま、社会に完全に飲み込まれない形で個人を尊重することができます。公共の福祉の観点からしても制約されるべきでない「人権」を保障することができるという点で、『切り札としての人権」はやはり大きな意義をもつものだと思います。一方で、高橋先生の見解によると、「人権」は絶対的に保障されるのではなく、 量的拡張説を前提にその語の意味を非常に広範に捉えているように感じられ、それに伴い国家による広範な規制も認めてしまう危険性があるといった点に疑問が残ります。

 最後に、ゼミ復帰後初めての司会でしたが、質問の意図をわかりやすく言い換えたりと議論を円滑に進めるような仕事ができず申し訳ありません。他の人たちの司会をみて、勉強しようと思います! しかし、議論の内容としては、テンパーくんがこのテーマを選ぶことになった経緯からそれを議論する意義まで議論でき良かったと思っています。 さて、次回の報告は、ルイスくんによる「大学の自治と教授会」です。去年、大学改革のニュースを見てから気になっていたところなので、しっかり予習文献を読み込んで臨みたいと思います!

投稿者:テンパー

 後期2回目のゼミ、皆さんお疲れ様でした。今回は、長谷部恭男先生と高橋和之先生の議論をもとに、「人権」と「公共の福祉」についての報告を行いました。非常に抽象的な内容で拙い報告だったので、定時解散を危惧していましたが、さまざまな角度から質問等をしてくださったおかげで、なんとか回避できました!!ありがとうございました!  

 さて、内容に入りたいと思います。「公共の福祉」についての通説である、宮沢俊儀先生の提唱する一元的内在制約説は、「公共の福祉」を人権間の衝突の調整原理として機能するとしてしまったため説明が難しくなる部分が多く、それを解消するために長谷部先生は、「公共の福祉」を社会全体の利益として積極的に理解し、憲法上の権利を「『切り札』としての人権」と「『公共の福祉』にもとづく権利」に分け、それが複合的に構成されるとしました。一方、高橋先生は、「公共の福祉」を「すべての個人を等しく個人として尊重するために必要な施策内容」として「公共の福祉」は人権制約原理であるという構成を維持しました。報告者の私見としては、「人権」のもつ「パンチ力」、つまり固有性、不可侵性を維持するためには「人権」を狭く、限定して捉える必要があるため、「『切り札』としての人権」を採ることで「人権」の「パンチ力」が維持されると考えました。  

 りちゃ君の言うように、「『切り札』としての人権」と「『公共の福祉』にもとづく権利」のどちらも「人権」として、特定の理由から個人の自律的な選択に干渉するということは人権の性質上許されないとする考えもあるように思えます。しかし、この考え方を採用すると、なぜ、裁判所が厳格審査や合理性の基準といったような審査基準に差を設けているのかということが説明できなくなります。特定の理由を裁判所が判断するということは、立法目的と立法手段との間の適合性を厳格に審査することにより、「真の理由」という「個人の自律」を害するような理由にもとづいて、制約が行われたと判断することです。「『切り札』としての人権」と「『公共の福祉』にもとづく権利」のどちらも「人権」として見てしまうと、多くの事案を厳格な基準によって立法目的と立法手段との間の適合性を判断しなければならなくなり、現実に則さなくなってしまうように感じます。長谷部先生の「『切り札』としての人権」論は、裁判所がなぜこのように判断するのかという理由を説明するものだと私は思います。  

 裁判所の審査基準の理由を考える場合、高橋先生の言うように「公共の福祉」を「すべての個人を等しく個人として尊重するために必要な施策内容」として捉えると、すべての個人を等しく個人として尊重するためという理由のみで様々な基準が採られることとなり、これもまた現実とそぐわないように感じます。長谷部先生のような考え方であれば、なぜその審査基準を採るのかということが説明できるため、長谷部先生の考え方が妥当すると考えます。

 長くなってしまいましたが、今回のゼミでは、「人権」、「公共の福祉」の考え方について、様々な議論をすることができたため、個人的には非常に有意義な報告でした。また、報告の準備等を通して、自分の力不足を痛感しました。これからのゼミでは今まで以上に多くのことを吸収できるように頑張っていきたいです。  

 さて、次回はるいす君による「大学の自治と教授会」です。報告も終わり、いろいろとゆとりが出たので、しっかりと予習をして挑みたいと思います!!

投稿者:さんとす

 今回は「切り札としての人権」についての報告ということで、テンパーくんが長谷部先生と高橋先生の論争を軸にわかりやすくまとめてくれました。テンパーくん、お疲れ様でした。ゼミにおいては長谷部説が主に議論の的になっていたかと思うので、ここでは長谷部先生の「切り札としての人権」について少し書きたい と思います。

 長谷部先生は、切り札としての権利と公共の福祉に基づく権利というものを考えます。そして公共の福祉に基づく権利の典型的な例として表現の自由を挙げられていますが、その根拠は民主政治の活性化など、主として自己統治的な側面にあるように感じられました。それに対して、個人が自分の言いたいことを言う、というような表現の自由の個人主義的・自己実現的な側面についてどのように考えられるのかというと、「切り札」としての権利は特定の理由に基づいて政府が行動することを禁止するものである以上、こうした側面を踏まえてもその性格に違いが生じるものではなく、したがって個人の表現の自由は、政府の規制理由がとんでもないものでない限り切り札としての権利とはいえず、公共の福祉に基づく権利にすぎないということになるかと思います。そして、長谷部先生は「切り札」としての権利のみを「人権」と呼ぶのが適切だとしているので、公共の福祉に基づく権利は「人権」ではないということになりますが、このように考える と、個人の表現の自由をはじめ、憲法が規定している個々の権利保障規定は、基本的には公共の福祉に基づく権利であって「人権」ではない、ということになるのでしょうか。

 このように「人権」を極めて限定的に捉えることについて、長谷部先生は、マスメディアの表現の自由などは公共の福祉に適合する限りで保障されたものであ り、個人に認められる「人権」とは根本的に性格を異にする、ということを強調するのが一つの狙いであったとしています。しかし、そのこと自体は妥当だとしても、それは同時に、これまで人権と考えられてきたような個人の権利をも公共の福祉に基づく権利にまで引き下げる、という効果を持つことになるように感じられました。このように、個人の表現の自由などは(政府の規制理由が不当なものでない限り)「人権」ではない、とすることについては、実際上それを「人権」だと考えても規制が正当化されうるので、結論としては同じになるのかもしれませんが、やはり「思考上・心理上のインパクト」は大きいように感じました。

 さて、次回はるいすくんによる「教授会の自治」に関する報告です。学問の自由や大学の自治などは勉強が手薄になりがちなので、この機会にしっかり勉強したいと思います。

投稿者:パーカー

 今回は、テンパーくんによる、「切り札」としての人権論に見る「人権」と 「公共の福祉」の転換についての報告でした。なかなか抽象的な議論で、自分の理解に自信はありませんが、議論を通じての感想を述べたいと思います。  

 長谷部先生の提唱する切り札としての人権論は、従来の通説であった一元的内在制約説が抱えている、理論としての整合性が保てない側面をいかに克服するかということと、これまでの判例を整合的に説明するにはどうすればよいかという目的意識から生み出されたものである、という印象を個人的には受けました。ゼミでの議論は、高橋説のように「人権」という語を広い意味でとらえても結果は変わらないので、長谷部説の意義は薄いのではないかという指摘が優勢でし た。この点に関して、自分の言葉で上手く説明するのは難しいのですが、長谷部説のスタートは先に述べたように、一元的内在制約説が抱える難点を克服し、判例を整合的に説明しようというものであり、ある意味結果ありきな側面が無いではないこと、そして、人権が切り札として効いてくる局面は、従来は多数者の意見として「公共の福祉」という語によって制約が正当化されていた少数者の権利 に対する制約が、本当に正当化されてよいのかということに目を向けさせるところにあるのではないか、というのが個人的な感想です。

 抽象的なテーマだったこともあり、上手く自分の考えを説明することが難しいですが、テンパーくんは難解な議論を分かりやすくまとめることができていたと思います。前回のりちゃくんも同様、今年の3年生は難解なテーマであっても きちんと論点を整理して、自分の考えを上手くまとめることができていて、本当に尊敬します。伝説の域を出ないので事実なのかどうかもはや検証のしようがないのですが、去年は学説の羅列に終始し、報告の目的がぼやけてしまって、後に 「ウィキペディア報告」と揶揄された報告が存在したとか、していないとか・・・

 さて、次回は、るいすくんによる「大学の自治と教授会」についての報告です。少し肌寒くなってきましたが、皆さん、体調に気をつけてゼミに臨みましょ う!!

投稿者:マスク   #130

 今回は「切り札」としての人権論に見る「人権」と「公共の福祉」の転換という題でテンパーくんが報告してくれました。「人権」という概念がどのように捉えられてきたか概観し、一元的内在制約説への批判から生まれた長谷部説と高橋説を検討するという内容で、抽象的かつ複雑なテーマでしたが、分かりやすくまとめられた報告だったと思います。

 今回の議論で、私はテンパーくんと同様、長谷部説のほうが妥当だという論調で発言しました。というのも、この報告の予習として、長谷部恭男 「おいしい中華粥の作り方について」(同『続・Interactive憲法』有斐閣、2011 、242頁以下 )を読んだためかと思われます。「おいしい中華粥の作り方について」は『続・Interactive憲法』の補論なのですが、実は南野先生が学部の講義で紹介されていたこともあり、かなり前に読んだことがありました。当時は、長谷部先生の痛快な書きぶりに少し面食らった記憶があります。中華粥と憲法に一体どんな繋がりがあるのだろうと思いながら読み進めていくと、痛烈な高橋説批判(であると私は感じます)が続く、という構成で、学部の勉強を始めたばかりの私でも面白いと思う論文でした。その論文を今回改めて読んだわけですが、前回より読み進めるのが大変でした。大変だったというのは、この論文の深い内容に前回より踏み込めたからかなと思う(思いたい)のですが…。また、高橋先生との論文とじっくり読み比べることもできたので、双方の説の長短が少しは理解できたように思います。蛇足ですが、お二方とも互いの説に対する誤解が若干あるような気がします。この点については、私の読解力不足だとも思いますので、また勉強を重ねて次に読むときにどう感じるのかを楽しみにしておきます。

 さて、今回の報告に話を戻しますが、長谷部説が妥当であると考えた最終的な理由は、長谷部説の視点にあります。長谷部説はこれまでの法律家共同体の共通了解を正当化する議論を試みる見解であると思うのですが、このような場合にこそ「人権」という抽象的な概念を持ち出す意味があるように思うのです。逆に言うと、高橋説は、至極真っ当であるし論理的であるとは思うのですが、何のために「人権」という概念を持ち出すかの説明が難しいように思いました。この点について、テンパーくんが「二つの説に基づいた場合にそれぞれどのような運用になるかを議論したい」と言っていましたが、高橋説からはどのように答えるのか聞いてみたかったです。結局のところ、私には高橋説が何を目指しているのかが理解しきれなかったので、改めて高橋先生の文献も読もうと思います。 個人的には、りちゃの報告のときにベースライン論に乗り切れなかったのに、今回は「切り札」としての人権に賛同したくなったのかも上手く説明できない(抽象度や場面の違いから来るものだと思うのですが…)ので、長谷部先生の考え方を全体的に勉強したくなりました。

 以上のとおり、自分の勉強不足を実感し、今後の課題が増えた回でしたが、とても良い刺激になりました。テンパーくん、お疲れ様でした。 ここのところ難しいテーマが続いていますが、次回のるいすくんのテーマもかなり重そうですね…しっかり予習してゼミに臨みます!

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第17回(2015年10月28日・水)〜個人報告⑦「大学の自治と教授会」(報告:るいす、司会:トーマス)

投稿者:りちゃ

 第7回個人報告ではルイスくんによって「大学の自治と教授会」という報告がなされました。最近の国立大学の文系学部の廃止、授業料の高騰等の大学改革の動きや、同志社大学構内の警察設置などから、学問の自由や大学の自治の意義が問 われる中での報告で、今回は学問の自由を謳う憲法23条と学校教育法および国立 大学法人法の改正との整合性について議論をしました。

 その内容としては、まず①学校教育法の改正によって従来、大学の自治の中心とされてきた教授会の権限が縮小される一方で、学長は権限を拡大することになり、②他方で国立大学法人法の改正によってその学長の選任は教授会の意向を聞 くことなく決定できることになるため、③教授たちが実質的に大学の自治の中心から遠ざかり、ひいては教授が研究しやすい環境が失われてしまう(=学問の自由が侵害されてしまう)ことになるのではないか、といったものだったと思います。

 憲法23条は憲法21条で保障される表現の自由などを、教授という職種の重要性に鑑みて重畳的に保護するという立場と、高柳先生のように雇用関係に焦点をあてて、特別に保障しているものだとする立場があって、報告者としては後者の立場に立つことによって保護領域が広くなると主張していたようです(勘違いしていたらごめんなさい)。しかし、教授会と学長の関係において、学長による制約に服さない自由が保障されていると捉え直し、そこから直ちに今回の法改正を憲法問題とすることができるかどうか、というのは報告者自身も指摘していましたが、やはり難しいところだと思います。というのも、あくまで憲法23条は学問の自由を保障していることのみを記すものであり、(雇用関係に重点を置く高柳説をとっても)違憲となるような行為というのは研究そのものを脅かすようなものでないとならないはずであるため、法令改正自体は問題にならないと考えられるからです。

 憲法23条については、東大ポポロ事件の判例でしか学んだことがなかったので、今回の報告を通し、(まだ理解が及んでいない点もたくさんありますが)その内実に踏み込んで議論をすることができてよかったです。ルイスくん、お疲れ様でした。

 さて、次回は茶畑くんによる憲法改正の限界について報告ですね。独自の世界を持っていて、いつも場を和ませてくれる茶畑くんですが、今回の報告に関してはとても熱が入っているようですね。しっかりと予習をして臨みたいと思います。

投稿者:パム

 今回はるいす君による「大学の自治と教授会」というテーマでの報告でした。具体的な事例の乏しい題材であったこともあり、準備期間中、毎日サロンの椅子でぐるぐる回りながら悩んでいた姿が印象的でした。るいす君本当にお疲れ様でした。

 報告の内容について、気になったところを挙げたいと思います。大学経営の合理化という考えに対して教授会の自治を縮減すべきでないと主張するための根拠と して、「学問の自由が保障されている」ということは、すなわち「教育研究者の専門職能的自由が保障されている」ということであると捉え、そうした専門職能的自由を侵害するような大学改革は認められないとする高柳信一先生の考え方 (このような理解であっているのかはあまり自信がありませんが)をるいす君は支持していました。このように教育研究者の専門職能的自由に強い保護を与える という見解は、学問の発展のための機関として、民間企業の研究機関等とは別に、大学が存在している意義を考えれば納得できるものだと思います。

 しかし、 学教法改正前は学長は「教育研究に関する事項」について教授会の意見を参考にしなければならない(つまり、教授会の主張に従う義務があるわけではないとい うことだと思います)という規定だったのが、改正後はそうした教授会の意見を 参考にする義務を撤廃したという程度の変化について、専門職能的自由に対する侵害の程度が増したと解し、違憲の疑いが学教法改正で新たに発生したと考えることが本当にできるのか、という疑問が残りました。法改正以前は少なくとも運用上、形式的には教授会の主張を無視できなかったのが、改正後にはそれが可能になるというのは、教授会の自治の保障を主張する立場からすれば、「改悪」であるように見えることは否めないですが、少なくとも高柳先生の考え方からでは学教法改正の違憲性はあまりうまく説明できないのではないかと思いました。

 国立大学の改革をめぐる動きは、文系学部の統廃合や授業料の値上げなど、最近の新聞やニュースでよく取り上げられているトピックだと思うので、今回の報告の予習や議論の中で学んだことを踏まえて、今後も注目していきたいと思います。

 次回は茶畑君による「憲法96条の改正可能性」についての報告です。「ロスの議論」や「メタルール」など、僕自身聞いたことのない用語が散見される報告趣旨を読んで戦々恐々としておりますが、議論についていけるよう、しっかり予習を して次回のゼミに臨みたいと思います。

投稿者:るいす 

 皆さんお疲れさまでした。今回は、学校教育法・国立大学法人法の一部改正を取り扱い、大学の自治の内部についての報告を行いました。大学内部の教授会自治を検討するということで、私たちには、なじみのないテーマでしたが、無事に報告が終わりほっとしています。報告中は、終始先生に大学改革についての実情をお話していただき、皆さんに多少は私が危惧している問題を分かってもらえたと思います。先生、本当にありがとうございました! 特に九大の内部事情等は、私自身大変興味深かったです。

 内容についてです。国立大学が法人化したことで、大学の経営面と教育研究面を統轄する学長の権限が強くなり、伝統的に認められてきた教授会自治が脅かされているという問題意識のもと、教授会の自治を検討していきました。はじめに触れた、常本先生や松田先生の学説では、主に学問の自由を守るものとして教授会の自治が重要なのだと主張されていました。しかし、それではどこまでいけば学問の自由が侵害されたことになるのか、学問の自由を侵害しない程度で教授会自治を制約することもできるのかという問題があります。よって、これらの学説では、大学のあり方等が変化した今日において、教授会自治を強く主張することは難しいと考えました。

 そこで、学問の自由自体に教授たちにとっての意義を見出した高柳説を採ることにしました。高柳説において学問の自由は、大学における雇用関係上の雇用者(国・学長)の諸権能を、教授たちとの関係で排除する効果を有するとされています。すなわち、教授たちは、教育研究をするうえで「大学」に雇われて生計を立てていますが、そのなかでも一般企業と異なり学長などから強い命令権を行使されずに、教育研究を行っていくため学問の自由が保障されているというのです。そこで、学問の自由規定によって教授たちの立場そのものが保障されているので、彼らで構成される教授会の自治を強く主張することができると考えました。この高柳説は、学問の自由からストレートに教授会の自治を導き出しているので、それが制約されると学問の自由が侵害されていると考えられます。したがって、この説から教授会自治を強く捉えることは、説得力があります。

 結論が、今回の学教法改正は「違憲の疑いがある」ということで曖昧になってしまいましたが、(特に財政や文系の組織見直し要請等の研究内容についての)国立大学改革の歯止めとして、教授会の自治を保障する意義は大きいと思っています。そもそも、学長選考手続自体に問題があるのではないかということや大学の研究が国の資金に大きく依存していて、学問のあり方が損なわれているということも考えられますが、現在の国と大学との関係のなかで、いかに教授会が機能していくかが重要だと考えています。やはり、学教法一部改正により、あらゆる事項について、学長に教授会へ意見をきくかどうかの決定権を委ねるというのは、危険でしょう。

 今回は、どうしても大学改革の中身が関わってきたので、あまり憲法論に立ち入ることができなかったのは、申し訳なかったと思っています・・。先生には非常に助けられ、テーマ選びの重要性をひしひしと感じました。とはいっても、学教法・国大法人法の一部改正には大きな反対の声が挙がっているのは事実です。(私見の論拠として用いるべきではなかったように思えますが)意向投票を廃止する大学さえあるなかで、これから大学改革はますます進むことになるだろうと思うので、今後の動向にしっかり目を向けていきたいです!

 報告の準備中には、バム・イブ・りちゃの3人によく相談にのってもらいました。テーマからしてどういう議論になるのか、非常に不安だったので助かりました。本当に感謝しています。

  さて、次回は準備の仕方からしてハードルを上げられている茶畑くんの憲法96条についての報告です。内容としては、法哲学チックな議論の要素が多いということで、なかなか難しそうですがついていけるように、しっかり予習をして臨みたいと思います。

投稿者:トーマス

 今回は、るいす君による「大学の自治と教授会」についてでした。その内容と しては、学長の権限をより強め、教授会の権限を縮減すると考えられている学校教育法及び国立大学法人法の一部改正から、憲法23条で保障される「大学の自治」の中でも「教授会の自治」の重要性を検討し、それと法改正との関係についてでした。  

 具体的には、教授には専門職能性による雇用者に対する「特権」があり、それゆえに専門性を有する教育研究者によって構成される教授会の自治が大学の自治の中心であるとし、教授会の権限の保障を広く解していました。この説によれば、従来は23条で保障されるその権限の範囲を画することができていなかったために曖昧になっていた問題が明らかになるという点で重要であると思います。ただ、他の人が述べているようにこの説を取ることによって、今回の法改正が憲法問題となるのか疑問ですし、今回の法改正が教授会の権限を狭めているために憲法23条の問題にもなるとしても、なぜ学校教育法だけが違憲の疑いがあると言えるのかについても疑問でした。

 憲法とは関係ないですが大学改革の話から、国から独立している組織に対して、 国が組織構造(・運営)を法律で決めることに必要性はあるのかなと感じました。確かに、公金を支出しているため評価制度や違法行為に対する罰則は必要そ うですが、組織の運営に関してはそれぞれの組織がいかに自律的・主体的に運営 していくことができるかを考えるべきではないかなと思います。今回の法改正に ついては、教授会はこれまで慣行で行われてきた権限もあり、それを法改正によって学長の権限を強めるためにその権限の縮減を意図したとしても、実際の運営は各大学がどういう選択をするのかによるのではないか思います。さらに、今回のように学長の権限を強めて大学改革を進めようとするのは形式的に意味があるものかもしれませんが、運営の面からすれば大学全体で取り組もうと思えるような体制を作る必要があるような気がします。それぞれの大学の良さを活かすならば、大学内部での自律的な討議や決定のプロセスが重要になるのではないかなと思います。

 今回は、憲法論だけではなく、先生から大学運営の面からのお話も聞くことがで き、現在の大学改革の問題点やこれから大学をどう位置付けていくのかといったような問題を考えなければならないと思わされる報告でした。

 次週は、茶畑君の憲法96条の改正可能性についての報告です。2013年に話題に上った時、あんまりついていけなかったので次回のゼミを機にもう一度勉強したいと思います。

投稿者:マスク   #135

 今回はるいすくんが「大学の自治と教授会」というテーマで報告してくれました。

 正直に言いますと、この報告の前までは教授会の自治の重要性というものがいまいち分かっていませんでした。むしろ、大学の経営面についてはその道のプロに任せてしまった方がよいというような考えを持っていました。特に国公立大学では、公金が支出されているのですからそのような要請が強まっても仕方がないとさえ思っていました。しかし、今回の報告においてベースとなった高柳信一先生による学問の自由から教育研究者の自治の保障が導かれるという見解はもっともであると思いました。大学と一般企業とを同一の枠組みで捉えるべきではないと考えられます。というのも、確かに国公立大学はそのリソースの大部分を国に賄ってもらっているかもしれませんが、それは大学に対して社会的責任を果たすことを期待しているためだと思われます。そう考えますと、大学には社会的責任を果たしてもらわなければなりませんが、大学がリソースを活用して社会的責任を果たすためには研究者らが学問的な自由の下で真理探究を行う必要があります。つまり、一般企業とは異なり、大学の社会的責任を果たすためには、運営管理能力だけではなく研究者らの自由の保障が必要であると考えられます。  

 以上から、研究者らの自由の保障は、純粋な学問のためはもちろん、社会的責任を果たすためにも必要であるというのはもっともな意見だと思います。ただ、このようなもっともな見解が存在するにもかかわらず、学教法や国大法人法が、教授会ではなく学長の権限を強める形で改正されたというのは、教授会に対する不信感があったからではないかと勘ぐってしまいました。報告では、「もし教授会の決定に大きな過誤があれば「学会」という上部組織からの勧告的な評価がある」というようなことが述べられていましたが(このような趣旨だったかは自信がありません…)、そのような学会全体の自浄機能とも言うべきところに全幅の信頼を置くことができるのか疑問でした。

 このような不信感を拭うには、教授会はある程度の透明化が必要であると思います。かといって、学教法改正のような教授会を無視してしまうことも可能とするような方針にも賛同できかねます。教授会の自治やその意見表明を保障しつつ、教授会の暴走を(言葉は悪いですが)監視するような法改正というのはできないものなのでしょうか。もちろん、大学を運営するときに効率面を度外視することは妥当ではないと思われますが、そこにスピードまで求めてしまうと、大きな無駄を省こうとするときに学問的に重要な分野まで削ってしまうという事態に陥りかねません。学問というのは、短期間で効果が出るものではないのですから、長期的に考えるべきであると思います。革新を求めてばかりいると、学問の根幹を脅かすのではないでしょうか。  

 と、元々はそこまで関心がなかった領域でしたが、今回の報告を通して、その問題点や課題に気付けたように思います。るいすくん、ありがとうございました、そして報告お疲れ様でした!

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第18回(2015年11月3日・火)個人報告⑧「憲法96条の改正可能性」(報告:茶畑、司会:はりそん)

投稿者:はりそん

 前回のゼミのテーマは憲法96条の改正は可能かというようなもので、法哲学的な話にもなる、とても難しい論点だったと思います。正直に申し上げますと何が起こっているかよくわかっていなかったので、司会をやってしまって本当に申し訳なかったです。  

 憲法改正限界論が有力とされている中、発表者は96条の合法(合憲)的改正可能性を示そうとしており、とても興味深かったです。特に先生との問答のようなところでも熟慮されたのであろう答えを院生にも負けないような速さと言葉選びで出していて尊敬せずにはいられませんでした。最終的には改正限界論を論破することは難しいとしながらも、その時の国民に任せるべきであるという現在主義的憲法観によれば、憲法に関しても決めるべきであるのはその時その時に憲法の影響をうける国民であるべきだという議論があり、それはなんとなくそんな気もするなぁという感じでした。しかしやはりそうあるべきであるというのと(私はこれはべき論ではないかと思いましたので)、それが憲法上許されることなのかというのはまた違う話であると思うので、これから発表者がどのような方向でこのテーマについて研究していくのかが楽しみです。  

 発表について正しい理解ができている自信がないので間違いだらけのリポートになってしまったかもしれません。私は特にみなさんに出遅れてしまっている気がするので、次回からはさらっと文献を読んでくるのではなく、もう少し読み込んでから参加できるように心がけたいです。

投稿者:マスク

 今回は憲法96条の改正可能性について、茶畑くんが法理論的に改正不可能性を指摘する議論、主にロスの議論をベースに報告してくれました。この法哲学チックな報告を前に、正直面食らっていたのですが、とある人にこのテーマについて聞いたところ「ロスってアルフ・ロスでしょ?すごく面白そうなゼミだね」と言われ、ロスの名前に全くピンと来なかった自分が恥ずかしくなりました。さすが独自の世界観を持ってる茶畑くん…黒板を使った説明も分かりやすくて良かったです。

 報告では、正当性と妥当性のうち、正当性に焦点をあてて、憲法96条による憲法96条の改正の法的正当化は図りえないとするロスの議論取り上げていました。そして、茶畑くんは、それに対する批判となりうる見解をあげて、それを検討した上で、その批判がロスの議論を崩すものではないとしていた、と理解しております。ここまでは理論上改正が不可能であるとしたのですが、その上で、憲法の性格を考えた上で現在主義的憲法観を採り、上位規範の存在を見出だすべきとしていました。確かに、茶畑くんの言うとおり、上位規範の妥当性は考えられるものであると思います。しかし、後法優位原則との違いを考えたときに、上位規範の正当性を抜きに議論することは難しいのではないかと思います。また、永久主義的憲法観を採る立場からすると、受け入れられない見解であるように思えて、結局は主義の違いに帰結してしまうような気がしました。

 とはいえ、ここまで論理的に問題を考えることがなかなかありませんでしたので、大変貴重な機会でした。憲法改正については、政治的な議論も重要ではありますが、論理的な検討を抜きに必要性だけを論じていては芯のない議論になってしまいかねないと思います。茶畑くん、ありがとうございました。

投稿者:茶畑 

 今回は、96条によって96条を改正することができるのか、という問題を報告で扱いました。法哲学(さらには哲学)の領域にも踏み込まざるを得なかったため、若干分かりにくい報告になってしまったかもしれない(にも関わらず説明は早口)というところが反省ポイントでした。

 この報告のそもそもの問題意識(と言いますか、きっかけ)は、留学先の比較憲法の講義で南アフリカ共和国憲法が憲法規範の性質によってその改正要件を別々に設定していることを聞いて(たとえば総則的なchapter 1は国会の構成員の四分の三の賛成、六州以上の地方議会の賛成、人権規定を定めるchapter 2は、国会の構成員の三分の二の賛成、6州以上の地方議会の賛成が必要)日本国憲法もそんなふうにしたらいいのに!と単純に考えたことでした。明らかに自然法的な発想に依っているように思われる改正規定ですが、それはそれとして報告では96条の改正不能性を法論理的に唱える説が同じく法論理的に改正可能性を唱える説からされる批判に耐えうるものであるのかを検討しました。

 最後の議論については他の人が書いてくださっているので、その他を雑観してみます。菅野喜八郎先生の改正可能性の提示(清宮先生の批判が主名目になっているような感はあるものの)は報告準備を進めながらこんな批判はないのかなと考えていたそのもので、法段階説の再考(メルクルの著作の正しい読み解き)から裏付けられていました。法の「上位性」にかかる制約的法規としての上位性と法的効力としての上位性を区別する考え方は、国際法国内法の一元論・二元論の問題にも有用なのかもしれません(論を改めて考察したいなと思っています)。

 他方、大屋先生の根元的規約主義的解釈論観からするロスの議論に対する批判も扱いました。規約主義を論じ詰めていくと根元的規約主義に落ち着くのは当然で、これを否定するならば実在論によるしかないと思われるところ、ロスの議論はどのように批判されるか検討を行いましたが、その検討に今頃になってなんだか怪しさを感じ始めたところなのでもう少し考えてみようと思います。  

 報告準備では法哲学と憲法学を行ったり来たりしましたが、問いに対する帰結が相反する部分が多いように感じました。どのような憲法観を採用するのかということまで含めて、そのあたりの折衝をどのように考えていくかが改正規定の改正可能性を考える上で必要なのではないかと思います。しかし時間をかけて準備しても一週間たつとそれに疑義が生じるので検討の止め時(?)は無いんだなと実感しています。引き続きこのテーマについて考えていきたいです 。  

 次回は、の報告で「部分無効と司法救済」です。「乞うご期待!!」とのことなのでとても楽しみですね!しっかり予習をして臨みます。

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第19回(2015年11月13日・金)個人報告⑨「部分違憲と司法的救済」(報告:イブ、司会:ガク)

投稿者:ガク

 今回は、「部分違憲と司法的救済」というテーマのもとで国籍法違憲判決を検討していった。報告の途中に時事ネタで場を沸かせたり、「おわりに」では‘アンタッチャブルライン‘という奇をてらった文言があったりと、三年生とは思えないほど物怖じせず快活な報告であり、次期ゼミ長の座を狙うイブならではの非常に良い報告だったと思う。  

 議論の内容に関しては二つの視点に絞って振り返っていきたい。まず一つ目が文言上の部分違憲と意味上の部分違憲の差異に関する問題である。この点において、報告者は文言上の部分違憲の採用を推していたがやはり私としては意味上の部分違憲のほうが、司法と立法の摩擦軽減の観点からいって妥当な印象を受ける。先生がゼミ中におっしゃったオフレコの話を聞く限りでも、国会との軋轢を生む可能性が高い文言上の部分違憲を積極的に採用するメリットは少ないと感じた。  

 そして二つ目は、根源的規約主義の破壊力である。今期ゼミきっての法哲学者である茶畑が放った、「『適用なしに法文の意味は形成されない』という観点のもとで『文面審査ではなく適用審査をすべきだ』という解釈もあるのでは」という趣旨の質問に始まった議論であったのだが、皆が一瞬「確かに」と思ってしまったのではなかろうか。「裁判官が果たして根源的規約主義をとれるのか」という先生の助言により終結した議論ではあったが、前回の報告に引き続き根源的規約主義にはものすごい破壊力があるなと考えさせられる議論であった。  

 議論内容を少し振り返ってみたが、最後は報告者であるイブがゼミ長不在のゼミを必死に盛り上げようと汗水流して悪戦苦闘していたことに対して賛辞を呈して結びとしたい。次回の報告のテーマも「憲法判断の回避」であり、憲法訴訟論を扱うそうだ。今回と似通った部分があるためか、次回の報告につなげようと必死に質問していたトムリンソンの姿が印象的であった。質問を通して何かヒントは掴めただろうか。今回の議論を踏まえた形で論を展開してくれるはずなので次回のゼミも大いに期待したい。

投稿者:イブ   #140

 今回は「部分違憲」という判断手法が如何なるものであるのかについて、違憲審査における位置づけ、部分違憲に基づく司法的救済の性質の観点から報告を行いました。報告の反省としては、報告の目的意識・考察が浅かったために必要以上に話題が広がってしまい、全体としてフワッとした出来になった点、レジュメの結びの部分で愚かにも奇をてらった結果大スベりした点が悔やまれます。ただ、去年のオープンゼミでとらさん・パーカーさんが座っていた206教室の黒板前の席に座って個人報告を無事に終えることができた点は個人的に誇らしく、後期は原則として第2研究会室でゼミが行われている中、スケジュール変更で幸運にも206教室で報告をできた自分の日頃の行いの良さは我ながら褒めてあげたいと思います。  

  冗談はさておき、議論の内容について振り返っていきます。まず私は適用審査を司法事実を直接の対象とする審査方法とし、そこからは適用違憲しか導かれないという分類を行っていました。そこでこの点につき、司法事実を見た上で法令違憲を出す場合、すなわち適用審査から導かれる法令違憲もあるのではないかという質問がなされたのですが、この点については市川正人先生がおっしゃる「具体的事実契機型文面審査」を採用することで答えとさせていただきました。「具体的事実契機型文面審査」とは「当該具体的事実に適用された法律の合憲性についての裁判官の(個別のまたは議論に基づく共通の)認識を契機として文面審査がなされるということ」です。確かに、適用審査から法令違憲を導ける、としてしまえば手っ取り早く、このような考え方は迂遠だという意見もあるでしょう。しかしながらこの考えは裁判所が適用審査の帰結として法令違憲の判断を下したことがないという現実の司法審査の状況を踏まえたうえで、これを整合的に説明するためのものであると考えるならば、これを採用する意義も大いにあるものであると考えています。

 また、文面審査については「根元的規約主義の申し子」こと茶畑くんから「根元的規約主義から考えれば『適用がなければ法律の意味が確定しない』のだから文面審査は採り得ない。適用審査のみで違憲審査は行われるべきなのだ。」という趣旨の指摘がありましたが、この点に関しましては南野先生がおっしゃったように、根元的規約主義の立場から考えると、最初にその法を適用する裁判官の判断を説明することができなくなるため、司法による判断というものがそもそも根元的規約主義とは馴染まないものなのではないかと思います。が、これについて最近茶畑くんに聞いたところまだまだ言いたいことがあるようですので、その辺の詳しいところは彼のリポート若しくは今後のゼミ中の発言に期待したいと思います。

 部分違憲、またそのモデルとして検討した国籍法違憲判決については、私は部分違憲を文言上の部分違憲、意味上の部分違憲に分け、国籍法違憲判決では文言上の可分性があると考えられることから文言上の部分違憲を採ったものであると考えていました。この点につき、まずさんとすさんから意味上の部分違憲にせよ、文言上の部分違憲にせよ「修文」が行われるならば、区別をする必要がないのではないかという指摘がありました。この点に関しましては、国籍法違憲判決では文言上の部分違憲とも意味上の部分違憲とも解釈できるように判示していることから、最高裁が両者の区別をしていないと解釈することも可能であり、どちらにせよ当事者の救済も可能ではあるのですが、石川健治先生のお言葉をお借りするならば、やはり意味上の部分違憲を採った場合は「『意味』だけを削除されたテクストの後始末を任される立法者の困惑」が生ずることとなります。したがって、文言上の部分違憲を採ることができる場合であれば、文言上の部分違憲を採った方が立法府にとっても喜ばしいものであると考えられますし、この意味でも両者の区別はやはり必要であると考えています。

 そしてトムリンソンからは意味上の部分違憲と合憲限定解釈の区別について質問がありました。これについては再度申しあげますと、私は合憲限定解釈が法の文言と社会通念に縛られるものであるのに対し、意味上の部分違憲は比較的法の文言からは自由に観念上の意味解釈を行い得る点を両者の効果の点における本質的相違に次いで大きな相違点であると考えています。トムリンソンとしては合憲限定解釈を縛る「社会通念」と「文言」も結局は裁判官の良心・裁量に依らざるを得ないことから、実質的に合憲限定解釈もそれほど「不自由な」解釈、判断の手法であるとは言えないのではないかということを主張したかったのだと思います。確かに「社会通念」というものをそもそも「裁判官の考える社会通念」と捉えるのであれば、合憲限定解釈と意味上の部分違憲の差異というものは合憲判断か違憲判断かという点にしかないことになります。この点につきましてはなんとか反論したいところなのですが、私の中でもまだ明確に答えが出ていませんので、そこは今後のゼミ等を通して考えていきたい、ということでご容赦ください。

 さて、次回はそんな鋭い指摘をなげかけてくれたトムリンソンの個人報告、テーマは「憲法判断の回避」です。報告の準備を通して悩みすぎた挙句、精神が摩耗し、「報告準備ゾンビ」と揶揄されている彼ですが、無事、11月19日の朝日を見ることができることを祈っています。

投稿者:パーカー 

 今回、2週分のリポートを書きます。  

 まず、茶畑くんによる、「憲法96条の改正可能性」についての報告です。最近何かと話題に上ることの多い議論であり、個人的にも気になる内容の報告でした。茶畑くんはこの報告のために3ヶ月以上の歳月をかけていると巷で噂となっており、もう少しでNAVERにまとめられてしまうほどの必死な形相で文献と格闘している茶畑くんの姿を、よく図書館で見かけました。  

 報告は、改正限界説に立つ清宮先生の議論、ロスの議論を概観した後、改正可能性を提示する菅野先生、大屋先生の議論がロスの批判をかわすことができているかを検討した後に、茶畑くんの私見を提示するという形でした。この報告の前までは個人的になんとなく改正はできないのではないかという考えでしたが、配布文献に目を通すと改正はできるのではないかと少しは思いました。しかし、正直なところ議論が難しく、確固たる自分の考えを持つには至ることができませんでした。茶畑くんはこれらの難解な議論を、限られた紙幅でできるだけ分かりやすく伝えることができていたと思います。内容については報告者のリポートに譲るとして、個人的な感想は、ロスのいう意味の不確定性がそのまま改正の不可能性につながるのかどうかというところがどうもすっきりしないということです。  

 コアセミナー の時に野矢茂樹先生の本を読んだこともあって、根源的規約主義などの哲学用語に触れるのは初めてではなかったですが、哲学チックなものについては1年生の時に少しかじっていただけであり、当時はその難しさゆえにかじっただけで歯が折れるほどでした。ただ、報告中に登場した「根源的規約主義」、「プリコミットメント」という言葉は、13期南野ゼミの流行語大賞にノミネートされるのではないでしょうか。  

 次に、イブくんによる、「部分違憲と司法的救済」についての報告です。国籍法違憲判決をベースに、それが司法による立法作用に当たるのかどうかということに報告の主眼が置かれていたように思います。議論の最初にさんとすくんが「文言上の部分違憲と意味上の部分違憲の違いはそん なに大きいものではないのではないか」という爆弾を投下していて、イブくんも少しのけぞっていましたが、違憲判決が立法府に与えるインパクトに違いがあるという分かりやすい説明できちんと対応していました。また、マスクさんによる、法廷意見が分かれたのは国籍法を国籍付与の規定と見るか、準正子のための規定と見るかによっているのではないかという鋭い指摘もありました。

 個人的に気になったのは、報告の内容とは少し離れますが、司法府の違憲判決が立法府に対して与えるインパクトは実際どの程度のものなのかということです。訴訟当事者の救済と司法による立法作用との境界線は、司法府と立法府の関係性においても重要で、違憲判決の効力論などとも関わりがあって興味深いですが、同時に 落とし所を上手く設定するのも難しいと思います。この点に関しては、コモク先輩がフランスの議論を参考に論文を書かれるとのことなので、論文が出来上がったら読ませていただき、少しでも早くこの疑問点を氷解させたいと思います。  

 イブくんは「おわりに」で茶畑くんの「プリコミットメント」を意識してか、「アンタッチャブルライン」というわけの分からない言葉を使用していましたが、「不可侵の領域」などという言葉の方がもう少しスマートだったのではないでしょうか。  

 さて、次回はトムリンソンくんによる、「憲法判断の回避」についての報告です。三権が絡むテーマが続きますが、個人的にはこのあたりは好きなテーマなので、しっかり予習をしてゼミに臨みたいと思います 。少し寒くなってきましたが、皆さん体調には気をつけましょう!!

投稿者:dtk

 皆さん、後期5回目のゼミお疲れさまでした。今回は、イブくんが「部分違憲と司法的救済」というテーマで報告を行ってくれました。違憲審査については、9つの法令違憲判決があること程度は知っていましたが、具体的にそのテーマについて著した論文に目を通す機会が今までほとんどなかったので、本報告は非常に勉強になりました。ゼミ終盤の、根源的規約主義者である茶畑くんの指摘も鋭いもので、前回の報告内容を全く別の議論につなげるあたりには、単純に凄いと感じました。また、さりげなく報告レジュメに図を挿入してくれていたのには、イブくんの優しさを感じました。

 内容としては、まず、付随的違憲審査制の下での違憲審査の方法が文面審査と適用審査の二つに大きく分けられ、部分違憲が前者に分類されるとしました。次に、法規定の一部を違憲としその部分において無効とする部分違憲について、意味上と文言上に二分されることを述べた後、可分性の有無の判断基準の検討、意味上の部分違憲と合憲限定解釈、適用違憲の三つがそれぞれ区別されるものであることの検討を行っていました。最後に国籍法違憲判決に焦点を当て、同判決多数意見が文言上の部分違憲を採ったものであること、藤田意見や反対意見の検討を行っていくという構成でした。

 個人的には、意味上の部分違憲が観念上の修文であり、明確に立法府に修文を促すかどうかで、文言上の部分違憲には劣る可能性があるという点に関しては、やはり司法府と立法府の軋轢を回避するという側面を考えれば、意味上の部分違憲を用いる方が良いような気がしました。特に、どちらの手法を用いても結果的にはあまり変わらないような場合には、なおさらだと思います。

 最後になりますが、次回の報告は、本報告とも関連する部分がある、トムリンソンくんの「憲法判断の回避」です。今回の報告を何とか自分の報告につなげようとしていたので、どういう内容になっているのか凄く楽しみです。しっかり予習をしてゼミに臨みたいと思います。

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第20回(2015年11月18日・水)個人報告⑩「憲法判断の回避」(報告:トムリンソン、司会:パーカー)

投稿者:パム

 今回の報告は、トムリンソン君による「憲法判断の回避」についての報告でした。準備期間はゾンビになってしまうくらい悩み苦しんでいたようでしたが、議論も盛り上がりを見せ、非常に興味深い内容だったと思います。トムリンソン君、お疲れ様でした。

 議論では、裁量説における、憲法判断回避の形式的限界の要件として挙げられていた「通常の判断能力を有する一般人」でも読み取れる程度の解釈というのがどういうものであるかというのが大きな論点でした。確かにトムリンソン君が主張していたように部分違憲とする方が、より「一般人の理解」には適った方法であるとは思いますが、これまでの合憲限定解釈を用いた判例や、「一般人」を裁判官が持ち出すのは自身の解釈の正当化が目的ではないかという先生の指摘を踏まえれば、この要件を合憲限定解釈ができるか否かの判断の基準とすることは難しいと思いました。

 他にも先生のお話では、裁判所が法の文言の意味としての限界を超えるようなトンデモ解釈を連発することは法の支配を歪めることにつながり、また、文言の限界を超える解釈である疑いが強い監獄法等の事例においては、監獄法改正を間近に控えた時期での裁判だったなどの事案ごとの事情があるという指摘がされていました。これらのことを踏まえると、裁判所が違憲判断を連発する場合、もしくは文言の無茶な解釈によって憲法判断を回避する場合のどちらに偏っても裁判所自身の権威を危うくすることにつながると考えられますが、そうであればわざわざ学説の方から、憲法判断回避の裁量を狭める要件を掲示することにどこまでの必要性があるのかという疑問が残りました。

 僕自身としては、当事者の権利救済がされているのであれば、憲法判断を回避するかしないかについては、裁判所が自らの権威を乏しめることのないように行使するであろう裁量に委ねるというスタンスでも問題ないのではないかと思います。

 次回はガクさんによる「国家秘密と取材の自由の限界」というテーマでの報告です。特定秘密保護法については2年生のときの熊野先生の授業で、ナチスの手口に学んだ悪法であるといった説明がされていて、悪いイメージしかないのですが、実際にどのような問題を抱えているのかあまりわかっていないので、しっかり予習をして臨みたいと思います。

投稿者:パーカー

 今回は、トムリンソンくんによる「憲法判断の回避」についての報告でした。報告の内容を概観すると、まず憲法判断の回避について、ブランダイスルールなどに触れながら一通り説明したあとに学説の整理を行い、裁量説に分があることを認めた上で、裁量の限界に関して明確な基準を定立しようという問題意識の下で、ダンスクラブの営業許可に関する事例を用いて具体的な解釈の基準について検討を加えるというものでした。報告の構造が明瞭で分かりやすかったと思います。  

 報告の詳しい内容については他のリポートに譲るとして、印象に残った箇所や疑問に思った箇所について記しておきたいと思います。まず、印象に残った箇所について、合憲限定解釈は裁判所にとっては非常に美味しい手法なのではないかということです。というのも、裁判所は既存の法律を自らの権限に基づく解釈によって実質的に異なるものとして運用させることができ、かつ外形的には違憲判決という様相を呈してはいないので立法府との軋轢も少なくなるからです。しかし、美味しい手法であるゆえに諸刃の剣のような側面もあることは否めず、元となる法律の文言とあまりにかけ離れた解釈を裁判所が頻繁に行うようになると法の支配が揺らいでしまうのではないかと感じました 。

 この点に関して、合憲限定解釈とは少し離れますが、先生は改正前利息制限法に関する判例(おそらく最高裁昭和43年11月13日大法廷判決?)に言及されていました。判旨は、「利息制限法1条、4条の各2項は、債務者が同法所定の利率をこえて利息・損害金を任意に支払ったときは、その超過部分の返還を請求することができない旨規定するが、この規定は、金銭を目的とする消費貸借について元本債権の存在することを当然の前提とするものである。けだし、元本債権の存在しないところに利息・損害金の発生の余地がなく、したがって、利息・損害金の超過支払ということもあり得ないからである。」 「したがって、債務者が利息制限法所定の制限をこえて任意に利息・損害金の支払を継続し、その制限超過部分を元本に充当すると、計算上元本が完済となったとき、その後に支払われた金額は、債務が存在しないのにその弁済として支払われたものに外ならないから、この場合には、右利息制限法の法条の適用はなく、民法の規定するところにより、不当利得の返還を請求することができるものと解するのが相当である。」というものですが、報告のテーマに関係がある点について簡潔にまとめると、条文上は「できない」と規定されているものを「できる」という意味に解釈せよ、という判決だと言えます。

 過払い金に苦しむ人々を救済するという観点からは重要な判例だと評価できますが、当時の民法学界では 、この判例に対して法律の解釈の限界を超えるものだとする批判もあったようです。また、裁判所の解釈が「一般人の理解」と隔たりがないかどうかが基準のうちの一つとして言及されますが、自分は、裁判所が用いる「一般人」という言葉は文字通りの意味を指すのではなく、裁判所が自身の判断なり解釈なりに説得力を与える一つの語法に過ぎず、具体的な「一般人」を措定した文言ではないのではないかと感じました。それだからこそ、裁判所が「一般人」の理解、「法の趣旨」、「社会通念」などのマジックワードによって無理のある解釈を正当化する判決を頻発させてしまうと、今度は人々の方が「裁判所がこんな無理解釈をするのだから、これをしても裁判所に訴えればこういう風に解釈してくれるかも しれない」と思うようになるかもしれず、法の規範としての機能が損なわれて結果として法の支配が揺らいでしまう可能性があり、したがって学説が裁量及び解釈の限界を指し示しておくことに意義があるのだと思います。

  次に、疑問に思った箇所についてですが、まず、憲法判断の回避の形式的限界(法律解釈の限界)に関して、この形式的限界は、司法権に内在する解釈の限界なのか、それとも立法府との関係で定まる外在的な限界なのか、その両方が妥当するのか、ということです。分かりやすい具体例を挙げるのは難しいですが、もし形式的限界が司法権に内在する限界であるのならば、文言とあまりにもかけ離れていない解釈である限りは、裁判所は本来は立法による解決に任せることがふさわしい内容の解釈であっても行うことができるという結論になる気がしますが、形式的限界が立法府との関係で定まる外在的なものであれば、文言とそこまでかけ離れていない解釈であっても内容的には立法による解決がふさわしいの であれば、裁判所はそういった解釈を行うことはできないという結論になる気がします。上手く言葉にすることができませんし、法律の文言の意味は裁判所の解釈によって初めて成立するもので、裁判所の解釈以前にはそれを確定させることができないのではないかという疑問もあり、この点に関してはこの辺りで筆を置こうと思います。やはり、根元的規約主義をもう一度しっかり学ぶ必要がありそうです(笑)。

 もう一つの疑問点は、ムタさんも言っていたように(曲解していたらすみません)、刑罰法規に関して、法律の文面の明確性の原則は憲法31条の適正手続の要請ですが、裁判所が法律を解釈するときの形式的限界も憲法31条の要請なのか、それとも別個のものなのかということですが、考えれば考えるほど分からなくなります。 多少長くなってしまいましたが、議論も盛り上がり、自分自身は興味のあるテーマだったので楽しかったです。

 さて、次回はガクくんによる「国家秘密と取材の自由の限界」に関する報告です。4年生の個人報告一発目ということもあり、ガクだけに足がガクガクになるほど緊張している(山田くん、座布団!)でしょうが、頑張って下さい!!

投稿者:トムリンソン   #145 

 今回は、個人報告ということでグループ報告では味わうことのなかったプレッ シャーや大変さがあり、報告の準備がとても大変でしたが、(一部ゼミ生の間では「報告準備ゾンビ」と揶揄されていたようです・・・)一応無事に11月19日の朝を迎えることができ、ほっとしています。  

 報告者としては、憲法判断回避の可否が問題となる場面において、原則的には憲法判断は回避されるべきであるとし、例外的に憲法判断まで踏み込むべき場合もあるが、最終的には裁判所の裁量とする裁量説には「限界」があるという立場をとり、その「限界」がどこにあるのかという点につき具体的事案を取り上げつつ報告を行いました。 議論では、表現の自由を規制する刑罰法規の場合、萎縮効果という側面から 「通常の判断能力を有する一般人の理解」を超える憲法判断を回避する法律解釈 は許されないとした点につき、様々な意見を頂けました。

 私としては、「通常の 判断能力を有する一般人の理解」がどの程度までの理解なのかという点を明確に 定義づけずに、「検察官ですら読み違えて起訴している」ような場合は「通常の判断能力を有する一般人の理解」を超えるといえるとしました。しかし、そのように考えてしまうと、「すべての刑事事件につき起訴された場合は、適用され(う)る法令の解釈が『通常の判断能力を有する一般人の理解』を超えるものであって憲法判断に踏みこむべきとなるのではないか」というさんとすさんのご指摘がありました。この点は、表現の自由を制約する刑罰法規が問題となっている場合は、すべて憲法判断すべきだと私は考えます。単に、構成要件に該当しないからその法律の合憲性・違憲性を問う必要はないとしてしまうと、やはり表現の自由を制約する法令の場合は、萎縮効果を除去しきれず妥当ではないと考えるからです。

 そのほかにも、「萎縮効果という点から見ると『経済的自由』を制約する法令でも、萎縮効果は働きうるのであるから、そのような法令にも『一般人』 の基準が妥当するのではないか」というル・次期ゼミ長候補くんるいすくんからのご指摘がありました。確かに表現の自由の中でも、自己統治の価値に支えられているとは言えない「ダンス」の表現の自由には、政治的言論ほどの優先的地位が認められず、経済的自由と同等程度の保障でよいと考えれば、経済的自由を 規制する法令にも「一般人」の基準は妥当すると思います。しかし、この点につ いては、表現の自由や経済的自由の中身についてもう少し検討する必要があると思うので、ぜひ2人と議論したいと思います。

 今回の報告にあたり、様々な方に相談に乗っていただきました。お忙しい中、 長時間にわたって、結論がなかなか出ない相談に乗ってくださった皆さん、ありがとうございました。次回は「マスメディアの一翼を担っていく」ガクさんによ る「国家秘密と取材の自由の限界」をテーマとした報告です。非常に興味深いテーマなので配布文献だけでなく、参考文献にもしっかり目を通してゼミに臨みたいと思います。

 日付が変わりまして、11月22日は、ゼミOB・OG会が開催されました。弁護士をされている先輩、公務員として活躍されている先輩、企業の第一線で活躍されている先輩などたくさんのOB・OGの方々にお越しいただきました。普段どのようなお仕事をされているのか、学生時代はどのように過ごしていたかなどのお話をとても近い距離で伺うことができ、本当に有意義な時間となりました。このような様々な分野で活躍されているOB・OGの方々とのつながりを持つことが出来たのも南野ゼミに所属しているからであって、あらためてこのゼミに入ってよかったと思いました。気が付けば、このメンバーでゼミを行うのも残り少なくなってきましたが、これからもゼミを盛り上げられるようにしっかり努力していきたいと思います。

投稿者:りちゃ

 第8回のイブの報告に続き、第9回の個人報告ではトムリンソンによって「憲法判断の回避」という憲法訴訟に関する報告がなされました。イブとトムリンソンの報告日程のスパンが短くリポートを出し損ねてしまったので、ここで2回分簡単に書きたいと思います。  

 まず、イブによる「部分違憲と司法的救済」の報告では、国籍法違憲判決を題材 に意味上の部分違憲・文言上の部分違憲について検討しました。この国籍法違憲判決はちょうどイブの報告の前の週にあった、九大法科大学院入試の憲法の問題にちょうどとりあげられていた判例だったので、「あと1週間早ければ…」と惜しまれるところです。また、イブはこの個人報告に相当な時間と労力をかけていたよ うで、読んだ文献全てを事細かにまとめた彼のノートや、きれいにファイリングをしたブリーフケース等からもその様子が窺えました。報告自体も分かりやすくまとめられており、レジュメも読みやすかったです。お疲れ様でした。

 イブの報告を受けて、個人的には意味上の部分違憲と適用違憲の違いが気になりました。というのは、イブの報告によると部分違憲と適用違憲の違いは①法的安 定性②国会との関係にあるということで、それ自体は納得できたのですが、具体的にどういう風に使い分けているのか、どう答案上で使い分けるのか(法科大学院の入試のように国籍法違憲判決が題材であると分かっていれば部分違憲を使うということが分かると思うのですが。) という疑問が生じました。今週で、ジョイさんもムタさんもロー入試が終わったようですが(お二人とも本当にお疲れ様でした。) 、来年は自分たちの番なので、こういった疑問も解決できるようにこれから頑張っていかなければいけないな、と思ったイブの報告回でした。

 次に、トムリンソンの報告についてですが、彼もイブ同様かなり準備に力を入れ ていたようで、サロンや深夜のマックで報告準備ゾンビになっている姿を Twitter上で度々目にしました。彼の報告は、「憲法判断の回避」というテーマですが、ブランダイスルールを検討するだけでなく、イブの報告を受けてそれを踏まえた上で具体的事案に当てはめて結論を出すという構造だったので、扱う範囲が広く大変だったと思いますが、とても分かりやすい報告でした。お疲れ様でした。ゼミ当日は前日に打った予防注射の副作用が後々になって出てきたのか、体調が優れず、僕自身積極的に議論に加わっていくことができなかったのですが、 質問が終始飛び交っていてとても盛り上がっていた印象を受けました。

 さて、内容について言及していこうと思いますが、こうしてリポートを書こうとすると自分の理解が及んでいない点が明らかになって、なんだか危機感が募ります。いい制度だと改めて思うところです(笑)。 まず、僕が疑問に思うところは、本事例の憲法判断回避についてです。恵庭事件のようにただ法律の限定解釈をした上で構成要件該当性がないとする場合は、憲法判断の回避であるとすぐに分かりますが、本事例の判旨では職業の自由や表現の自由の言及があった上で風営法の限定解釈をしていることから、この手法は合憲限定解釈とどこが違うのかが気になりました。すなわち、合憲限定解釈は、一連の憲法判断の手法のうちで「違憲判断の回避」と位置付けられ、ある解釈をとれば当該法律が違憲となるとしている点で、憲法判断自体を行わない「憲法判断の回避」と区別され(畑尻剛「判批」長谷部恭男ほか編『憲法判例百選Ⅱ(第6版)』425 頁(有斐閣、2013))るため、もしこれが合憲限定解釈ならば「憲法判断の回避」は していないことになりますが、今回は憲法判断を回避しているとのことだったのでその前提がまず気になりました。

 表現の自由としての政治活動の自由について 言及する堀越事件(最判平成24年12月7日判時2174号21頁)も同じ枠組みだと思われ、その百選の解説にも「本件判決で示された解釈は、本件規定の文理のままでは規制範囲が広すぎ違憲の疑いがあるため、範囲を限定した上で合憲とする手法を採用したものではない」「いわゆるブランダイスルールとは異なり、『司法の自己抑制の観点からではなく、憲法判断に先立ち、国家の基本法である国家公務員法の解釈を…国家公務員法の構造、理念及び本件罰則規定の趣旨・目的等を総合考慮した上で行う』『通常の手法』である」等と書いてあるので、違いがあることは確かなのですが具体的にどう違うのか、ゼミの時からずっと疑問に思っていました。

 この点についてトムリンソンに後日サロンで教えてもらったのですが、解釈には憲法適合解釈と合憲限定解釈があって、「体系的解釈」を行う際に最高法規たる憲法の趣旨を盛り込んで行うのが憲法適合解釈であって、合憲限定解釈も前者に属するものの、この手法には強い含意があって、要件も厳しくなる(解釈が間違っていたらごめんなさい) とのことでした。 この説明まで聞いて、なるほど…と少し分かったような気になって今こうしてリポートを書いているわけですが、やはり理解が及んでいないようです。合憲限定解釈だと違憲判断の回避で憲法適合解釈の場合だったら憲法判断の回避という位置づけになるのですかね…?もう少しきちんと調べてみたいと思います。前回・今回と憲法訴訟論ということでテーマ自体少し難しかったような気がしますが、イブの報告もトムリンソンの報告もとても楽しかったです。また、部分違憲にはじまり適用違憲についての疑問が生じたり、憲法判断の回避にはじまり憲法適合解釈についての疑問が生じたりと、知的好奇心も刺激されました。2人ともお疲れ様でした。

 次回は4年生トップバッター、ガクさんの個人報告ですね。特定秘密保護法案に ついてあまり詳しいことを知らないので、これを機に勉強したいと思います。

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第21回(2015年11月25日・水)個人報告⑪「国家秘密と取材の自由の限界」(報告:ガク、司会:ましゅ麻呂)

投稿者:ましゅ麻呂

 報告者のガクさんお疲れ様でした!! 今後マスメディアの一翼を担う身として、外務省秘密電文漏洩事件(以下「外務省事件」)と特定秘密保護法(以下「本法」)を題材に挙げ、取材の自由について検討してくれました。報告のスタンスがはっきりしていて、大変白熱した議論となり楽しいゼミだったと思います! 司会の身として、報告の内容と議論の内容とを簡潔にまとめさせて頂きます。

 報告の内容ですが、1章で取材の自由についての概観を示し、2章で取材の自由と国家秘密との関係性につき外務省事件を中心に検討、3章では国家秘密の中で もとりわけ特定秘密を対象に、取材の自由の切り口から本法を論じてくれました。より詳細に言うと、報告者は取材の自由に対し肯定説を採り憲法上の保証を与えることが実態に即していると1章で主張します。その上で2章において、①外務省事件の電文における実質秘性は高くなく国民に知らされてしかるべきものであ り、②「そそのかし」をめぐる違法性判断において倫理や社会通念の比重が高す ぎるとして、無罪判決をすべきであったとの見解を示します。踏まえて3章では、秘密指定をめぐる問題(文言の曖昧さや指定の適正さ確保手段の不備等)と 委縮効果の問題(法定刑の引上げや配慮規定の問題点等)二つの観点から本法に対し改良の余地ありと結論付けています。そしてジャーナリストは堂々と取材活動を続けていくべきだと、今後の意気込みについて語ってくれました!

 ゼミの議論は本法をめぐるものが大半でしたが、発言者ごとに取材の自由や外務省事件に対する理解・評価の違いが見え隠れしていてとても興味深かったです。 例えば、さんとす氏の「取材の自由の請求権的側面と国民の知る権利の請求権的 側面とは重なり合うものなのか否か」という問いかけが印象に残っています。これは突き詰めていけば、本法の秘密指定における問題が「国民の知る権利」の問題にとどまるのか、それとも「マスメディアの特権としての取材の自由」の問題にまで及ぶのか、という問いかけに係ってくるのではないでしょうか?……なんて言ってみるものの全然突き詰めて考えられていませんが。笑

 最も議論となったのは委縮効果の問題でした。秘密指定の問題を残したままでの量刑の引上げは取材関係者に委縮効果を生じさせる、というのが報告者の立場だ と思います。これに対し、リチャからの「マイナンバー法とは次元こそ違うけれども、一般論的には共通しており、より高度な情報を扱うようになっているのだから量刑引き上げは何ら問題ない」との意見や、茶畑からの「保護法益の問題で、重要な情報程漏洩された際の社会的損害が大きくなるのだから整合的だ」との指摘がなされ、マスク氏との間で論闘がなされました。 その様子を見守りながら、「本当に良い報告っていうのは、報告者が発言しなくても議論が交わされていくものなんだ」と言ったガクさんの表情、最高でした。

 以上報告と議論を簡潔にまとめるつもりが……私の関心と解釈がかなり入ってしまったので、皆さま指摘・修正等して頂けると幸いです。 さて、来週は超強力機械さんによる難しそうな報告ですが「国家の役割」にも 迫ってくれるようで、知的好奇心がゾクゾクですね! 私は参加できず大変残念で なりませんが、その分来週の風景リポート楽しみにしています!! それでは、拙文失礼しました。

投稿者:ガク

 今までの三年生の報告が全て非常に質の高いものばかりだった中で迎えた四年生一発目の報告。「四年生はもっと質の良い報告ができるんですよね!」というような目に見えないプレッシャーに押しつぶされ、一時はどうなることやらと思いましたが予想以上に議論は盛り上がりを見せてくれてホッとしました。テーマは「国家秘密と取材の自由の限界」。議論を振り返りつつ自分の至らなかった部分を反省したいと思います。  

 外務省秘密電文漏洩事件の判例評釈に関してはあまり質問が出てこなかったのですが、それは佐藤幸治先生の意見に寄りすぎてしまい自分らしさのある検討が出来なかったことが原因だと考えます。インカメラ審理の是非などもここの検討の中で出来ていれば盛り上がったのではないかと思うんですが…。やはり紙幅に余裕のもてるテーマ選びも重要なポイントだと改めて気づかされました。  

 特定秘密保護法に関しては、法定刑と萎縮効果の関係を議論していた時りちゃから「マイナンバー法等に伴い日本国内において情報漏えいに対する厳罰化の流れが存在するため、法定刑を上げるのは合理的ではないのか」という旨の鋭い指摘を受けました。日本国内における個人情報の厳罰化の流れに対して目を向けていなかったため、りちゃの着眼点の良さには感服しました。この返答としては、やはりマスクトムリンソンが発言してくれていたように「情報の性質の違い」に着目する必要があるのではないかと思います。国家秘密のほうが外務省秘密電文漏洩事件の秘密のように、国民の知るべき内容が隠される恐れが高く、国民の知る権利が害されることに繋がります。そういった意味では取材の自由に対する制限に差を設けてもなんら非合理とは言えないのではないでしょうか。私はやはり、マスメディアが常に権力に対して疑いの目を持ち続け監視することの出来る制度設計こそ、真に国民の知る権利を保障することに繋がると考えています。  

 ここで話は変わりますが、ちょうどりちゃの質問あたりから、皆が思い思いに発言するようになり私の発言する回数が減っていきました。これは私が勉強不足だったからではありません。本当に良い報告というものは「報告者ばかりが話し続ける報告」ではなく「皆が白熱して議論を展開することが出来る報告」なのです。これを覚えておいて欲しいと思います。笑  

 最終的に「特定秘密保護法は合憲か違憲か」の表決をとったところ、合憲13:違憲9という結果になってしまい違憲の立場として報告をした私としては少し悔しさの残る結果となりました。ただ今回の報告を通して、ゼミ生の皆さんの取材の自由への理解がほんの少しでも深まってくれたのであれば幸いです。

 次回は超強力機械による「刑事立法と憲法」というテーマです。少し難しそうなテーマではありますが、オープンゼミということもあるので気合いを入れて臨みましょう。

投稿者:りちゃ 

 第11回個人報告ではガクさんによる「国家秘密と取材の自由の限界」という報告でした。今回が4年生最初の報告でしたが、今までの3年生とはうって変わって、ガクさんからはゼミが始まる直前でさえ余裕が感じられ、さすが4年生だと思いました。来年の目指すべき姿だと思います!  

 さて、報告の内容としては、取材の自由について外務省秘密電文漏洩事件(最判昭和53年5月31日刑集32巻3号457頁)を概観した上で、特定秘密保護法を検討しました。そもそも取材の自由は、①国民の「知る権利」に奉仕する報道の自由は憲法21条の保障の下にあり、②報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値すると判例で示されており、取材の自由については、21条によって直接憲法によって保障されるという考え方と表現の自由や報道の自由と比べて保障の程度が弱いと見る考えのどちらが妥当するのかという問題や、さんとすさんがゼミ中に質問された、国民の知る権利とマスメディアの取材の自由の関係など様々な問題について議論されているところだと思います。 そして、本報告の論点である国家機密の取材の自由の限界について、上記判例では報道目的のための相当な手段・方法による取材正当業務行為として違法性を欠くが、刑罰法令に触れる行為や、取材対象者の人格の尊厳を蹂躙するなど「法秩序全体の精神に照らし社会観念上是認することのできない態様のもの」は違法だという判断が下されています。これに対して、倫理的事項を考慮要素に加えている事は、学説から多く批判が加えられているようです。

  メインテーマ?である特定秘密保護法については、実際のところ理解が及んでいない部分が多々ありますが、報告後の率直な感想としては、特定秘密保護法がメディアの取材の自由の制限にはあたらないように思えました。特定秘密保護法ついて知識が乏しいので、時間があるときにしっかり自分で勉強しておきたいと思います。法定刑についてなどの議論も盛り上がり、非常に楽しかった報告回でした。ガクさんお疲れ様でした。

 さて、次回はいよいよオープンゼミですね! わくわくどきどきだと思いますが、超強力機械さん、頑張ってください!

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第22回(2015年12月4日・金)個人報告⑫「刑事立法と憲法」(報告:超強力機械、司会:むにむに)

投稿者:茶畑   #150

 超強力機械さん(以下、機械さん)、報告おつかれさまでした! 機械さん、いつもよりも若干黒目の面積が大きかった気がしますが、ともあれお疲れさまでした。刑罰権の根拠はどこにあるのか、その限界はどのように決められるか、という問題を扱った報告でしたが、いろいろと考えさせられるテーマでした! 僕の議論の入り方については、小手先の知識で発言する節がどうも最近あるようなので笑、気をつけたいと思うところでした。以下、内容について考えてみます。  

 機械さんは平川説に立って、国家が国家たるために必要な権力行使として刑罰権を捉えており、そのゆえに刑罰権の淵源は社会内部にあると考える一方で、「国民の意思に基づく合法的支配」や「人間の尊厳」、「自由と生存」といった諸原理、その根幹である立憲主義と法治主義に照らして、刑罰権は正統なものでなくてはならず、そのゆえに正統な刑罰権は憲法にその根拠があると考えるべきであるという結論をとっておられました。

 僕自身は、後者の言明は正しいとして、前者の言明にちょっとひっかかる部分があるように配布文献を読みながら感じていました。小手先の知識でローマ法には刑罰はなかったと発言しましたが(案の定今頃恥ずかしい思いをしているのですが)、ローマ法においては刑法の占めるウェイトは中世以降の時代の場合よりもずっと低く、また、民事的な制度と刑事的な制度とはそれほど明瞭に区別されておらず、境界領域においては相互浸蝕がしばしば見いだされる」※1ことはともかくとして、「共和制末期の刑事法規において、はじめて「犯罪」が枠づけられたことになる」※2ということのようでした。また、「自立的団体の制裁」なるものがあり、「氏族およびその発展形態とみられる家族による制裁があり、かなり後代まで国家法の適用外にあ」※3って、それも国家権力の成長に伴ってその役割も縮減していくとの記述がありました。

 このように見るとローマにおける国家権力がその体をなしてくるにつれて(警察機構が発展するので当然といえるかもしれませんが)刑事罰が準備されてきたという言い方が妥当であるように思われ、なんだか経験的事実の反証に失敗している感があります。ただし、国家権力が国家権力たるために刑事罰が必然のものとしてあるという言明も論証できないことには注意をしておかなくてはならないように思うので、やはり、憲法のみに刑事罰の存在とその正統性の根拠を求めていいのではないかという気がしています(改正限界論に立つならばそのように主張しても特に理論的に困ることはないのではないでしょうか)。  

 オープンゼミでしたが、二年生も来てくれて(背後に存在を感じていました)良かったです! むにむにさんが今回で最後のゼミになり、フィリピンに旅立つとのことで寂しくなりますね。。フィリピンでもがんばってください!!    

 来週は「今、もう一度考える安保法制」という題でカフェラテの報告です。4月ごろ初めて話したときから僕の中でカフェラテの報告内容の予測がなぜか立っていましたが、しっかり予習して臨みます!

 ※1,2,3 柴田光『ローマ法概説』(玄文社、1980)333ページ以下。

投稿者:超強力機械

 今回の報告を担当しました、超強力機械です。茶畑君から、遠回しに「オープンゼミだからって化粧気合入りすぎなんじゃないのか」という旨のご指摘をいただいていますが、そんなことはありません。いつも通りです。

 さて、今回の報告のテーマは、刑罰権の根拠と限界について、刑法と憲法の関係とを明らかにしながら探っていこう、というテーマでした。そこで、刑罰謙抑主義をめぐる阿部先生・杉原先生の議論をとりあげ、さらに憲法学的刑法学を提唱する平川先生の見解を紹介しました。報告者の私見は茶畑君が紹介してくれている通り、「正当な刑罰権」の根拠は憲法に求められ、そして「正当な刑罰権」の実体的限界は憲法31条で定められるとする平川説を妥当とする見解です。

 しかし、ジョイトムリンソンくんからの指摘もあった通り、それぞれの説を採用した場合に、刑罰権や刑法体系の解釈にいかなる違いが生まれるのかを明確にすることができず、今回の議論そのものも着地点の見えないものとなってしまいました。 刑罰権の根拠という論点について妥当な結論を導くためには、茶畑君から指摘のあった、国家と刑罰とのつながりや、平川説が重要視する「国民の意思に基づく合法的支配」や「人間の尊厳」「自由と生存」といった価値観についてのより詳細な検討が必要であったと思います。刑罰権の限界については、刑罰権の根拠との関係を明確にしつつ、刑法学における諸原則や「公共の福祉」論を踏まえながら更なる検討を行う必要があると感じました。

 折角のオープンゼミ第一週目、なんとも盛り上がりに欠ける議論となってしまい、司会のむにむにさんはじめゼミ生各位に大変気を遣わせてしまったこと、大変申し訳なく思っております。来週は13期南野ゼミの中でも随一のカリスマ性をもつカフェラテくんによる報告ですので、大いに盛り上がることと思います。見学に来てくださった2年生のみなさん、今回の報告で「ん?」と思われた方は、ぜひ来週ものぞきにいらしてください。それから、オープンゼミに際して一言添えておきますと、今期のゼミ生は男子学生が大半ですが、女子学生のみなさんも臆することなく参加していただきたいです! 南野ゼミは男女隔たりなく非常に仲の良い和気藹々としたゼミですよ!

  報告後、今回司会を務めてくれたむにむにさんのお見送り会がありました。(むにむにさんは2月まで海外のインターンに参加するそうです。)今回使わせていただいたお店は、後期からゼミに参加している美人留学生エ○ーナさんチョイスのお店でした。ガレットやクスクスなど、今まで食べたこともない料理も出てきて、弐の弐で餃子ばかりの南野ゼミコンパに新しい風が吹きましたね。これからのゼミコンパでもどんどん新しいお店を開拓していきたいです、コンパ係のみなさん、よろしくお願いします!

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第23回(2015年12月11日・金)個人報告⑬「今、もう一度考える安保法制」(報告:カフェラテ、司会:じょい)

投稿者:じょい

 今回の報告テーマは、集団的自衛権に関する7月1日の閣議決定と安保法制でした。まずはカフェラテくん、報告お疲れ様! 間に合うかどうか不安だったようですが、きちんと仕上げてくるあたりはさすがです。安保法制等は世間を賑わした話題なので、オープンゼミに相応しいテーマだったと思います。ゼミにおける modus vivendi を発見すべく、司会することを心がけましたが、あまり溝は埋まらなかったようです。  

 ゼミでの議論を簡単にまとめると、カフェラテくんは、主に山元先生の議論に依拠しながら、安保法制を合憲と結論づけようとしたのに対し、「ル」ことイブくんは法的安定性や9条解釈の帰結という観点から、安保法制を批判的に捉えていました。レジュメでは閣議決定についても触れられていましたが、争点となったのは、安保法制の方だったと思います。さすが集団的自衛権に詳しい(と自負している)さんだけあって、いつも以上に積極的に発言をしていました。あと、根元的規約主義論者からの指摘もありましたね。(子細に触れるだけの能力が無いので、これ以上は述べません。)  

 さて、改めてカフェラテくんが書いた私見を読み直すと、安保法制を合憲とする根拠として、2つの根拠があったように思います。まず、1点目は山元説に依拠して、多様なアクターによる議論を通して妥協点を見出すことができるであろうから、当面は今後の行方を見守る方が良いという根拠です。そして、2点目は、山元説に隠れてしまったように思えますが、安保法制は自衛隊の行動を国際法上の基準に定め直した程度のものに過ぎず、そして、その定め直した基準が問題ない以上、安保法制も合憲だという根拠です。

 このうち、1点目については、現実の現象を捉えればまさに山元説の言う通りかもしれないが、それは法学者が一般的に取っているとされる解釈手法と異なるものではないかという指摘が当てはまると思います。山元説が主張することはもっともだと思いますが、そのように言っただけでは、現実になされた解釈(及びそれに基づいてなされた行為)を追認することしかできないのではないかという疑問を抱きました。そして、2点目については、定め直した基準が閣議決定で言われていた内容を指し、かつ、この再構成された基準でのみ正当化できるという考え方を前提にすると、安保法制の規定は、かかる基準を超える行動も許容したと読むことができるので、そうすると、法の「立て付け」に問題があると言わざるを得ないのではないでしょうか。これは、南野先生がおっしゃった、漠然故に無効という考えにも通じるものだと思います。カフェラテくんに言わせれば、「このようなアクターもいる」ということになるのでしょうね。  

 次回は、パーカーくんが、再婚禁止期間と夫婦同氏制度の合憲性について判断した最高裁判決を、法学の世界で一番早く評釈してくれますパーカーくんの予想通りの判決が出されたようですね。再婚禁止期間につき、国賠の請求を棄却したにも関わらず、なぜ100日を超える部分につき、憲法違反の判断を行ったのかが気になるところです。(これを書いた時点では、速報のみ出ていたので、判決文まで読めませんでした。)

投稿者:カフェラテ

 まずはみなさん2回にわたるオープンゼミお疲れ様でした。「普段どおり」がモットーのオープンゼミでしたが、今回のゼミでは冒頭のゼミ旅行先決めの時から先生の「大盤振る舞い発言」などが連発し、いつも以上に気合いの入った南野ゼミは2年生が入りたいと渇望するゼミNo.1になったのではないしょうか。個人的には「沖縄・熊本〜弐ノ弐巡礼の旅」なんていいのではないかと思っております。    

 さて今回の報告についてのレポートですが、今回は私が「今、もう一度考える安保法制」という題で報告させていただきました。憲法ゼミに入った時から報告テーマは9条に関するものに設定したいなと思っていました。それは昔から日本の安全保障に興味があったからという単純な理由だったのですが、夏にゼミ研修として東京を訪れた際に目の当たりにした国会前でのデモのパワーはすごく、何がここまで人を突き動かすのか、という思いも相まって今回は今年の夏に可決された一連の安保法案に設定することにしました。  

 報告の流れとしては簡単にこれまでの自衛隊や9条の政府解釈に触れた上で、一連の問題の発端となった「七・一閣議決定」についてまずは考察を行いました。この時の閣議決定を多くの学者が「平和憲法・9条に対する挑戦」と受け取りました(水島朝穂「『7・1閣議決定』と安全保障関連法」法律時報2015年87巻12号など)。しかし、なかには文言をそのまま解釈すればかなり限定的なものとなり、七色の文言と解釈によって政権の暴走を水際で食い止めたという解釈の行うことができる閣議決定でもありました(木村草太「集団的自衛権と7・1閣議決定」『論究ジュリスト』2015年春号)。

 これらはこの後の9条を解釈改憲したかどうかの判断につながってくるわけですが、個人的には閣議決定段階では安保懇からの意見などもあるなかでやや限定的な決定に留められたという感想です。1972年の政府提出資料の「自衛の措置」を抽象的自衛権と読み、「新3要件」の存立危機事態を広く解すれば色々なことができるようになるわけですが、それでもちゃんと「新3要件」を満たすものを注意深く拾っていけばかなり限定的であることに気づくはずです。国内における個別的自衛権が内包する部分で一部、国際法概念上の集団的自衛権に含まれるものがあるという理解が文言を丁寧に解釈すれば見えてきます。内閣による本質的な集団的自衛権の行使を限定したいと考えた時、閣議決定が「解釈改憲」だ!と訴えるよりも、「先の閣議決定は今までの国内における個別的自衛権を国際法概念に照らし合わせて整理したにすぎないからこれまでとなんら変わらないはずだよね?」と訴える方が実はより効果的なのではないかと思ったほどです。  

 そして次に報告のメインディッシュ、「安保法案は違憲だったのか」ということですが、たくさんの憲法学者がこの問いに対して評価・考察している中で今回は慶應義塾大学の山元一先生の評価を選択させていただきました(山元一「九条論を開く——〈平和主義と立憲主義の交錯〉をめぐる一考察」 水島朝穂編『立憲的 ダイナミズム』2014年, 岩波書店)。この中で山元先生は今回の安保法制を理解する上で「動的憲法理解」という視点を述べています。ある一定の政策的帰結を追い求めるのではなく、動態的憲法理解の見地に立てば多様な憲法解釈アクターが好ましい解釈論を掲げて政治的攻防戦を繰り広げるプロセスにこそ「民主主義のエッセンス」を見出し、その帰結こそ modus vivendi として一応の解決を試みる問いうものです。

 ゼミではトーマスさんやましゅ麻呂さんからの質問から始まり、やはりこの点が一番の論点となりました。というのも「動的憲法理解」ではあらゆる事象・言説、つまり<政権運営者は憲法を遵守しなくてはならない>という要請すらも相対化されアクターの一つにしかなりえなくなった時、本当に憲法は意味を持つものとして存在するのかということです。この点についてはイブが「政権に青天井の権利を与えかねない」と指摘したとおり、その危険をはらむものではあります。しかし当然権利を伸張する方向のアクターがある一方で抑制しようとするアクターも当然多数存在するわけで「サイレント・マジョリティー」たる国民がどちらに傾くかということがその勝敗を決めるのだと思います。そういう意味ではあまりにも突拍子もないことは当然国民からはねのけられるわけで、「政権に青天井の権利を与えかねない」という危険性は確かに認識しておくべき重要な事項ではありながらも、その一つだけが力を持つアクターではないこともたしかです。

 結局のところ、このように一法学部生が真剣にこの先の自国の安全保障を活発に議論するということが大切であり、答えはなくとも聞きに来てくれた2年生たちも含め一人でも安全保障の議論に参積極的に参加していくことでより民意を正確に反映した modus vivendi になるのだと思います。  

 なんとなく結論を避けてしまうような報告になったかもしれませんが、本来はより詳しく閣議決定の手法や安保法案に関する国会答弁などにも触れていきたかったのですが紙幅と時間の都合により閣議決定・法案の内容だけについての報告しかできなった点が大変悔しいです。それでも最後には先生の個人見解も伺えましたし、実りある報告が出来て大変良かったです。  

 最後にはなりましたが名司会を務めてくださったジョイさんありがとうございました。そして何よりジョイさん、ムタさんロースクール合格おめでとうございます!!! これまでもゼミ内の議論をリードされてきた先輩方の合格、感動しました!!  次は高校の先輩でもありますパーカーさんの報告です。最高裁判決や如何に!!!

投稿者:イブ 

 今回は「今、もう一度考える安保法制」というタイトルのもとカフェラテが報告を行いました。安保法制についての議論は今夏盛んに行われたところであり、私も個人的に興味をもって調べていたため、議論の最中は熱が入りすぎてしまい、他のゼミ生の発言の機会を奪ってしまったのではないかと反省しています。しかしながら、いま話題になっている憲法学的トピックスについて憲法ゼミのゼミ生として改めて考え直すことは重要であると思われますし、全体を通して考えれば有意義な時間となったのではないでしょうか、と自己正当化を図ったところで内容について検討していきます。  

 報告者は山元先生の動態的憲法理解によったうえで<集団的自衛権の行使を違憲だとする、長年にわたって確立されてきた内閣法制局による憲法9条に関する憲法解釈を、憲法改正の手続きを経ることなくして変更することは立憲主義を踏みにじるものである>という言説の正当性について一石を投じようとしていました。

 個人的にはそもそも「解釈の正邪のラインは元来理論的に論証可能なものとして存在せず、多様な憲法解釈アクターが各々に好ましい解釈論を掲げて自らが主観的に正しいと信じる解釈論の正当性を押し通すべく政治的攻防戦を繰り広げているだけだ」としたうえで「事態の推移の中で国民世論の大きな憤激を招かず安定的な支持を調達することができれば、そのような規範的枠付を新たな modus vivendi(とりあえず暫定的な仕方でなされた合意)として受け止めるべきだ」という考えには懐疑的です。ゼミ中にも述べましたが、その時々の妥協点で納得していくということは一見民主主義の理論にかなっているようですが、現実的には今回与党による強行採決がなされたように、憲法解釈アクターにおける政府のパワーというのは我々国民に比して強大なものであるため、当然に時々の政権の意向に為すすべなく他のアクターが道を譲る、従っていくという状況が許容されてしまうのではないでしょうか。そうしてしまえば、法的安定性という点からはもちろんのこと憲法の拘束力、規範力といったものが希薄化してしまうという点からも、このような憲法理解は妥当でないと考えています。  

 また、ゼミ中には私のような考えに立った場合自衛隊の合憲性についてはどのように説明するのかと尋ねられ、答えに困ってしまいました。この点について南野先生は、yahoo!のコラム(http://bylines.news.yahoo.co.jp/minaminoshigeru/)でおっしゃってきたように、過去内閣法制局が一貫して採ってきた論理が自衛隊を合憲というためには必要不可欠な論理であり、それを維持しようとすれば集団的自衛権の行使を認めてはいけないというのが日本国憲法の解釈上超えてはならない一線、歯止めになるのだとおっしゃており、現段階では(自分で整合的な考えを確立することができず悔しいところではありますが)私もこれに乗っからせていただき、その延長として今回の安保法案に対しては超えてはいけない一線を超え、憲法9条2項を死文化させ得るため違憲だ、と結論づけることで自衛隊の合憲性についてはそもそも問題にしないというのが妥当な筋道なのではないかと思っています。  

 今年のディベート合宿に山元先生とお会いしたときはまだSYNODOSの記事(http://synodos.jp/politics/14844)をパラパラっと拝見しただけであまりこの点についてお話することができなかったため、是非来年のディベート合宿でお会いしたときには今回の報告、議論を踏まえて積極的にお考えを聞かせていただければな、と楽しみにしています。  

 次回はパーカーさんによる「自称日本一早い判例評釈:夫婦別姓訴訟と再婚禁止期間訴訟」です。まさにこのリポートを書いている今日(平成27年12月16日)出た、今後百選にも載るであろう重要判決をいち早く議論できることを楽しみにしています。報告準備ラストスパート頑張ってください!!

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第24回(2015年12月18日・金)個人報告⑭「最高裁平成27年12月16日大法廷判決の評釈」(報告:パーカー、司会:カフェラテ)

投稿者:パーカー   #155

 今回のゼミでは、最高裁平成27年12月16日大法廷判決、すなわち女性の再婚禁止期間を定めた民法733条の憲法適合性、そして夫婦同氏制を定める民法750条の 憲法適合性の判断を行った両判決について、一介の法学部生である私が自称日本一早い判例評釈を行いました。判決の2日後が報告だったこともあり、自分で納得のいく仕上がりとはならなかったのが心残りです。レジュメの「はじめに」 で、「一介の法学部生」、「灰塵」、「牛溲馬勃」というワードを盛り込み、南野ゼミ流行語大賞2015の滑り込み受賞を目指していたのですが、茶畑くんの「根元的規約主義」、「プリコミットメント」に惜しくもその座を譲ったようです。  

 今回の判決について軽く述べたいと思います。まず、再婚禁止期間の方の判決において注目すべきは、①憲法24条が国会の立法裁量に限界を画した規定であること、②国会議員の立法行為及び立法不作為について国家賠償法1条1項の違法性の評価における一般論的な枠組みが定立されたこと、③立法行為又は立法不作為 による国家賠償請求を棄却しつつ憲法判断を行った最高裁で初の裁判例であることです。次に、夫婦同氏制の方の判決において注目すべきは、④憲法14条1項には違反しないが憲法24条には違反するというケースが理論上は有り得ることが示されたことで、憲法24条の輪郭や意義がある程度明らかになったこと、⑤15人中5人の裁判官は、民法750条を憲法24条2項に違反するという意見を付していたことです。

 ③について、最高裁は付随的違憲審査制との関係性については何も語っていませんでした。日本の法制度において法律の憲法適合性を正面から争う訴訟ツールに乏しいという現状を踏まえると、この判決は国家賠償法を憲法判断を引き出すツールとして利用して欲しいという最高裁のメッセージであり、そして何も語らないことで、最高裁が憲法判断に踏み込むかどうかの裁量にある程度の幅を持たせたかったのではないか、というのが今の自分の考えです。

 ⑤について、多数意見は、家族制度の制度設計がどうあるべきかは多様な民意を反映させて立法による解決を待つべき事柄であって裁判所の司法審査による解決には限界があり、氏には家族の構成員であることを対外的に公示し、識別する機能があること、民法750条の規定は通称の使用を妨げておらず、通称の使用によって不利益は一定程度緩和「され得る」こと等を理由に、民法750条が選択的夫婦別氏制度を認めていないことは立法府の裁量の範囲内であるとして規定の合憲性を導きました。

 自分は選択的夫婦別氏制度の導入には賛成ですが、それは別として、法的な議論として今回の最高裁の合憲の判断は妥当であったと考えます。選択的夫婦別氏制度以外にも制度設計として選択肢があり得ることと、なお選択的夫婦別氏制度に反対する人が無視できない数存在していることがその理由です。巷には「日本の伝統的な家族制度が崩壊する」だとか、「初めて夫の姓で呼ばれ、『私は結婚したのか』と思い、頬を赤らめるのが幸せな結婚ではないだろうか」だとか、およそ説得力を欠く言説(決して、このような価値観が間違っているとか、正しくないとか言っているわけではありません。どのような価値観を持つのも個人の自由です。)も存在していますが、このような民意も無視することはできないのではないかと思います。選択的夫婦別氏制度の導入に関して、国民を巻き込んだ議論をして意識を高め、制度を導入できる社会の基盤を作っていくことが、まずは必要なのではないかと思います。

 また、民法750条が 法律上は差別的取り扱いをしていない規定だったことが、14条や24条で勝負するのには少し不利な方向に働いたことも否めないと思います。多数意見におい て、通称の利用により不利益は一定程度緩和「されている」ではなく、「され得る」と述べられていることや、氏の対外的公示・識別機能により規定の合理性を 認めていること等から、自分はこの判決を、最高裁は民法750条は合憲だから問題ないと述べているのではなく、合憲性を維持する理由に窮しており辛うじて現 時点では合憲とするが、国会により早急に議論されるべき、問題を含んだ規定であると述べているのだと、読みたいと思います。

  「土曜もアサデス。」で人気を博しているコーナーの「ナンノツモリダー!」 で先生は、選択的夫婦別氏制度を望む人の数は多いとは言えず、少数者の意見は国会では反映されにくいのではないかということ、最高裁の女性裁判官の比率は5分の1(15人中3人)だが、ドイツやフランス(アメリカだったかもしれません、間違っていたらすみません)等の他の先進国では約3分の1であること等を指摘なさっていました。

 最後に、今回の判決で、憲法24条1項の規定が「婚姻をするについての自由」を「保障している」とは述べられず、それは「十分尊重に値する」と述べられたこと、さらに、同条2項が国会の裁量に限界を画したものであると解釈されたことで、仮に今後同性婚を認めていない現行法制度の立法不作為を争う訴訟が提起されたとして、今回の最高裁の24条解釈がそのハードルとして立ちはだかるか否かに関して、少々自分の考えを述べたいと思います。同性婚を認めているか否かについてを含め、憲法は婚姻制度が具体的にどうあるべきかについて積極的には語っておらず、また婚姻および家族の制度は様々な国民の意向を汲んで立法によ り構築されるべき事柄であると判決で述べられているので、同性婚を認めていない現行法制度が直ちに国会の合理的な立法裁量を逸脱するものであるということはできない、と突き返されてしまうのではないかという気がしています。というのも、同性婚に反対している人も無視できない数存在しているのではないかと思うからです。なので、同性婚の導入に関しても、国民を巻き込んだ議論を引き起こして意識を高め、導入できる社会の基盤を作っていくことが必要だと思います。また、民主的正当性等の問題をクリアした国会の立法裁量を縮減する法理論が構築されれば、司法救済の途も開かれる可能性があるのではないかと思います。

 自分は選択的夫婦別氏制度の導入にも、同性婚の導入にも賛成です。というのも、制度は利用したい人が利用するというものである以上、それを利用するのは個人の自由であり、そのためには選択肢が多く用意されていた方がいいと考えるからです。ただ、家族法領域に関する議論において、「伝統的な家族制度」といった自分の家族観によって、他の選択肢を認めることをも否定している言説が、案外多いような気がしています。しかし、このような考えを持つ人もいるのは紛れも無い事実であり、個人の価値観を端から否定することはできないのであって、だからこそ正面から議論すべき時が到来していると思います。

 少々長くなってしました。自分が扱った判例だということもあって、1日でも早く、プロによる判例評釈を読みたいです。さて、次回は年内最後のゼミですが、レジュメの読みやすさに定評のある、さんとすくんによる「裁判所の民主的正当性」についての報告です。立法裁量との関係で、個人的に非常に興味深い テーマであるので、しっかり予習してゼミに臨みたいと思います!!

投稿者:イブ

 今回は再婚禁止期間を定める民法732条、夫婦同氏制を定める民法750条の規定について12月16日に最高裁大法廷が示した判決の自称日本一早い判例評釈パーカーさんが行ってくれました。判決が出てから2日間で疑問点を明確にし、ここまで仕上げてくるあたりさすがだなと思いました、お疲れ様です。  

 さて、今回のリポートでは主に民法750条についての判決について考えを述べさせていただきます。先日の判決では民法750条について、夫婦同氏制については合理的であり、夫婦別氏制を認めていないことについては憲法に反するとまではいえないとして上告人の請求を棄却しました。正直なところ、私もこの判決は妥当なものであると思います。判決文にもあるように「婚姻前に築いた個人の信用…等を婚姻後も維持する利益等は、憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとまではいえないものの、…氏を含めた婚姻及び家族に関する法制度の在り方を検討するに当たって考慮すべき人格的利益であるとはいえる」とするに留まらざるを得ないでしょう。

 しかし、最高裁が違憲判決を出すことは不可能であったかといえば、そうではないと私は考えています。違憲判断の方法としては民法750条において夫婦同氏制しか認められていない部分を憲法24条違反とする、いわゆる「意味上の部分違憲」が採用できるでしょう(違憲判断の根拠は上記人格的利益の損失に求めることになり、そうなると若干のパンチ力不足は否めませんが、今回その点はクリアしたと仮定して考えさせてください)。次に違憲判決を出す以上は当事者の救済も考えなければなりません。最高裁は婚姻に関する制度のような種の在り方は、「国会で論ぜられ、判断されるべき事項にほかならないというべきである」とし、自身が夫婦別姓制度を認めることに否定的なようです。しかしながら「司法による立法」の回避という点から考えれば、実際に国会の法制審議会等で夫婦別姓を認めるような民法の改正案が議論されていることから、立法府においても夫婦別姓を認めないことが憲法に反すると判断された場合には夫婦別姓を認める蓋然性が高いこと等を考慮して、最高裁が当事者の救済として夫婦別姓制度を認めたとしてもそれが「司法による立法」にあたるとは必ずしもいえないのではないでしょうか。また、このように夫婦別姓を認めたとしても例えば「山田・田中・太郎」のような姓の設定の制度を立法府が作ることを妨げるものでもありません。以上のようにすれば違憲判断を下すことも可能であるといえるでしょう。ただ、実際には司法府と立法府の均衡の問題など政治的な問題も生じてくるため、このような判断を採ることはなかなかに難しく、繰り返しになりますが最高裁が実際に下した判断はそういう意味で最も妥当なものとなるでしょう。

 次回はさんとすさんによる「司法審査の民主的正当性と二重の基準論」についての報告です。私も個人報告で司法審査を扱ったため、非常に興味津々でございます。年内最後のゼミ気合い入れていきましょう!!

投稿者:トムリンソン 

 今回は、パーカーさんによる最高裁平成27年12月16日大法廷判決の「自称日本一早い判例評釈」が行われました。判決が出て僅か2日後の報告ということで、報告前までは無謀な試みではないかと心配していましたが、さすがはパーカーさん、見事に中身のあるレジュメを完成させ、報告をなされていたように思います。  

 民法733条違憲判決において、私が特に気になったのは、「国家賠償請求を棄却したうえで、違憲判断を下すことは、付随的違憲審査制をとっている日本において妥当なのか」という点です。判決は、民法733条の違憲性を認めつつ、国家賠償請求を棄却しています。確かに、今回の事案において、原告は金銭賠償してもらうことを目的に国家賠償請求を行ったわけではなく、民法733条の違憲判断を求めて国家賠償請求を行ったと考えられることを根拠に、(傍論といえる部分で)違憲判決を出すことも、「ぎりぎり」付随的違憲審査制の範囲内であって、判決は妥当であったと言えなくもないとは思います(実際に、下級審ではそのような判断がなされたこともあるので)。

 しかし、私はこのような判決には、やはり違和感を持ちます。付随的違憲審査制を前提とすると、違憲判断が行われるのは、具体的事件の解決に必要な場合に限られ、不必要な違憲判断は回避されるべきであるからです。つまり、私は、違憲判断を出すからには、国家賠償請求を(一部でもよいので)認めるべきであって、逆に国家賠償請求を認めないのであれば違憲判断を為すべきでないと考えます。その意味で、国家賠償請求を棄却したうえで、違憲判断を行った今回の判決は妥当な判決とはいえないのではないかと思います。  

 次に、民法750条合憲判決についてですが、多数意見は、夫婦同氏制を定めている民法750条は、通称使用によって夫婦同氏制に起因する不利益を一定程度緩和されうるなどの現状の下では、直ちに合理性を欠く制度であるとは認められないとしました。私としては、多数意見の判断は妥当なものであったと考えます。もちろん、これは選択的夫婦別姓に反対であるという意味ではありません。仮に夫婦同氏制に合理性がないとしても、その不合理性を解消する選択肢が選択的夫婦別姓制以外にありえ、このような場合に、裁判所が積極的な評価を与えることは、司法と立法の関係から望ましくなく、また「本質的な難しさ」があり、最終的な解決は国民的議論、民主的プロセスに任せる方が妥当であると考えるからです。今後、この夫婦同氏制について、国会でどのような議論がなされていくのかに注目したいと思います。  

 今回のゼミは、ホットな話題ということもあって議論も盛り上がり、いつも以上に有意義なものになったと思います。パーカーさん、お疲れさまでした。次回は、配布文献を早めに配るなど、パーカーさんに後ろからプレッシャーをかけ続けた、さんとすさんによる報告です。「裁判所の民主的正当性」という難しそうなテーマではありますが、議論にしっかりついていけるよう、入念に予習をしてゼミに臨みたいと思います。

投稿者:パム

 今回の報告はパーカーさんによる最高裁平成27年12月16日大法廷判決の日本一早い評釈でした。判決が出たのが報告の二日前というタイトなスケジュールでありながら、各論点についてこれまでの判例の枠組みとの比較など検討がされていて、今回の判決に対する理解を深めることができました。パーカーさん、 お疲れ様でした。  

 僕が前期に夫婦別姓についてグループ報告を行ったこともあって、リポートでは民法750条合憲判決について思ったことを書いていきたいと思います。 今回の判決では、憲法13条との適合性の判断において、氏名を「人格権の一内容を構成するもの」としつつも、「氏の変更を強制されない自由」は、氏の性質から考えて憲法上保護された人格権の一内容とはいえないとされました。ただ 一方で、NHK日本語読み訴訟最高裁判決(最判昭和63年2月16日民集42巻2号27頁)では「氏名を正確に呼称される利益」が法的な保護を受けるとされていることから、最高裁は、氏名に関する利益は私法上の人格権として認めているのだと思います。この2つの判決から考えれば、氏名に関する自由(もしくは利益)は私法上の人格権ではあるが、憲法上の人格権ではないとされており、最高裁は、憲法上の人格権と私法上の人格権を区別していることになります。グループ報告のときは憲法上の人格権と私法上の人格権を区別する意義は乏しいのではないかという主張を採っていただけに、なぜこのような区別をしているのか(また、本当に最高裁が両者を区別して考えているのか)について何らの言及もなく、単に氏の性質という観点からしか説明がされていなかったのはとても残念でした。

 確かに氏の性質のみからみれば、最高裁の言うように「氏の変更を強制されない自由」なるものを憲法上保護することは難しいように思えます。しかし、「氏の変更を強制されない自由」は、(私法上の人格権として認められている)「氏名を正確に呼称される利益」に比してアイデンティティなど個人の尊厳に関わる度合いが強いように思われることから、より強い保護を受ける必要があると考え、憲法上の人格権として保護されるべきと考えることもできるのではないかと思います。また、権利としてそのような強い保護は与えられないとしても、ゼミの議論の中で、夫婦が別々の姓を称することで何か社会的に混乱が生じるような事態は挙げられなかったことから、「氏の変更を強制されない自由」への侵害を 正当化できる材料は乏しいように感じます。

 司法権の限界との問題も今回の合憲判決の大きな理由ではありますが、イブ君がリポートで述べているような考え方もあり、その理由だけで原告の救済の道をとざしてしまうのはいかがなものかと 思います。

 最後に、パーカーさんが、今後同性婚を認めていない現行法制度の立法不作為を争う訴訟が提起された場合に、今回の判決で、憲法24条1項の規定が「婚姻をするについての自由」を「保障している」とは述べられず、それは「十分尊重に値する」と述べられたことと、同条2項が国会の裁量に限界を画したものであると解釈されたことが、同性婚容認派に不利な形で影響するのではないかという指摘をしていました。同性婚と憲法24条については、個人報告の際に色々と調べましたが、学説は、24条は同性婚については否定も肯定もしていないという立場が多数派であり、自分もそうだと思います。同性婚に関する訴訟で問題となるのは、「婚姻をするについての自由」を認めるか否かというよりはむしろ、憲法14条の下で「婚姻をするについての自由」の性別もしくは性的指向を理由とした制限は正当化され得るかという点だと思います。なので、今回の判決は将来の同性婚に関する訴訟にそこまで影響しないのではないかというのが僕の見解です。

 次回は、さんとすさんによる「司法審査の民主的正当性と二重の基準論」というテーマでの報告です。司法審査の民主的正当性については、今回の民法750条合憲判決にも大きな影響を与えた点だったので、次回の報告で今回の判決についてより理解が深まるのではないかと思います。年内最後のゼミということで、 しっかり予習をして臨みます!

投稿者:カフェラテ

 寄稿が遅くなってしまい申しわけありません。みなさん2015年度のゼミお疲れ様でした。  

 今回僕が司会を務めさせていただいたのは、高校の先輩であるパーカー氏の最高裁平成27年12月16日大法廷判決の評価についての報告でした。パーカー氏は事前レジュメで判決の予想を先に作り込んできて発表しておくという新たな報告のスタイルを構築し、その後に出た実際の判決と自分の予想を照らし、さらに批評を加えるという形でゼミは展開されました。

 結果からすると予想は的中でした。つまり女性の再婚禁止期間を定めた民法733条には違憲、夫婦同氏制を定める民法750条の規定については合憲という判断が下されました。本件二つのテーマはゼミのグループ報告においてどちらも報告がなされており、ゼミ生にとっては十分に予習ができた親近感のあるテーマになったのではないかと思います。その中でも私はゼミ長であるジョイさんらと夫婦同姓制度について報告しましたので、このレポートでは夫婦同氏制を定める民法750条の規定について述べていきたいと思います。  

 本来夫婦同姓という制度は「家制度」が全面に押し出された明治民法典が制定され、妻は姓を変えて夫の家に入るのだという強い家長権の存在から始まっている。それまでの江戸時代では苗字を名乗るということは特権の象徴であり、家格や血統を示すものとして使われていた。したがって皆が苗字を名乗っていたわけでもなく、四民平等の明治になっても苗字を名乗らずに暮らしている人たちもいて明治政府は苗字の使用を強制したほどであった。しかし皆が名乗るようになってからはそれを「家制度」の象徴的なものとして妻は氏を夫のものに改め家に入るといった概念が浸透していった。しかし戦後GHQの改革により女性解放の観点から「夫婦ハ共二婚姻ノ際二定ムル所二従ヒ夫又ハ妻ノ氏ヲ称ス 」と決められたが、夫婦同姓制度はその「家制度」を失ってもなお存続し続けた。それが現在に至り女性の社会進出やそれに伴う婚姻関係の変化で果たしてその意味があるのか問われ直しているところである。

 実際本報告でも「夫婦同姓について確かに合憲判断はくだされたが、もし違憲としたならばどのような氏姓制度が考えられるのか」という論点も実際に上がった。例えば夫婦別姓制度や選択的夫婦別姓制度などである。実際大法廷の裁判官15人のうち5人が民法750条の規定が憲法24条2項違反だと言っていることを考えれば近々氏姓制度の変革は余儀なく求められる可能性はある。しかし夫婦別姓制度をいきなり導入してはこれまで夫婦同姓で生きてきた人々に何らかの違和感を感じさせることは否めない。さらに選択的夫婦別姓制度に賛成か反対かという新聞社のアンケートにはやはりより高齢な人たちをはじめとする人々の間では反対の声がまだ少なからずあることも事実である。私自身、選択的夫婦別姓制度など夫婦同姓制度に変わる氏姓制度はないかと聞かれ、夫姓・妻姓・名前といったミドルネーム式氏姓制度や、「鈴木」と「田中」が結婚した場合は「鈴中」にするという合体型氏姓制度などが思い浮かびましたが、ただただ煩雑になるだけで選択的夫婦別姓制度が一番よくできていると思っているところです。

 かなり脱線はしてしまいましたが、750条が合憲であるからと言って夫婦別姓が違憲とまでは言ってない以上立法府の裁量に任せるといったところで裁判所もギリギリの線を引いたのだと思います。最後になりましたが、判決からたった2日でレジュメを書き上げたパーカーさんお疲れさまでした。拙い司会で恐縮でしたが、無事に終わりホッとしています。ありがとうございました。それではみなさん良いお年を!

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第25回(2015年12月23日・水)個人報告⑮「二重の基準論——司法審査の民主的正当性の観点から」(報告:さんとす、司会:えみな)

投稿者:トムリンソン   #160

 三年になり南野ゼミに入ってから、早くも9か月がたとうとしています。今年は、南野ゼミの活動を通して、他では経験することのできない様々な経験をすることが出来きました。これも、南野先生のおかげです。本当にお世話になりました。来年も変わらぬご指導をよろしくお願いいたします。 以下、今年最後のゼミ風景リポートです。

 今回は、さんとすさんによる司法審査の民主的正当性の観点からみた「二重の基準論」についての報告でした。報告の内容が明確かつ分かりやすいだけでなく、レジュメの形式・構成、さらには議論の中での応答も堂々としており、改めてさんとすさんの「凄さ」を思い知ることが出来ました。来年には私もこのような報告ができるように努力したいと思います。  

 さて、報告の中身ですが、二重の基準論について、芦部信喜先生、松井茂記先生、棟居快行先生の見解を紹介し、報告者としては、芦部先生や棟居先生のように基本的人権を実体的な価値ととらえつつ、裁判所の役割論という松井先生の見地を取り入れることを試みていたように思います。今回のゼミで私が特に気になったのは、さんとすさんが違憲審査について「裁判所に多くのことを期待しすぎるのではなく、国民主権・民主主義原理との調和を図るという観点からの調整がなされる必要があるもの」だとされていた点です。確かに、国民の代表機関として民主的正当性を保持している国会の判断に対して、選挙で選ばれていないたった15人の裁判官の意向次第で「待った」をかけることのできる違憲審査制は、その意味で民主的正当性に乏しいとはいえると思います。  

 しかし、立法府の判断に対して司法が介入することは、国民主権を前提とする日本国憲法の条文上予定されています(憲法81条)。そのことから日本国憲法は立法府の判断に対して裁判所が介入することを「期待」しているといえるのではないのでしょうか。前提として「裁判所に多くのことを期待しすぎるのではなく」というのであれば、まずはこの点について反証する必要があると思います。この反証については、なかなか納得のいくものを考え付かなかったので、後日さんとすさんにお伺いしたいと思います。  

 ゼミ後は、プチ忘年会がアルマキッチンで行われました。海外からの特別ゲストの参加もあって、英語やドイツ語などの会話が多く飛び交い、普段の飲み会とは少し趣の異なる有意義な忘年会になったと思います。次回、新年一発目の報告は、まだ体調が万全でないましゅ麻呂さんによる報告です。体調をこれ以上崩さぬよう報告準備を頑張ってください!  それでは皆さん、よいお年をお過ごしください!!!

投稿者:るいす

 皆さん、今年最後のゼミおつかれさまでした。今回は、さんとすさんによる報告で、テーマは「二重の基準論-司法審査の民主的正当性の観点から」でした。二重の基準論といえば、2年後期憲法の試験で出題されましたが、結構曖昧な知識のままだったので、私にとってすごく理解の助けになる報告でした。  

 さんとすさんは、松井説の見解を少し取り入れつつも、基本的人権の実現について国家における国民主権・民主主義原理に大きく配慮をしていました。そのため、裁判所に大きな信頼を寄せるべきではないという主張がなされていたと思うのですが、私としては、現代の日本において、政治的プロセスに対する信頼よりも裁判所に対するもののほうが(圧倒的に)大きいと思うので、難しい問題だと感じました。私見の中では、今まで深く考えずに受け入れていた芦部先生の民主的政治過程論の批判や民主的正当性を有する国会の考慮が十分になされており、非常におもしろかったです。

 議論では、民主的政治過程論を前提とする芦部先生とプロセスの保障を前提とする松井先生とでは、理由付けは異なるものの司法審査についての結論は変わらないのではないか等の意見がでました。 個人的には、検討で述べられていた「政治プロセスに基本的人権を尊重すべき責務があることを明確化する」というところがまだ少しひっかかっています。そもそも、どういった状況になれば明確化されるかがよく分からず、実効性にも疑問が残るからです。また、裁判所が厳格な審査をしうる場合として想定されていた、「民主主義プロセスが適切に機能しない」場合というのは、仕方ないとは思うのですが、やはり曖昧さが残っていると考えます。裁判所が違憲審査をするかどうかの段階で、「民主的正当性」を担保することの難しさを改めて感じました。

 そして、先生がおっしゃっていた、日本国憲法で明文化されている違憲審査制を前提として民主主義を考えるという意見には非常に興味をもちました。そもそもなぜ民主主義に大きく配慮しなければならないのかということも踏まえて、なかなか難しい解釈になりそうですが、自分には思い浮かばなかった新たな視点だったので勉強になりました。今後、違憲審査を考える際には、今回議論となった民主的正当性をしっかり念頭に置いていきたいと思います。

 蛇足ながら、今回は、検討強化レジュメ(?)なるものまで事前に用意されていたさんとすさんの凄さを改めて感じることになりました。

 ゼミ後には、今泉のアルマキッチンで忘年会が行われました。あるゲストを招いての飲み会でもあったので、英語やドイツ語の飛び交う楽しい雰囲気の中行われました。お酒や料理は非常に美味で、値段にふさわしかったなあと思います! 幹事のカフェラテくんありがとうございました。

 今回は私自身久しぶりのリポートとなりました・・。ゼミで反省すべきことの多かった2015年でしたが、新年からまた心を入れ替えて、頑張りたいと思います。それでは皆さん、よいお年を!!

投稿者:パーカー 

 今回の報告は、報告が一週早い自分より早く配布文献を準備する等して、じわじわと自分にプレッシャーをかけ続けたさんとすくんによる、司法審査の民主的正当性についての報告でした。  

 報告の詳しい内容は他のリポートに譲るとして、自分の考え等を軽く述べたいと思います。憲法上の基本的人権に価値の序列を設けず、権利保障の基準の強弱は裁判所の役割によって決まるという、松井先生のプロセス的憲法観が、一番自分の考えに近かったです。裁判官の恣意的な解釈により憲法の価値が歪められてしまう危険性を可能な限り排除することができ、民主主義にも合致していると考えるからです。ただ、自分は憲法にある基本的人権に全く価値序列がないとは考えておらず、裁判所が判決を正当化する理由として憲法上重要な権利であるから審査基準が高くなる、という理由付けよりは、それが裁判所の役割であるかどうか、裁判所が判断を下すにふさわしい類型 であるかどうかによって理由付けをした方が説得的であると思うからです。

 民主的正当性が重要視されるのは、アメリカのように違憲審査制が憲法に明記されていない場合に、民主的正当性に欠ける裁判官の多数意見によって、選挙で選出された議員によって作られた法律が覆されてしまうことが問題視されたからであって、日本国憲法に違憲審査制が明記されている以上、アメリカのように民主主義をそこまで重視する必要があるのか、という指摘に関しては、自分は、日本のような切れ味の鋭い違憲審査制のインパクトを維持するためには、それを振りかざすのではなく、できる限り民主的正当性を考慮に入れた上で、慎重に判断を下す方がいいのではないかと考えています。このあたりはまだ考えがまとまっておらず、それゆえうまく言葉にできず申し訳ないです。

 ゼミが終わった後は、アルマキッチンにてゼミ忘年会が催され、その後は先生に蕎麦をご馳走になりました。いつもありがとうございます!! 年明けは、ましゅ麻呂くんによる報告です。皆様、よいお年を!!

投稿者:さんとす

 今回は、今年最後のゼミということで、「司法審査の民主的正当性と二重の基準論」というテーマで報告させていただきました。パーカー君にプレッシャーをかけるために早めに文献を配ってはみたものの、思うようにはかどらずぎりぎりのところでレジュメを書き終えたという状況だったので、何とか報告を終えてほっとしているところです。これが南野ゼミ最後の報告だと思うと何とも言えない感じがありますが、残り少なくなったゼミを精一杯頑張りたいと思います。

 報告においては、芦部先生の見解、松井先生の見解、そして棟居先生の見解を取り上げ、松井先生のプロセス理論における裁判所の役割論というものを軸に検討を行いました。その理由として、まず、これまで裁判所の積極的な違憲審査権行使ばかりが強調されてきた気がしていて、私自身、人権保障に関して立法府は信頼できず、裁判所に期待を寄せるべきだと考えてしまいがちだったのですが、実際に裁判所が積極的に違憲判決を下し、政治部門への影響力を大きく発揮するようになればそれで問題が解決するかといえば、必ずしもそうとは限らないのではないかと思います。つまり、裁判所が民主的機関とはいえないということは否定できないため、裁判所のあまりに積極的な姿勢には民主主義の観点から問題があるのではないか、また他方で、裁判所の違憲判決も政治部門に従ってもらえなければその意義が損なわれてしまい、それがひいては裁判所の権威の低下にもつながりかねないため、そうした観点からの限定も必要になるのではないか。こういったことから、裁判所にあまり大きな期待をかけすぎるのではなく、政治的プロセスによって人権を保障する、という視点を持つことも大切なのではないかと感じ、あえて民主主義原理を重視して裁判所の役割を限定する考え方にスポットを当ててみました。

 また、日本の裁判所が消極的な態度をとってきた大きな理由は立法府への敬譲という点にあると思うので、権利の重要性ではなく民主主義プロセスの保障という裁判所の役割論のアプローチから、立法府を信頼できなくなるときこそが裁判所の出番だということを強調することが、表現の自由等の領域における裁判所の積極的な態度を引き出すことにもつながるのではないかと思います。  

 もっとも、民主主義原理を強調する松井説のような考え方は、「民主主義」というものが最も大切な第一原理であるという大前提があり、それゆえ司法審査のほうが民主主義に譲歩せざるを得ないと考えているようだが、日本国憲法に言う「民主主義」とは、81条によって裁判所が法律を違憲無効としうることをも組み込んだ意味での「民主主義」だと考えられるのではないかという先生のご指摘にははっとさせられたところであり、また、議論の中でも指摘があった、現実問題としてどのようにして政治プロセスに人権保障の責務があることを自覚させるのか、いかにして民主主義プロセスを通じて人権保障を実現するのかという点は、私自身言ってはみたもののなかなか難しいのではないかというのが正直なところで、これらについてはまだまだ検討が強化しきれていなかった部分なので、今後の課題にさせていただければと思います。

 今回扱った「司法審査の民主的正当性」という問題は、違憲審査制に関する明文規定がなく、かつそれにもかかわらず裁判所がかつてその権能をかなり積極的に行使したという経験を持つアメリカだからこそ議論されているもので、81条という明文規定を持ち、そうでありながら裁判所が一貫して違憲審査権行使につき消極的な態度をとり続けてきた日本おいて議論する意義はそれほど大きくないのではないかという見方もあるかと思いますが、裁判所の積極的な違憲審査権の行使を求めるのであればこそ、この問題について真剣に考える必要があるように思います。日本の現状として、人権保障については裁判所に期待せざるを得ない状況にある以上、どうやって裁判所の違憲審査を活性化させるか、という議論が重要であることは当然だとしても、同時に、民主主義の観点から基本的人権を実現しうるような政府をいかにして作り上げるかという方向をも追求することが必要なのではないかと感じました。

 さて、次回は年明け最初のゼミということで、ましゅ麻呂くんの「全国民の代表」に関する報告です。選挙制度とのからみもあってなかなか難しそうですが、年末年始、だらだらテレビをみながら無為に過ごすのではなく、「全国民の代表」とは何たるかについて考えながら年を越せるように頑張りたいと思います。

投稿者:茶畑

 今年ラストのゼミということでさんとすさんお疲れ様でした! 「二重の基準論」 についての報告で、第九回報告「表現の自由」とのつながりを個人的に感じていて、楽しかったです!  

 報告では、二重の基準論の根拠はどこに求めることができるのか、という問題から81条の憲法典における位置づけ、裁判所の役割を論じておられました。松井先生のプロセス理論からなる憲法観を採用するがために、81条にも憲法に通底する民主主義による制約が課されるべきなのだという主張であったように思います。他方で、先生のご指摘のとおり81条を民主主義の留保のように捉える見解もありました。統治機構論における条項を人権条項に現れた基本的人権を保障するものであると捉える考え方は、前文や41条に見える民主主義の要請は一旦おいておいて、その留保と捉える見解と親和的かと思います。こうなると、憲法は「実体的な価値の序列を樹立したものではなく、むしろ価値の問題を決定する統治のプロセスについて定めたもの」と考える松井説における統治機構論と人権論の関係性が気になるところです。それぞれ保障するプロセスの位置(最終的な価値の問題を決定するプロセスとその前段階として国民の意見を反映するプロセス)が違うということが一つ言えるのでしょうか。勉強してみたいなと思います。

 来週は、ましゅ麻呂さんの「全国民の代表」についての報告ですね。ゼミのみなさん良いお年をお過ごしください。

投稿者:りちゃ   #165

 今回はさんとすさんによる年内最後の報告でした。今回のテーマであった「二重の基準論」は私たち3年生にとって何か苦い思い出があったような気がするのですが、それはともかくとして、報告の内容は全体的に分かりやすくまとめられており、質問に対しても間髪入れずに答えているさんとすさんの姿を見て、改めて そのすごさを感じました。報告の2週間前くらいに進捗を聞いたときには既にレジュメがほぼ出来上がっていたようで、配布文献の準備の早さも、検討強化レジュメを作る余裕も、さすがという感じでした。  

 報告の主な内容はというと、国民の代表者によって構成されている国会が作る法律について裁判所が違憲審査をなしうるのはなぜか、という点について二重の基準論の根拠を踏まえて検討するという形で行われました。既に他の方が書かれているため詳細については述べませんが、日本には違憲審査制の明文規定が憲法典にあり、ましてや最高裁は違憲判断を出すことがほとんどないため、個人的にはあまり問題にはならないような気がします。また、安易な考えかもしれませんが、国会は国民の代表者によって構成されているとはいえ、政党や企業との関係で、ある一定の集団に有利になるような立法をすることもあると思います。とすると、一時の国民の代表者が為した立法の是非を第三者的立場から判断する機関が必要になるのは自然なことであって、そういった機関に民主的正当性を求めるのは妥当ではないと考えることはできないでしょうか。

 さて、2015年もあと1日で終わってしまいます。南野ゼミってどんなゼミなんだろうとドキドキしていた初回ゼミから、グループ報告、九重合宿、東京研修、ディベート合宿、個人報告、そして今回の15年最終ゼミ+忘年会まで色んなことがありましたね。カメラで撮った写真を眺めていると、本当に楽しかった1年だな…としみじみしてしまいます。4年生の卒業まで残り3か月切りましたが、来年からのゼミもまた楽しみつつ頑張っていきましょう!それでは、来年もよろしくお願いします。みなさんよいお年を!

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第26回(2016年1月8日・金)個人報告⑯「『全国民の代表』と選挙制度」(報告:ましゅ麻呂、司会:パム)

投稿者:ましゅ麻呂

 風景リポートをご覧の皆様、明けましておめでとうございます。第13期のゼミも残すところ三回となってしまいましたが、今年もよろしくお願い致します。今回は、43条「全国民の代表」と選挙制度について報告させて頂きました。平成28年最初の報告ということで、「全国民の代表」とは何たるかを考えながら年を越しました(前回リポートさんとす氏参照)。正直ようやく新年を迎えた心地です。

 それでは内容について書かせて頂きます。 「全国民の代表」という幅広いテーマを選んだため、どうにかして問題意識を絞れないものかと考えました。そこで着目したのが2012、2014年の衆院選結果です。得票率と獲得議席数との乖離に着目し、その解消方法の模索を報告の大きな指針としました。 乖離の解消を目指すこの立場は、多数派による政治的決定が正しいという前提に立脚していると考えました。そして、それが本当に正しいかについては検討を要します。ここで、「代表」概念が関わってきます。私は、客観的に正しい政治的決定は可能であり、禁止的規範意味を強調する方向性をとりました。つまり、議会制民主主義においては自由主義原理も捨てたものではなく、議会制の存在意義は客観的正解を導く効果的な手段であるかどうかがネックになってくると考えました。もちろん、積極的規範意味に基づく選挙制度の要請を捨てるわけではありません。要はバランスの問題ですが、禁止的規範意味を重視すべきとの立場です。

 ここで、今回わかりづらくなってしまったと反省している点について述べます。報告では、平成23年大法廷判決の意義を積極的規範意味が認められたことに見出し、国民と議員の自同性が重要(積極的規範意味や民主主義原理的な考え)との観点から、二回投票制を紹介しました。これは一見すると、禁止的規範意味を強調すべきとの主張と矛盾しているように思えます。しかし、以下のように考えてほしいです。

 多数派による政治的決定が肯定されるのは、それが客観的正解導出への効果的手段であるときです。客観的正解があるのであれば、委任命令はもちろん、ひいては選挙制度すら邪魔なものと思えるかもしれません。なぜなら、政治のエリートに任せた方が万事上手くいくかもしれないからです。しかしながら、政治エリートも人間です。失敗や怠慢はあります。これを第三者的視点から、彼らに対し責任をとらせる主体が必要です。責任を感じた方がきちんと仕事をしますよね。その役割こそ国民に求められます。そして積極的規範意味のもと、国民は議員と違う政治観を理由として責任を追及できますし、禁止的規範意味のもと議員は独立して行動するからこそ責任を追及されうる主体となるのです(最後の文章は、樋口先生『注釈日本国憲法』(青木書院、1988年)871、872 頁に書かれています)。これを踏また上で、禁止的規範意味を強調する立場とは、議員の責任主体性を強調する立場といえます。もちろんそれは、責任追及の手段ありきです。そして、現実をみるとき、通常議員の責任を追及する手段は選挙制度となっています。しかし、これが満足に機能していない。積極的規範意味が不徹底だ。だから二回投票制だ、こういう理屈でした。

 そうなりますと、二回投票制が選挙制度として必然の帰結というわけではなくなりますし、禁止的規範意味と積極的規範意味が両立するのかという茶畑氏からの質問には、委任命令やリコール制ほどに禁止的規範と抵触する制度でなければ両立するといいます。とはいえ、もっとも急所をつかれたのがトムリンソン氏からの指摘でした。23年判決は14条の判断しかしておらず43条の法的意味、とりわけ積極的規範意味など認めていない。仮に、積極的規範意味があるのはいいとしても、そこから選挙制度の中身を決めるほどの拘束力はない。43条から選挙制度の政策論が可能なほど話を広げられるのか。このような指摘だったと思います(間違っていたら訂正お願いします)。正直、判例の箇所は深入りされると弱るなぁと思っていたので、うまい具合に反論できません。 14条と他の条文との関係性がまだまだ勉強不足であることを痛感しました。しかしながら、禁止的規範意味から選挙制度の具体的な中身については踏み込めると思います。それはケルゼンが議会制民主主義をより直接民主制へと近づける諸制度を提案していることから明らかです。問題となるのは、客観的な政治的正解はあるという私の立場から、積極的規範意味にそこまでの内容を求めていいのかということです。思うに、積極的規範から要請されるとする制度の中身次第です。禁止的規範意味と抵触しない範囲内であれば、具体的な制度設計についても論じられると考えます。そうは言っても、以上のような鋭い指摘をくれたトムリンソンがかなり勉強してきてくれていることが伝わって、とても嬉しかったです。気合い入れて事前レジュメを書いた甲斐があったと思いました。僥倖でした。

 じょいからは、私見として客観的に正しい政治的決定は認識されうるとの立場、理由づけが弱いのではとの指摘がありました。応答が難しいところです。長谷部先生がケルゼンに対して批判をされている内容(長谷部先生「国民代表の概念について」法協雑誌129巻1号(2012年)174頁)を、まだ自分の中へと十分落とし込めていなかったことに気付きました。勉強すべきことがたくさんですが、議論を通じ課題をみつけることができて、ゼミのメンバーにめぐまれたなぁとしみじみ思いつつリポートを打ち込んでいます。

 以上をふまえますと、将来は組織を背負って立つ「代表」者になり、堂々と「個人的に」と言える、そんな社会人になりたいと思いました。ふまえてないですね、すみません。笑

 さて、次回はトーマス氏による「憲法変遷」論です。「憲法変遷」を総論的に捉える報告のようで、またまた根源的規約主義が登場し、頭をフル回転させるゼミになりそうです。楽しみですね!!

投稿者:パム

 今回はましゅ麻呂さんによる「『全国民の代表』と選挙制度」というテーマでの報告でした。射程も広く、難解なテーマだったと思いますが、問題意識から結論までの流れがはっきりしていて自分も見習うべきところが多かったです。ましゅ麻呂さん、お疲れ様でした。

 ゼミでは議論についていくのに精一杯になってしまっていたので、議論を振り返って考えたことをここでは述べたいと思います。宮沢が自分たちの主張について「科学」的である、とするのは言い過ぎだという点については僕もそう思います。(なんとなくですが、そもそも法律学に「科学」なるものが存在するというのも怪しい気がします。)

 また、ましゅ麻呂さんは、長谷部先生的理解から、客観的に正しい政治決定は認識されうるという主張を採っていました。僕としては、客観的に何が公益であるかは認識可能であるという点について、積極的に肯定する理由は見出しがたいように思えます。多数派による政治決定が是であると言えるために、長谷部先生は多数派による政治決定が客観的な正解を導くために効果的な手段であることを求めていますが、結局、客観的な正解か否かの基準がなければ、それが効果的な手段であるという判断はできず、多数派による政治決定が是か否かの判定もできないと思います。むしろ客観的な妥当性を判定できる人はいないというケルゼンや宮沢先生の前提の方が納得できます。ケルゼン達による、命令委任とリコール制が伴う代表と代表者の関係だけを「代表」というべきという結論が妥当かどうかについては急進的な印象もあり、賛同しかねますが、少なくとも彼らの議会制民主主義についての考え方については説得的な部分が多いように思います。

 今年度のゼミも残りわずかとなってきました。まだまだ予習や、議論での発言は足りていないと思うので、より意識を高めて臨んでいきたいと思います!

投稿者:マスク 

 2016年最初の報告はましゅ麻呂さんによる「『全国民の代表』と選挙制度」というタイトルの報告でした。実を言うとこの分野に対しては、難しくしかもどちらかというと政治的である、というイメージを抱いており「何となく苦手」でした。しかし、今回の報告は、問題を提起し、学説や判例について理論的な考察をした上で、二回投票制という一つの可能性を提示するという目的意識がはっきりしたものでしたので分かりやすかったです。  

 議論について、私は、客観的に正しい政治的決定の認識が可能かもしれないと考える「長谷部的理解」それ自体と、「長谷部的理解」によれば多数派による政治的決定が効果的な手段であれば是であるという二点に賛同しかねると今のところ考えております。「客観的」という用語法の問題に過ぎないかもしれませんが、そこには客観的に正しいものがあるのかという難題があるような気がします。現時点あるのかないのか分からない、だからこそ人は議論をすることによって、とりあえずの答えを探すのではないか。だからこそ民主的な政治プロセスが次善の策だとしても肯定されると思っています。というわけで、客観的な正しさについてのところで思考が止まってしまい、「長谷部的理解」の本質までたどり着けなかったように思います(「長谷部的理解」全体を否定したいわけではなく、客観的な正しさや効率の問題に収斂させる点が納得いかないだけかもしれません)。要復習ですね…。  

 今回の議論で面白かったのは、先生の「(全国民の代表であることを考えたとき)そもそも一票の価値は問題になりうるのか」といった趣旨(間違っていたらすみません)の問題提起でした。これまで当たり前のように一票の価値が重要であることを前提に考えてきたため驚きでした。前提を疑って、問いの立て方それ自体を問うという姿勢が私にはまだまだ足りないと痛感いたしました。  

 久しぶりにゼミ風景リポートを書きましたが、正月ボケがまだ続いているようで特に何の主張もない内容になってしまいました。次回からは議論に参加した上でもう少し内容を充実させたリポートを書きたいと思います。その際、「個人的に」という言葉を安易に使わないように注意が必要ですね…。それでは、次回もよろしくお願いいたします。

投稿者:テンパー

 新年1発目のゼミはましゅ麻呂さんによる「全国民の代表」と選挙制度についての報告でした。前例にない事前レジュメの文量に正月はびくびくしていましたが、非常にわかりやすい流れでまとめられており、学ぶところが多かったです。ましゅ麻呂さん本当にお疲れさまでした。    

 報告の中では、宮沢が自分の主張が「科学だ」といったことに対しては、僕もそれは主張としては強すぎると思います。僕の印象としては科学=自然科学というイメージがあるので、人間の考えた制度的なもの、概念についてそれが自然科学だというのには抵抗を感じました。また、日本国憲法43条の要請する「全国民の代表」は衆議院・参議院のそれぞれで内容は異なるのか。といった問いが印象に残っています。確かに、我が国では二院制が採られ、異なる選挙制度で選挙を行っているならば、内容を異にした方がいいような気がします。(肌感覚的なものですが…)  

 先生が、両院制は連邦制などを採っていない単一国家では正当化し辛いとおっしゃっていたように、日本の二院制の成立過程を辿ると、アメリカが一院制に規定しようとしたところを、貴族院の議員の失職を防ぐために、アメリカが言い渡した一院制の規定のまま二院制にしたため、一方が地方の代表ということにはならなかったというものでした。日本の二院制が、アメリカの上院、下院のように明確に選出母体、機能が異なるものでなく、二院制を積極的に正当化できない以上、日本の二院制をどのように考えていけばいいのか気になったので今後調べていけたらなと思います。  

 報告の内容から脱線してしまったような気もしますが、様々なことを考えさせられる報告をなされた、ましゅ麻呂さんの成せる技なのでしょうか。年末、正月で緩んだ気を引き締める新年1発目のゼミだったと思います。ゼミの回数も残すところあと3回となってしまいました。次回はトーマスさんによる「憲法変遷」論です。帰ってきた根源的規約主義ということで、どんな議論になるのか楽しみです。議論での発言がまだまだ足りないので、より一層気を張って、ゼミに臨みたいと思います!

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第27回(2016年1月14日・木)個人報告⑰「『憲法変遷』論」(報告:トーマス、司会:カフェラテ)

投稿者:トーマス   #170

 今回は、憲法変遷論について報告しました。憲法変遷論というテーマに関連して方法二元論や法解釈論まで扱うこととなり、報告の筋がわかりにくくなってしまいました。以下では、報告の流れの整理と報告した後に思うことを書きたいと思います。

 まず、憲法変遷論の議論が活発になったのは、1960年代以降の憲法9条と自衛隊との関係からでした。自衛隊の存在は憲法9条に反するが、社会の事情等(国民の同意、国際情勢)により許容されるに至ったのではないかという問題を一般化したものが「憲法変遷論」です。憲法9条が絡んでくるため「憲法変遷論」に各論者の価値判断が混入されて議論が錯綜しているという意識から、「方法二元論」の立場をとり事実と価値判断を分けて「憲法変遷」について議論しようとしていたのが、最初に扱った「『憲法変遷論』をめぐる学説」です。

 ここでの議論について高橋教授の整理に従うと、(法源の変更としての「憲法変遷」を認めるかどうかの文脈において)肯定説は「国民が法であると認めるものが法である」という価値判断・否定説は「硬性憲法典こそが憲法法源である」という価値判断を前提に置いているため、「方法二元論」上は肯定説・否定説ともに「憲法変遷」を議論できないこととなり、残りは憲法解釈論上「憲法変遷」という立場をとるか否かであるという問題になります。この指摘から、「憲法変遷」を解釈論上(価値判断上)認めるべきか否かという問題へと移ります。そして、「憲法変遷」を解釈論上認めるかどうかに先立って、従来の学説が憲法を客観的に記述・認識できる(解釈には客観的な「枠」がある)という立場をとっていたので、そもそも法は客観的に意味を記述・認識できるのかという視点から、解釈に「枠」を認めないという立場を紹介しました。

 以上の流れをふまえて、私見として憲法は客観的に記述・認識の対象にはならない(解釈に「枠」はない)という立場をとりました。そしてその立場は、最高裁判所が判断するまで憲法条文から規範を導出できないと考えるため、解釈論上「憲法変遷」は想定できないと結論づけました。解釈に「枠」はないという立場をとった理由については、間柴泰治(国立国会図書館収集書誌部収集・書誌調整課)が指摘している政治部門の憲法解釈における内在的制約と関連させました。まず、政治部門の憲法解釈の内在的制約とは、最高裁判所に政治部門の「憲法解釈行為が否定された場合、その憲法解釈を基に形成されてきた社会秩序が著しく損なわれるという甚大な不利益を生じさせる」ことに起因するものです。解釈に「枠」はないという立場をとれば、政治部門にとっていつ憲法判断がされるか判決等から線引きすることができないため、内在的制約がより機能し、政治部門の行為に伴う憲法解釈が憲法適合的になるのではないかと思い解釈に「枠」はないという立場をとりました。

 私見については、自分が主に政治部門の憲法解釈に限定して考えていたため、解釈に「枠」はないという立場をとったからと言って、実際に最高裁判所が政治部門の行為に違憲判断をするのか(最高裁判所の態度に変化があるのか)という点からジョイ君・りちゃ君から指摘をいただきました。その点については、解釈に「枠」はない(制定法は客観的な記述・認識の対象とならない)とした場合、法が存在するからといって行為の妥当性・正当性を強く主張できなくなり、裁判所が個々の具体的場面において適切な判断に踏み込むことができるのではないかと思います。(具体例として、利息制限法をめぐる裁判所の判決を挙げることができると思います。)憲法判断を要する段階では、国政は憲法に従ってなされるべきであるという考えがあり、裁判所が行う憲法判断の正当化根拠が憲法にあるならば、憲法上問題であると考えられるが憲法以外の法律によって根拠づけられる国家の行為については、個々の具体的場面において裁判所がその行為について憲法適合的に積極的に判断するということを期待できるのではないでしょうか。(ただ、この点は結局統治行為論などに結びつく可能性があるので、問題に答えられてはいないと思いますが。)

 また、トムリンソン君・テンパー君などから安保法制という具体例と関連させた指摘をいただきました。この安保法制については、憲法判断がなされるまでは、それはただ事実として存在するだけであり、もし違憲判決がだされるならば、その法律は無効になると思います。実際問題として、そんなことがあるのかと言われれば難しそうですが、そう判断されない可能性もないということから政治部門は自己の行為を憲法適合的にせざるを得ないのではないかと思います。実際に安保法制が通ってしまった現状を顧みて考えると、それらが憲法に反していると考えるのであれば、政府のさらなる行為を抑制することを期待して国会に託すという手段が残された有力な手段となると思います。もちろん、国会議員を選ぶにあたっての判断基準となるため、そのような議論を提起していく国民の活動も重要であると考えています。

 最後に、穂積八束と同じような表現を用いて指摘をしてくださったイブ君の「解釈に枠がないとしたら、憲法は紙についたインクと同じになるではないか」という疑問に対しては、「テクストとしての憲法」と「規範としての憲法」を区別して論じられている、南野先生の「『憲法』の概念―それを考えることの意味」長谷部恭男編『岩波講座 憲法〈6〉憲法と時間』(岩波書店、2007年)27-50頁を読んでいただければ、その疑問が解決すると思います。(今回の報告にあたっては、先生の文献を何度も読ませていただきました。ただ、引用するとなると、自分の能力のなさが著しく露呈すると思い引用を少なめにしました。)

 最後の個人報告では、今回それぞれの章で扱ったような議論を勉強してみたいと思っていたので勉強として楽しいものでしたが、それらを理解して言葉にすることは一筋縄ではいかないということを痛感しました。わかりにくい報告になってしまいましたが、みなさんが議論に参加してくださって本当に良かったです。ありがとうございました。

 来週の報告は、ムタさんによる「国家と文化」です。個人報告のテーマとしてやってみたかった分野でもあるのでしっかりと予習に取り組んでゼミに臨みたいと思います。13期南野ゼミは残すところあと2回です。今年度は様々な出来事が多かっただけに終わってしまうことはとてもさみしいですが、みなさんで良い思い出を少しでも多く残せたらいいなと思います。

投稿者:イブ

 今回はトーマスさんによる憲法変遷論についての報告でした。ゼミ開始前プレッシャーからでしょうかやたらと饒舌だった報告者のトーマスさん、そして今期3回目の司会者に抜擢されたカフェラテ、お疲れ様でした。  

 報告の内容について触れますと、今回報告者は方法二元論の立場から、解釈には枠がないという立場をとったうえで、政治部門の行う憲法解釈に歯止めをかける効果も期待して、「憲法変遷」という概念の存在自体を否定する立場を採っていました。「事実」と「価値判断」を徹底的に区別した報告者の私見は筋が通っていると思われ、また「解釈の上で『憲法変遷』が有用なのは、『国民の同意』がはっきりとは存在しない場合に自己の主張を正当化する概念装置として使われている場合だけである」という点には一定の説得力があるように感じました。

 しかし、改めて考えるに、解釈に枠があるという立場から、一般的に社会に受け入れられていると考えられる憲法の条文に反する現実の事態(例としては、自衛隊の存在が挙げられるでしょうか)を説明しようとした場合には、肯定説のような主張をせざるを得ないように思え、そうすると「自己の主張を正当化する概念装置として使」うことがそもそもそれほどまでに批判されるべきことであるのか、という疑問が生じます。もちろん、肯定説には「憲法変遷」を認める際の要件である「国民の同意」をいかに計るのかといった類の問題点はあります。しかしながら、それらを理由として肯定説から遡って解釈に枠があると考えること、またさらに遡って実在論を採用することまで否定することは、論理の飛躍があるようにも感じます。

 また以上のように一種のリアリズム的な観点からすると、肯定説において「憲法変遷」が認められるとする事例について、すべて解釈アクターによる価値判断が行われているに過ぎないとする否定説の立場はあまりに論理の世界に引きこもっており、現実に目を向けていないような印象を受けました。 ただ、先ほども述べた通り、否定説の立場も論理的には一貫したものであり、結局は上述のように現実主義的な見方をするのか、論理主義とでもいうような見方をするのかの価値判断の対立とも言える問題であるということになるため、結局としてはこの「憲法変遷」論という問題における決定打のようなものはあるのか、そもそもこの点について議論する実益が憲法学上存在するのかという点が疑問として残りました。(これに対する答えの1つとしてトーマスさんは政治部門の憲法解釈についても言及なさったのかもしれませんね。)

 なにか考え付くままに文を綴ってしまい、感想文のようなリポートになってしまった気も致しますので、今回はこの辺で閉じさせていただきたいと思います。次回はムタさんによる個人報告、テーマは「国家と文化」です。国家による給付については広い裁量が認められ、原則として憲法問題を構成しないという「規制と給付の二分論」に一石を投じられるとか投じられないとか。残すところ13期のゼミも2回ですから悔いのないよう、予習の段階から熱を注ぎたいと思います!!

投稿者:茶畑 

 トーマスさん報告お疲れ様でした!今回は憲法変遷論についての報告で、憲法変遷について考えられてきた学説は方法二元論上失当であると考える高橋説をとっ た上で、法解釈とはいかにあるべきかという問題から憲法変遷自体存在しないことを論証されていたように思います。

 議論は、法の意味の不確定性から政治部門に対する束縛をいかに考えるかが焦点になっていました。憲法がその意義を果たすためには法には一義的な意味があらかじめ定まっていると言っておいた方が戦略的にはいいんだろうと思いつつも論理上の困難があったりして難しいですね。 「裁判所が根元的規約主義に拘束されうるのか」と第19回報告で先生からいただいたご意見について、今回のゼミの中で考えていた(政府に対する拘束はありうる中で裁判所はどうだろうな、政治部門とはどこまでを意味するのだろうか)ので、若干書いておこうと思います。

 ラテン語に詳しい『リアリズムの法解釈理論』第二章におけるトロペール先生のご指摘がリアリズムの法解釈論のみならず、根元的規約主義にも妥当するところであると思います。つまり、「現在のフ ランスにおける実際においては、裁判官は憲法条文を適用している、そしてこの条文は客観的な意味を有している、そしてこの意味は認識しうるものである、といった単純な考えによってのみ裁判官はその正統性を得ているからである」という指摘は、裁判官の解釈の場面における「正しい」振舞い方を徹底することと根元的規約主義、リアリズムの解釈理論が抵触することを示します。こうした指摘はもっともですが、そもそも言語哲学上真とされること(かつ裁判官の実態と して現にあるもの)が裁判という制度の上で援用できないのであれば、ひとえにその制度が是正されるべきと言えそうです。ケルゼンが「憲法裁判所は・・・議会によって選出されるべき」というのもそのような点に配慮してのことであるよ うです。

 また、たとえば民選でない裁判官が出す決定の方が民選の裁判官のそれより正しいと思う人々が多いがゆえに全体効用が高いとの説明もできるかもしれません。ただし、これは正統性ではなくて正当化可能性を探っているということになりそうです。裁判官がその正統性を根元的規約主義やリアリズムの解釈理論のもとで得るには結局憲法を改正しなくてはいけないという話になるのでしょうか。

 次は、ムタさんの報告で、「国家と文化」です!南野ゼミも残り二回ですが、 しっかり予習したいと思います!

投稿者:カフェラテ

 報告から大変月日が流れてしまいましたが、まず始めに報告者のトーマスさん報告お疲れさまでした。ゼミ開始時にはトーマスさんの前にあった水のボトルが2本とも終わりには空になっていたことから推察するに暖房を効かせすぎたせいで報告者には過酷な乾燥した教室だったのかもしれません。報告者が報告しやすい環境づくりをすることが司会の仕事出会ったとすれば、通算3度目の司会にもかかわらずまだまだエリート司会の道は長そうです。  

 さて、今回は「憲法変遷論」ということで報告が行われました。「憲法変遷論」と言いますとなんとなくゲオルク・イェリネクが想起されますが、今回の報告ではそうしたドイツ発祥の憲法変遷論の登場から現代日本における議論状況を説明していき、最後は報告者の方から多面的に考察を加えていくという形で報告は行われました。実はこの憲法変遷論は自分の個人報告(第13回個人報告参照)の時も「九条論を開く」という山元先生の論文の中でも紹介されており、多少なりとも理解しているつもりで挑んだゼミでしたが非常に難しかったというのが個人的な感想です。  

 今回の報告でもありましたが、この「憲法変遷論」が日本において本格的に議論されるようになったのは憲法9条と自衛隊が問題になる1960年代以降ということで、安保法制について報告した際にゲオルク・イェリネクや清宮四郎と行った名前が出てきたことは偶然ではなかったのでしょう。「憲法変遷論」で議論となるのはやはり「文言の変更なしで、憲法規範の意味内容を変更できるか」という点だと思います。ゼミにおける議論でも果たして憲法規範を「社会的理由」や「国民の同意」、規範の「慣習」化などといった要件を満たせば文言の意味を殺してしまうような解釈すら認められていいのかというのは皆疑問に思っていたのではないかと思います。いわば「流動的」な規範として憲法規範から枠を取り払ってしまうと、際限のない目に見えない改正が可能になる危険性はないのかということでした。

 イブなどに代表される論者はこの「枠」を取り払うということについては、この一年間のゼミを通して全体的にかなり否定的な立場をとっているとおもいます。実際報告者の方からも「憲法変遷論」に肯定的立場は取りえないと報告レジュメにありました。それは国民の同意という目に見えないものをどう観測するのか、基本的に国民の大部分は決定されたことには追従するという立場から結果は容認するほうにしか流れないのではないか、というのが反対派からの意見でした。やはりここで「枠」を取り払い有権解釈機関に憲法解釈を任せるといった選択に肯定的か否定的かというのは内閣法制局に代表される有権解釈機関にどれだけの信頼を置いているのかということが影響してくるのではないかと思っています。

 私個人の意見としては、メディアや社会的風潮に流されやすい一般国民による国民投票などよりも有識者の集まりである有権解釈機関の熟慮された結論の方が安心できます。1930年代に世界を席巻した全体主義は物言わぬ国民と、それをうまく扇動し、取り込んだ“強い”リーダーたちによるものだったのだとすれば、容易に国民の判断に大事なことを任せていいのかということには疑問を抱きます。有権解釈機関の考え練られた解釈が国民に静かに受けいれられるのであれば、それは国民を熱狂させるような“パフォーマンス”も練りこまれた解釈などよりより良いものになることもあるのではないでしょうか。そういうことも含めて「流動性」を持つ憲法というのは納得できる部分も少なからずある気がします。  

 ガチガチの憲法論とは少し違った内容とはなりましたが、「憲法変遷論」についての議論は今回の報告だけではつきない広がりのあるテーマだったと思います。その広い射程ゆえに報告者のトーマスさんもずいぶん苦労されたのだと思います。また来年のゼミでも「憲法変遷論」は議論するに値する大きなテーマな気がしました。果敢にこのテーマに挑まれたトーマスさん本当にお疲れ様でした。  

 いよいよ最終ゼミが近づいてきております。13期のゼミ生で議論するのもあとわずかと思うと寂しさと来年への不安が胸に沸き起こります。しかしまだ終わったわけではないので最後まで全力で頑張りましょう!

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第28回(2016年1月20日・水)個人報告⑱「国家と文化」(報告:ムタ、司会:ふせん〔特別ゲスト〕)

投稿者:るいす

 皆さん、第28回目のゼミお疲れさまでした。13期の報告も、今回を含めあと2回となってしまいました。かなり緊張して迎えた初回ゼミから、非常にあっという間に時が過ぎたように感じます。

 今回はムタさんによる報告で、テーマは「国家と文化」でした。国家の規制に対する統制について考える機会は多いのですが、給付に対する統制についてはあまり馴染みがなかったので、予習の段階から新鮮かつ興味深い内容でした。さて、ムタさんは文化助成に対する憲法上の統制を考えるにあたって、文化的生存権・違憲な条件の法理・文化専門職の自律を検討していました。そして、違憲な条件の法理の問題点を指摘したうえで、文化的生存権と文化専門職の自律に着目した統制を図るべきだという結論を導いていました。

 個人的には、文化専門職の自律のなかで蟻川先生の主張する職責論に少し引っかかっています。国家による文化への助成のなかで、国家がその文化に不当に介入することのないよう、文化専門職の自律を認め、そのために彼らにその職責を果たさせるという考えには納得します。この職責概念については、個人報告の際に読んだ蟻川先生の「国立大学法人論」という論文で目にはしていました。ただ、当時からこの職責概念には曖昧さが残っていると考えています。専門職がその職責を全うするために、自律的権能を持っていても、その職責がが果たされない場合に何らかの法的制裁が予定されているとは考えづらく、あくまでその職責に基づく義務は倫理的義務にすぎないと思います。そうなると、この職責が実際に果たされるのかは疑問ですし、何が職責として予定されているのかは不透明です。また、専門職については、文化に限らず多くの分野の専門職についてもこの職責概念は妥当するような感じもします。医者などの専門職も彼らが自らの職能を全うできないなら、国家の設定したプログラムが十分に実現されないようなこともあるのではないかと考えるからです。

 今回は、文化的生存権の要請の範囲やそもそも文化に国による給付は必要なのかといったことなどが議論され、最後には埼玉の某公共施設のコスプレ問題にまで話が波及し、非常におもしろかったです。日本の伝統文化を絶やさないようにするという面では、国家の給付は必要だと思いますが、「文化」の捉え方によっては考え方も変わってくるので、難しい問題だと思います。

 次回のラストゼミでは、じょいさんによる「内閣総理大臣の権能」という報告です。時事的にも興味のあるテーマなので、しっかり予習をして臨みます!!

投稿者:りちゃ   #175

 今回はムタさんによる「国家と文化」というテーマのもと報告がなされました。今回を含めて残り2回ということもあり、始まる前はなんだか寂しい感じがしていたところでしたが、スペシャルゲストのふせんさんも来てくださって、楽しい報告回でした。  

 さて、その報告の内容についてですが、給付行政は国家に広い裁量が認められるとの前提のもと、それが故に、場合によっては私人に過度に干渉することになるという問題点を指摘した上で、それを規制するためにはどのような法的措置がとれるかという内容だったと思います。特に、今回扱った文化については「放任」 が望ましいとされつつも、人々がその文化を広く享受する環境・基盤を作るにはコストがかかるというパラドックスを抱えているため、給付行政とそれに対する規制との関係がより一層問題となるところだと思います。

 もし仮に、ある一部に該当するものに対してしか助成が出なかったという場合ならば14条違反を主張することがまず考えられますが、それ以外にも駒村先生の提唱する文化的生存権をはじめ、歴史ベースライン、予測ベースライン、文化専門職の自律など様々な主張が考えられることを知り、とても勉強になりました。 ただ、旭川学力テスト事件において、社会権規定である26条が憲法的統制の側面を有することが示されたからといって、それが直ちに生存権について同じように言え、文化的生存権に基づいて請求ができるかどうかは判例の集積を待つ必要があるのではないかと思います。また、文化専門職の自律という説に関しても、 国家からの圧力・影響を受けないような自律性を持った専門職の人が果たしてどれだけいるのか、というのは疑問に思うところです。 しかし、上記のように広い裁量が認められる行政の行為についても、あらゆる規制手段が考えられていることは衝撃的だったし、解決困難な場合にもやはり何 かしらの打開策を考えることが大切なのだと思います。

 さて、来週はいよいよ最終回。我らがゼミ長による報告ですね! これで終わってしまうと思うと少し寂しい気もしますが、何よりジョイさんの報告ということで、とても楽しみにしています!(笑)

投稿者:イブ 

 今回はムタさんによる個人報告、タイトルは「国家と文化」ということで、従前唱えられてきた「規制と給付の二分論」(以下、「二分論」)に対し、駒村先生の「文化的生存権」、蟻川先生の「文化専門職の職責の原理」を混合的に用いた私見から一石を投じるものだったと思います。また、今回は特別ゲストとしてふせんさんがゼミに登場なさいました! 急遽司会に抜擢されたふせんさんでしたが、まるで「司会をするためにやって来ました」と言わんばかりのスムーズな司会進行、そして自己の経験を踏まえた問題提起に圧倒されました。  

 さて、報告の内容についてですが、今回のリポートでは私がゼミ中に上手く説明することができなかった「『二分論』がそんなにも批判されるべき考えであるのか」という点についてこの場を借りてもう1度トライさせていただきたいと思います。  

 私は国家による助成がなされることで可能となる芸術活動(ex.美術館に絵を展示してもらい、公衆の討議を喚起する等)があることを前提として、行政による給付に統制をかけようとすれば文化助成に萎縮効果のようなものが生じ、先に述べた助成を前提とした芸術活動の機会が奪われ、結果として文化が持つ「過酷な競争において息をつぐ機会を提供するという社会的意義」、個人的意義が損なわれるのではないかと考えています。これに対しムタさんからは「そのような考えは行政の給付が常に適切に行われることを前提にしている」という旨の反論をいただきました。正直なところ私としては行政に比較的厚い信頼を置いているため、行政による給付に対する統制は判断過程の統制で十分だと思っているのですが、私の考えに説得力を持たせるために敢えて行政の給付が常に適切に行われるとは限らないという前提に立ってムタさんの私見の「二分論」への批判部分を検討させていただきます。  

 まず文化的生存権の議論なのですが、これについてはそもそも文化助成を統制しようとするものではなく、「国家に一定の文化助成を義務付けようとするもの」、すなわち文化助成における下限を設定しようとするものですから、私のように文化の持つ意義を重視する立場からも異論はありません。(余談ですが、この「義務付け」という点から「請求権的側面がある」というように読んでしまうと憲法25条の法的性格についての議論における具体的権利説に立つこととなってしまい、なかなかに論理立てが困難になることから、ムタさんが議論の中でおっしゃっていたように「陳情ができる」程度で理解しておかなければならないという点で注意が必要だなと感じました。)  

 次に文化専門職の職責の原理の議論なのですが、この点についてはるいすのリポートにもあるように「専門職がその職責を全うするために、自律的権能を持っていても、その職責が果たされない場合に何らかの法的制裁が予定されているとは考えづらく、あくまでその職責に基づく義務は倫理的義務にすぎない」のではないかという疑問があります。また、ここで一度、職責が果たされない場合に何らかの法的制裁が存在するとし、その制裁を受けた専門職が処分が不服だとして訴訟を提起した場合を仮定します。この場合、問題の所在は「専門職がその職責の範囲内で公正な判断をしたか、その意味で職責を果たしたか」という点になると考えられます。しかしながら、こと文化助成においては専門職の審議にも専門職個人の価値判断といいますか、主観的要素が入らざるを得ない点、また法律の専門家である裁判官が門外漢である文化に関する問題について適切な判断を下すことができるのかどうかという点で疑問が残ると言わざるを得ないでしょう。この疑義を回避しようとすれば、結局専門職の判断の段階においては統制を加えることはできず、立法府による基本方針の策定の段階で判断過程統制を加えるという考えに落ち着き、「二分論」が採られる現状に帰着することとなるでしょう。したがって、内容において恣意的な助成がなされたなどの問題があった場合はりちゃが言っているように憲法14条の問題にするか、政治的なコントロールを加えるしかないのではないかと私は考えています。(論理に飛躍がありましたらビシバシご指摘いただきたいです。)  

 以上から、繰り返しにはなりますが、国家による給付には広い裁量を認めて、基本方針の策定等の段階で判断過程統制を加えるという「二分論」は「行政の給付が常に適切に行われるとは限らない」という立場からも支持できるように私は思います。と、無礼にも憧れの先輩に噛みつく形でつらつらと考えを書いてみましたが、私が文化の持つ意義に重きを置いている点から、「問題の所在がそもそも異なっている」等の批判を受けそうだなと感じているところです。いやはや、国家と文化の関係性というのは実に奥の深い難しいテーマですね。  

 さて、いよいよ次回は13期ラストゼミ、報告者は全ゼミ生待望のじょいさんです。このメンバーでのゼミが次回で終わりというのは非常に寂しく、もう1度平成27年度を繰り返したいと思うほどです。しかし時間は巻き戻らないもの、覚悟を決めて来年度に繋がるような議論ができるよう準備をしたいと思います!!

投稿者:ムタ

 今回は「国家と文化」というテーマで報告を行いました。私がこのテーマを選んだ理由は、以前、文化助成についての事例問題を解いていたときに蟻川先生の論文(「法令を読む⑴」法学セミナー665号(2010年)68頁以下)を読んで以来、ずっと気になっていたからという単純なものだったのですが、報告の準備をしていく中で船橋市立図書館蔵書廃棄事件、金剛山歌劇団仙台市民会館使用拒否事件等の存在を知り、こうした給付作用について統制をしていくことの必要性を感じるようになりました。

 そして、報告では文化的生存権、専門職の自律よる統制を行うべきだという立場をとりました。これは、国家に一定の文化助成を行うことを義務付け、文化の多様性・多元性を維持することに意義がある、また、文化政策を行うにあたって国家の主導性と文化の自律性を共存させるために専門職の役割に注目していくことが有用であると考えたからです。

 抽象的な議論だったので、実際に統制ができるのか疑問に感じた人もいたかもしれませんが、船橋市立図書館蔵書廃棄事件の判決は専門職の役割に注目したものだという視点から理解することも可能なので、無意味な議論ではなかっただろうと思います(報告の中で紹介できなくてすみません。詳しく知りたい方は蟻川先生の「国家と文化」岩村正彦編『岩波講座現代の法(1)現代国家と法』(岩波書店、1997年)105頁以下をどうぞ)。議論の中でいくつか指摘されたこともありましたし、今回検討しきれていない学説もあるので、今後も文化助成の統制のあり方について考えていきたいと思います。

 さて、次回は涙の最終回ですね! 報告は「内閣総理大臣の権能」についてということで、何やら難しい議論になりそうな気がしますが、大学最後の授業でもあるので、有終の美を飾れるようにしっかり予習して臨みたいと思います。次回もよろしくお願いします。

投稿者:ふせん(特別ゲスト)

 こんにちは。お久しぶりです、ふせんです。昨年、ちょうど一年前の自分の最終報告である2月4日を最後にゼミ風景レポート、いやそれどころかゼミ風景そのものから忽然と姿を消したと言われておりましたが、恥ずかしながら帰って参りました(一日限定で)。といいますのも目下、某公共団体のコスプレ問題に悩まされており、その解決策の端緒なりともをムタさんの報告「国家と文化」でつかめたらと切に願った所存です。

 もう既に報告趣旨とムタさんの見解はレポートされていますので、大枠は割愛しましょう。 本報告はまず、そもそも「文化」という概念そのものから解きほぐし、人間の人間的な生活の中においていかに必要かつ根源的なものであるかを確認しています。確かに、「文化」という語義そのものは多義的で、いかにも有用な実学とはかけ離れた分野に渡ることもありますから、人間にとり必要不可欠とは言い切れないとも思えます。ですが、「始めに言葉ありき」ともいいますし、 たとえば「言葉」も文化の一部であるならば、人の基盤的な考え方や世界の切り取り方・認識の仕方それ自体もその範囲に含まれることになるでしょう。そういった人の思想体系そのものを国家が左右することができるのならば、そもそも何が問題なのかさえ気づかぬままに、批判力を失った私たちは国家の恣意的な思惑の中で生きていくしかなくなってしまうことになりかねません。それはとても怖いことです。

 私は今、縁あって阪口正二郎先生の意見に特に目が行ってしまいますが、阪口先生も文化・芸術がもつ既存の価値観に挑戦する「破壊的」な力や、人の感情や本能などに直接はたらきかけてくるヴィジュアル性に着目して、そのような根源的な影響力をもつ文化や芸術を国家が自己に有利な形で国民を統合するために利用する場面、たとえば、国旗敬礼という行為が民主主義的な統治の正統性を脅かす危険性をはらんでいるという示唆的な意見を示した米判例を引き合いに出して、注意をなげかけておられます。(そういえば、某公共団体がレイヤーを町に呼び込み集めることによって「この町はオタクの聖地だ」と思われるのが嫌だ、と友人は嘆いていましたが、それも、町をあげて、しかも町役場という町の枢要部でコスプレイベントを行うという行為の外形自体が、町の住人全体の思想を表しているように「見える」という意味で、そのヴィジュアル性の持つ意味や影響が気に食わないのかもしれません。)

 ひとつ気になった点は次の点です。ムタさんの報告では、文化専門職による文化に対する国家の裁量統制を採用するとのことでした。しかし、議論でも質問として出たように、文化専門職がその職責を果たしたか否かの判断は誰が行うのかについてはなお気になるところです。文化専門職の自律に委ねることについても果たして客観性が保てるのか、否か。関係のないことかもしれませんが、昨今では、国立大学文科系助成削減などで文化・芸術を扱う分野の教育の衰退が危惧されているように(この点については文科省の言葉遣いが誤りだったとか言い訳しているようですが)、そもそも文化専門職を文化専門職たらしめるための、そもそもの教育段階で国家による介在があった場合には? その時点で国家に「都合のよい」文化専門職が醸成されたとしたら? と疑問が浮かんできます。私も、もう少し考えを巡らしたいところです。

 なんだかんだと長々書いてまいりました。ともかく、今期南野ゼミのみなさん、お邪魔させていただきありがとうございました。昨年と比べても積極的に発言する方が多く話しやすい雰囲気のゼミだなと感じました。法律学を学ぶには小難しい理論的な部分は避けられないけれども、理論的にはまずおいて「直感的に自分はこう思う」という感覚が一番重要だと私は思っています。それを見ることができてとても面白いゼミでした。

 次回ジョイさんの報告をもって、ゼミは最後となります。おそらく終わった後には、この一年間のゼミがひとつひとつ大事な議論の場だったんだと感じるだろうと思います。現に、私がそうでした。こころのこりのないよう存分に、最後の一口まで味わってくださいね。

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第29回(2016年1月27日・水)嗚呼!涙の最終回個人報告⑲「内閣総理大臣の指揮監督権」(報告:ジョイ、司会:dtk)

投稿者:ましゅ麻呂

 ゼミ風景リポートをご覧の皆様、こんにちは。今回が今年度最後のゼミとなりました。ついこの間自己紹介をしたばかりだと思っていたのですが、一年って早いですね……嗚呼。

 さて記念すべき最終回は、我らがゼミ長じょいによる「内閣総理大臣の指揮監督権」でした。レジュメに適宜説明を交えながらの優雅な報告スタイルで、とてもわかりやすかったです。さすがの貫禄でした!!

 内容としては、ロッキード事件判決を取りあげた上で、指揮監督権に関する学説(否定説と肯定説)を紹介し、否定説を支持する(総理大臣の「指示権」なるものには法的根拠などない。)という流れだったと思います。私は、否定説支持に対し懐疑的な立場をとりました。じょいは、指示権なるものを措定しなくとも内閣には弾力的な意思決定方法(持ち回り閣議等)が存在しており、本件贈賄罪も成り立ちうるのだから問題ないと言います。たしかに、指示権を認めてしまうことは総理の実効的な権限の範囲を超えてしまうおそれがあります。しかし、「職務権限の範囲を限定して捉えた場合、巨大な政治的資産を有する総理大臣による事実上の指導力の行使を、贈収賄罪の適用を通じて抑止することは困難とな」ります(長谷部恭男「行政改革の課題と展望――中央省庁等改革基本法をめぐって 内閣機能の強化」法教217号(1998年)14頁)。要は、総理の行動を根拠づけ責任追及するには、指示権を認めるのと認めないこと、どちらがより適しているのかという問題です。難しいですね。

 報告の後は、一年間お疲れさまコンパでした。毎度会場を予約してくれたカフェラテくんに感謝です。二次会はゼミ御用達のスペインバルでした。先生、ご馳走様です!!

 あっという間の一年間でしたが、南野ゼミに参加させて頂きとても勉強になりましたし、かけがえのない思い出を作れました。勉強も遊びも活発で、何より楽しかったです。改めて、先生、13期のみんな、本当にありがとうございました。ゼミは卒業ですが、今後もよろしくお願いします。と、書きながら一抹どころではない寂しさが去来しております。切なさと愛しさと心強さとが文面に表れる前にお暇しようかと。それではまたいつか!!

投稿者:超強力機械   #180

 こんにちは。今回が早くも最終回、ゼミ生としてゼミ風景リポートを書くのもこれが最後になってしまいました。昨年度も1年間あっという間に過ぎたように思っていましたが、大学生活最後の1年ということもあってか、今年度はなお一層早く感じられました。

 この一年間の振り返りをしたいところですが、とりあえず、今回の報告を振り返ってみたいと思います。4年生メンバーにとって大学生活の締めくくりとなった今回の報告担当は、われらがゼミ長、ジョイさんでした。ましゅ麻呂くんも言及している通り、やはりゼミ長といったところか、レジュメ・プレゼンともに非常に完成度の高い報告でしたね。内閣総理大臣の指揮監督権というテーマについても、正直今まで全く意識したことのない論点だったので、テーマ設定そのものにゼミ長の法学への意識の高さというか、法的思考力の高さを感じました。

 今回の報告の最大の争点は、内閣総理大臣の「指示権(閣議決定に基づかない指示・助言を行う権限)」なるものが、どのように位置づけられるのかという点です。この点についてジョイは、指示権を内閣総理大臣の職務権限の範囲外とする否定説を採用していました。しかし、否定説を採用した場合でも、指揮監督権と指示権とを分ける基準としての閣議決定を一般的・基本的なものと位置づけた場合には、指揮監督権と指示権との事前の区別は困難になってしまうという問題点や、内閣総理大臣の職務権限の範囲を限定することによって、内閣総理大臣の責任追及が難しくなってしまうのではないかという批判(ましゅ麻呂くんが指摘しています)があります。しかし、指示権を内閣総理大臣の権限の範囲内とする肯定説にも説得的な根拠があるとはいえず、否定説・肯定説の間には大きな結論の違いもないため、どちらの説も積極的に採用する理由を導くのは難しいですね。

 報告者は、「終わりに」で「ある法文を前にして、いかに解釈すべきか、あるいはいかに解釈することが望ましいのかは、結論の正当性のみならず、論理性と説得力に依存する」という某有名憲法学者のお言葉を引用していましたが、今回の報告では、明確な結論の差異が見えない問題について、論理性・説得性に基づきどの解釈をよしとすべきかを判断するという作業の難しさを感じるとともに、それを生業とする法学者の先生方の偉大さを再確認しました。

 さて、興味本位でこのゼミを志望してから、先輩方や同級生・後輩たちのレベルの高さに圧倒されるばかりの毎日でしたが、なんとか無事(?)2年間のゼミ活動を終えることができました。このゼミで様々な経験をさせてもらったおかげで、私の大学生活は大変充実したものになりました。納得のいく結果をもって就職活動を終えることができたのも、ここでの経験あってこそだと思っています。ディベート大会や東京研修をはじめとして、私たちゼミ生に成長の機会を与えてくださった南野先生、そして日々の活動を一緒に楽しく、そして時には真面目に取り組んでくれた同期のみなさん、本当にありがとうございました! 

 来年度ゼミの敬老の日には時々顔を見せに行きたいと思いますので、その際は来期のゼミ生のみなさんもどうか温かく受け入れていただければと思います。ではまた会う日まで!

投稿者:むにむに 

 今期はオブザーバーとして参加しておりましたむにむにです。先日は最後のゼミだったということで、私にとって13期に向けた発言ができる機会もわずかとなりました。そのため最終回には参加できませんでしたが、これまでのゼミの振り返りをもって最終回のゼミ風景リポートと代えさせていただきたいと思います。

 今期私は6月中旬から12月初旬までゼミに参加しておりました。留学をしていた夏までの2学期間は、法律について真剣に学ぶということをあまりしてこなかったこともあり、グループ報告が続いている間の発言をすることはほぼありませんでした。個人報告に突入後も浅い理解のまま臨むことが多く、的を射た発言ができていたのかには自信がありません。今となっては、ゼミ外でも議論の練習を行っておくといった、予習の仕方の見直しからすべきだったかもしれないと反省しています。

 ところで、今期のゼミは全体として非常に居心地がいいものでした。同期だった4年生が頼れる先輩としてゼミを盛り上げてくれただけはなく、3年生に積極的な発言をしてくれる学生が多かったため、非常によく刺激を受けました。未熟ながら真剣にゼミに取り組むことができたのはゼミ生による部分が非常に大きいと思います。

 また回数を重ねるごとに、至極当然ながら良い議論作りのためには多くの学生による積極的な発言が必要不可欠だと強く感じるようになりました。その場の発言が主となるべき論点から離れたものに見えるものだったとしても、議論の流れを大きく変えることや、全員で検討を重ねることで深いものに発展する場合も多くみられたと思うからです。しかしながら、自分がそうであるように複数人の前で発言することには時に勇気が必要です。質の高い議論が実現ができるかどうかは環境づくりにかかっており、それは全員が良い学問の場を作ろうとする意識や、多様な価値観を認める姿勢によってできるものだと思います。

 私は12期、13期と経験する中で、南野ゼミは本当に色々な人が集まるところだなと感じてきました。多様性のある環境であるからこそ、個々の考えや人格を尊重することには時に難しさを伴う場面もありますが、議論の場に限らずサロンや弐の弐の席でもそれを忘れずに、今後は人間的な成長の機会を得られる場所としてもゼミを作り上げていきたいです。

 最後になりますが、13期として南野ゼミで過ごした半年間は本当に楽しく、先生をはじめ感謝の気持ちで一杯です。特に4年生の皆さん、これからはそれぞれが離れ離れになることが非常に寂しいですが、今後も共に過ごした時間の思い出を共有しつつ、仲良くしていただけると嬉しいです。

投稿者:パーカー

 南野ゼミ13期のラストを締めくくったのは、我らがゼミ長ジョイくんによる、「内閣総理大臣の指揮監督権」についての報告でした。レジュメが見やすくまとまっており、報告中もゼミ長の口からはよどみなく言葉が次から次へと出てきていて、見てよし、聞いてよしの、最終ゼミを締めくくるにふさわしい、ハラショーな報告でした。  

 報告の詳しい内容は他の人のリポートに譲るとして、ここでは個人的な感想を述べたいと思います。ロッキード事件判決について、判決に対して肯定説・否定説を取り上げ、ゼミ長自身は否定説を採って私見を構成していました。自分の考えとしては、理論構成はゼミ長が採っていた否定説の方がより説得的だと感じました。しかし、否定説を採った場合に生じる不都合(指揮監督権と指示権との区別、内閣総理大臣の責任追及等について、ましゅ麻呂くんがリポートで指摘している通り)は看過することができないとも感じました。理論としては一貫していても、必ずしも実状に即しているとは言えないものと、理論としては少し一貫性に欠けるが、実状には則していると言えるものの、どちらを採用すべきなのかということの難しさが、法学の難しさなのではないかと、最後の最後に思うことのできた報告だったと思います。  

 12期、13期と南野ゼミに参加して、東京研修やディベート合宿などの貴重な経験をすることができたのはもちろんですが、普段のゼミでの議論やゼミが終わった後の飲み会などでも、非常に楽しい充実した時間を過ごすことができました。また、OB会が行われたりと、普段の学生生活では縦の繋がりに欠けていた自分にとっては、十分すぎるくらいの刺激を得ることができました。このような経験の機会を数多く与えてくださった南野先生には感謝しております。また、多くの楽しい時間を過ごすことのできた13期のゼミの人たちにも感謝しています。  

 ゼミの選択については個人の自由だと思いますが、なんだかんだでイベントの多いゼミの方が、張り合いのある学生生活を送れるのではないかと、振り返ってみて感じました。その意味でも、南野ゼミに参加してよかったと感じています。  

 もう206教室や2研に行くこともなく、薄暗い文系図書館で一人、文献探しに奔走することもないのだなぁと思うと、なんだか寂しい気持ちがしますが、この寂しさは、ゼミで過ごしてきた2年間が充実した時間であったことの証左だと思います。来年度のゼミでは「敬老の日」なる嬉しいイベントが設けられるらしいので、法学部の熱帯低気圧として、先輩風(風速17m以上)をビュンビュン吹かせていきたいと思います。今から足腰を鍛えといてね、14期の皆さん!(笑)  

 柄にもなく真面目な風景リポートとなってしまいました。なんだかしんみりとしてしまいますが、まだ、13期最後のイベントであるゼミ旅行が3月末に控えています。最後までぶっ飛ばして行きましょう!

投稿者:ジョイ

 ついに、13期の南野ゼミも最終回を迎えてしまいました。本来なら、ゼミが始まる前から寂しさがこみ上げてくるところですが、今回は自分の報告で、それどころではありませんでした。ゼミ風景リポートを書いている今になって、喪失感が出てきました。報告が始まる前に、りちゃくんがOB・OG会でいただいていたお土産を今になって出して来るというハプニングがありました(笑)でも、きちんと食べずに持って来たのは、彼の誠実さを物語っているのではないかと思います。まぁ最高裁が、光華寮事件を約20年にわたって塩漬けにしていたことに比べるとかわいらしいものです。  

 さて、自分でも驚く程のマイナーテーマである、内閣総理大臣の指揮監督権について報告したわけですが、結論が大きく変わらないということもあり、みなさんを苦しめてしまったようです。そんな中で、質問や発言をしてくださった方々には感謝しています。特に、ましゅ麻呂くん、イブ(ル)くん、トムリンソンくんには本当に助けられました。ただ、このテーマは、あまり触れたことがないだけに、調べれば調べるほど、そして議論すれば議論するほど、考えが深まっているのが、メジャーなテーマに比べてより実感できました。それで思わずトランス状態になっちゃったわけですが… あと、報告テーマの選定について、超強力機械さんが持ち上げてくれましたが、それこそ興味本位で選んだだけでして…  

 議論の趨勢の振り返りは他の方がしてくれると思うので、私は報告中に思ったことをつらつらと書いていきたいと思います。まず、歴史的な考察が必要か否かについてですが、私も最後まで取り上げるかどうかで迷いました。しかし、甲斐先生のいう「拒否権」とそれに対抗する武器である国務大臣の罷免権という考えは、「拒否権」が非常に強いものという前提に立たねば成り立たないと思います。そして、その前提を支えるのは、閣議の全会一致制が現行憲法でも採られているという理解です。ところが、閣議の全会一致制は必ずしも自明のものとは言えず、過半数でも良いのではないかという議論がされています。全会一致制を要求する見解は、内閣の連帯責任に根拠を求めますが、連帯責任の内容が、ぼんやりとした政治的効果にとどまるならば、連帯責任だけに根拠を求めるのは厳しいと考えました。そこで、「主任の国務大臣」を持ち出す歴史的考察を試みた次第です。  

 次に、「指示権」を法的根拠の無いものと捉えてしまうと、かえって、指示権に対する統制ができなくなるのではという危惧についてです。この点については、問いを問いで返すようで恐縮ですが、指揮監督権や首長性の中に含めたとしても、法的統制が贈収賄罪以外の方法でかけることができるのかが疑問です。この議論を突き進めると、ブーメランのごとく、それでは、法的根拠の無いものと捉えても同じではないかという批判にさらされそうです。そこで、「指示権」を指揮監督権や首長性に含めると、理論構成の面でいささか不都合が生じるという、デメリットを挙げました。含めた方が、理論的にはすっきりしそうだが、どうにもうまくいかない、それなら、少々回り道でも理論的にしっかりした方が良いという考えです。  

 最後に、2年間南野ゼミでお世話になって、本当にいいことづくめでした! 南野先生の粋な計らいで、「敬老の日」なるものが設けられる予定なので、法科大学院棟での入院生活に辟易したときには、ゼミの雰囲気を味わいに行かせていただこうかと思います。

投稿者:るいす

 皆さん、最終回ゼミお疲れさまでした。今回は、ゼミ長じょいさんによる報告で、テーマは「内閣総理大臣の指揮監督権」でした。(我々3年生の試験のことも考慮していただき3ではなく2本の)配布文献を読みながら、なかなか難しい論点で内閣と内閣総理大臣を自分がごっちゃで考えていたと分かり苦しんでいましたが、報告ではどういった私見になるのだろうかと興味が湧いていました。報告は、さすがはジョイさんといった感じで、構成や内容が非常に分かりやすく、頭によく入ってきました。

 内容としては、ロッキード事件を素材として内閣総理大臣の指揮監督権限に指示等が含まれるのかどうかという流れで、結論は、内閣総理大臣の指示・助言は法的には正当化できないという立場でした。実態として「政治的なおしゃべり」という指示はどのようなもので、指揮監督とどう違うのかについてイメージするのは難しかったですが、私は最終的に否定説の考えに法律を根拠にすれば納得できたような気がします。戦後、内閣に行政権が集中し、総理の権限強化が図られましたが、合議制と分担管理の原則による総理への一定の制約がなされたことは明確な事実で、議院内閣制の理念に沿っても行政の中核はやはり「内閣」と考えられます。行政学で学んだことですが、総理の権限は橋本行政改革による発議権の明確化等で歴史的に強くされがちな傾向があります。しかし、それはあくまで内閣法6条の改正を(唱える声は大きいものの)迂回しての強化であって、否定説の根拠になっていたこの条文をいじろうとしないことには実務上の意図があるのではないかと思います。よって、否定説を採ることでの不都合は多々考えられるのでしょうが、否定説の言い分は理論的に納得でき、内閣総理大臣の指示・助言を法的に正当化するのは難しいと考えました。

 ゼミ後には、最終コンパが行われました。非常に楽しい雰囲気の中、結構酔っている人も見られていつも以上におもしろかったです。またバムくん提案の「ナンツモリダー!」ケーキの出来には本当に驚かされました。そのケーキをマスクさんが恐る恐るナイフで切り分けていたところは印象的です。

 とうとう13期ゼミも終わり、偉大なる先輩方が卒業なさるのかと思うと寂しい気持ちになりますが、来年度は自分たちがしっかり頑張っていきたいです。このゼミでの活動は、初めてのグループ報告準備から最後まであっという間でした。個性的な方々ばかりに出会えて刺激を強く受けられたのは、自分にとって大きかったと思います。そのなかで、自分の勉強不足や人としての未熟さを感じる場面も多々あったので、これから改善に向けて取り組んでいきます。先生、皆さん一年間本当にありがとうございました!!

投稿者:トムリンソン   #185

 今回は今年度の最終ゼミということで、ゼミ長であるジョイさんが「内閣総理大臣の指揮監督権」をテーマに、最終ゼミにふさわしい素晴らしい報告をしてくださいました。報告の「おわりに」の部分では、『ブリッジブック法学入門』のこれまた素晴らしい一文が引用されていましたが、これには「法学部人生がブリッジブック法学入門で始まったので最後もブリッジブック法学入門で終わりたかった」というジョイさんの深く強い思いが込められていたことを知り、感服いたしました。ジョイさん、一年間ゼミ長としてのお仕事、お疲れさまでした。  

 さて、議論の中身ですが、私が今回の議論を通して一番気になったのは、ジョイさんが指示権なるものに法的根拠を認めないとされていた点です。ジョイさんは、指示権に法的根拠を認めない理由を、「(指示権に法的根拠を認めると)理論的にはすっきりしそうだが、どうにもうまくいかない、それなら、少々回り道でも理論的にしっかりした方(指示権に法的根拠を認めない方)が良い」からと説明されています(カッコ内トムリンソン補足)。確かに、指示権に法的根拠を認めると「閣議を前提とする指揮監督の制度をおいた意味をなくする結果」となり、理論的にすっきりしないといえるとも思います。しかし、指示権に法的根拠を認めないとする立場が、法的根拠を認める立場よりも理論的にすっきりすると本当にいえるのでしょうか。法的根拠を認めない方が理論的にすっきりするならその根拠を、法的根拠を認める方が理論的にすっきりするならその根拠を示し、どちらにより説得力があるかどうかを判断する必要があると思います。けれども、今回の議論の場合、どちらの理論を取った場合であっても結論に違いはないため、「こっちの方が理論的に正しいとする説得力がある」というには難しく水掛け論になってしまうのではないでしょうか(単に私の勉強不足・理解力不足ゆえであるかもしれないのでその場合は、バシバシご指摘ください)。  

 ゼミ後は、もつ鍋屋で最終コンパがありました。1次会では、鍋の関係で南野ゼミ恒例の席替えが出来ず、お話しできなかった方もいらっしゃいましたが、2次会のパッカーズでは1次会でお話しできなかった方ともお話しできて良かったです。南野先生の小学生の頃のエピソードなど貴重なお話しもお聞きすることができ、とても楽しい2次会となりました。南野先生、いつもありがとうございます。ごちそうさまでした。  

 今回のような難しいテーマを上手くまとめあげ報告された、ジョイさんをはじめとするたくさんの素晴らしい先輩方全員と、206の教室で議論したり、ゼミ後に飲みに行ったりすることが出来なくなることを思うと悲しみで胸がいっぱいですが、3月には楽しいゼミ旅行も控えていますので、そちらを楽しみに日々を過ごしていきたいと思います。皆さん、一年間お疲れさまでした。

投稿者:ようつー

 最終ゼミお疲れ様でした。 個人的に多くの不安を抱えてスタートしたゼミでしたが、 あっという間だったなと思います。東京研修なんてついこの前だったのにという感じがしています。

 さて、今回は内閣総理大臣の権能というテーマのもと、ゼミ長が盛大な大トリを飾ってくださいました!「マイナーな論点やけど」との前置きがあり、確かに今まであまり気にしてこなかった分野でしたが、非常にわかりやすく解説してくださいました。 ちなみにこのテーマは某講義でも扱われており、試験目前であったため今回の報告を聞いて内容理解が深まりました。ゼミ長の「3年生は試験もあって大変そうやろうから」というお言葉はそういうことだったのかと思い返し(違う)、心に沁みております(なお、出題はありませんでした)。

 文献を読んでいて個々の補足意見の論理構成のどういうところに差異を見出しているのかが気になり、今回質問させていただきました。多くの裁判官が閣議決定でなされた方針について一般的・基本的なもので足りると考えているようで、この点に関しては同感でした。レジュメの「終わりに」のところで言及されていましたが、結論がおおよそ同じであるテーマについてあえて議論をしようと思ったのはその論理性や説得力がより高い方を吟味するという意図があってとのことでした。途中ましゅ麻呂さんの批判もありましたが、じょいさんの意見も含めてどちらの意見も説得的であったように思います。結局結論に大差ないということでどちらの構成をとるべきかは未だ分かっていませんが、、、

 ゼミの後には涙の最終コンパが催されました。 そろそろネタがバレてきているような気がして、不安だったのですが喜んでいただけたようで安心しました。ほぼ全員そろってのコンパでしたので、積もる話もあったのでしょう、とても和やかな雰囲気で会が進行されていったように思います。自分は翌日テストがあるためお先に失礼しましたが、今後とも飲みに行く機会があればぜひご一緒したいと思います。

 勉強と遊びにメリハリがあり、思い出の多い1年となりました。今後とも3年のみんなとは一緒に目標に向けて歩んでいきたいですし、先輩方にまた成長した姿を見せられるようまた1年間頑張って行きたいと思います。1年間本当にありがとうございました。

投稿者:さんとす

 第13期南野ゼミ最後の報告は、ゼミ長じょいによる「内閣総理大臣の指揮監督権」についてのものでした。今回のゼミが4年生にとっては大学生活最後の授業にもなるので、最後の最後がこのようなマイナーなテーマでなんだかちょっと残念な気持ちがしないでもなかったのですが、いざ当日になって話を聞いてみると、じょいの力量もあってか想像以上に興味深く面白い報告となりました。

 報告の内容に関して、じょいは、指示権に関する否定説の立場から、執行段階における内閣総理大臣の指揮監督は憲法72条に基づく場合にのみ行いうるのであって、その指揮監督権の行使にあたっては常に閣議にかけて決定した方針が必要だという考え方だったかと思います。このような考え方をする場合には、「閣議にかけて決定した方針」があるか否かが、指示権と指揮監督権とを分ける大きなポイントだと思うので、その輪郭をどの程度確定できるかが問題になるかと思います。ロッキード事件においてもこの点の判断が分かれており、草場等意見が「閣議にかけて決定した方針」の存在を否定した一方で、可部等補足意見は、そこで要求される閣議決定は一般的・基本的なものでよいとして「閣議にかけて決定した方針」の存在を認めています。ただ、その認定にあたっては、ざっとみた限りですが、過去のいくつかの閣議了解や閣議決定からどうにかそれを導き出しているようにも感じられたので、指示権を法的に認めないという立場をとるのであれば、「閣議にかけて決定した方針」の外延をいかにして画するかが重要になるような気がしました。

 次に、この点で「閣議にかけて決定した方針」を厳格に解したとしても、今回の事件のような場合には「職務密接関連行為」として贈収賄罪の成立を肯定することができるので問題はないともいえます。もっとも、これはあくまで刑法上の議論における解決であって、贈収賄罪の成否が問題になった場合の対処法にすぎないので、内閣総理大臣の指揮監督権が問題になりうるのが贈収賄に関する事案のみであればよいものの、それ以外のものが考えられるとしたらまた話がかわってくるかもしれません。そのため、内閣総理大臣の指揮監督権がいかなる場合に問題になるのか、という視点も大切になってくるように感じました。

 さて、部活の先輩に誘われて南野ゼミを志望してから、この2年間、日々のゼミ活動だけでなく東京研修やディベート合宿等々、ここでしかできない数多くの経験をすることができました。南野ゼミに入ったおかげで、いくらかの代償を払いつつも、とても充実した大学生活を送ることができたと思います。また、この第13期での1年間は、素晴らしい後輩にも恵まれて、日々のゼミでは活発な議論が展開され、また飲み会等でもたくさんの面白い話を聞くことができて、とても楽しく過ごすことができました。第13期南野ゼミの皆さん、1年間ありがとうございました! 3月のゼミ旅行も安全運転で頑張っていきましょう!

投稿者:イブ

 今回はゼミ長ことじょいさんによる「内閣総理大臣の指揮監督権」についての報告でした。なんとも"絶妙"なテーマで、かつ報告では持ち前の喋りの上手さを存分に発揮されており、13期のトリを飾るにふさわしいじょいさんらしい報告だったと思います。  

 議論の内容につきましては、主にロッキード事件丸紅ルート判決に対する肯定説、否定説の学説の対立を取り上げ、じょいさんとしては否定説の中でもとりわけ甲斐素直先生の説に近い立場を採られたうえで、内閣総理大臣から運輸大臣への本件働きかけを指揮監督権や指示権として法的に正当化することはできず、当該行為は国家に帰属しないという結論を主張されていました。  

 私は議論中に「否定説を主張するのはナンセンスだ」という旨の発言をしましたが、その真意としましては、否定説のように指示権なるものが憲法72条からは導き出せないとしたところで指揮監督権に法的効果が認められていると言いきれない限り、ましゅ麻呂さんが指摘されていた点に加えて、さらに指揮監督権と指示権の効果の点においても両者の差異がぼやけ、両者が接近してしまうという現実的状況の中で、積極的に否定説の立場を採ることに意味があるのかということを当時は考えて、そのようなセンセーショナルな発言をしたのだと思います。ただ、改めて考えてみますと、このような主張に対しては指揮監督権と指示権をある種意図的に混合させ、指揮監督権を行使する際にも閣議決定を経て打ち出された一般的基本的な方針を必要としないとすることも可能とするものであり、そうなると「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基いて、行政各部を指揮監督する」と定める内閣法6条が事実上死文化してしまう点において妥当ではないという批判がなされるでしょうことを考えると、やはり否定説の立場を採る方が堅実なのかなぁと思わざるを得ないというのが現在の私の気持ちです。  

 今回のテーマのように「結論が変わらないならどっちでもいいやん」という論点は報告のテーマ選びの際には避けがちなところだと思われますが、そんな私たちにじょいさんは「先日グループを卒業された元・AKB48の内山奈月さんとの共著『憲法主義』でお馴染み」の某偉大な憲法学の大家のお言葉を引用し、「法解釈は、他人を法の言葉で説得する営為であり、『法文を前にして、いかに解釈すべきか、あるいはいかに解釈することが望ましいのかは、結論の正当性のみならず、論理性と説得力に依存する』のである。議論の実益は、法解釈が法解釈たるゆえに存在するというべきである。」と、「おわりに」でメッセージを残してくださいました。やはり、さすがゼミ長。次世代をも意識した含蓄に富んだ報告にシビれました!!  

 さて、今年1年間のゼミ活動を振り返ってみると最初は自分の報告回でなくてもなぜかガッチガチに緊張していた私でしたが、ディベート合宿が終わったあたりからでしょうか、非常にのびのびと議論にも参加することができるようになり、毎週のゼミが最高の楽しみになっていました。そんなゼミが今回ついに終わりを迎え、自他ともに認める後輩体質の私にとっては特に先輩方がいなくなってしまうということがこのうえなく寂しく感じられるところです。しかし来年度は老害の日ならぬ敬老の日が設けられるようですので、それを楽しみにしつつ、私自身先輩になるわけですからゼミを今年度以上に良いゼミにすべく精進していきたいと思います。  

 13期のゼミ活動としてはまだゼミ旅行というビッグイベントが残されてはいますが、とりあえず、皆さま1年間お疲れ様でした!(ゼミ旅行係はこれから大変だと思いますが頑張ってね☆)

投稿者:りちゃ

 13期南野ゼミもついに最終回を迎えてしまいました。最初はなかなか実感が湧きませんでしたが、もう予習文献の量に苦しむこともなく、誰かの報告準備ゾンビ姿を見ることもないのだと思うと、何やら寂しいものを感じます。本当にこれで終わりなのですね。

 さて、そんな涙の最終回報告は我らがゼミ長ジョイさんによる「内閣総理大臣の指揮監督権」でした。少しマイナーなテーマとも言える今回の報告についていけるか不安がある一方で、最終回だからこそすっきりした形で終えたいという気持ちもありましたが、ジョイさんの分かりやすい報告のおかげで悔いなく終わりを迎えることができました。僕を含め3年生はよくゼミの予習や普段の勉強で分からないところが出てくると、サロンにいるジョイさんに質問をしていたのですが、思い返せばジョイさんっていつも「なるほど~~!分かりやすい!!!」と言いたくなるような説明をしてくださいましたよね。どうしたらそんなに理路整然と話せるのか、コツを伝授してほしいものです。  

 深夜にリポートを書いているせいか、たった何行か書いただけで色んな思い出が蘇り、ちょっとしんみりした気分に浸ってしまったので、気を取り直して今回の報告の内容について言及したいと思います。報告ではロッキード事件を概観した上で、内閣総理大臣の指揮監督権がどこまで認められるかの検討がなされました。効果に違いがあるならば、どういった法律構成が適しているかということが導き出しやすいと思いますが、既に他の方が述べられている通り、本報告では結論に差異が出ないといった特徴がありました。したがって、単純に法律構成の是非のみを検討する点に難しさがあり、悩ましかったです。

 僕自身、今回の報告までこのテーマについてほとんど勉強したことがなく、内閣総理大臣の指揮監督権は憲法72条によって広く認められるけれど、内閣法6条がいわば権利の濫用条項として(閣議の方針に反する場合は内閣総理大臣の権限行使に)抑止をかける効果があるのだという理解をしていました。しかし、今回そもそも閣議を経た後でないと認められないという否定説や、閣議の方針の捉え方が違う説など、様々な考え方を知ることができて非常に勉強になりました。そして、(毎回そうですが)このような難しいテーマについても、ましゅ麻呂さんやパーカーさん、トムリンソンはいくつもの意見を投げかけていましたし、最後に突然先生に話を振られた超強力機械さんもさらさらとよどみなく考えを述べておられ、こういった先輩方・同輩の姿に刺激を受けました。良き環境で1年間学習できたことに感謝しています。

 その後、最終ゼミコンパが開かれました。(むにむにさんがいないことを除いては)いつも通り賑やかなで和気あいあいとした雰囲気で、とても楽しかったです。南野ゼミのこの雰囲気がとても好きです。きっと先生の陽気で親しみやすい人柄が溢れ出ているんでしょうね!(笑) 南野ゼミで活動できて本当に良かったです。南野先生、お世話になりました。僕は先輩方と一緒にゼミを去ることになりますが、今年1年南野ゼミで培ったことを残りの大学生活で活かし、さらに精進していきたいと思います。残すイベントはゼミ旅行と卒業式後のコンパの2回となりましたが、めいっぱい楽しみましょう!

投稿者:テンパー   #190

 第13期最後のゼミ、皆さんお疲れ様でした。最後の報告は我らがゼミ長のジョイさんによる「内閣総理大臣の指揮監督権」でした。レジュメ、報告、質問の応対どれを取ってもさすがゼミ長というべき報告だったとおもいます! ジョイさん、報告、そして一年間ゼミ長として本当にお疲れ様でした。  

 内容としては、ロッキード事件丸紅ルート判決を題材として、内閣総理大臣の指揮監督権についての最高裁の判決の肯定説・否定説の対立を示し、私見として、指示権を指揮監督権や首長性などから導出することは困難であり、持ち回り閣議などの弾力的な意思決定方法が存在しているため、内閣総理大臣が政治的指導者としての地位に基づく指導・助言は法的に正当化することはできないとするものでした。  

 今回の報告の争点になったのは、内閣総理大臣の指示権がどのように位置づけられるかということでした。ジョイさんは否定説を採用していましたが、私としては、ましゅ麻呂さんが指摘されているように、肯定説に立ち、指示権を認めた方が実益もあり、良いのではと思いました。ですが、説得的な根拠ないことや、内閣法6条との関係も考慮すると、否定説、肯定説のどちらも全面的に指示することは難しく感じます。今回の報告では、この指示権なるものが法的に正当化できるか否かによって、結論があまり変わってこないということで、自分にはあまりピンとこないものでした。しかし、「おわりに」で「ある法文を前にして、いかに解釈すべきか、あるいはいかに解釈することが望ましいのかは、結論の正当性のみならず、論理性と説得力に依存する」という巷で話題の憲法学者の言葉を引用して、「議論の実益は、法解釈が法解釈たるゆえに存在する」と締め括っており、改めてこの学問の難しさ、奥深さを実感しました。    

 ゼミ後は、最後のコンパが行われました。「ナンノツモリダー!」ケーキは本当にクオリティが高かったですね! コンパでは席替えができず、話せなかった人もいましたが、色々な話を聞くことができ非常に楽しかったです。  

 この1年間を振り返ってみると、勉強に遊びにと盛り沢山で、先生をはじめとして、素晴らしい先輩方、個性的な3年生達と本当に環境にも人にも恵まれているなぁと感じた1年間でした。来年度には「敬老の日」なるものが設けられるということですが、自分も先輩になるのでこれまで以上に頑張っていきたいと思います。皆様、一年間お疲れ様でした!!

投稿者:トーマス

 13期最後のゼミの報告は、ゼミ長じょいさんによる「内閣総理大臣の指揮監督権」についてでした。ゼミ長の報告の素晴らしさは、他の方が称えている通りですが、今回の報告で扱ったロッキード事件に私と同じ名前の方が登場していて、いろいろとあったゼミ長から最後に愛を感じました

 報告に関してですが、じょいさんは指揮監督権と指示権とを閣議決定の有無に基づいて区別した上で、指示権は内閣総理大臣の職務権限ではないという立場でした。その理由として、甲斐先生の内閣総理大臣の「首長性」の性格・意味を詳細に検討する説を参考にしていたと思います。そして、甲斐先生の考え方を補強するためにじょいさんは、戦前・憲法改正作業においての閣議についての議論を検討して(歴史的検討)、閣議の全会一致制が日本国憲法から読み取れるという主張をしていました。

 この点についてですが、歴史的検討を媒介することによってしか閣議の全会一致制を憲法に強く根拠づけることができないのかなと思いました。そして、よりわかりやすく導くことはできないのかなと疑問を感じています。(どう導くかは考えることができていないのですが)この点について、報告では他にも手法がありうると述べていたので、他の根拠づけが気になるところです。

 また、現在は決められない政治に嫌気がさして、内閣総理大臣のリーダシップの強化が求められているという言説をよく見かけます。このような主張が多数であるならば、閣議の全会一致制は憲法から読み取れるという理由として歴史的経緯をもって説明し、憲法を理由として統制するのは、難しいような気がします。しかし、全会一致制は慣習であると考えられていて安易に変更される危険性があるからこそ、憲法がそれを要請しているということ示すのはとても重要だなと思いました。

 自分は、先生とゼミの先輩方とその雰囲気を主な理由として南野ゼミに入らせていただいたのですが、常に南野ゼミという存在に圧倒され続けていた二年間でした。そのおかげもあってか、南野ゼミに入る前と比べると、自分の環境・考え方は本当に大きく変わったと思います。悲しいこともありましたが、楽しいことのほうが多くあり、九大法学部のゼミの中で最も良いゼミの一つなのではなかろうかとゼミ卒業を前にふと思っています。得ることが多いゼミで、自分が何も貢献できなかったのは残念で申し訳なく思いますが、先生・みなさんありがとうございました。

 ゼミは終わってしまいますが、今後も今年のような関係が続けばなと思います。来年度は、先生の粋な計らい(ご慈悲?)で「敬老の日」なるものを設けていただいたので、みなさんとの関係が切れることなく続きそうで大変嬉しいです。来年度は、その日を楽しみに一か月を過ごしたいと思います。14期の新しいゼミ生がもっと増えるといいですね。13期としては、最後のゼミ旅行を残すだけとなりましたが、沖縄という素晴らしい場所に素晴らしいみなさんと行けることを楽しみにしています。

投稿者:はりそん

 今回のゼミは最終回ということで、じょいさんことゼミ長の報告で、テーマは内閣総理大臣の指揮監督権でした。先生がおっしゃっていたように、1年間というのはあっという間で、ゼミに入って一番最初のグループ報告を現4年のさきりんさんとガクさんたちと一緒にやったこと、その時の緊張を一ヶ月前のことのように思い出していました。

 さすがといいますか、じょいさんの報告はネジが外れている私にもわかりやすく、そういえば総理大臣の個人的な意見は(憲法上の)権限にあたるのかなと真剣に考えてしまいました(いつも真剣ではありますが)。内閣総理大臣の個人的意見に権限を与えるのは私としては違和感を感じますし、肯定側の主張で「リーダーシップ」という言葉がなんども出てきますが、「個人的な」意見を大臣にいうことでリーダーシップが発揮されるとも思えず、またそうだとしてもそれが正しいことのようには思えなかったので、私個人としては否定派の方が納得できるのではと思いました。どっちにせよその意見や指導、助言を無効にする、というのも変な話で、結局結論としては変わらないということでしたが、レジュメにあった法解釈は論理と説得力に依存し、議論の実益は法解釈が法解釈たる故に存在するのだ、という言葉は胸に響きました。

 さて、というわけで南野ゼミでの1年間が終わってしまいました。私の場合半年半年に分けての参加だったので、まぁいろんな人に会えてよかったのかもしれないと思う反面、自分の不勉強もあり少し中途半端になってしまったと反省もしています。思えば1年の法学入門で南野先生の憲法の講義を一番前の席で聞いてから、「憲法ってなんて面白いんだ!絶対憲法ゼミに入ろう!」とずっと考えておりました(ちなみに私3年まではすべての授業を一番前の席でうけておりましたので悪しからず)。憲法Ⅰを受けていた時は割と熱心に講義風景リポートを出していたことを思い出します。

 入ったばかりの頃は、きらきらしたオーラをまとった人ばかりのゼミに『やばいしくった…』などと考えてしまいましたが、みんな優しく、なんだかんだでとても楽しい1年間でした。ただゼミ前にボトル一本くらい空けてくればもっと喋れたのかなとは思います。そして私のカバンの中にいつもウォッカのミニボトルが入っていることは誰も知らないでしょう…(飲んではないです!)。 変な終わり方になってしまいましたが、南野先生、ゼミ生のみなさん、1年間本当にありがとうございました!

投稿者:バム

 今期最後の個人報告は、じょいさんによる「内閣総理大臣の指揮監督権」でした。レジュメの内容、プレゼンともにとても整理された報告で、自分もこういう報告ができるように来年度も頑張らないといけないなと思いました。じょいさん、お疲れ様でした。  

 今回の報告では、内閣総理大臣の指揮監督権について、閣議決定に基づかない場合も事実上の効果しか持たない「指示」という形で行使できるか否かという点が問題となりました。ここでは、指示の可否が多かれ少なかれ国民にも影響するのではないかという視点から、思ったことを書いていきたいと思います。    

 閣議決定に基づかない指示権が内閣総理大臣に認められるならば、それを認めない場合よりも(閣議をいちいち経る必要がない分)迅速に行政が統一的な行動をとれると思います。ただ一方で総理大臣一人の意向で物事が進んでしまう分、専門性などを欠いた行動をとってしまう恐れがあるように思えます。なので、災害時など緊急の場合にはそうした指示権を行使する必要性を見いだせますが、それ以外の場合では原則的に閣議に基づいて慎重な行政活動の舵取りがなされるべきだと思います。しかし、緊急の場合というのを画定するのは厳しいので、一旦、指示権行使の余地を与えてしまえばその範囲を法的に統制するのは困難になってしまいます。指示を行うことによる上記の弊害(本当に専門性を欠くことになるのか、専門性を欠いたことでどの程度の影響があるかはわかりませんが)を危険視するならばじょいさんのように、指示権は法的に正当化できずその効果は国家に帰属しないという立場を採るべきだと思います。  

 この1年間、先生や先輩方のおかげで毎週のゼミが本当に楽しかったです。先輩方には報告やディベートでたくさん助けてもらいました。皆さんに会えなくなるのはとても寂しいですが、ゼミ旅行、そして来年度の「敬老の日」を楽しみにしたいと思います。また、今年はゼミでの勉強やディベート合宿などを通じて自分の足りないところに気づかされることの多い年でもありました。南野ゼミに入っていなければ今年も何となく過ごしてしまっていたかもしれません。多くの学びの機会を与えてくださった南野先生、本当にありがとうございました。来年の今頃はもっと自分自身、成長を感じられるようにこれから頑張っていきたいと思います!

投稿者:dtk

 第13期南野ゼミ最終回の報告は、ゼミ長のジョイさんによる「内閣総理大臣の指揮監督権」というテーマについての報告でした。ゼミ長も言われていたようにマイナーな論点ではありましたが、非常に完成度の高いレジュメと、ジョイさんの分かりやすい説明のおかげで、最終回に相応しく素晴らしい報告となりました。  

 報告の内容としては、内閣総理大臣の指揮監督権について初めて最高裁が判断を下したロッキード事件丸紅ルート判決を中心に、それに付されている複数の補足意見や意見を紹介し、同判決に対する肯定説・否定説の立場を取り上げ検討しつつ、報告者としては内閣総理大臣の指示権に法的根拠はないとする否定説的な立場をとられていました。  

 また議論の中身については、否定説を採った際に生じてくる、指揮監督権と指示権を区別することが困難であるという問題点や内閣総理大臣への責任追及が難しくなるというましゅ麻呂さんの批判がありました。この点については、確かに上記の問題点を考慮すれば、肯定説に立ち指示権に法的根拠を認めることで実利を追求するという考え方もあり得るとは思いますが、やはり内閣総理大臣の指示に法的根拠を認める点で説得性に欠けることは否めないと思います。ただ、理論的に筋が通っているからといって否定説を採り、実益の面に関しては目を瞑るということにも容易には賛同しがたいようにも感じられ、さらに今回の事案に限って言えば両説どちらを採っても結論的には変わりはないということも相まって、どちらの説に立つということは一概には言えないのではと感じました。  

 ゼミ後には、天神で今期最後のコンパが行われました。もつ鍋とはいえおしゃれなガラス張りの店内で、とてもいい雰囲気の中で楽しく過ごすことができました。飲み会も終盤に差し掛かり、スタンバイしていたようつーくんがケーキを持ってきた時には、そのクオリティの高さに非常に驚きました。(最近のパティシエはすごいですね) また、ケーキのみならずプレゼントについても先生に喜んでいただけたようでしたので本当に良かったです。  

 今回の報告では、個人的にはこの一年間を象徴するような司会ぶりで何もできませんでしたが、昨年のグループ報告、個人報告、ディベート合宿等を通して、先生や先輩方、同期の皆には本当にいろいろな面で支えていただき、心から感謝しています。むにむにさんもリポートで書かれているように、ゼミという場においては、何より発言をしてみることが重要だということについては一年間を通して痛感しました。今期で南野ゼミを去ることにはなりましたが、この一年間で学んだことや学問に対する姿勢などは心にとめて今後に生かしていきたいと思います。一年間という短い間でしたが、ありがとうございました。

投稿者:ムタ   #195

 最終回ゼミお疲れ様でした! 今回は、ジョイによる「内閣総理大臣の指揮監督権」についての報告でした。これまで聞いたことのないテーマでしたし、報告準備の間、ジョイはずっと文献が少ないことを嘆いていたので、これはテーマ選びを失敗したパターンかなと思っていましたが、当日はみんなを惹きつける報告に仕上げてきていましたね。さすがゼミ長です。  

 報告では、ジョイは内閣総理大臣の指示権を否定し、指揮監督権は憲法72条に基づいてのみ行使でき、指揮監督権の行使の際には常に閣議決定が必要だという立場をとっていました。これについては、ましゅ麻呂さんから、内閣総理大臣の責任を追及するためには肯定説をとったほうがよいのではという指摘があり、そちらのほうがより説得力があるように感じましたが、これは理論構成が難しいようで…。また、内閣総理大臣が政治的指導者としての地位に基づいて指導・助言を行っている現状をみると、肯定説のほうが行政がうまくまわっていくのかなという気がしていたのですが、否定説をとった場合も、内閣が常設機関であること、持ち回り閣議等の弾力的な意思決定方法が存在していることからすれば行政に支障は生じないそうで、結局どちらが良いのか分からないまま終わってしまいました。

 結論は出せずにいますが、わからないことについて色々と考えている時間は楽しいですし、政治・行政についてもっと知らなければいけないということを改めて感じる良い機会になりました。法学入門の授業が終わってからちゃんと読んでいなかったブリッジブックももう一度読んでみようと思います。

 ゼミ後には最終回コンパが行われました。(むにむにさん以外ではありますが)全員が揃う飲み会は久しぶりだったので、とても賑やかに感じました。恒例となっている先生への贈り物も、そろそろネタ切れかと思っていたケーキも素敵なものが用意されていて、先生に喜んでいただけて良かったです。

 今年度は私たちが先輩になるということで、不安に感じたりもしていたのですが、3年生が積極的に発言をしてくれたおかげでゼミの議論も盛り上がり、新しく気が付くことも多かったですし、東京研修・ディベート合宿やコンパなどのイベントも本当に賑やかで、楽しむことができました。南野先生、同期のみなさん、そして3年生、ありがとうございました。私は来年度も九大にいるので、敬老の日にはゼミをのぞきにくるかもしれません。  

 最後にゼミ旅行という大イベントが残されているので、そこでまた良い思い出をつくることができればいいなと思います。最後まで楽しんでいきましょう!

投稿者:マスク

 皆さま、こんにちは。これが私の書く今年度最後のゼミ風景リポートだなんてちょっと信じがたいと言いますか、まだ最終回ゼミが終わってしまった実感のないマスクです。

 13期のゼミ報告はゼミ長であるじょいさんがとりを飾ってくださいました。ゼミ長かつ最後の個人報告ということで、ハードルが上がりきっていたように思うのですが、内容・プレゼン・議論への応答のどれをとってもそのハードルを優に超えていました。後期は先輩方の報告をうけて自分の報告に何が足りなかったかだんだんと気付くことができたように思います(その裏返しとして来年度に向け課題が山積みですが…)。

 それでは、今回のゼミ風景をリポートします。タイトルは「内閣総理大臣の指揮監督権」でした。事前レジュメのときは、テーマがあまり馴染のないものだったこともあり少々面食らいました。ゼミ当日の流れとしては、指示権が内閣総理大臣の権限に属するか(憲法72条の指揮監督権に含まれるか)という点が活発に議論されたかと思います。私見としては、甲斐先生が主張する「意思決定内閣の一員としての地位/内閣存立の基礎となる地位」という区別が本当に機能するものであるかについては疑問が残るところでしたが、内閣法6条の存在を前提にすると肯定説は採用しにくいのではないかと考えます。もちろん内閣法6条の存在が直ちに肯定説を崩すものとまでは言えませんので、あくまで採用しにくいという段階に留まります。肯定説ではなく否定説をとるべきというには甲斐先生の区別にのることになりそうですので現時点では明言を避けました。内閣総理大臣の独走を危惧する思考で今回の論点を考えたため否定説支持に近い意見に至った気もするので、再度レジュメを読みながらその論理構成について勉強し直している次第です。

 また、甲斐先生の見解の妥当性を判断するにあたっては、全会一致制については歴史的検討が加えられていました。リポートを書くにあたって、ちょうど手元に宮沢俊義先生の憲法の教科書があったのでちょっと読んでみたところ、全会一致主義をとる閣議において内閣の政治力の弱まり等の弊害を防ぐために罷免権がある旨の記述がありました。ただ、それに続く一文には「したがって、日本国憲法の下では、閣議全会一致主義の有する意味は、それだけ弱くなっている」とあり、この理解に悩んだままリポートを書いております。単に前の文の言い換えだとは思うのですが、全会一致制の要請が弱まっているとも読めてしまうような…。奥付を見たら昭和42年発行とありましたので今度図書館で新しい版のものも読んでみようと思います。

 そして、ロッキード事件最高裁判決について一番疑問だったのは、職務関連密接行為の枠組みをなぜ取らなかったのかという点でした。というのも前述のとおり指示権については否定説のほうが良いのではないか、むしろ否定説のほうが論理的にはスッキリしていると考えているため、職務関連密接行為だとしてしまえばよかったと思えてならないのです。この点について質問すると、憲法の論点からずれる気がして質問しなかったのですが、刑法の教科書を読んだだけでは解決しなかったので、あのとき質問すればよかったと後悔しております。

 考えがまとまらないリポートになったことからもお分かりかとは思いますが、今回のテーマは勉強不足ということもありとても難しく感じました。それと同時に、このテーマで報告したじょいさんはもちろん、批判的な視点から意見を述べた先輩方も積極的に議論に参加していた3年生も「すごいな」と思いました。来年度のことを考えるとこんなのんきなこと言ってられませんね。精進します。

 さて、ゼミ後は最終コンパがありました。プレゼントを選んだ身(トムリンソンくん・テンパーくん・茶畑くん・マスク)としては、プレゼントを渡すまでドキドキだったのではないかと思います(少なくとも私はそうでした)。予想以上に喜んでいただけて何よりです。そしてケーキを切る役目を承り、生誕祭から数えて二度も先生の顔(がデザインされたケーキ)にナイフを入れることになってしまい、少し、ではなく大いに申し訳ない気持ちになりました。なお、私はケーキを切るナイフの準備をすっかり忘れていたのですが、そこはようつーさんが抜かりなく持ってきていたので、さすが料理男子だと思ったことをここに記しておきます。

 最後になってしまいましたが、南野先生、ゼミ生の皆様、一年間ありがとうございました。この一年間を振り返って、改めてこのゼミに入ってよかったと思います。本当にありがとうございました。むにむにさんの帰国とゼミ旅行を心待ちにしております。それでは皆様、またお会いする日まで。

投稿者:ガク

 早いもので今回の報告が13期ゼミ最後の報告になりました。有終の美を飾るのはやはり、我らがゼミ長ジョイ。内容は「内閣総理大臣の指揮監督権」と少しニッチな論点でしたが、さすがはゼミ長と言ったところでしょうか、うまくまとまった読みやすいレジュメに完璧な発表で場を圧倒してくれました。また、南野先生編『ブリッジブック法学入門』の名文を引用して報告を締める憎い演出もジョイならではだったと思います。  

 それでは中身に関して、とりわけ指揮監督権の学説に関して少し言及していきたいと思います。ジョイは基本的に内閣法6条の存在と内閣の合議制を強調することで、内閣総理大臣の指揮監督権の行使は閣議決定に基づく場合に限られるというスタンスをとっていました。しかし正直私としては、その立場をわざわざ取る必要があるのか疑問が残ります。ましゅ麻呂が指摘してくれていたように、事実論として内閣総理大臣に任免権が認められている以上内閣と 内閣総理大臣は基本的に同じ指針を示しています。そんな中で一般的・基本的な閣議決定だけを求め、指揮監督権と指示権を区別し指示権には法的拘束力は無いという見解をとることはあまりスマートでは無いように思われます。それに、指揮監督権が内閣法6条に拘束されるかどうかに関してジョイのような説、ましゅ麻呂のような説をとったとしても同じような論理の帰結が導かれるのであればより分かりやすい方を選べばいいじゃないかと単純に思ってしま…これ以上言うと「議論の実益は、法解釈が法解 釈たるゆえに存在する」と考えているジョイがトランス状態になって怒ってしまいそうなのでここで終わりにしようと思います。正直難しい テーマだったとは思いますが、本当にジョイお疲れ様でした。  

 ラストゼミ後の飲み会も南野ゼミならではの大変楽しい飲み会になりました。特に二次会は先生のエンジンがかかり、学生時代に経験した大陸横断冒険活劇トラブルに対する正しい対処法等様々な話で場を盛り上げてくれました。その後お腹も満たされたところから三次会でざる蕎麦を3玉食べるのも、今となっては南野ゼミの新しい伝統になりつつあります。南野ゼミ登山部を筆頭にこの伝統は継承して行って欲しいと思います。

 飲み会の話つながりになりますが、次に全員が勢ぞろいするのは卒業式後の追いコンですね。「去年は心のこもったプレゼントを先輩に渡しました」が、僕はプレゼントなんかいりません。欲しいのはみんなの笑顔です。また元気な皆さんに会えることを楽しみにしています!!  

 最後にちょっとした総括になりますが、南野先生、二年間本当にお世話になりました。そして一緒に笑い合い貶し合い高め合った4年生のみんな、不出来な自分を支えてくれた3年生のみんな、本当にありがとうございました。もうこのメンバーで社会の何の役にも立たない小難しい議論をすることも、飲み会で民度の低い会話をすることも無いと思うと想像以上に寂しいです。ただ幸いなことに私は福岡残留が決定していますので、何か飲み会の席があった時たまには呼んでみてください。もし都合が合えば、社会人という肩書きを振りかざして遊びに行こうと思います。繰り返しになりますが大切なことなので二度言わせていただき締めの言葉にしたいと思います、、、南野先生をはじめゼミ生の皆さん、素敵なゼミ生活を本当にありがとうございました。

投稿者:茶畑

 13期最終ゼミお疲れ様でした!! ラストのゼミはジョイさんの報告で「内閣総理大臣の指揮監督権」でした。今まで考えたことがない論点でしたが、とても面白いものでした! ジョイさん一年間ゼミ長お疲れ様でした!  

  72条に示された内閣総理大臣の指揮監督権に関する学説について、全会一致の閣議決定に基づくべきものなのかどうかという議論が基本としてありました。憲法制定時の状況を根拠に前者を主張されていたように思います。ただ、トーマスさんもレポートでご指摘されていたように前者をとるもっといい理由はないかな、と気になりました。絶対的に法制定時の考え方に縛られる必要はない、という立場からするとそこまで強い根拠とならないのかもしれません。勉強してみたいなと思います。  

 南野ゼミに入ってもう一年間たったのかと思うとめちゃくちゃ早く感じます。本当にこの前第一回報告の準備をしていたような気がします。。。でもよくよく考えてみるとぜんぜん議論に入れなくて自分の無能っぷりを呪ったグループ報告があり、楽しかった九重合宿、ディベート合宿があり、四苦八苦していた個人報告があり、ゼミのみなさんによる様々な報告があり、いろんな飲み会があり、と思い返すとたくさんやってきたなとしみじみ感じています。これらが楽しく達成感ある思い出として残っているのも先生、ゼミ生のおかげだと思っています! これからゼミ旅行も控えていることですし、あと少しではありますが、13期南野ゼミで楽しめたらなと思います! 一年間ありがとうございました!!

投稿者:さきりん

 皆さん、最終回ゼミお疲れさまでした! 13期最後の報告は、我らがゼミ長、ジョイによる「内閣総理大臣の指揮監督権」でした。ジョイさんの報告は、レジュメからプレゼン、議論の応答までどれもとてもわかりやすくて、ゼミ長さすがだな、と感動していました。  

 さて、報告の内容としては、ロッキード事件最高裁判決を取りあげた上で、指揮監督権に対する学説をそれぞれ紹介し、私見を述べるというものだったと思います。ジョイさん自身は、指示権に法的根拠は認められないとして、否定説の立場を採っていました。個人的には、内閣総理大臣の独走を危惧する思いもあって、否定説寄りの立場でした。しかし、議論にもなったように、否定説には、指揮監督権と指示権との区別、内閣総理大臣への責任追及などの問題点があり、理論的にはすっきりしているようにみえますが、否定説を積極的に採用するのは難しいようです。結局、どちらの立場がより説得的なのか結論が出ないままで、改めて法学の難しさを感じました。  

 ゼミ後には打ち上げが行われ、久しぶりの全員参加(むにむに以外)ということもあってか、非常に賑やかで楽しい会となりました。酔っぱらって頭に花冠をつけている人もいたりと、とても面白かったです。また、三年生が準備してくれたプレゼントも喜んで頂けて、大成功だったのではないかと思います。二次会のパッカーズでは、南野先生の小学生から大学生時代に至るまで、青春時代の華々しいお話を伺うことができ、これまた楽しい時間となりました。お料理も御馳走さまでした!  

 最後になにますが、南野先生、そしてゼミ生のみなさん、今まで本当にありがとうございました! 南野ゼミのおかげで、楽しい思い出がたくさんできましたし、みなさんとの嬉しい出会いにも恵まれました。合わせて一年間のゼミ生活でしたが、南野ゼミで良かったと心から思っています。私はもう1年大学に残るつもりなので、たまには遊んでくれると嬉しいです!    

 それでは、13期としての最後のイベントとなる沖縄旅行、思いっきり楽しみましょう!

投稿者:カフェラテ

 みなさん最終ゼミお疲れ様でした! いつもレポートの提出が遅くなってしまうので最終ゼミだし、大トリを狙ってやろう!と思い、タイミングをこっそり測っておりました。(先生申し訳ありません。)  しかし簡単に最終ゼミだなんて言ってしまいますが、もう毎週自分のおぼろげな憲法知識と安全保障分野の小ネタをどう織り交ぜて発言していけばいいのかを予習文献を読みながら考えるのがひと段落したと思うとびっくりです。(来年もお世話になりますが。) 

 そんな最終ゼミの報告者は我らがゼミ長、ジョイさんでした。思えばこの一年間ジョイさんのことを「ジョイさん」などと気安く呼ぶことは失礼と思い、頑なに「ゼミ長」と呼んでおりました。それゆえ果たして卒業されて今後会うときも「ゼミ長」といつまでも呼び続けていいのかという葛藤に悩まされております。

 そんなゼミ長の今回の報告はロッキード事件を題材に「内閣総理大臣の指揮監督権」についてでした。題名を聞いた時は自らの小ネタが活かせる報告内容では?と期待しましたが、そんなに現実は甘くありませんでした。そういう意味では僕が今年の議論で一番活躍したのは最近また話題になりつつあるアメリカ大統領選で議論になる争点は3G(Gun, God, Gay)だというトリビアを提供した時だと思っております。そういう意味では僕自身が議論に資する機会は他のトムリンソンなどが着実に知識を積んでいく中で減少して行ったのは否めない気がします。来年はアメリカ大統領選でいうトランプ氏的立場から、先生をも言い負かすくらいの理論武装をしてゼミに参加したいと思っています。  

 そんなゼミの後は涙の最終コンパでした。まさか先生をはじめ先輩にももつ鍋が苦手な人がいたことに一切気づかず予約してしまったのは完全にミスでした。加えて僕が絶賛したエスプレッソカップが先生にそこまで喜んで頂けなかったのもとてもショックでした。しかしとてもいい写真もたくさん撮れていましたし、13期生が笑っている集合写真を先生の思い出深い1枚に選定してくださっていたことにはとても温かみを感じました。さらに毎回拙い幹事でしたが、店を予約する度に毎回ゼミ風景リポートでお疲れ様と書いてくださったましゅ麻呂先輩本当にありがとうございました。  

 結局大トリを狙った割にかなりひどいレポートになってしまいましたが、この温かくも非常にレベルの高かった13期の皆さんと先生と一緒に過ごせて本当に成長できた気がします。図らずしも2chにまとめられたり、デモに参加したり、蕎麦屋さんですごいムービーを撮影したりと普通ならなかなかない経験させていただき、全てが人生に一役かう出来事でした。ぜひ今年ゼミを卒業される先輩がたともあらゆる機会に一緒に飲み会などできればいいと思います。改めて今年一年間お疲れさまでした。

 

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