個人的ニュース 

2000年1月1日〜1月29日分

 

2000.1.1.(土)

 昼過ぎ起床。祝日だし、年賀状が届くわけでもなく、とくに家にいても楽しくない。さすがに人混みも大晦日に比べれば減っているだろうと思い、エティエンヌ、由希子、美帆を誘い、市内散歩に出かけることに。シャトレーで待ち合わせ、ルーヴルチュイルリー公園を経てコンコルド広場シャンゼリゼへ至る。コンコルド広場には高さ75メートルという大観覧車が設置されていて、クリスマスに家族で乗られた村田先生から推薦されていたので乗ってみたかったのだが、とにかくすごい行列だったので諦める。シャンゼリゼもとにかくすごい人出。全然人は減っていない。歩くだけでくたくたになった。シャンゼリゼの洋服店などはすべて閉店しているが、この人出にまぎれて破壊行為を行う不良たちを警戒してか、ショーウィンドウに板を張り付けて防備している店がいくつかあった。唯一営業しているマクドナルドやカフェはどこも超満員。シャンゼリゼ大通りには、中央分離帯のところに車線をいくつか占領して観覧車のようなものが設置されている。これが大晦日のカウントダウンと同時に動きだし、パフォーマンスが行われたそうだが、我々が歩いた夕方には全く動いてもおらず、なんだかよくわからない現代アート風のオブジェとなりきっていた。由希子のアパートがあるヴィクトル・ユーゴー広場まで歩いて解散。サン・ミッシェルでアメリカの新作スリラー映画「Oxygen」を観て帰宅。年賀状などを書いて就寝。

 

2000.1.12.(水)

 今朝はたくさんの年賀状がとどいた。昨日までは日本からのものがほとんどだったが、今日はフランス人から6通も。しかし開封して愕然。全く読めない。ほんとうに読めない。とくに、モンペリエ大学の Dominique Rousseau 教授からのものは、お手上げだ。最後に Japon と書いてあることだけしか分からない。これは今晩、同居人のエティエンヌに読んでもらうしかない。Rousseau 教授のものは、大学のカードで、署名が印刷されたものだったから、なんとか彼からのものだということは分かったのだが、なかには、差出人がわからないものもある。どうもフランスでは、封筒の裏にちゃんと差出人の住所氏名を書くという習慣が、日本ほどには徹底していないようだ。開封しても、中にはミミズのようなサインが書いてあるだけで、これは全く識別不可能。せめて名前くらい、サインの横にブロック体でも書いて欲しいものだ。これもエティエンヌに頼んで、内容から推測するしかないだろう。

 午後、ナンテールへ Troper 教授の授業に行く。一昨年の授業でクラスメートだった Sevane が、教授に用事があるとかで来ていたのにはおどろき。久しぶりの再会。たしかクルド人の血統である彼女は、もともとたいへんエキゾチックな美人であるが、それがいい色に日焼けして、ますます美人になっていた。スキーに行ったのかと思ったら、キューバへ行っていたとのこと。フランス人のバカンスは、ちょっとケタ(?)が違う。授業のあと、オーストリアからの留学生 Georg とレ・アールまで一緒に帰る。パンテオン前の、法律専門書店が集まっている Soufflot 通りで探していた雑誌を見つけ、岩月君、武田君との待ち合わせ場所のレ・アールのカフェに戻る。岩月君はマッキントッシュに詳しく、最近「OS9」のフランス語バージョンをインストールしたらしい。全くのフランス仕様になったパソコンで、ちゃんと日本語が使えるという。そういう情報を教えてもらうためもあって、久しぶりでもあるし一度会って食事でも、と約束していたのだ。岩月君と武田君は、現在パリ第一大学のクラスメートであるが、南野と武田君は、これまたしばらく会っていないから、是非一緒に三人で、ということになった。いつも新聞やニュースを丹念にチェックしている岩月君によると、今日のパリは予想最高気温が0度らしい。たしかに、今日は急激に寒くなった。ここ数日暖かかったから、通常ついているはずのカフェのテラス用のストーブも、灯油が入っていないらしく、つけてもらえない。あまりに寒いので、テラスではなく、内側も空いている別のカフェに移動。何を食べようか、という相談から始める。岩月君御用達(?)のお寿司屋さんは少々高めだったので、南野御用達の「偽」日本料理屋「ととや」(レストラン情報参照)へ行くことにする。途中、パリの日本語新聞に「日本の歌4500曲! パリで唯一のカラオケボックス!」と毎週広告を出している、Paradium という韓国人経営のお店をのぞきに行く。岩月君はあまりカラオケが好きでないらしいし、南野も久しぶりだからむしろ喋っていたかったので、とりあえずお店の場所を武田君に教えただけで、すぐ引き返して「ととや」へ。例によって南野はとんかつとご飯と鉄火巻き。岩月君は天ぷらセットメニュー。武田君は豪華な「寿司・刺身・焼き鳥セットメニュー」に、さらにとんかつを追加。お店のマダムもおどろいていた。たんに大喰いなのかも知れないし、岩月君や南野のように海外「留学」組ではなく、彼は海外「出張」組なので、お金に余裕があるのかも知れない。まあ、その両方なのだろう。その後近くのカフェで深夜12時頃まで喋りっぱなし。そしてようやく解散。彼らとの会話は、いつものように刺激に満ちていて、とても楽しかった。

 ところが。先ほど武田君からメールがとどいた。なんと彼はその後、一人でカラオケボックス Paradium へ戻ったとのこと。相当歌いたくて仕方がなかったようだ。彼からのメールによると、結局、韓国人の店員さんが不思議がるのを気にもとめずに、一人っきりで一時間半も歌っていたらしい。ところが彼は憤慨している。とにかく、歌いたい歌が全然なかったのだそうだ。4500曲というのはどうにも信じられず、何曲あるか数えてみたらしい。するとなんと、わずか1476曲(よく数えたものだ!)。彼のメールには、「その選曲もいかなる基準でなされているか不明であり、不満だらけでした」と書いてあった。そういえば、一年半ほど前だったか、南野が友人たちと行ったときも、山口百恵だとか「すばる」などしかなくて、困ったことがあったのを思い出した。武田君は、こんど店に手紙を書くつもりらしい。お疲れさま、武田君。

 

2000.1.14.(金)

 EHESS(社会科学高等研究院)の「法規範研究センター」のセミナー。条約は法律に優越する権威を持つ、と定めるフランス憲法第55条について、Olivier Cayla と Denys De Bechillon 両教授による報告二本。南野は、かつてこのテーマで、しかもこの二人の教授を引用して論文を書いたこともある(「欧州統合とフランス憲法学」(憲法理論研究会編『国際化のなかの分権と統合』所収))うえ、ちょうど最近、その続きのようなものを書き始めていたところなので、大いなる関心をもって参加した。狭い部屋に入りきれないほどの参加者。Troper, Pfersmann 教授なども。Mikhail Xifaras 君も例によってパソコンで熱心にメモを取っていた。Mikhail の車で送ってもらい、帰宅。

 

2000.1.15.(土)

 午前9時から、EHESSで、昨日のセミナーの続き。土曜日の朝9時からスタートというのはきつい。しかし、憲法院判事の Noelle Lenoir 氏や、国務院(コンセイユ・デタ)判事の Bruno Genevois 氏などが報告するとあっては、行かないわけにはいかない。Lenoir 女史は、一昨年シモーヌ・ヴェイユが憲法院判事に任命されるまではながらくただ一人の女性判事だった人で、まだ40代だろうか、黒髪を茶色く染めた、大変な美人である。この日も、黒のシャツとパンツに真っ赤のジャケットという、大変な格好であらわれた。判事たちが参加するということもあって、録音禁止、積極的にはこの研究会を宣伝するな、というお触れのせいもあってか、昨日よりはメンバーが減ったため、参加者相互の距離が縮まって、南野はやや緊張。コンセイユ・デタの Bernard Stirn 氏が「せっかくだから学生さんたちにも発言してもらおう」などと言い出したときは、焦った。結局は学生はだれも発言せずに終わったのだが。それにしても、日本では、憲法学の教授と学生と、それに最高裁判所の裁判官が揃ってこういう少人数のセミナーを開くなんて、考えられないことだな、などと思う。裁判所と学界の交流がこういう形である、というのは非常に興味深いし、おそらく意義深い。ところで Lenoir 氏や Genevois 氏も、一人で来て一人で帰ったようだが、秘書だとかSPだとか、あるいは公用車とか、そういったものはいないのだろうか。やや不思議だった。

 研究会の後、市内を散歩。今日から冬のバーゲンが一斉にスタートしたため、どこも人で溢れている。有名ブランドの名前の入った大きな袋をいくつもかかえた人がたくさん。日本人にもたくさん出くわす。高級ブティックが集まるサン・トノレ通り(Rue du Faubourg St. Honore)には警察官も出て交通整理。夜、レ・アールでアメリカの新作映画「Resurrection (復活)」を観て帰る(映画・音楽情報参照)。

 

2000.1.16.(日)

 大村敦志教授のお宅に夕食に招いていただく。そこで何年ぶりかで新堂さんと再会。彼女は現在イェール大学に留学中だが、イギリスに来たついでにパリにも寄ったという。元気そうだった。大村先生ご一家にお目にかかるのも、昨年の10月以来だろうか。奥様お手製の「クスクス風・豚のスペアリブ煮込み」(?)をメインとするおいしい夕食を戴いたあと、デザートは、お嬢さんお手製の Galette des Rois 。パンケーキのなかに、小さな人形のようなものを予め隠しておき、ケーキを切り分けたあと、その小さな人形が当たったものが一座の王になる、という、キリスト公現祭(1月6日)前後にフランス人が必ずやるゲームで、ケーキ屋さん・パン屋さんなどでは、ゲームのための簡単な王冠もくれる。そういえば、一昨年のナンテールの授業でも、だれか学生が持ってきたのをみんなで食べた覚えがある。このときは Marie-France Renoux-Zagame 教授に人形があたり、彼女が紙製の王冠をずっとかぶっていたのが可笑しかったのを覚えている。さて大村先生宅では、二つも「当たり」を入れられたらしく、王さまになったのは、南野と大村先生。二人とも王冠をかぶって記念撮影。お子さんたちが寝たあとも、大人四人で午前一時くらいまで話し続ける。大村先生の車で送っていただき帰宅。本当に楽しかった。

 

2000.1.18.(火)

 アパートのテレビアンテナが修理され、ようやくテレビがきれいに映るようになった。クリスマスの大嵐から、なんと一ヶ月近くもかかった。ふう。裏のアパートのアンテナはまだ半分に折れ曲がったまま。お気の毒さま。

 

2000.1.19.(水)

 Troper 教授のゼミ。休憩時間に少し教授と話す。なんと次回が最終回とのこと。今年から教授のゼミが3時間になって大変だと思っていたのだが、実は例年6月ごろまで続くゼミが、今年は教授がシカゴ大学に二ヶ月ほど出張することになっているため、1月末で打ち切りになるということで、1回あたり3時間になっていたのだった。10月から開講されたゼミだが、当初南野は、学士院での研究会報告の準備に専念するために出席していなかったため、こういう情報が入っていなかったのだ。今日のテーマはハンス・ケルゼンの「根本規範」論について。教授のゼミは、毎回テーマを決めて、学生に20分ほど報告をさせてから、それを端緒に教授が講義をする、という形式で、これ自体は例年とかわらないのだが、今年はゼミの回数が減る分、1回3時間にして、そのかわり1回につき二つのテーマを片づける、という目論見だったらしい。しかし結局、一つのテーマを3時間かけて扱うということになっただけで、全体として扱われたテーマの数は、極端に減ってしまった。昨年、一昨年のゼミで理解できなかったところを完全に理解しようと張り切っていた南野は、よって少々残念に思う。しかし、一つのテーマを2時間ではなくて3時間かけて扱うということになったため、テーマごとの解説はより丁寧になったから、扱われたテーマについての理解は深まったようにも思う。今日の「根本規範」についての解説は、圧巻であった。

 

2000.1.20.(木)

 Cayla 教授のゼミ。この教授は、どこでもタバコをすぱすぱ吸う、その意味では悪しきフランス人の典型みたいなところがある、と前に書いたが、もうひとつ、この教授はほとんど必ず授業に遅刻してやってくる。その意味でも悪しきフランス人の典型みたいなところがある。南野のアパートからゼミの行われるEHESSまでは、だいたい20分をみておけば間に合うし、ゼミは午後6時からだから、教授の遅刻を計算にいれて、だいたいいつも南野はアパートを6時15分ほど前に出ることにしている。今まではそれで遅刻したことがなかったのだが、今日はそれで大失敗。なんとメトロの4番線がスト。メトロ全体のストというのももちろん困るが、こういう単発の、ある一本のラインだけのスト、というのもまた、情報が広まっていなくて困るものだ。アレジア(Alesia)駅の地下への入り口は、封鎖されている。張り紙くらいしておけよ、と思いながら、次のムトン・デュヴェルネ(Mouton Duvernet)駅まで歩く。ここも閉鎖。張り紙はやはりない。仕方なく、もう一つ先のダンフェール・ロシュロー(Denfert-Rochereau)駅まで行ってみる。ここはメトロの6番線やRER(首都圏高速鉄道網)のB線も入っている大きな駅だから、なんとかなるだろうと思っていたのだが、はたしてその通りで、駅は開いている。改札の電光掲示板には、4番線はストで止まっています、お客様のご理解に感謝します、とだけ書いてある。理解なんてしてないぞー、と思いながら6番線に乗って、どうやってEHESSまで行くかを考える。車内も駅構内も、4番線から流れてきた客であふれかえっていて、モンパルナス駅ではアルバイトの学生駅員と銃剣を携えた兵士が出て、客の整理にあたっていた。南野はモンパルナス駅で乗り換えようとしたのだが、これがまた、構内工事中で、通常なら地下通路ですぐの乗り換えのはずが、いったん地上に出て、モンパルナス・タワーをぐるっとまわって、再び地下に入り、という実にややこしいことになっていた。おかげでEHESSに到着したのは7時前。さすがに Cayla 教授は授業を始めていた。しかし Cayla 教授もこの混乱でいつも以上に遅刻したらしく、授業の最後に、遅刻して失礼しました、でも悪いのは私ではなく、RATP(パリ交通営団)です、と言っていた。こういう風に、はっきり他人のせいにする、というのもまた、悪しきフランス人の典型である。

 

2000.1.23.(日)

 サン・ミッシェルでアメリカ映画『Stigmata』を観る(映画・音楽情報参照)。その後、パリに到着されたばかりの伊藤洋一教授をご滞在先にたずね、夕食をご馳走になる。昨年の夏に南野が一時帰国した際にはお目にかかれなかったから、二年以上もお会いしていなかったことになる。大変なつかしい。伊藤先生は、ヨーロッパ共同体(EC)法という公式のご専門の他に、マッキントッシュという非公式の(?)ご専門もお持ちの方で、東大でも数少ないマックユーザーとして、南野もこれまでいろいろお世話になってきた。先生の研究室にマックを持ってお邪魔すると、あれもこれもと詳しい説明を始めてくださり、気がついたらあっという間に二時間が過ぎていた、などということもあったのを思い出す。今日の夕食は、しかしマッキントッシュの話しはほんの一割程度、あとは、最近のコンセイユ・デタの動きについて、という、なかなか難しい話しが主であった。ちょうど先週、南野は憲法院とコンセイユ・デタのメンバーが出席した研究会に出たばかりだったが、そのような話しも聞いていただけた。さらに、ご出発の前の日、伊藤先生は東京で行われた「フランス憲法研究会」で報告をされたばかりだったそうで、それに出席されていた我が恩師、高橋教授のご様子なども聞け、大変楽しい夕食だった。しかし高橋先生はいまだに南野のHPを見たことがないとおっしゃっていたそうな・・・。ショック。

 

2000.1.25.(火)

 Cayla 教授宅に招待される。憲法制定行為をテーマとした今年度のゼミの後半で、彼は、日本国憲法制定過程、イスラエルの憲法状況、そして南アフリカの新憲法制定過程について、それぞれ4回ずつ時間を割いて話すことを計画しており、ゼミ参加者のうち、それぞれのスペシャリスト(?)として、南野と、イスラエルからの留学生ロイ、それにイタリア人で南ア憲法について博士論文を執筆中の学生アンドレアと夕食をとりながら打ち合わせをしよう、というのが第一の目的だった。法学教授の自宅にお邪魔したことは、日本でもこれまで二度しかないし、ましてやフランス人のそれになると、今回が初めてだ。しかし、一人で訪問するわけではないし、同行者もフランス人ではなく南野と同じ外人であるうえ、Cayla 教授はいわゆる教授然としたタイプでもなくざっくばらんな人なので、さほど緊張せず、今日の日を楽しみにして待つことができた。

 だれかの自宅に招待されたら、なにがしかの手みやげをもっていく、というマナーは、日本よりもフランスの方が徹底しているような気がする。友人同士であっても、普通、ワインやお菓子、花などを持っていくくらいだ。今回、南野はシャンペンを1本持って行くことにした。エティエンヌのお姉さんが結婚式を挙げたとき、上等なシャンペンを大量に購入したのが実家に余っているとかで、しょっちゅう彼が持ち帰って来るのである。いいシャンペンらしく、勝手に南野が持っていくと怒るのであるが、今日も南野が出かける際には留守だったから、まあ、仕方がない。ばれたら謝ろう。ロイはイスラエル製のワイン。イスラエルでワインを造っているとは知らなかった。アンドレアはお手製のデザート「ティラミス」。とてもケーキを作れるような風貌ではない男性だが、さすがイタリア人だ。

 パリの東南にヴァンセンヌの森というのがあって、その周辺はちょっとした高級住宅街になっている。教授のお宅も、ヴァンセンヌ城にほど近い、閑静で品のいい住宅街のなかのアパートだった。さて、彼の書斎に通されて、驚いた。10畳くらいの部屋ではあるが、アンティークの家具、壁掛け、絵などが、実に上品に配置されており、本棚も机も大変きれいに整頓されている。大学教授だとか、作家だとか、そういう「もの書き」的な人の仕事部屋には、きちっと整理されつくしたタイプのものもあれば、なにもかも乱雑に散らばっていて、当の本人しか使いこなせないようになっているタイプのものもある、といった風に南野は考えていて、Cayla 教授のものは絶対に後者のタイプ、すなわち他人からするとよくこれで仕事ができるなあ、という感じの書斎だろうと漠然と想像していたのである。あまりにきれいに片づいているのと、調度品のセンスのよさに、心底驚いてしまった。iMac が一台、ちょこんと片隅に置いてあったのにも驚いたけれど。

 iMac は性能が良い、とたいそうお気に入りのようで、しばしパソコン談義をしたあと、本題である、ゼミの打ち合わせ。特に理由はないが、たんに歴史的順番に従って、日本、イスラエル、南アフリカの順でゼミを進めたい、と Cayla 教授。誰も異論はない。南野は、この日この場で打ち合わせをするのだから、いったい教授がどういうことを我々に求めているのかが明らかになってから、自分の協力すべきこと、できることを考えようと思っていたため、とりたてて何も準備はしていなかった。ところが、ロイもアンドレアも、4回のうち、1回目はこれについて、2回目はあれについて・・・と、4回分の予定をびっしりたててやってきていた。アンドレアに至っては、南ア憲法について自分の書いたレジュメのようなものまで用意してきて、教授に渡していた。イタリア人にしては準備が良すぎる! 準備が進んでいる方からやろうということになり、結局2月中旬から、イスラエル、南アフリカ、日本の順で進めることになった。それで日本は4月末から。これならなんとか間に合うだろう。あくまでも、日本の事例を題材にして、一般理論的な検討をしたい、ということのはずだから(そうしてもらわないと、南野にとっては面白くなさすぎる!)、南野が喋るのは4回のうち2回くらいにして、しかも検討の材料として不可欠なものを紹介するくらいにとどめようと、今のところは考えている。

 ロイの持ってきたイスラエル・ワインを飲みながらの打ち合わせが、小一時間程度で終わったあと、教授お手製のディナーをいただくはずだったのだけれども、とにかく忙しくて準備ができなかったそうで、近くのレストランへ行くことになる。いくつかの候補のなかから、ナシオン広場近くの中華料理屋へ、教授の車に乗って行くことに決まる。Cayla 教授は、どこでもスパスパ煙草を吸う、その意味では悪しきフランス人の典型みたいなところがある、と以前書き、それに、彼はしょっちゅう遅刻してくる、その点でも悪しきフランス人の典型だ、と先日付け加えた。彼の車に乗せてもらって、もうひとつ付け加えなければならない、と思った。車線変更も、右折左折も方向指示器なし、平気で二車線にまたがって走行・・・、赤信号から青信号に変わったとき、少しでも前の車の発進が遅れると、ライトをちかちかパッシング(クラクションを鳴らさないだけ、まだマシではあるけれど)。パリで運転するたびに、上品な日本的運転手である南野がイライラさせられている、典型的な悪しきパリ人だ。ここで「パリ人」としたのは、地方へ行くと、もう少し運転マナーはマシになるらしいから。

 中華レストランでは、ここは北京ダックがおいしいんだ、と教授がしきりに言うので、南野、生まれて初めて北京ダックに挑戦。まずかった。どうも鴨肉は苦手。前菜にとったチキン・サラダは大好物の「中華風サラダ」ではなく、何風だかは知らないが激辛。南野、タイや韓国系の辛いものはこれまた苦手である。教授のとった普通のサラダと交換してもらう。チャーハンと青島ビールだけしかおいしく感じられなかった、さんざんなディナーだった。しかし会話は抜群に楽しく、教授のお兄さんが仕事で中国に住んでいて、フランス人の奥さんと離婚して中国人と再婚したとかいうやわらかい話しから、南野が先日来引きずっている、コンセイユ・デタの判例についてのかたい話しまで、話題はつきず、あっという間に午後11時を過ぎた。デザートはティラミスがあるからということで、中華料理店ではそれ以上何もとらずに、再び教授の車でヴァンセンヌ城に戻る。

 南野の持ってきたシャンペンとアンドレアのティラミスで、デザートが始まる。教授はしきりにこのシャンペンはおいしい、と言ってくれた。なかなか舌が肥えておられるのかも知れない。ティラミスもおいしかった。最近フランスで話題になっている、司法制度改革問題や、立て続けの感がある政治スキャンダルといった、いかにも法学部の先生と学生がゼミコンパで話しそうな話題や、教授の学生時代の思い出とか、フランス(憲)法学界の人間関係など、外国人留学生相手ならではかと思われるような話題で盛り上がっているうちに、すでに午前1時前。記念撮影をさせてもらったあと、ロイとアンドレアを順番に車で送って帰宅。楽しかった。

 

2000.1.26.(水)

 Troper 教授ゼミの最終回。とくに普段と変わった様子もなく、淡々とゼミは進む。今日のテーマは「違憲審査制と民主制」。選挙で選ばれた、国民の代表者である議会が制定した法律を、選挙で選ばれたわけではない裁判官が、憲法に違反するという理由で無効にしたり、あるいはその適用を退けたりするという違憲審査制度が、民主制と両立するのかしないのか、というよく議論されてきたテーマである。ハンス・ケルゼンを中心とした様々な論者の議論を検討しながら、それらをばっさばっさと斬り捨てていき、そもそも、このような問題の建て方自体を疑問視するに至る、そのだいたいの筋道は、すでに教授がこのテーマと同名のタイトルで論文を書いており、長谷部教授の日本語訳もあるから、一応分かってはいるつもりなのだけれど、今日の授業を聞いて、一段と疑問が深まった。前回の「根本規範」についての説明を聞いたときの爽快感とは正反対に、どうもよく分からないなと首をひねりながら帰宅する。

 

2000.1.29.(土)

 借りたものを返すため、伊藤先生をご滞在先に訪ねる。土曜日の午前10時という約束は、南野にはきつい。案の定、遅刻しそうになり、タクシーに乗る。さて伊藤先生は、欧州統合とレフェランドム(人民投票)についての研究会が行われているという情報を入手したからこれから行ってみるとおっしゃる。プログラムを見せてもらったら、今日の司会を務める Jacques Robert 教授や報告者の Francis Hamon 教授など、南野の知っている憲法学者の名前もあったし、なによりも南野は、かつて、欧州連合の民主的正統性を強化するために、欧州レヴェルでレフェランドムをしてはどうかという構想があるということを紹介する論文を書いたこともあったため、興味を引かれ、まったく研究会用の服装をしてはいなかったのだが、伊藤先生にご一緒させてもらうことにした。会場はマレ地区Maison de l'Europe(ヨーロッパの家)という立派な建物。欧州連合加盟各国の元首の写真などがかざってある。当然シラク大統領はど真ん中に鎮座しておいでだ。我々は二人目の報告の途中から入場し、しかも、それぞれ午後に用事があったため途中で退出するという、なんとも中途半端な参加に終わってしまったが、途中の休憩時間に、コーヒーがただでもらえ、また久しぶりに Hamon 教授に挨拶することができたのはよかった。

 

 

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続 き   個人的ニュース

日 付
主な内容
旧・個人的ニュース

学士院研究会報告顛末記、ブルターニュ週末旅行、オリヴィエ誕生日パーティーなど)

(ステファン誕生日パーティー、ストラスブール日仏公法セミナー、ブルジュ・ヌヴェール週末旅行、大晦日仮装パーティーなど)

2000年1月1日〜29日分

(元旦、武田・岩月君、EHESSセミナー、大村先生宅、伊藤先生、Cayla 先生宅など)

(スト、岡田先生、ベルギー週末旅行、クリストフ、武田君、瑞香来訪、美帆・由希子帰国など)

(Mel Madsen 氏来訪、辛い研究会、樋口先生、ススム来訪、灰の水曜日、早坂先生、皮膚・性病科、健太郎来訪、ニース珍道中記など)

(カレーパーティー、大村先生宅大嶽先生宅、復活徹夜祭、アントニー来泊、緑の桜の謎、花沢夫妻来訪など)

アムステルダム週末旅行日本シリーズ参議院調査団通訳、多恵子一行来訪など)

南野邸お茶会、ルカ洗礼式、ローラン・ギャロス、子どもモーツァルト、イタリア旅行、樋口先生、音楽祭り、研究会「違憲審査制の起源」など)

(日本人の集い、フランソワ・フランソワーズ夫妻宅、フレデリック誕生日パーティー、モニックさん・彩子ちゃん来訪、北欧旅行など)

北欧旅行続き、ゲオルギ来訪、玲子兄・藤田君来訪、オリヴィエ4号来訪、色川君来訪、ピアノ片付けなど)

姉・奥様来訪、日本へ帰国、東京でアパート探し、再びパリ行など)

(誕生日パーティ、Troper 教授主催研究会、Cayla 教授と夕食、日本へ帰国など)

(花垣・糸ちゃん邸、スマップコンサート、フランス憲法研究会、憲法理論研究会など)

(洛星東京の集い、東大17組クラス会、パリ、ウィーン、ブラティスラヴァなど。)

(エティエンヌ来日、広島・山口旅行ボー教授来日、法学部学習相談室のセミナーなど)

長野旅行、パリで国際憲法学会など)

新・個人的ニュース

リール大学で集中講義のため渡仏、興津君・西島さん・石上さん・ダヴィッド・リュック・ニコラと再会など)

(リール大学での講義スタート、武田君・タッドと再会、ヒレルと対面、芥川・安倍・荒木・柿原来仏、モンサンミッシェル、トロペール教授と昼食、浜尾君来仏、ヤニック・エティエンヌ・エレーヌと再会、復活祭パーティなど)

パリ行政控訴院で講演コンセイユ・デタ評定官と面談リール大学最終講義、日本へ帰国)

 

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