個人的ニュース 

2000年4月2日〜4月31日分

 

2000.4.4.(火)

 エティエンヌ主催のホームパーティー。クリスマス・イヴに招待してくれたフランソワ、フランソワーズ夫妻とジャック、カトリーヌ夫妻(籍は入れてないらしいが)を招待して、日本食を振る舞いたいという。寿司や焼き鳥といった、パリの日本食レストランで食べられるものではなく、普通の家庭料理、ということで、カレーを作る。前菜は和風サラダ厚焼き卵たくあんなど。そしてメインはカレー、それから麩とわかめの味噌汁。デザートはもちろん韓国産の長十郎。冷やした麦茶も振る舞う。たくあんと厚焼き卵は大好評で、あっという間になくなってしまう。フランソワーズおばさんは、カレーと味噌汁は合わないと言っていたが、その他の人はおいしいおいしいと言ってくれた。ひょっとしたら南野、料理の才能があるのかも知れない。

 ところで、フランソワおじさんは本職は画家だが、曹洞宗の修行もやっているらしい。六月に、フランス人の曹洞宗の参禅者の一行で京都や奈良、さらに永平寺へも行く予定だとか。道元の生誕(?)八百年にあたるらしいぞ。知らなかった。最初の一週間は永平寺に籠もるらしいが、その後、京都で、彼らを泊めてくれる曹洞宗のお寺を探しているそうだ。ちゃんとパリの老師から推薦状を書いて貰うから、ということなので、どこか世話をしてくれるお寺はないだろうか。心当たりのある方、南野までご連絡下さい。

 

2000.4.12.(水)

 大村教授のお宅に夕食に招かれる。ノルマンディ特産のシードル(りんごの発泡酒)を飲みにいらっしゃいと、岩月君、高村君とともにご招待をいただいた。今までも同じような時間にお宅にご招待していただいたことが何度もあるが、今回はじめて、お宅近くのソー公園(Parc des Sceaux)のシャトーへ続く広大な緑の並木道がはっきりと目に飛び込んできた。もう、春なのだ。大村先生ご一家は、夏になる前に日本へ帰られてしまうので、こうしてお邪魔させていただくのも今回が最後になるかも知れない。

 実は南野、大村先生がパリに来られてから受信された電子メールの第200番目にヒットしていたそうで、その記念品ということで、お母さんの料理のお手伝いのため、かわいらしい頭巾をかぶったお嬢ちゃんから、これまたノルマンディ特産のカルバドス(りんごのブランデー)を「贈呈」される。アルコール度数40%らしい。飲めるだろうか。さて、そのお嬢ちゃんと奥様の尽力になるお料理は、たいそう豪華なものだった。奥様はたいへん料理の上手な方で、毎回南野の食べたことのないような品々でもてなして下さるのだが、今回もやはり、名前のわからないお皿がたくさん並んでいた。手巻き寿司松茸ご飯はさすがに分かったものの、チキンのカレーかと思ったものは、タンドリというものだそうだ。美味の一言に尽きる。話が前後するが、岩月君などは、帰るさいに、栄養失調気味のところ、大変ありがとうございましたなどとお礼を言っていた。同感同感。お嬢ちゃんお手製のクッキーや、フルーツサラダなども。その他諸々あって、思い出しきれないくらい。

 岩月君は国際法専攻、高村君は法社会学専攻、そして南野は憲法専攻だから、共通の話があるようでなく、またないようである、といった取り合わせなのだけれど、大村先生がそのいずれにも精通しておられるせいか、話題にはこと欠くことなく、どんどん時間が過ぎていった。 Sept familles というフランスでは有名らしいカードゲームをみんなでしたあと、坊ちゃんとお嬢ちゃんが寝てしまってからは、大人5人で白ワインをいただきながらひたすら語り、語り、語り。先月樋口先生宅で樋口ゼミOB会パリ支部の集い(?)が行われた際には午前3時になって驚いたなどと言っていたのだが、気がついたらなんと午前4時をまわっている。急いで大村先生宅を失礼し、高村君とタクシーを探しながらパリ方向へ向かって歩いていると、タイミング良く深夜バスが走ってきた。運転手さんに Porte d'Orleans までと言うと、もうすぐの距離だからお金はいいよと言われて喜ぶ。今回は、もう三度目の轍は踏むまい、とお酒も控えめにしていたため、vomir することもなく無事に帰宅。

 大村先生には、ほんとうにいろいろな話を聞かせていただいたし、またいろいろな話をさせていただいた。南野は、少しはまじめな話も、と思い、博士論文の構想じみたことを聞いていただいたのだが、大村先生の厳しいご反論に遭い、つくづく   当たり前のことではあるし、今日初めて気がついたというわけでもないのだけれど   、まだまだこの先生にもかなわないな、と自分の未熟さをあらためて思い知らされた。思い切り楽しかったし、思い切り有意義な一夜だった。こういうのは、ほんとうに、海外に留学したからこそ得られる貴重な機会なのだと思う。そんな南野の留学生活も、今日ふと数えてみると、残り140日となった。大村先生にも、残された期間、大いに遊び楽しむようにと言っていただく。へへへ。

 

2000.4.13.(木)

 エティエンヌのお姉さん Marie が旦那さんの Joel そして生後6ヶ月の赤ちゃん Lucas と一緒に来訪。「お姉さん」といっても南野と同い年の同じ月生まれ。Joel はちょっと年上で、37歳だそうだ。一年間アメリカに夫婦で住んでいて、一週間ほど前フランスに帰国したばかり。赤ん坊はアメリカで生まれたため、自動的にアメリカ国籍も取得し、現在二重国籍だという。久しぶりに赤ん坊というものをまじまじと見たが、それにしても不思議な生き物だ。もっと小さい時の写真は「南野的写真集」にもアップしてあるが、しわくちゃでそんなに可愛くはなかったのに、6ヶ月もたつと、大きな目をして、大変可愛らしい。南野も早く子供が欲しくなってしまった。お隣さんの経営する中華料理店 Chez Zhou で何皿かをテイクアウトし、赤ん坊はソファーの上に寝かせて大人だけで夕食。

 

2000.4.16.(日)

 大嶽秀夫教授宅に夕食に招かれる。パリ政治学院(シアンスポ)で現在客員教授をしておられる大嶽先生は、樋口先生の古くからのお知り合いだそうで、先月パリにおられた樋口先生に紹介していただいたばかりである。ご専門の政治学の研究書や、朝日新聞の書評欄などでお顔を拝見したときから、どことなく言語学者の金田一春彦氏に似ておられると思っていたのだが、今日、二度目にお目にかかってさらに、その思いを強くした。パンテオン近くの静かで便利な下町にある先生のアパートは、ご夫妻二人だけで一年間の予定ということもあり、さほど大きくはないのものの、奥様のセンスだろうか、感じのよい調度品や小物、そしてきれいな花で飾られた、たいへん素敵なものだった。シアンスポの同僚というドイツ人女性のプロフェッサーもお越しになり、共通言語は9割が英語、7分がフランス語、そして3分が日本語ということになってしまい、英語を忘れつつある南野は寡黙に過ごす。アペリティフに、南野の大好きな新潟の銘酒、「上善如水(じょうぜんみずのごとし)」が出てきたのには思わず感激してしまう。何年ぶりだろうか。アペリティフだけでもすでに感無量になりつつあるというのに、さあ食卓へと案内していただいて思わず絶句。お箸すら使ったことがないというドイツのプロフェッサーが驚愕していたのは言うまでもないが、日本人であるはずの南野も、奥様がその才能を遺憾なく発揮されたのであろう、日本の本格的料亭で出てくるようなお膳立てに度肝を抜かれてしまう。梅肉を包んだ漬け物に桜の花が添えられていたりする。こんな一品、南野家ではこれまで出てきたことがない。お豆腐も奥様のお手製だとか。天ぷらは極上の仕上がり。大根おろしとショウガまでが天つゆに添えられている。鰯の煮物もなつかしい美味。ちらし寿司はついおかわりをしてしまった。メインは豚の煮物だったが、これが出てきたころにはすでに南野は幸せな満腹状態に近く、豚の方はあまり頂くことができなかった。食べ物そのものももとより、どうしてパリでこれだけのものが揃うかなと思わされるほどの食器や配膳のセンスで、驚嘆することしきりの夕食であった。どうも奥様はただ者ではない。

 その後、食卓を離れてお茶をいただく。先生のアパートの近くに有名な中国茶の専門店があるらしく、すっかりそこの常連になっておられるという奥様から、めずらしい蘭の葉を使ったお茶をいただく。味だけでなく、飲み方とお茶碗も珍しく、またしても嘆息してしまう。弾む会話は、シアンスポの悪口(?)から学問的な話、昨年バングラデシュのダッカ大学に大嶽先生が二ヶ月客員教授でいらしたときのご夫妻の体験談などなど、とにかくとぎれることなく、翌朝八時に歯医者と約束があるから帰らねばならないとドイツ人プロフェッサーが言い出すまで、硬軟おりまざって展開していった。おいしくて、楽しくて、素晴らしい夕食に心から感謝して、プロフェッサーと近くのメトロの駅まで歩いて帰る。

 ところで、大嶽先生ご夫妻は、バングラデシュ体験をまとめて昨年末に出版された(大嶽洋子・大嶽秀夫著『ダッカの55日』中央公論新社発行)そうで、お手元に一冊あったのを、無理を言って貸していただいた。帰宅してから少し読ませていただこうと思ってページをめくりはじめたのだが、あまりの面白さに、午前6時すぎまでかかって一挙に最後まで読んでしまった。そもそも世界最貧国の一つバングラデシュがどういうところなのか全く知らないから、その題材の面白さ、ということももちろんあるのだが、なによりも、ユーモアたっぷりの軽快な奥様の文章にぐんぐん引き込まれてしまった。大嶽先生のバングラデシュ政治についての分析も入っており勉強にもなるし、ご夫妻をとりまくダッカの人間模様や街、大学の様子が手に取るように目前に開け、はらはらさせられもし、また感動させられもし、ときに大笑いさせられ、疲れも眠気もふっとんで没頭してしまった。ときどき挿入される、歌人でもあられる奥様の短歌を鑑賞する能力は残念ながら南野にはないけれど。定価2000円、是非みなさんもお読みになって下さい!

 

2000.4.18.(火)

 花にはいろいろな色がある。当たり前のことだ。しかし緑色の花はふつう見かけない。花が緑色だと鳥や虫が葉っぱと区別できないからだろうか。いずれにせよ、ふつう見かけないはずの緑色の花が、パリに咲いている。しかも、どうも桜なのである。つまり、緑色の桜である。ノートルダム寺院の南側、セーヌ河沿いは、ちょっとした公園のようになっていて、今、ぼたん桜が満開である。その近くに、3本、わりあい大きな桜(だと思う)の木があって、緑色の花が満開なのである。なにげなく歩いていると、葉に覆われただけの花のない木のように見えるのだけれど、よく注意してみるとやはり葉っぱではなくて、花なのである。以前パリにおられた村田尚紀先生に教えて貰い、それ以来、春になるとこの不可思議な木を見に出かけて今日が3回目。パリですでに3度春を迎えたことになる。昨年はちょうどパリに来ていた南野の両親と見に行った。もうあれから一年たつのかと思うと、ややぞっとする。

 さて今日は、玲子を誘い、この緑の桜を見に行って来た。春らしい陽気に誘われて、観光客も大勢。ぼたん桜は人気があり、多くの人が背景にノートルダムを入れようと苦心しながら写真をとっている。しかし緑の桜に注目している人はあまりいない。やはり気をつけて見ないと、見過ごしてしまうのだろう。それにしても不思議で、南野、パリを離れる前に、この木の由来をどうしても知りたいと思っている。市役所に聞くべきか、植物園に聞くべきか。そもそも緑の花が存在するのかどうかということも含めて、どなたかご存じの方があれば、是非ご教示を。さて、しばし「お花見」をしたあと、北駅近くのホテルに荷物を取りに行く。実は先月末から長谷川憲先生がパリにお越しだったのだが、結局都合がつかずにお目にかかることができず(メトロで一度お見かけしたような気がしたのだが)、その後南野へのお土産をお泊まりだったホテルに預けてあるから取りに行くように、とのメールをいただいていたのだ。「とんかつソース」(およびその他)! このHPを読んでいてくださったようだ。大感謝。またとんかつを作ることにしよう。その後、オペラ座の近くにある、「日本名門酒会」というお店へ。もちろん、大嶽先生宅で先日いただいた「上善如水」を買うためである。あったあった。光を嫌うから開栓後も箱にいれたまま保存するように、とのアドバイスを貰って帰宅。さて、誰にこの酒を振る舞おうか。南野、今のところはまだ、一人でちびちび飲むほどの酒通ではない。

 

2000.4.19.(水)

 引き続き「緑の桜」の話。早速大嶽先生の奥様からメールをいただいた。「ダッカの55日」を読むと、奥様がいかに花に造詣の深い方であるかということがよくわかるのだが、その奥様が例の木をご覧になっての感想は、幹の肌は桜のように見えない、というものであった。そう言えば、南野の父親も、桜に似てはいるが桜とは違う気がすると言っていたのを思い出す。さて、奥様は、たまたまそばを通りかかった園丁のおじさんにこれは何の木かと聞いてくださったそうだ。するとそのおじさんは、「オム」と答えたという。そこで、「オム」というような発音の木があるかとエティエンヌに聞いたところ、「オーヌ」と「オルム」とを教えてくれた。「オーヌ」は、aune で、辞書には榛(はん)の木、とある。「オルム」は、orme で、辞書には楡(にれ)の木、とあった。楡はふつう、春楡(はるにれ)のことで、広辞苑には、「三〜四月頃、葉に先だって帯紫淡緑色の小花を密生」と説明がある。帯紫淡緑色? どんな色だろう。紫がかった薄い緑色、ということだろうか。しかし、おそらく緑色の一種に違いない。というわけで、どうやらノートルダムの緑の桜の木は、実は、春楡の木ではないか、という可能性がでてきた。ただ、紫がかった薄い緑色、というのは、南野が見たノートルダムの花の色とは少し違うような気もするのだが。いずれにせよ、南野は楡の木といわれてもどういうものかわからないので、大嶽先生の奥様やその他の方に問い合わせ中。さきほど南野の父親に電話をかけ、楡かも知れないと言ったら、一年前に見た木を思い出しながら、そう言われたらそうかも知れない、と言っていた。南野、もう少し調査を継続するつもり。ところで、引き続き大嶽先生の奥様によると、仙台に桜森があって、そこに萌黄色の花のなる木があったとのこと。うーむ、緑の花、やはり存在するようだ。

 

2000.4.20.(木)

 ヴァカンスが終わって Cayla 教授のゼミが再開。いよいよイタリア人留学生アンドレアの担当する、「南アフリカシリーズ(全4回)」が始まった。アンドレアは、そんなにフランス語がうまくなかったはずなのに、大変流暢に話しており、南野、またしても自分の担当する「日本シリーズ」のことを思い、気が重くなる。今回はまず、南アフリカの憲法史。1990年のアパルトヘイト廃止以降の動きは、なんとなく新聞報道などで知っていたこともあり、アンドレアのわかりやすい整理を興味深く聞けた。まず暫定憲法を作り、その暫定憲法に従って憲法裁判所、制憲議会を作り、その憲法裁判所が新憲法制定の手続をコントロールする、という90年代の南アの制憲過程は、伝統的な憲法学のシェーマにはうまくおさまらない、そういうことを後3回のセミナーで考えていきたい、ということらしい。面白そうだ。それに引き替え、来月には始まるはずの、南野の「日本シリーズ」、まだいいアイデアがうかばない。やばい。

 ゼミのあと、一年ぶりくらいに大中さんと再会し、モンパルナスで焼き肉。大中さんは現在政治哲学の博士論文をナンテールで準備中。昨年初めて会ったときには、遊んでばかりいるなどと言っておられたが、今日会ってみると、目が腐るほど本を読みふけっていると言っておられた。南野も見習わなければ。彼は南野よりも一年ほどフランス滞在歴が長いだけなのに、フランス人のようにフランス語を話す。しかもそれで哲学の議論をフランス人とやり合うのだから、すごい人だ。いろいろとためになる話を聞かせて貰ったあと、歩いて帰宅。

 ところで、いまひとたび、「緑の桜」の話である(ようやく写真をアップしました)。この木の存在を南野に教えてくださった村田先生よりメールをいただいた。村田先生は、この木のことを散髪屋のマダムに教えて貰われたそうだ。そのとき、そのマダムは、何かの木に桜を接ぎ木したものだ、という風に言っていたらしい。そこでまたしても腑に落ちることしかり。というのは、このノートルダムの木の幹、ちょっと異様な形をしており、南野の背丈くらいのところで急に細くなっているのである。そしてなんとなく木の種類がそこで変わっているようにも見えるのである。このマダムの説が正しいとすると、そして大嶽先生の奥様の、幹は桜じゃない気がするというご意見をあわせて考えてみると、ようするに、ニレの木に桜を接ぎ木したもの、ということではないだろうか。とすると、花はやはり桜か。「帯紫淡緑色」ではない、というのもうなずける気がする。Cayla 教授のゼミの準備で忙しい南野は、てっとり早く、NHKのパリ支局にでも調査をしてもらおうか、という気になってきた。「春のパリからちょっと珍しい木の映像がとどきました」という風に、植物学者のコメントつきで、6時のニュースに流して貰えないかな。

 

2000.4.22.(土)

 明日は復活祭(Paques)である。これでようやく四旬節が終わり、敬虔なカトリック教徒の食卓には再び肉がふんだんにもどってくる(はずである)。冷凍食品中心の南野の食卓はさほど変化するまいが。さて、昔は、復活祭を夜通し祝っていたのだろうか、その名残で、現在でも、「復活徹夜祭」と呼ばれる儀式が各地の教会で夜半に行われている。昔のように徹夜に行なったのでは誰も来ないから、かといって電車もバスもない中途半端な時間に終わるのであっても不便だから、ということなのかどうかは知らないが、日本でもパリでも、今ではこの復活徹夜祭の儀式は12時前には終わるようになっているようである。パリの中心部、レ・アールに、聖ウスタッシュ教会(Eglise St. Eustache)という巨大な聖堂がある。ノートルダム寺院はきっとすごい人で席をとるのも大変だろうから、と思い、南野は、この聖ウスタッシュ教会で午後10時から始まったミサに参列してきた。意外に参列者が少ないのに驚く。復活徹夜祭のミサは、聖書朗読がたくさんあって、もともとかなり長いのだけれど、聖ウスタッシュでは、朗読と朗読の間に、奇妙な現代舞踊が奉納(?)されたり、合唱団の歌があったりと、なかなか先へすすまず、終わったのはちょうど12時。ふう、疲れた。

 

2000.4.24.(月)

 復活祭の月曜日(Lundi de Paques)」という名前の休日。今日で決定的に復活祭休暇が終わる。すばらしい天気に恵まれ、パリは観光客のみならず、散歩にでかけたパリ人であふれかえっていた。シテ島方面へ行くバス38番線に乗ったら、Port-Royal についたところで終点ですと降ろされてしまう。その少し前で乗ったばかりなのに。「アルメニア大虐殺」をジェノサイドとして認めようとしない上院に抗議するアルメニア人およびその支援団体のデモが、上院のあるリュクサンブール公園付近で行われていたためだった。仕方なく、大規模なデモ隊の横を通り過ぎながら、シテ島まで歩いて行く。天気が良いから、気分爽快。夜8時のテレビニュースを見ていたら、このデモの様子が紹介されており、なんとそこで、以前このページでも紹介したことのある、南野のアルメニア人のクラスメート、セヴァンヌがインタビューされていた。彼女、結構怒っていたようだ。

 夕食後、エティエンヌの甥で、もうすぐ7歳になるというアントニーAnthony写真はここをクリック)がお父さん、つまりエティエンヌのお兄さんに連れられてやってきた。パリの小学生は、大人が学校まで毎朝毎夕送り迎えをしなければならないらしいが、明日に限って運悪く、看護婦をしているお母さんは夜勤、お父さんの方は仕事で早朝パリを離れるとかで、アントニーを学校まで送って行く人がいない。それでエティエンヌが仕事前にアントニーを学校へ連れて行くことになったのである。というわけで、パジャマや歯ブラシ、ランドセル(のようなもの)持参でアントニーが泊まりに来たというわけ。南野は、小学生のフランス人なんて、このアントニーしか知り合いがいないから、彼と会うたびに、どのように振る舞っていいのか、いつもとまどう。最初は人見知りして全然喋ってくれなかったアントニーも、最近では南野の名前も覚えたらしく、いろいろとちょっかいを出してくるようになった。実に可愛らしい。そういえば、フランス人に限らず、ヨーロッパの子供はえてして実に可愛いと思う。なぜ大人になるとみんなああなってしまうのだろうかと、親と一緒に歩いている子供を見るたびに思わされる。

 10時前にアントニーが寝てくれるまでは、実に大変だった。基本的にはエティエンヌが相手をしていたのだけれど、しょっちゅう南野の部屋にも入ってきて、ちょっかいをかけてくる。しかし南野、6歳くらいのフランス人だと、フランス語でいい勝負、という妙な自信を得た。やや満足。

 

2000.4.27.(木)

 Cayla 教授ゼミ、「南アフリカシリーズ」第二回目。どうも教授が不機嫌な顔をして聞いているなと思っていたのだが、1時間半ほどのアンドレアによる報告が終わったあと、教授はいきなり、さきほどから眠気と戦っているのだが、決して報告がつまらなかったからという訳ではなくて、実は昨夜一睡もしていないから、と言った。たんに、眠かったのだ。しかし眠いと不機嫌になる人は世の中に多いから、実際不機嫌だったのかも知れない。南野は、アンドレアの報告、面白いと思っていたのだが、教授の今回のコメントは少々シビアなものだった。南野、自分の報告の前夜には教授がぐっすり寝てきてくれることを願わずにはいられなかった。

 授業のあと、やはり眠そうな教授に今後の日程を聞いてみた。なんと、5月には補講が二回も予定されており、しかもそれが見事、南野の「日本シリーズ」に重なるという。一週間一回のはずだったのに、一週間二回という猛スピードで進んで行くことになる。ああ、もう絶望的だ。しかし教授は、研究の成果を報告するというのではなく、研究途上の考えをみんなに話してみんなで議論する、ということだから、そんなに目標を高く設定しないように、と言ってくれる。あまり実質的にはかわらないような気もするが、なんとなくほっとする。

 4回も連続で日本の憲法制定行為について報告するというのは、正直いってきつい。しかも一回につき二時間近く話すというのだから、相当苦しい。一回目は明治憲法と現行憲法の制定過程を淡々と話そうと思っている。問題は二回目以降。それをどう料理するかだ。困った。南アフリカシリーズがあと二回で終了したあと、いよいよ日本シリーズを始めなければならないというのに、南野の準備の方はまだ、ようやく一回目の、歴史を説明する部分の原稿がなんとなく形になってきた、という段階。うーん、困った。

 そういう状況だから、「緑の桜」について「研究」している場合ではないのだけれど、その後の経過を少しご報告。「日本さくらの会」(HPはここをクリック)の樹木医の浅田先生、および、「森林総合研究所多摩森林科学園」の勝木先生(のHP「桜入門」は「新・桜入門」に変更になったようです)から丁寧なご教示をいただいた。桜には、花弁の色が黄色および緑色の栽培品種が存在し、それぞれ「鬱金(うこん)」、「御衣黄(ぎょいこう)」という和名がついているそうだ。少なくとも、英国には日本から伝えられたものがあるということが文献に残っているそうで、だからフランスにあってもおかしくはない、とのご意見だった。ところがその後、HPに掲載した写真(ここをクリック)を見ていただいたところ、お二人とも首をひねっておられる。枝振り、樹皮、木の大きさ、花が枝に着生している様子、葉が見られないことなどから、どうも桜には見えないとおっしゃるのだ。ただ、南野の写真の技術が悪いこともあり、もう少し花の部分を拡大した写真でないとはっきりとしたことは言えないとのこと。浅田先生は桃の一種のようにも見えるとおっしゃっている。・・・・いったいなんなのだろう、この木? 勝木先生は、この写真をみてから逆に興味がわいてきたので、ぜひ同定したいとおっしゃって下さっている。こんどノートルダムへ行って、まだ花が咲いていたら、ちょいと失敬して勝木先生に送らせて貰おうと思っている。もう散っているかな。今日は一日中、パリは雨が降っていたし・・・。

 

2000.4.29.(土)

 夜、ハネムーン旅行中の花沢夫妻来訪。花沢君は、エティエンヌのNTT武蔵野研究所時代の同僚だった人で、南野も日本で会ったことがある。5年来の交際を実らせて、このたび裕美子さんとめでたく結婚、ロンドン・パリ一週間余のハネムーンにやって来たというわけ。エティエンヌと玲子のお手製になる、サーモン・ほうれん草入りクリームソースのパスタとサラダ、ワインとシャンペンのディナー。我が家の「芳名録」にも記帳してもらう。

 

 

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日 付
主な内容
旧・個人的ニュース

学士院研究会報告顛末記、ブルターニュ週末旅行、オリヴィエ誕生日パーティーなど)

(ステファン誕生日パーティー、ストラスブール日仏公法セミナー、ブルジュ・ヌヴェール週末旅行、大晦日仮装パーティーなど)

(元旦、武田・岩月君、EHESSセミナー、大村先生宅、伊藤先生、Cayla 先生宅など)

(スト、岡田先生、ベルギー週末旅行、クリストフ、武田君、瑞香来訪、美帆・由希子帰国など)

(Mel Madsen 氏来訪、辛い研究会、樋口先生、ススム来訪、灰の水曜日、早坂先生、皮膚・性病科、健太郎来訪、ニース珍道中記など)

2000年4月4日〜29日分

(カレーパーティー、大村先生宅大嶽先生宅、復活徹夜祭、アントニー来泊、緑の桜の謎、花沢夫妻来訪など)

アムステルダム週末旅行日本シリーズ参議院調査団通訳、多恵子一行来訪など)

南野邸お茶会、ルカ洗礼式、ローラン・ギャロス、子どもモーツァルト、イタリア旅行、樋口先生、音楽祭り、研究会「違憲審査制の起源」など)

(日本人の集い、フランソワ・フランソワーズ夫妻宅、フレデリック誕生日パーティー、モニックさん・彩子ちゃん来訪、北欧旅行など)

北欧旅行続き、ゲオルギ来訪、玲子兄・藤田君来訪、オリヴィエ4号来訪、色川君来訪、ピアノ片付けなど)

姉・奥様来訪、日本へ帰国、東京でアパート探し、再びパリ行など)

(誕生日パーティ、Troper 教授主催研究会、Cayla 教授と夕食、日本へ帰国など)

(花垣・糸ちゃん邸、スマップコンサート、フランス憲法研究会、憲法理論研究会など)

(洛星東京の集い、東大17組クラス会、パリ、ウィーン、ブラティスラヴァなど。)

(エティエンヌ来日、広島・山口旅行ボー教授来日、法学部学習相談室のセミナーなど)

長野旅行、パリで国際憲法学会など)

新・個人的ニュース

リール大学で集中講義のため渡仏、興津君・西島さん・石上さん・ダヴィッド・リュック・ニコラと再会など)

(リール大学での講義スタート、武田君・タッドと再会、ヒレルと対面、芥川・安倍・荒木・柿原来仏、モンサンミッシェル、トロペール教授と昼食、浜尾君来仏、ヤニック・エティエンヌ・エレーヌと再会、復活祭パーティなど)

パリ行政控訴院で講演コンセイユ・デタ評定官と面談リール大学最終講義、日本へ帰国)

 

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