個人的ニュース 

2000年6月3日〜6月23日分

 

2000.6.3.(土)

 朝9時に起床し、「お茶会」の最後の準備。玲子も応援にかけつけてくれる。エティエンヌと玲子はキッチンでお茶会後に出す食事の準備、南野はサロンをお茶室風に改造するのに忙しくする。多恵子、上野さん、智晴ちゃんは10時頃到着。着々とサロンがお茶室になっていく。三人がモン・サン・ミッシェルでみつけてきてくれた花も一輪、カレンダーをひっくりかえしてエティエンヌが「青山緑水」と書いた即席掛け軸のそばに飾られたりして、なんとなく雰囲気が出てきた。南野は浴衣に、エティエンヌは南野の両親がかつてお土産としてパリに持ってきた、歌舞伎役者の顔がかかれた妙な着物(?)に着替える。定刻の午前11時の少し前に、まずはマダム・シルイが到着。シルイさんは玲子のホームスティ先のおばさんで、高校時代を日本で過ごしたことがあるとかで、大変日本語の上手な人で驚いた。そして定刻きっかりにエティエンヌの両親、フランソワーズおばさん、それにエティエンヌのお兄さんピエールとその息子アントニーがそろって到着。急ににぎやかになってきた。しばらくして現在バルセロナに住んでいるカリーヌが、バルセロナで知り合ったオランダ人の恋人アレックスと登場。そしてフレデリックも。カリーヌとフレデリックは、かつてエティエンヌと一緒に日本にいたことがあり、それぞれ少しだけれど日本語ができる。その後、遅れて申し訳ないと額の汗を拭きながら、フランソワおじさんが登場。彼は今夜の飛行機でいよいよ永平寺へ出発する。座禅に使う丸い座布を三つ、持ってきてくれた。南野のナンテールの同級生だったエレーヌはなかなか現れなかったが、もう準備もできたので、待たずに始めることにした。

 まず、エティエンヌが本日の「亭主」ということで、ちょっとした挨拶。続いて着物に着替えた多恵子たち三人がサロン、ではなくて即席お茶室に「厳かに」入場。多恵子が掛け軸や花一輪の意味などを説明し、それを南野がフランス語に訳す。そしてまずはお手前のデモンストレーション。智晴ちゃんのお手前を上野さんがいただくという設定で、それを多恵子が説明。掛け軸に一礼するところから始まって、お茶を飲み終わるところまで。一同神妙な顔つきでデモンストレーションに見入っていた。多恵子の説明によると、お茶室に飾る掛け軸は、ふつうは禅宗の高僧が書いたものだそうで、その高僧に敬意を表するため、軸に一礼するのだそうな。ところが今日の掛け軸は「慧智圓・望酒(エティエンヌ・ボーシュ)」が書いたものだから、彼に敬意を表しております、と南野が通訳したところ、一同どっと笑ったりして、和やかにデモンストレーションが進んでいった。

 そのあといよいよ菓子が配られる。多恵子たちが京都から持ってきてくれたもの。目の前に置かれたら手をついてお辞儀をして・・・などという作法もそれぞれが前の人を真似して順番に滞りなく進んでいく。この頃、ようやくエレーヌが到着。これで12人の招待客全員が揃った。その後、お茶。初めて飲む人ばかりだったから、反応が面白かった。可哀想な6歳のアントニー君は、さすがに飲めなかったらしく、多恵子たちに残してもいいよと言われ、ほっとしていた。全員がお茶を頂いたあと、希望者が実際にお茶をたてたりする。南野はマダム・シルイのたててくれたお茶を頂く。どうもお茶は苦手だ。アントニーに親近感を覚える。こうして「お茶会」は無事に終了。多くの人はおいしかったと言っていたけれど、本当だろうか。ひょっとすると、数日前に南野が送った招待状に、南野の個人的意見によると、先にいただくお菓子は甘すぎて食べられないほどで、後でいただくお茶は苦すぎて飲めないほどだ、と冗談まじりで書いておいたため、多くの人が相当ひどいものが出るにちがいないと覚悟をしてやって来ていたからかも知れない。

 その後、昼食の準備。前日に予約しておいた、近くの中華料理の総菜屋さんへチャーハン揚げ春巻きなどをエティエンヌと玲子が取りに行ってくれているあいだに、南野はアペリティフの準備。適当にお酒を出しておけば、フランス人は勝手に飲み始めて適当に喋り始めるから、ラクだ。日本のように「乾杯の挨拶」は必要ない。二人が大きな袋いっぱいの中華料理を持って帰ってきてくれたころには、サロンはお酒を片手に立ち話する人ですっかりにぎやかになっている。うむうむ、なかなかいい雰囲気だ。そして春巻きやチャーハン、焼きそば、豚肉炒めやチキン炒めなどの大盛りのお皿がどんどんサロンに運ばれ、みんなもりもり食べていた。玲子とエティエンヌが準備をしてくれた和風サラダなども。

 エティエンヌの両親は、明日、ディジョンで行われるお孫さんの洗礼式の準備のため、すぐにパリを出発しなければならなかったため、午後2時頃帰られる。エティエンヌのお母さんから、多恵子たち3人に小さなプレゼント。多恵子にはブローチ、上野さんと智晴ちゃんには、なんと言ったらいいのだろうか、非常に小さな金属製の箱のようなものがあたる。博物館で売っている骨董品のレプリカだとか。お香をいれるのにちょうど良い、などといってそれぞれ思わぬプレゼントに大喜びをしていた。多恵子たちが日本から持ってきてくれたお茶碗は、彼女たちによると、割れてもいいくらいのものだそうで、お茶会に参加したフランス人に一つずつプレゼントすることになっていた。エティエンヌの両親にも一つ選んで帰ってもらう。

 その後も食事というか、酒飲みというか、ようするにサロンでの小パーティーは続く。京都に住む南野のもう一人の叔母から託されていた、京都の民芸品である、般若心経の屏風は、曹洞宗の出家をしているフランソワおじさんにあげることにした。その叔母の手作りであったこともあり、フランソワは実に感激してくれた。周囲にけしかけられ、フランソワ、座布の上に座り直し、般若心経をあげてくれた。全部暗記しており、一同、驚嘆。その後も南野の膨大な数のアルバムを見たりしながら、ぺちゃくちゃとお喋りが延々続く。最後のパリ観光のために多恵子たち三人が、行く方角が同じだった玲子とシルイさんと一緒に出ていったあと、一番最後まで残っていたカリーヌとアレックスが帰ったのが夕方の5時頃。エティエンヌも南野もふうっと大きな溜息をつき、地べたに倒れるように座り込む。終わったあ。南野はそのまま昼寝をしてしまう。エティエンヌは買い物にでかけたようだ。

 夜、多恵子たち三人がスーツケースの荷造りに戻ってくる。上野さんのトランクはまるまる空っぽなので、南野のもう使わないであろう冬物衣類や書籍などを25キロくらい詰める。大助かり。その後エティエンヌも一緒にレ・アールととやで最後の夕食。なんでも好きなものを、と言ってくれるので、とんかつにぎり寿司盛り合わせなどを遠慮なく頂く。その後エティエンヌは夜の街に消えて行ったので、南野が、多恵子たち三人を車にのせ、パリの「夜景ツアー」。零時半頃南野のアパートに戻り、荷造りの続き。そして3人を近くのホテルまで送ったあと、南野、ばたんきゅう。午前1時半くらいだったろうか。とにかく、くたくただった。しかし明朝、南野は4時に起きねばならなかった。多恵子たちの飛行機がシャルル・ド・ゴール空港を午前7時発、というとんでもないものだったため。

 

2000.6.4.(日)

 朝4時に起床。4時半に多恵子たちをホテル前に迎え、シャルル・ド・ゴール空港へ送っていく。3人のスーツケースは南野の荷物のせいで、だいぶん重たくなっていたから、チェックインで重量オーバーとされないかやや心配していたが、問題なく通過。カフェでちょっとした朝ご飯のあと、三人と別れ、南野、アパートに大急ぎで帰る。エティエンヌのお姉さん夫婦の赤ん坊、ルカの洗礼式が今日、パリから300キロほど南東へ行ったところにあるディジョンという街の教会で行われる予定だったのだけれど、赤ちゃんの洗礼式を見てみたいという南野の希望がかない、エティエンヌの家族やごく親しい友人だけの集まりに南野も参加させて貰うことになっており、パリのリヨン駅を7時半に出発するTGVに乗らなければならなかったため。大急ぎでスーツに着替え、エティエンヌとタクシーでリヨン駅へ。日曜の朝なので、道はがらすき、あっという間に駅に到着。パリからディジョンまではTGVのノンストップ便だと、一時間半もかからない。あっという間だった。上野さんがパリに来る飛行機で貰ってきてくれた週刊文春を読んだ後はぐっすり寝て行く。

 ディジョン駅には、エティエンヌのお姉さんマリーの旦那さんジョエルの弟さんパスカルが迎えに来てくれていた。彼の車で洗礼式の行われる教会へ行く。ディジョンに来るのは、南野、初めて。可愛らしい街だ。教会では昨日会ったばかりのエティエンヌの両親や、ピエールとアントニー、フランソワーズなどや、久しぶりのマリー、ジョエル夫妻に再会。そして洗礼式が始まる。日本の洗礼式とほぼ同じようなものだった。違いといえば、日本の洗礼式のように、洗礼名を授けないことくらいだろうか。

 洗礼式の後は、ディジョンの郊外にあるジョエルの両親の別荘で昼食会。家もさることながら、庭が巨大なのに驚く。いろいろな木が植えてあり、庭の奥には、竹まであった。南仏に竹を売っているお店があるそうで、そこから買ってきたとか。ジョエルの両親はもうとっくに仕事を引退しており、ときどきこの別荘にやってきては、庭の手入れをしているそうだ。なんともいい老後ではないか。すごいお金持ちなのかと思ったら、こういう田舎だと土地が安いから、平均的フランス人でもこれほどの庭付きの別荘が買えるのだと言っていた。うらやましい。南野、老後はフランスで過ごそうかと思う。さて、昼食会は、総勢30名くらいが集まり、当然のことながら、ジョエル側の親族や友人は初対面の人ばかりで、南野、いまだにあの人はいったい誰だったのだろうか、と血縁・友情関係が分からないままの人がいる。まあ、向こうもこっちのことは同じように思っているだろうが。午後5時半発のTGVに、エティエンヌ、フランソワーズ、ピエール、アントニーと同乗し、パリに戻る。昨夜から充分に寝ていないので、もうくたくた。ディジョン観光ができなかったのは少し残念。

 

2000.6.6.(火)

 携帯電話会社ブイグ・テレコムに勤める友人のイザベルが、ローラン・ギャロスのチケットを会社経由で取ってくれたので、見に行って来た。南野、あまりテニスは詳しくはないのだが、その南野でも知っている、モニカ・セレス(米)、マルティナ・ヒンギス(スイス)、ヴィーナス・ウィリアムズ(米)、マリー・ピエルス(仏)などの有名女性選手のシングルを見ることができ、大満足。テレビで見るのとはまるで違う雰囲気に、約半日、存分に楽しませて貰った。

 

2000.6.7.(水)

 先日のお茶会のお礼というわけでもないだろうが、エレーヌが子ども向けのモーツァルトのコンサートに誘ってくれたので、午後、出かける。エレーヌは現在、パリ近郊のルイユ・マルメゾン市の市役所で働いており、同市が子ども向けのこういったコンサートを市に誘致するにあたっての下見というわけだ。何度かあったことのある、彼女の両親も一緒。パリ市の北部には運河があって、そこに大きな船が接岸しており、その船の中でのコンサートと聞いていたので、船着き場で待ち合わせ。無事に落ち合えたものの、肝心の船がいない。エレーヌが携帯電話で問い合わせたら、急に場所が変更になったとかで、バスティーユ近くの小劇場へ行かねばならないことになった。もうコンサートは始まっていたので、タクシーで移動することにする。パリのタクシーは滅多なことがないと4人は乗せてくれない。助手席にお客さんを乗せるのをいやがるのだ。我々が拾ったタクシーは、助手席に大きなシェパード犬が乗っていた。女の運転手さんのペットなのかガードマン(?)なのかは知らないが。それで、エレーヌのお父さんだけメトロで遅れてやってくることになった。

 コンサートの方は、小さな舞台にピアニストと歌手だけで、この歌手がモーツァルトの生涯を影絵を使って、ときおりモーツァルトのアリアなどを歌いながら説明するというもの。エレーヌはあまり気に入らなかったようで、市との誘致契約は結ばない、と言っていたが、南野はなかなか気に入った。「アマデウス」という言葉は、モーツァルトがイタリアに演奏旅行へ行ったさいに、「神に愛されたもの」という意味で名付けられたあだ名だということも初めて知ったし。ちなみに、「影絵芝居」は、フランス語では ombres chinoises、つまり、「中国の影」というそうだ。これもエレーヌのお母さんに教えて貰って、今日初めて知った。

 その後エレーヌたちの車がおいてあるもともとの運河の近くまで、運河沿いをのんびり散歩しながら戻る。この地区は、南野あまり来たことがなかったので、新鮮だった。古いフランス映画「北ホテル」に出てきた運河沿いのホテルの前で記念撮影もした。エレーヌのお父さんの運転する車で15区のイタリアレストランまで行き、夕食のお誘いを丁重に断って帰宅。良い天気の一日だった。

 

2000.6.10.(土)

 エティエンヌとイタリア旅行へ出発。フランス人のくせに、イタリアへ行ったことが一度もないというので、イタリア好きを自認する南野が、なら案内して進ぜよう、というわけで今回の旅行とあいなった。午前8時過ぎ発のアリタリア航空機でローマに到着したのが午前10時ごろ。昨年の4月に南野の両親と来て以来のローマ、南野にとっては今回が5度目となる。今年はカトリック教会が「2000年の大聖年」を宣言しており、世界中からローマに巡礼客が集まることになっているので、いちおう安全を期して、ローマの初日のホテルだけはインターネットで調べて予約しておいた。空港からの列車が到着するテルミニ駅のすぐ近く。

 久しぶりのローマ、いやそれにしても暑い。かんかん照りだ。そういえば、これまでローマに来たのはいつも春か秋だった。6月というのはこれが初めて。パリに比べて湿気も多いように感じられ、まるで日本のうっとうしい夏の暑さのよう。いきなりぐったり疲れてしまう。

 日本の知人が送ってくれた、「カトリックカレンダー」なるものによると、本日はヴァチカンサンピエトロ大聖堂広場前で、「聖霊降臨の荘厳な徹夜祭」という儀式が行われることになっている。それが何時から始まるのか、誰でも参加できるのか、など、一切の情報がないから、まずは情報収集を兼ねて、ヴァチカンへ行くことにする。南野はローマ教皇の司式するミサには出たことがないから、一度は出てみたかったのである。テルミニ駅からヴァチカン市国までは、64番の市バスが便利。しかしこのバス、便利なところを通るためいつも満員で、スリやジプシーが多いという悪評も高いもの。毎回このバスに乗るときは注意をしていたのだが、今回、ジプシーが全くいなくなっているのに驚いた。そういえば、テルミニ駅もすっかり様子がかわっていた。大聖年にあわせて改修工事がなされたのだろう。サンピエトロ大聖堂に着いてまたびっくり。昨年は正面がすっぽり布に覆われて工事中だったのが、こちらもすっかりきれいになっていた。

 すごい人である。おそらく今夜の「徹夜祭」のためであろう、広場にはずらっとイスが並べられている。それで広場内には入ることができず、両横から大聖堂にアクセスする仕組みになっている。途中で青いゼッケンをつけた大聖年のボランティアの人たちが誘導している。そこで今晩の儀式について聞いてみると、席の整理券はもうとっくになくなっているとのこと。いきなり計画は挫折した。しかも、その後大聖堂に入ろうと思っていたのだが、そろそろ式の準備を始めるために観光・巡礼客を追い出しにかかったようで、結局この日は入れずじまい。ヴァチカンは後日にすることにし、その後も炎天下のなか、観光を続ける。これまで南野も入ったことのないサンタンジェロ城、昨年両親と来たときに始めて行ったナヴォーナ広場、そしてトレビの泉など。どこもかしこも人だらけ。くたくたになって帰る。

 

2000.6.11.(日)

 ローマ二日目。サンタ・マリア・マジョーレ教会も修復が完了し、ぴかぴか。ミケランジェロモーゼ像がある、サン・ピエトロ・イン・ヴェンコーリ教会は、人も少なく静かでよかった。教会の前で休憩していて、パリからやってきた中学生の修学旅行軍団と仲良くなる。その後コロッセオまで歩く。なんど来ても、その巨大さには驚かされる。コースを上手に選ぶと、遠くから少しずつコロッセオが見えてくる、というのではなく、ある瞬間ふと街角を曲がると突然目前に巨大なコロッセオが立ち現れる、という感動を味わうことができる。両親と行ったときも、また今回もそういうコースをとった。エティエンヌ、大感激してくれる。ところが残念なことに、今回は異常に長い行列ができていたため、中へ入るのはあきらめる。ローマに来てコロッセオに入らず帰るというのも情けない話だが、南野は常々、観光旅行ではなにか悔いを残しておいた方が、また行こうという気になれると思っている。エティエンヌにもまた来ればいい、と言っておく。そして古代ローマの遺跡群である、フォロ・ロマーノ。こちらはなぜかチケット売り場が閉まっており、無料で入場できた。オーストラリアからやってきて、キャンプカーで世界一周をしているという若者二人組と仲良くなる。もう4年も旅を続けているとか。このあとアフリカ大陸を縦断し、二年後母国へ帰る予定という。ちょっと信じがたい。この二人と一緒に昼食もとり、ヴェネツィア広場トレビの泉まで一緒に行動する。そしてスペイン階段で、明日の朝、ヴァチカンで待ち合わせる約束をして別れる。我々二人はその後ポポロ広場まで足をのばす。近くにある高台に上ると、ローマ市内が見渡せるところ。夕焼けとあいまって、実にきれいだ。その後メトロに乗り、テルミニ駅近くのホテルまで戻る。

 

2000.6.12.(月)

 ローマ最終日。ヴァチカンでのオーストラリア人との待ち合わせに40分ほど遅刻してしまう。どうせサンピエトロ大聖堂の中でまた会えるだろうと軽く考えていたのが間違いだった。一昨日同様、すごい人なのだ。入場も自由ではなく、行列を作って、少しずつ時間差を設けてのものになっている。しかも・・・。サンピエトロ大聖堂は、写真撮影などは自由なものの、服装に制限があって、たとえばノースリーブのシャツ短パン姿では入れてもらえない。一昨日、ヴァチカンへ行こうとして出かけるときには、短パンに履き替えようとしたエティエンヌにそのことを注意して長ズボンで行ったのだが、今日はすっかり二人ともそのことを忘れていた。南野はジーンズだったが、エティエンヌは短パン。案の定、入り口でエティエンヌがひっかかってしまった。今日、午後の列車でローマを離れる予定なので、ホテルまで戻る時間もない。どうしようかと思ってボランティアの人に聞いてみると、近くの土産物屋で長ズボンを売っているかもしれない、とのこと。それで土産物屋へ行ってみる。ちゃんとあった。ノースリーブの人のためのカーディガンのようなものと、短パンの人のための長ズボンが売られている。エティエンヌは長ズボンを1万リラ(約600円)で購入し、サンピエトロ広場でそれを履き、ようやくのことで大聖堂に入場する。オーストラリア人もきっと入れなかったに違いない。二人とも昨日は短パン姿だった。それに4年も続けている長旅だから、お金を節約しているようで、昨日は昼食の際にビールも飲まなかったくらいだ。そういう彼らだから、きっと大聖堂への入場は諦めたに違いない。そういうわけで、彼らと再会することはついにできずじまい。南野、つくづく後悔する。お互いのファーストネームしか知らないままに別れたから。おそらく彼らに待ち合わせの約束を守らなかったことを謝る機会は一生ないかもしれない。

 サンピエトロ大聖堂をゆっくり見学したあと、あいかわらずの炎天下をだらだら歩き、適当なレストランに入って昼食をとったあと、時間も迫っていたので、タクシーにのりテルミニ駅へ。フィレンツェ行きの切符を購入。二等車二人分で約5000円ほど。途中、以前からいろいろな人に推薦されながら、ついにまだ行ったことのないままだった、オルヴィエートという小さな街で下車。駅に荷物を預け、バスに乗って小山の上にある古い街へと向かう。天気が崩れ、雨に降られたこともあって(まるで日本の夕立のようだった)、それほど気には入らなかった。ただ、街の大聖堂は、なんとも言えない不思議なもので、気を惹かれた。外壁正面は大変な装飾が施されたきわめて派手な美しいものなのだが、側面は、なんとなく囚人服を思わせる、黒と灰色の縞模様だけ。まず正面から装飾を始めたのち、側面を装飾する余裕がなくなったまま放置されているかのようだ。オルヴィエートから再び列車に乗り、フィレンツェについたのは午後9時半頃。遅くなってからホテルを探すのは大変だからということで、先に予約しておいた花のドゥオモ近くのホテルに投宿。ホテル近くにあった食堂で夕食。大変感じの良い、メキシコ人というウェイトレスに、エティエンヌ、恋をしたようだ。

 

2000.6.13.(火)

 ホテルで朝食(といっても水で薄めたようなオレンジジュースと、これはまあまあのカプチーノ、それと砂糖ののった気持ちの悪いクロワッサンだけというものだったけれど)をとったのち、まずは今夜のホテル探し。我々の予約したホテルは本日満員のため、延泊を断られてしまったのだ。この時期のイタリアは初めてだし、大聖年も重なって、どうも今までと勝手が違い、うまくいかない。結局近くにもう少し安めのホテルを見つけることができ、ほっとして観光をスタート。まずは、フィレンツェの大聖堂、花のドゥオモへ。長蛇の列のため、後回しにすることに。昨年両親と来たときには時間がなくて行けなかった、サンマルコ美術館へ。ここはもともとドミニコ会の修道院だったところで、その修道士でもあったフラ・アンジェリコの壁画がたくさん保存されている。なかでも修道院二階、階段を上りきったところにある「受胎告知」は、南野が中学時代から縁あって見たい見たいと思っていたものの一つ。何年か前にフィレンツェに来たときにも見たが、今回もまた見に行くことにした。きざな言い方になるかもしれないが、またこの絵に再会できた、という気がして嬉しかった。

 その後、これまた南野のお気に入りであるサンタ・クローチェ教会へ。ここはフラスコ画が秀逸。ほんとうに圧倒される。マキャベリやダンテ、ガリレオ・ガリレイ、ロッシーニなどの「有名人」のお墓などがあるのも興味深い。その後花のドゥオモに戻ると列はほとんどなくなっており、簡単に入場できた。そしていよいよウフィツィ美術館ボッティチェリの「ビーナスの誕生」などが有名なところ。ここも入るのには長蛇の列を覚悟しなければならない。前回両親と忍耐強く並んで入った南野は、今回はパスすることに。エティエンヌと別れ、一人ぶらぶらする。時間があったので、明日借りる予約をしているレンタカーのオフィスに予約の確認に行ったりする。ナンテールのDEA時代の大恩人、コスタンツァが現在フィレンツェで勉強を続けているため、彼女に電話をして会えないかどうか聞いてもみた。昨年両親と来たときにも電話したが、留守電だった。今回も留守電。それで彼女の両親宅に電話をする。両親は二人とも法律学者で、南野はお母さんしか知らないが、南野より何倍もフランス語の上手い人である。それで彼女の居場所を聞き出し、無事彼女に連絡をとることができた。ボローニャ近郊の別荘にいるとか。我々の予定では明後日ボローニャ近くを通るので、ボローニャで会う約束をする。

 フィレンツェには、ミケランジェロダビデ像もあるが、こちらは始終すごい行列で、南野もこれまで本物は見たことがない。ただ、本物と同寸のコピーがウフィツィ美術館近くの広場に置いてあるので、まあ、それで充分。エティエンヌとはこのコピー像の前で待ち合わせ。いったん新しいホテルに戻ったあと、レストランを探し夕食、街を少し散歩して帰る。

 

2000.6.14.(水)

 ホテルをチェックアウトしたあと、バスに乗り、レンタカー会社のオフィスへ。有名どころのホームページで調べた結果、一番安かった Sixt というドイツ系の会社に予約していた。二日間で、ヴェネツィアで乗り捨ての予定、これで218、000リラ(約13000円)だから、決して高くはない。まずは南野が運転し、フィレンツェから約一時間ほど走ってピザへ。南野は去年両親と一緒に斜塔の周囲にあるカテドラルや洗礼堂に入っているから、今回はカフェで絵はがきを書いたりしてエティエンヌを待つことに。

 ピザはフィレンツェを流れるアルノ川が地中海(リグリア海)に注ぐ途中にある。海まではほんの少しの距離だ。ついでなので海岸までドライブをしてみた。太ったおばちゃん数人が孫をつれてどてっと寝ているだけの静かな砂浜に出た。泳ぐと後が大変だから、ほんの少し海を眺めただけで車に戻る。そしてフィレンツェを素通りして、東へ東へ、目指すはサン・マリノ共和国

 高速道路はよく整備されている。フランスに比べると車幅が狭く、またトラックが多いところは、さながら東京の首都高のようでもあるけれど、運転マナーは、意外なことに、かなり良い。全ての車が走行車線を走り、追い越しが終わればすぐにまた走行車線に戻る。フランスのように、延々と追い越し車線を走り続ける車にはお目にかからなかった。車線変更で方向指示器を出さないのはイタリアでも同じだったけれど。

 フィレンツェからサン・マリノの間は、「地球の歩き方」にもエティエンヌの持参したガイドブックにも載っていない町ばかり。ローマで買った道路地図だけが頼りだ。これには、景色のよい路線とか、観光ポイントなどが細かく記載されていて(ミシュランの道路地図のようなもの)、それを頼りにコースを選ぶ。フィレンツェの東側は山が連なり、高速を降りるといわゆる山道だ。天気もよく、空気も景色も最高に美しい快適なドライブが続く。山を越えたところに、ポッピビビエーナという町があった。ポッピには古いお城が残っており、しばし見学する。さらに東へ行ったところに、我々の地図によれば「特別に興味深い建物」という説明になっている修道院があったので、それを目指してドライブを続けると、遠くの断崖絶壁の上にそれらしい建物が見えてきた。まっすぐにそびえ立った断崖の上に、である。これはすごい光景だった。この修道院は、現在でもフランシスコ会の修道士が生活しており、見学は自由だけれどもやはり短パン、タンクトップはお断り。我々は二人とも短パンだったけれど、少しずらして膝までかくれるようにしたら入ることができた。

 イタリア語の説明しかない場所だったので、なんともはっきりとしたことはわからないが、どうも、アシジの聖フランシスコ(1182?-1226)が創設した修道院で、ここで彼は最後の聖痕(せいこん:キリストが受けた傷ーーつまり両手・両足の釘による傷などーーと同じ箇所に同じような傷が突然できるもので、教会による調査ののち奇跡と認定されたものがそう呼ばれる)を受けたらしい。フランシスコの遺物もたくさん残っており、また彼が籠もった洞窟などもあった。1000メートルを越す山の頂にある古い修道院、実に印象に残っている。イタリアでは割合知られているようで、現在のローマ法王も1993年に訪問したらしい。

 修道院をゆっくり見学していたらもう夕方になった。幸い日はまだ高いが、サン・マリノへ行ってそれからホテルを探して、というのはやや不安な頃合いだ。それで行けるところまで行き、適当にホテルがあればそこに投宿することに決める。道路地図によると、サン・マリノの手前にサン・レオという場所があり、ここにも古い城や教会があると記載されている。修道院をでて1時間ほど走っていると、遠くに、これまた断崖絶壁の上にそれらしい建物が見えてきた。実に不思議な形をしている。あれだあれだと興奮しながら目指す。町の中はひっそりとしており、一軒のホテルを見つける。幸い空室があったので、そこに泊まることにした。午後8時くらいだっただろうか。近くのレストランでピザを食べ、城の周囲などを散歩する。ここで南野、生まれて初めてを見る。実際には蛍よりもやや小さいような気がしたが、飛びながら光を点滅させる虫だ。これが何匹も群れて畑を飛んでいる光景は、実に印象的なものだった。さていよいよ明日はサン・マリノ。

 

2000.6.15.(木)

 サン・レオのホテルは、やや不思議だった。昨夜チェックインしたとき、全く英語もフランス語もできないお姉さんが応対してくれ、なんだかわかったようなわからないような説明を受けていたのだが、今朝になってよくわかった(気がする)。ようするに、今日、ホテルはお休みなのだ。客が泊まっているのにホテルが休むなんてことがあるのだろうか。朝9時前にロビーへ降りると、誰もいない。バーもレストランも受付も。表玄関のドアは中からも外からも鍵がかかっている。それで、昨夜言われた通り(というか、我々が彼女のイタリア語を理解したと信じている内容通り)、鍵を開け、またドアを締めてその鍵を表玄関外の花壇の下に隠して出発。これでよかったのだろうか? 

 サン・レオから少し走るとすでに遠くに小高い山が見え、頂上付近に城や住居が密集して建っているのが見える。あれがサン・マリノ市だ。国境はよくわからず、いつサン・マリノ共和国に入ったのかは、なんとなく、路上に駐車してある車のナンバーがいっせいにサン・マリノのそれに変わった頃から、としか言いようがない。サン・マリノはもちろん、南野も初めてだ。よくこんな山の上に建てたものだと関心させられるような堅牢な城があった。町は、まったくの小ぎれいな観光地。狭い坂道の両側にはずらっと土産物屋やレストラン。まあ、そんなものだろうとは想像していたが。ただ、城からの眺めは最高で、四方に広がる丘陵、田園、そして勇壮な山々。はるか彼方に小さく、昨夜泊まったサン・レオの城も見える。天気も良く、実に気持ちのよい午前中だった。

 サン・マリノを離れ、再びイタリアに入る。列車でサン・マリノを目指す場合の終点地となるリミニという町は、アドリア海に面したリゾートビーチ。延々と続くきれいな砂浜に、所狭しとパラソルが並んでいる。エティエンヌは海水浴。南野は日光浴。そしてコスタンツァに電話(携帯電話は本当に便利。サン・レオやフランシスコ会の修道院では電波が届かなかったものの、その他の場所ではちゃんと通じる)。午後2時半に、ボローニャの中心街にあるマジョーレ広場で待ち合わせることに。

 リミニから高速にのり、二時間ほどでボローニャ到着。耐え難いほどの蒸し暑さ。町中には武装した憲兵が大量に出ている。何かあったのだろうか。待ち合わせ場所のマジョーレ広場の噴水は、憲兵が封鎖しており近づけない。仕方なく噴水が見えるカフェに席をとり、彼女の到着を待つことに。15分ほど遅れて、ついにコスタンツァ登場。一年以上は会っていない気がする。感動の再会だ。お互いに日焼けしているのに驚く。我々二人はまだ昼食をとっていなかったので、近くのピザ屋へ入る。ボローニャは木曜日と日曜日が休業日だそうで、多くの店が閉まっている。憲兵が出動しているのは、現在ボローニャでOECD(だったかどうかは忘れたが、とにかくなにかの国際機関)が会合を開いているそうで、昨夜市民団体のデモがあり、一部が暴動に発展したためらしい。昨夜コスタンツァは普通に歩いていて、憲兵に偉そうに呼び止められたので、偉そうに応答したら、偉そうに腕を掴まれたと憤慨していた。また、Cayla 教授セミナーで「南アフリカシリーズ」を担当したアンドレアが、このデモに参加するためわざわざボローニャに来ていたらしく、コスタンツァは偶然ばったりと彼に会ったとか。コスタンツァは Cayla 教授のゼミにも参加していたから、南野の「日本シリーズ」の話などをしていたところ、南野の携帯電話が鳴った。なんと、Cayla セミナーで「イスラエルシリーズ」を担当したロイから。もちろん彼はパリから、南野がパリにいるものと思って電話していた。しかしこんな偶然ってあるだろうか。大笑いする。

 あまり時間のない我々に、これだけは、ということでコスタンツァがサント・ステファーノ教会群へ連れて行ってくれる。非常に古いもので、紀元1世紀頃から建設が始まったらしい。時代に応じて教会をどんどん付け足したため、現在では7つの教会がくっついている。それで「地球の歩き方」の地図には教会群と表記されている。しかし「地球の歩き方」にはそれ以外なんの説明も載っていない。建築の構造もかなりユニークな教会で、おまけに観光客も少なく、非常に気に入った。

 5時頃、コスタンツァと別れ、パドヴァへ向かう。明日の午前10時には、ヴェネツィアで車を返さなければならない。それでヴェネツィアへ小一時間の距離にあるパドヴァに宿泊することにした。道に迷ったりしたこともあり、パドヴァの中心部に入ったのは午後8時過ぎ。ホテルがない! 見つけるたびに聞いてみたのだが、いずれも満室ばかり。ようやく、サン・アントニオ大聖堂近くに部屋をみつけることができた頃には、すでに10時を過ぎていた。かなりくたびれた。ホテルで教えて貰った近くのピザ屋は、実においしかった。ビザンチン式の少し風変わりなドームを持つ、巨大なサン・アントニオ大聖堂がライトアップされているのを見ながらの夕食は、なかなかのものだった。

 

2000.6.16.(金)

 パドヴァからヴェネツィアまでは小一時間。あっという間だ。10時過ぎ、ローマ広場にある Sixt のヴェネツィア支店に到着。このローマ広場というのは、ヴェネツィア本島で車の入れる唯一の場所で、イタリア半島からまっすぐに伸びる5キロほどの道路の終点にもなっている。大きな広場でバスターミナルやレンタカー会社のオフィス、駐車場などが集まっている。これ以降は一切車は入ることができない。移動は全て、大小の船だ。水の都。さて、レンタカー会社での車の返却は驚くほどいい加減。日本だと、車に傷を付けなかったかどうかなど、綿密にチェックをされるところだが、ここではまったく、オフィスの前に停めた車を見に行くことさえしなかった。全部で何キロ走りましたか、950キロです、問題なかったですか、なかったです、じゃ、ここにサインして下さい、とそれだけ。イタリア式なのだろうか。

 さて、車を返したあと、まずはホテルを探さなければならない。ローマ広場から運河を走るヴァポレットと呼ばれる船(いわばヴェネツィアの市バス)に乗り、いつも南野が投宿しているサン・マルコ寺院の裏あたりの地区まで行く。片っ端から聞いてみるが、どこも満室。重い荷物を持って炎天下、だから、だんだん気が滅入ってくる。週末に重なったということもあるのかもしれない。ようやくやや高めだけれども空室のあるホテルをみつけ、もう仕方がないだろうとチェックイン。どっと疲れる。

 ヴェネツィアは、目的もなくただ歩いているだけでも雰囲気を楽しめる町だ。まずはサン・マルコ寺院を見学することにし、その後は適当にぶらぶらする。金のモザイクをふんだんに施された、エキゾチックな形をしたこの寺院を見ると、いつもヴェネツィア共和国がいかに裕福であったかを思い知らされる気がする。中央の祭壇には、聖マルコの棺桶がおいてある。しかしマルコといえば、福音書を書いたとされている人だ。そんな人の棺桶が残っているものだろうか。にわかには信じがたい。サン・マルコ寺院の正面にあるカフェでアイスティーを飲むことにした。そういえば、イタリアではどこでもアイスティーがある。パリではどこでも、というほどには普及していないから、アイスティーの好きなエティエンヌは大喜び。しかし勘定を頼んでびっくり。実は座ったときから、これはかなり高級ぶっているところだな、とは思っていた。なんといっても、サン・マルコ寺院が真ん前にに見える絶好の場所であるうえ、ボーイはきちんと正装しているし、ピアノとサックスの生演奏まで行われている。これはまるでシャンゼリゼやオペラ座の高級カフェだ、と思っていたのだが、果たしてそうだった。アイスティー2杯で29,000リラ(約1700円)。日本では驚かない価格だけれど、フランスやイタリアではやはり、信じられない価格だ。

 その後、大運河にかかるリアルト橋など、主な観光ポイントをまわったあと、鉄道の駅まで行き、翌日のミラノ行きの列車の時刻を確かめる。それからエティエンヌの提案で、長距離の中型船に乗り、ヴェネツィアの周囲を大きく一周することに。イタリア半島からヴェネツィア本島の方へにょろっと突き出た岬のようなところや、高級カジノで有名なリド島などをまわる。いずれも車が入ってくる地区で、ドイツナンバーの車が多いのに驚く。燦々と輝く太陽のもと、静かな海をはるか彼方にヴェネツィアを望みながらのクルーズは、快適そのものだった。ヴェネツィア本島に戻ったあと、再び散策を続け、夕食。そろそろ旅の疲れが出てきた感じ。

 

2000.6.17.(土)

 ホテルをチェックアウトして、ヴェネツィア駅に荷物を預ける。長い行列を割り込もうとしたフランス人のおばちゃんが二人いたので、あえて下手くそな英語で文句を言ったら、向こうはもっと英語ができなかったらしく、おとなしく引き下がってくれた。外国語で文句を言われると弱くなるのはどの国民も同じのようだ。列車は午後2時。ミラノには5時頃に着く予定。もうホテル探しはこりごりなので、南野とエティエンヌのガイドブックそれぞれで調べたホテルに電話をしてみる。3軒目に空室があったので、そこに決める。一応ほっとする。

 ヴェネツィア駅の裏側には、ゲットーというずばりそのままの名前の地区があり、ユダヤ人街になっている。南野、この地区へは行ったことがない。それでこのあたりを散歩する。「ヴェニスの商人」はここに住んでいたのだろうか? 昼食はまたしてもピザ。考えてみるとこの一週間、毎日イタリア料理だった。ローマで一度だけ中華へ行ったけれど。

 列車の中ではぐっすり寝てしまう。疲れがたまってきている。ミラノ駅に着いたあと、ホテルまで迷わずに行く。ミラノはイタリア第二の都市で、旧市街は駅から離れいている上、土曜日でもあるので、駅周辺はひっそりしている。安い順番に電話をかけて見つけたホテルは、シャワー・トイレ共同、部屋も、もともと一つであったものを間に壁を作って二つにわけたような、ひどく狭いものだった。まあ、一泊だけだから仕方がない。

 適当に町を散歩するだけで、今夜は終える予定だったところ、夕食後に入ったバーで、イタリア人の数人と仲良くなり、今夜は特別に野外の大ディスコがあるから行こうと誘われ、断り切れずに行ってしまう。もうくたくただったのだけれど、彼らの車に乗せて貰い、空港の近くにある巨大な公園で行われている巨大なディスコへ行く。すごい行列。数千人は集まっているかと思われた。彼らの車で帰らないことには、とてもホテルまで歩いて帰れる距離ではないから、午前3時半に受付前で待ち合わせ、ということで中ではばらばらになる。イタリア人は、フランス人よりも開放的で、フランス人よりも美しいということがよくわかった。

 

2000.6.18.(日)

 ミラノに来たのは今回が初めてだ。ある一点を除いて、ミラノにはこれまで特に来たいとは思わなかった。一点というのは、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」だ。近年修復がなって、大変きれいになった、というのをどこかで聞いたことがある。今回ミラノを予定に組んだのは、まさにこの絵をみようと思っていたため。それで早速、見に行くことにした。南野の「地球の歩き方」によると、午前中だけ公開されているとのこと。ところがこのガイドブックは98年版なので情報が古い。エティエンヌのガイドブックによると、この絵の見学は予約制と書いてある。予約制? まあとりあえず行ってみればなんとかなるだろうと思い、行ってみたら、なんとかならなかった。やはり予約制で、同じように予約しないでやってきた観光客に、予約の電話番号を書いた紙が配られていただけだ。残念。なにしに来たのか・・・。入り口の前で恨めしげにぼーっとしていると、日本人の団体さんがやってきた。ガイドさんがこの絵のポスターを掲げて絵の説明を始める。なんでも内部では15分しか見学できないということになっているらしく、それで入る前に絵の説明をしているらしい。なかなかよさそうなガイドさんで、盗み聞きをして大いに勉強になった。南野、この絵の実物を見ることができるのは一体いつだろうか。

 その後、スフォルツェスコ城を見学、ダンテ通りをカテドラル(ドゥオーモ)まで歩く。ダンテ通りは大きな歩行者天国になっており、観光客で溢れていた。途中入ったカフェで、注文をとりに来たウェイトレスの態度があまりに横柄だったので、相当横柄なウェイトレス・ウェイターにはパリで十分に慣れているはずの南野もさすがに切れてしまい、メニューをたたきつけ、イスを蹴って立ち上がり退散する。少しはびびってくれれば可愛いものだが、ふん、そう、ってな感じでまったく動じた気配がないのにさらに頭に来てしまう。隣のカフェでは人並みの扱いをしてもらう。

 さて、ミラノのカテドラル。これまた巨大。ゴチック建築であることもあり、内部はなんとなくフランスのカテドラルのような雰囲気で、これまで見てきたローマやフィレンツェ、ヴェネツィアなどとはだいぶん趣がちがっていた。それだけフランスに近づいたということかな。見事なステンドグラスに溜息もでる。その後エティエンヌがスカラ座を見たいというので、上品なアーケードに覆われた通りを歩いて行く。途中で大きな本屋さんに入るが、残念ながら法律書はほとんどなかった。ところが朝日新聞衛星版がおいてあり、皇太后逝去のニュースを知る。思わず買ってしまう。5000リラ(約300円)。その後カフェや、帰りの飛行機の中で、いい時間つぶしになった。総選挙のニュースなども、とても興味深かった。在外投票の申し込みをすでにして来たから、パリに戻ったら、投票用紙が届いているかもしれない。

 肝心のスカラ座は、え? というほどの味気ない建物。中に入ればきっとすばらしいのだろうけれど。素通りして、旧市街の散策を続ける。そろそろいい時間になってきたので、駅へ荷物を取りに戻り、空港バスでリナーテ空港へ。昨夜突然やってきたディスコが、やはり広大な公園であったことがよくわかった。午後9時半のアリタリア航空機に乗り、約一時間の空路の旅。我が家に無事到着したのは夜11時過ぎ。ぐったり疲れた。郵便物やメール、留守電などをチェックして爆睡。

 

2000.6.20.(火)

 樋口先生が国際会議のためパリに来られた。というより、今日、日本へ帰られた。その前のほんの数時間、お誘い頂いて、サン・ルイ島の高級寿司屋「勇鮨」でご馳走になる。ここは先日フィガロ紙の日本料理店特集記事でもトップの評価を得た有名なところで、なんとなく(南野には)敷居が高い。樋口先生はもちろん常連で、二年ほど前に一度お連れいただいたことがある。そのとき、大将に、学生にはまだ早えな、と思いっきり言われてしまった。そういう感じのお寿司屋さんである。それ以来、行ったことはない。というわけで今回が二回目。フィガロの記事が影響したのかもしれないが、午後8時ですでに満員。女将さんはひっきりなしに入る予約申し込みの電話を断り続けていた。それで大将は寿司を握るのに忙しく、カウンターに座った我々と話す暇もなかったため、学生にはまだ早い、と今回は言われずに済んだ。今日の昼、サン・ルイ島に住む岸恵子が来ていたそうな。個人的にもお知り合いで岸恵子ファン(?)の樋口先生、残念そうだった。

 

2000.6.21.(水)

 夏至。この日は毎年、「音楽祭り(fete de la musique)」となっていて、街角で誰でも音楽を自由に演奏していいことになっている。そしてこの日から、こういった催し物がたくさん続く。まずは土曜日にゲイ・プライド。ゲイとレズビアンがパリの大通りを着飾ってパレードする。南野もパリに来てから毎年見に行っているが、お笑い系の人もいれば、エッチ系の人もおり、ただ単にテクノ・ミュージックに合わせて踊りたいというだけの「普通の」人もいるし、子ども連れもいる。またこのパレードをアパートのバルコニーからなんとも言えない表情で見守るおばあさんなどもいたりして、数あるパレードの中でもたいへん面白いもの。たぶん今年も南野、天気が良ければ見に行くと思う。そして日曜日には、日本でも時々報道される、カフェのギャルソンレース。正装したカフェのウェイターが、おぼんにカフェを載せて競争するというもの。そして日曜日から3日間は「映画祭り(fete du cinema)」。最初に正規の入場料を払うとパスが貰え、その後は一日何回でも、一回につき10フランだけで映画のはしごができることになっている。その後、7月1日はツールドフランスがスタートする。そして9日からは、消防団員の祭り。13日にはエッフェル塔近くの広場で、消防団員主催の大ダンスパーティが開かれる。日本人ギャルはここへ行くと必ず踊る相手が見つかると言われている(らしい)。そしてこの日の夜は、革命記念日前夜祭の花火大会など。そして14日はもちろん、革命記念日。シャンゼリゼで軍隊のパレード。とまあ、こういう感じで、パリはすっかりヴァカンスムードへと突入するわけだ。

 で、今夜、ほんのちょっとだけ町の雰囲気をみるため、「音楽祭り」にでかけてみた。が、車で出かけたのがいけなかった。どこもかしこも大渋滞。警官が出て道路を封鎖しているところまであった。普段でもにぎやかなレ・アール地区は、辻という辻にいろんな素人バンドが出て、様々な種類の音楽を奏でている。そしてそのまわりには、ものすごい人だかり。みんな踊っていた。よく人前で恥ずかしげもなく踊れるもんだ。文化の違い(?)を痛感して帰宅。

 

2000.6.22.(木)

 パリ第二大学憲法・政治研究センター主催の研究会「違憲審査制の起源」に出席。久しぶりに塚本さんに再会。今日はまず、著名な行政法学者 Yves Gaudemet の司会による「違憲審査制と公法学説」のテーマで、F. Luchaire、L. Jaume、J.-J. Bienvenu、O. Pfersmann 教授などの報告が続いた。興味深いものもあったけれど、なにせ各報告に割り当てられた時間がたったの15分だけだったため、結局はいずれもなんとなく物足りなさを残したものにとどまったのが残念。少し遅れて入ってきた O. Beaud 教授がたまたま南野の前に座り、たいくつな報告になるとなんやかやと話しかけられ、まるで報告と関係のないおしゃべりをしてしまった。

 

2000.6.23.(金)

 研究会「違憲審査制の起源」二日目。午前中は都合がつかず、欠席。午後、これまた著名な政治学者である J.-L.Quermonne の司会により、F. Rouvillois, G. Drago, J.-P. Heurtin, J. Foyer, D. Rousseau などの各教授による報告とディスカッションが続いた。J. Foyer や F. Luchaire といった有名な名誉教授は、いわば現在の第五共和国憲法制定過程の生き証人でもあるから、彼らの証言を興味深く聞かせて貰う。Beaud 教授は今日は来ていなかったようだ。

 

 

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学士院研究会報告顛末記、ブルターニュ週末旅行、オリヴィエ誕生日パーティーなど)

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(カレーパーティー、大村先生宅大嶽先生宅、復活徹夜祭、アントニー来泊、緑の桜の謎、花沢夫妻来訪など)

アムステルダム週末旅行日本シリーズ参議院調査団通訳、多恵子一行来訪など)

2000年6月3日〜23日分

南野邸お茶会、ルカ洗礼式、ローラン・ギャロス、子どもモーツァルト、イタリア旅行、樋口先生、音楽祭り、研究会「違憲審査制の起源」など)

(日本人の集い、フランソワ・フランソワーズ夫妻宅、フレデリック誕生日パーティー、モニックさん・彩子ちゃん来訪、北欧旅行など)

北欧旅行続き、ゲオルギ来訪、玲子兄・藤田君来訪、オリヴィエ4号来訪、色川君来訪、ピアノ片付けなど)

姉・奥様来訪、日本へ帰国、東京でアパート探し、再びパリ行など)

(誕生日パーティ、Troper 教授主催研究会、Cayla 教授と夕食、日本へ帰国など)

(花垣・糸ちゃん邸、スマップコンサート、フランス憲法研究会、憲法理論研究会など)

(洛星東京の集い、東大17組クラス会、パリ、ウィーン、ブラティスラヴァなど。)

(エティエンヌ来日、広島・山口旅行ボー教授来日、法学部学習相談室のセミナーなど)

長野旅行、パリで国際憲法学会など)

新・個人的ニュース

リール大学で集中講義のため渡仏、興津君・西島さん・石上さん・ダヴィッド・リュック・ニコラと再会など)

(リール大学での講義スタート、武田君・タッドと再会、ヒレルと対面、芥川・安倍・荒木・柿原来仏、モンサンミッシェル、トロペール教授と昼食、浜尾君来仏、ヤニック・エティエンヌ・エレーヌと再会、復活祭パーティなど)

パリ行政控訴院で講演コンセイユ・デタ評定官と面談リール大学最終講義、日本へ帰国)

 

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