個人的ニュース 

2000年10月1日〜10月31日分

 

2000.10.1.(日)

 昼過ぎより南野の誕生日パーティの準備を始める。午後2時ごろ、バンジャマン、もと子、君子が準備の手伝いに来てくれる。パーティの開始は日曜日ということを考慮して早めに設定した。午後4時の予定。サロンを片づけたり、参加者に振る舞う飲み物やスナック類の準備などが主な仕事。こういうたぐいのパーティには音楽が不可欠らしいので、エティエンヌの部屋からステレオ一式をサロンに移動したりもする。

 今回のパーティは、南野がその後日本に本当に帰ってしまうということもあり、大勢の友人が集まってくれた。30名くらいだっただろうか。プレゼントもたくさん貰えて幸せ。

 

2000.10.4.(水)

 パリ第十大学へ行き、学生証の更新手続き。ヴェルサイユのCROUS(地方学生厚生センター)で、フランス政府奨学金の手続き。学生証を更新するたびに出頭しなければならないのである。ナンテールのキャンパスでは偶然 Laurence に会い、お茶をする。久しぶりで楽しかった。

 夕方、エティエンヌのアパート探しに付き合う。実は彼、11月からフランス・テレコム社からの派遣でスロヴァキア共和国の首都、ブラティスラヴァにある、フランス・テレコム社の子会社、グローブテル社に出向することになっている。少なくとも2年間の予定だそうだ。それで、これまで南野とシェアしていたパリ14区のアパートを引き払い、ブラティスラヴァへ引っ越すことになるわけだけれど、時々パリに戻ってくること等を考えて、安めの小さなワンルームを借りることにしたというわけ。これまでパリ左岸に住んでいたこともあり、今度は右岸にアパートを見つけたいということで、19区や20区を中心に物件を探している。それで今日は19区に見つけた小さなステュディオの内見にでかけたのだ。南野は、一見して気に入らなかった。

 

2000.10.5.(木)

 パリの不動産情報誌は毎週木曜日に発行される。発売と同時に購入し、片っ端から大家さんあるいは不動産屋さんに電話をするというのがエティエンヌの取った方法。これに集中するため、彼は今日、仕事を丸一日休むことにした。近くの本屋さんでこの雑誌を買ってきた彼、午前9時から次々に電話をかけているものの、いずれも、もう決まりました、の返事ばかり。見ていて気の毒になってくる。

 そんなエティエンヌを見捨てて南野は再びナンテールへ。学生証の更新手続きの続きがあったため。夕方、エティエンヌに合流し、20区で約束がとれたという物件を見に行く。同様にステュディオを探しているという青年やおばさんと一緒に、不動産屋に案内して貰う。なかなかよさそうである。家賃は約5万円。これがいいんじゃないか、と南野などは思ったものの、慎重なエティエンヌ、一応20区という土地柄、治安の方も気になるから、ということで深夜に車でアパートの周りの雰囲気を見にくることにする。南野とて、実は全くの他人事ではない。というのも今後パリに来る際には、うまくいけばこのステュディオを使わせて貰えるはずなのだから。だからエティエンヌの選択には大いに関心があるというわけ。

 で、夜11時頃、エティエンヌの車に乗り、このステュディオの近辺をドライブ。たしかにこれまで住んでいた14区とは雰囲気が違う。いったいこいつら何をしてるんだろう、と思わせるような、不良っぽい(?)少年のグループが道ばたにたむろしたりしている。こういのはちょっとな、と思う。しかし近くにはこの時間まで開いているカフェもある。カフェには普通っぽい(?)人がたくさんいる。若い女性の一人歩きもみかける。それでエティエンヌの出した結論は、「全く問題なし」。フランソワーズおばさんの友人で、この近くに数十年来住んでいるご婦人がいるとかで、彼女に電話をして意見を求めたりもしていたようだ。そういえばこのステュディオの向かいには小学校もあった。まあ、大丈夫だろう。建物の地下には専用の駐車場もあるし、なかなか良い物件なのかもしれない。それでほぼこの物件に決めることにしたようだ。

 

2000.10.6.(金)

 Troper 教授主催の研究会に参加。リュクサンブール公園近くの会場。Cayla 教授、Pfersmann 教授など、なつかしい面々が報告者になっている、興味深い研究会だ。ナンテールの後輩たちもたくさん来ていた。昼食は彼らとともに、サンドイッチを買ってリュクサンブール公園で。

 帰宅後、武田君に家まで来て貰い、熱帯魚の水槽を運ぶ。前にも書いた通り、最後まで売れ残っていたこの大きなセット、ありがたいことに武田君が買い取ってくれることになっていた。しかしこの水槽、長さが1メートルもあって、水の量は100リットル。かなり水を捨てたものの、実に重い。エティエンヌの車に載せるまでがまず一苦労であった。武田君のアパートまではほんの15分とかからない距離だけれど、彼のアパート前に着いてからが想像を絶する大変さであった。彼のアパートはエティエンヌのそれとは違い、非常に古い、重厚なもの。パリのアパートにはしばしばこういう古いものがあって、なかには19世紀末に建築、などというものもある。そういう古いものでも、地震がない国の石造りだから、現在でもまったくそのまま使われているわけだ。螺旋階段を付けていた建物の場合、ぐるぐるまわる階段の真ん中の部分に残った小さなスペースを利用して、後になってから小さなエレベータが巧みに設置されたりしていることがある。しかしこういうエレベータは、ふつう、とても小さい。大人二人が乗るとぎゅうぎゅうという感じのものもある。武田君のアパートはまさにこういう感じの小さなエレベータしかないものであった。

 大変だったのは、水槽がそのままではエレベータに入らなかったこと。いくら水を減らしたとはいえ、10キロ近い砂利が敷き詰めてある。とても階段で3階までは持って上がる自信がない。よっぽど魚はセーヌ川に、水槽は粗大ゴミに捨ててしまおうかと思うくらい、悲観的になってしまう。しかしそういうわけにもいかないので、さらに水を捨て、なんとか水槽を90度近く傾けてエレベータに押し込んだ。当然砂利はざーっと流れて一方に集まってしまう。巨大な地殻変動に見舞われた魚たちが気の毒で仕方ない。

 なんとかエレベータに乗った水槽を武田君の部屋まで運び、武田君の決めた場所に設置する。いやはや実に大変であった。エティエンヌは人の苦労も知らず、明日からヴァカンスでアメリカへ行ってしまうため、南野が帰宅したころにはすっかり熟睡中。二人で決めて買ったものなのに!

 

2000.10.7.(土)

 研究会の二日目。最後の Cayla 教授の報告が終わったあと、大急ぎでアパートに戻る。夕方アメリカへヴァカンスにでかけるエティエンヌを空港まで送る約束があったため。エティエンヌがパリに戻るのは二週間後。彼はそれからこのアパートを引き払って20区に見つけた小さなステュディオに引越をし、その後11月よりスロヴァキアへと赴任する。とてもアメリカへ悠長にでかけている場合ではないように思われるけれど、前から決まっていたらしく、どうにも変更できなかったようだ。14区のアパートもまだ全然片づいていない。南野の部屋はさすがにほぼ完全な空室になりつつあるけれど、彼の部屋やキッチン、サロン、風呂場などはまだまだ以前のまま。南野は3日後には日本へ帰ってしまう。つまりもはや何も手伝うことはできないというわけだ。大丈夫なのだろうか。

 今回エティエンヌと別れてしまうと、次はいつ再会できるのか、いまのところわからない。しかし研究会が長引いたため、大急ぎで空港へ行かねばならず、空港でもあわただしく別れてしまったので、またしてもゆっくり感傷にひたる余裕がないままに終わってしまう。アパートに戻ったあと、自分の荷物の整理などをする。

 

2000.10.8.(日)

 引き続き部屋の片づけ。昼食はバンジャマン、岩月君と一緒に近所の Chez Zhou で。夕方、サッカーの日本ナショナルチームとパリ・サン・ジェルマン(PSG)との親善試合を観戦に行く。君子、もと子、玲子などとは久しぶりの再会。彼女らの友人の日本人も何人か来ていた。中田英寿は出場していないし、あまりそれ以外のサッカー選手のことを知らない南野としては、ただサッカー観戦の雰囲気を楽しんだだけというところであった。

 

2000.10.9.(月)

 銀行や郵便局に住所変更の手続きに行く。日本の住所が決まったため、今後は毎月発行される銀行口座の明細書を日本へ送ってもらうのだ。郵便局の方は、14区のアパート宛てに届く郵便物を、20区のステュディオに転送してもらう。海外へは転送してくれないから。国内の転送だけでも有料なのには驚いた。たしか3ヶ月は無料なのだけれど、それ以上になると有料ということであったかと思う。日本は一年間タダなのに! 夜、Cayla 教授とディナー。日本食でいい、とおっしゃるので、サン・ジェルマンに最近オープンした、おそらくパリで唯一の手打ち蕎麦を出すレストラン、円(Yen)へ。さて、Cayla 教授と Troper 教授は同じフランス人なのに実に対照的。今夜の約束は午後7時半ということだったのだけれど、Cayla 教授が現れたのはなんと午後8時過ぎ。レストランで一人、なにも注文せずにひたすら待っていた南野はなんともいえない居心地の悪い30分を味わわされた。それで教授にそう言ったら、なんと、7時半といったらふつうは8時前という意味だ、だから自分はほんの10分ほど遅れたに過ぎない、と言われた。苦笑するほかない。たしかに彼のセミナーはいつも、6時スタートのはずが実際には6時20分くらいであった。彼のそういう感覚にもっと慣れ親しんでおくべきだったのかも知れない。

 メニューの選択は南野に任せるとおっしゃるので、天ざるの他にいろいろな創作和風料理をとったように記憶している。日本酒も。Cayla 教授もかなりおしゃべりなタイプで、いろいろな話題がぽんぽんと出てきて、あっという間に深夜12時をまわる。楽しいだけでない、たいへん有意義な会話も多かった。ところでこのレストラン、日本の服飾メーカーの Onward 樫山が経営しているそうで、本日は樫山のアメリカ人(?)と日本人のグループも来ていた。この7,8人の樫山グループというのが、おそらく我が城で飲んでいるつもりなのか、どうにも喧しいグループであった。ほろ酔い加減の日本人が2,3人レストランに集まると、うるさくて仕方がないというのは南野も3年間のパリ滞在でいやというほど味わってきたけれど、今回は日本人だけでなく、同席しているアメリカ人女性も大変うるさかった。その点、フランス人のテーブルは静かなもの。お互いには聞こえるけれど、まわりにはよく聞こえない、なんとも言えない絶妙なボリュームでしゃべる術というものをフランス人は心得ているように思われる。人によるというのはもちろんだけれど。南野は日本に帰ってきて、この、音に対する感覚がもっとも留学前と変わったと思っている。日本はほんとうにうるさい。フランスは本当に静か。極端に言ってしまえばこうなる。電車に乗ると、発車前のかけこみ乗車はやめろだの、電車が揺れるのでつり革に捕まれだの、ドアに手を挟まれないように注意しろだの、乗客を子供扱いしたおせっかいなアナウンスが多すぎる。ホームで電車を待っていても白線内に下がれと言われる。エレベータでは黄色い枠内に乗って手すりをつかめと言う。切符を買うにしても釣り銭を忘れるなと機械に注意されてしまう。バスはもっとひどい。停留所案内にほぼ必ず広告アナウンスが加わる。手作りパンの○○堂前です、なんて、どうでもいいではないか! バスの前後での横断は大変危険ですというのも分かり切った話し。日本やアメリカの憲法学でいうところの「囚われの聴衆」の問題を、南野は日本に帰ってきてからひしひしと実感しているというわけだ。唯一、携帯電話を巡る習慣だけがこれに反すると言えるかも知れない。日本では、いまや電車やバスの中で大声で携帯電話で話す人は皆無になりつつあるけれど、パリにはまだまだいっぱいいる。きっとフランス人は、まだ携帯の扱いに十分に慣れていないのだろう。

 さて、そういうわけで、円での食事中、この樫山グループの際だつうるささに辟易していた南野は、何度かシーッと口を鳴らしたものの、効果があるのはその一瞬だけで、すぐにまた元のボリュームに戻ってしまう。店員にも注意するように言ったものの、本社の人たちなんでなかなか注意しづらいというようなことを言う始末。ついに Cayla 教授が立ち上がってもう少し小さな声で話せと言う。これは若干効き目があった。とにかく、そういうハプニングがありはしたものの、教授との最後の夕食は和やかに盛り上がり、また味の方も大変教授の気に入ったようで、南野としてはほっとした。かなり高くなった会計の段になり、教授は自分で払うと主張される。トロペール教授にもご馳走させて貰いましたから、と南野が言うと、彼は彼、私は私、となかなか譲られない。結局サン・ジェルマン・デ・プレの高級カフェ、Les deux magots (このカフェのホームページはここをクリック)でコーヒーを代わりにご馳走して貰うという条件で南野が支払うことができた。

 すでに12時半をまわっていたけれど、お互い車ということもあり、日本にも近年支店ができ有名になったこの由緒あるカフェに入る。19世紀末から現在の場所で営業しているこのカフェは、なんといってもこの界隈に住んだ芸術家たちが足繁く通ったことで有名。古くはヴェルレーヌ、ランボー、マラルメ、その後ジッドからピカソ、ヘミングウェイやサルトルに至るまで、そうそうたる面々がここで芸術談義を交わしてきたとか。戦前から続くこのカフェの出す文学賞、Prix des Deux Magots も知られている。最後の最後にまた良い思い出になった。午前二時頃帰宅。明日はいよいよ日本へ帰国だ。

 

2000.10.10.(火)

 いよいよ今日の夜、パリを離れる。次はいつパリに来られるかわからない。「忘れ物」のないように、荷造りをする。昼前、Sebastien 来訪。最後の最後までワンパターンであるけれど、またしても近所の Chez Zhou で昼食をともにする。Sebastien はシャルル・ド・ゴール空港の税関で働いている。今夜は車で空港まで送ってくれるという。大助かりだ。夕方、いったん Sebastien が自宅に戻ったあと、エティエンヌの車を近くの無料パーキングへ移動する。14区のアパートには専用の駐車場がなく、多くのパリ人と同様、エティエンヌもふだんは路駐。パリに行ったことのある人ならば、住宅街の狭い道路に、いったいどうやって車を出すのだろうかと思わせるほどにぎっしりと縦列に停められた車の数々を、一度は目にしたことがあるだろう。エティエンヌ号もそのうちの一台だ。パリの道路では、駐車しても良いところに白い点線が引いてあり、歩道にパーキングチケットの販売機がおいてある。これを必要時間分だけ購入し、ダッシュボードの上など外から見えるところに置いておく。これを置いておかないと、時々二人組でやってくる駐車違反取締官によって罰金チケットを切られてしまう。エティエンヌのアパート近辺の駐車料金は、30分5フラン(約100円)であった。有料なのは平日の午前9時から午後7時までで、それ以外の時間帯や土曜日曜の終日は無料(8月は一ヶ月間まるまる無料)。そういうわけでエティエンヌは、いつも朝、会社まで車に乗って行き、会社の駐車場に車を入れ、夜、車で帰ってきたあと、アパート近くで空いているスペースを探し無料で翌朝まで駐車する、という毎日を送っていたわけ。パリはこういうシステムを取っているので、もちろん車の購入に車庫証明などは必要ない。平日おなじところにずっとおいておくのは面倒だから、多くの人がエティエンヌのように毎日車を動かすことになる。車を所有する人が多くはなかったであろう、古き良き時代にはこういうシステムでもよかったのかもしれないが、近年のように車が増えてくると、果たしてこういうシステムがいつまでこのままで維持できるのか、見通しは明るくない気がする。さて、平日に南野が車を利用するときなどはやっかいであった。パーキングチケットは最大二時間までしか購入できないから、理論上、車を利用するまでのあいだ、二時間ごとにチケットを購入しなければならない。しかし取締官はそうしょっちゅう来るものでもないから、そろそろチケットを買いに行こうか、などと勘を働かすことになる。その勘は大いにはずれて、これまで南野はなんども罰金チケットを切られてしまった。停めても良いスペースにチケットを買わずに停めていた場合の罰金は75フラン(約1500円)。停めてはいけないところに停めていた場合は230フラン(4600円)。かなり前の話しだけれど、16区の家庭教師先へ車で行ったとき、駐車スペースを探して近辺をぐるぐるまわってみたもののどこも満杯だったことがある。偶然ある一画だけが見事に空いていて、ああラッキーと思って駐車し、二時間の家庭教師を終えて戻ったところ、見事に罰金チケットがワイパーに挟まれていた。なんで? と思って見たところ、なんと南野が駐車していたのはバス停の近くで、厳しく駐車が禁止されているゾーンであった。そして気がついたのだけれど、道路には黄色のジグザグ線が引いてあった。どうりでそこだけ空いていたはずだ。そして罰金額はなんと900フラン(約18,000円)! 二時間の家庭教師代が見事にパーになった。こういう苦い経験のあとは、さすがに900フランの罰金を受けることは無くなった。さて、今回のようにエティエンヌがヴァカンスでアメリカへ行ったりする場合には面倒なのだけれど、幸いにもアパートから数百メートル離れたところにある国際大学生団地(Cite Universitaire)の一部が無料駐車スペースになっており、そこに(運良くスペースが空いていれば)駐車することにしていた。そこでエティエンヌの出発後も車を利用していた南野が、責任をもってそこに車を置いてから日本へ帰るという約束になっていたのである。

 幸運なことに一台分のスペースが空いており、そこにうまく駐車する。アパートに戻り荷造りの続き。するとBenjamin 来訪。近くまで来たから最後の挨拶に、とのこと。感激。荷造りを手伝って貰う。午後8時頃、Sebastien が車で迎えに来てくれる。そしていよいよ空港へと向かう。パリよ、さようなら。

 そう、パリよ、さようなら、となるはずであった。ところが、空港についてみると、なんと搭乗予定のエールフランス便が欠航。機体の故障らしい。出発は明日の昼になるとのこと。それでアパートに戻ろうかとも思ったのだけれど、Sebastien はその後用事があってパリには戻らないというし、エールフランス社が空港内のホテルに泊まらせてくれるというので、結局大きなトランクだけ預け、ホテルに泊まることにした。外は大雨になる。エールフランスがくれたクーポン券を持って、まずは空港内レストランでの夕食。もちろん Sebastien は搭乗客ではないからクーポンを持っていないのだけれど、ジャンボ機一機分の乗客が押し掛けたレストランは大混雑で、それに紛れて Sebastien も一緒に食事。合い席になったのは東京経由でニュー・カレドニアへ行くフランス人夫婦。ではまた明日、と言って別れる。南野にあてがわれたホテルまで、大雨のなかを Sebastien が車で送ってくれる。ちっぽけな安ホテルだった。いつの間にかすでに午後11時を過ぎていたので、Sebastien に丁寧に礼を言って別れる。何もすることもないし、さっさと寝ることとする。機体の故障は直っているだろうか。

 

2000.10.11.(水)

 ホテルで朝食のあと、シャトルバスに乗り空港へ。無事に飛ぶらしい。昨夜夕食を一緒にした、ニュー・カレドニア行きのご夫婦などと少ししゃべる。それにしても故障した機体を修理して飛ぶ、というのは気持ちが悪いものだ。別な機体にして欲しい。しかしそうも言ってられないので、覚悟を決めて(?)搭乗する。あいにく座席は3人席の真ん中。窮屈な11時間半の空の旅になる。

 

2000.10.12.(木)

 機内では左側の日本人男性、右側のフランス人女性ともほとんど喋らないまま、無事に成田に到着。板橋のアパートに着いた後、池袋のビックカメラでカーテンを購入。近所のスーパーでちいさな食卓も。さっさと住環境を整えなければ。

 

2000.10.14.(土)

 ビックカメラで電話機を購入。迷ったすえ、ISDN にすることにした。エティエンヌはフランス・テレコム社の ADSL プロジェクトチームの責任者をやっていて、おかげで南野もかなり最先端の(?)電気通信事情に詳しくなった。もちろん ADSL の方がパフォーマンスは上だけれど、残念ながら板橋区ではまだ ADSL が利用できない。それで ADSL のさらに上を行く光ファイバーが板橋区で利用できるようになるまでのあいだ、ISDN で我慢することにした。パリ時代からの友人で現在日本で働いている Cedric にも買い物に付き合って貰う。

 

2000.10.16.(月)

 北村教授のゼミ第一回目。フランス民法史の教科書を読むゼミだ。このゼミは、フランス語文献を精読する方法の習得をも目的の一つにしているうえ、これまで一度も北村教授のゼミに参加させて貰ったことがないこともあって、専門外ではあるけれど、参加させて貰うことにした。

 

2000.10.17.(火)

 伊藤教授のゼミ。先週の第一回目は欠席させて貰っていた。こちらはヨーロッパ人権法に関する論文を読むゼミ。フランスの憲法学をやるならば、ヨーロッパ人権法についての知識は不可欠だろう。そう思って参加させていただく。

 

2000.10.19.(木)

 大学生協で購入した洗濯機と冷蔵庫が到着。南野、実は大の洗濯好き。洗濯機がないと生きていけない。これで生きていけるようになった。

 

2000.10.21.(土)

 池袋のビックカメラで iMac を購入。これでほぼ、生活に必要なものが揃った。それにしても帰国そうそう、すごい出費の嵐ではある。ほとんどがクレジットカードのリボ払い。つまりは借金王になったというわけ。

 

2000.10.31.(火)

 伊藤ゼミコンパ。

 

 

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南野邸お茶会、ルカ洗礼式、ローラン・ギャロス、子どもモーツァルト、イタリア旅行、樋口先生、音楽祭り、研究会「違憲審査制の起源」など)

(日本人の集い、フランソワ・フランソワーズ夫妻宅、フレデリック誕生日パーティー、モニックさん・彩子ちゃん来訪、北欧旅行など)

北欧旅行続き、ゲオルギ来訪、玲子兄・藤田君来訪、オリヴィエ4号来訪、色川君来訪、ピアノ片付けなど)

姉・奥様来訪、日本へ帰国、東京でアパート探し、再びパリ行など)

2000年10月1日〜31日分

(誕生日パーティ、Troper 教授主催研究会、Cayla 教授と夕食、日本へ帰国など)

(花垣・糸ちゃん邸、スマップコンサート、フランス憲法研究会、憲法理論研究会など)

(洛星東京の集い、東大17組クラス会、パリ、ウィーン、ブラティスラヴァなど。)

(エティエンヌ来日、広島・山口旅行ボー教授来日、法学部学習相談室のセミナーなど)

長野旅行、パリで国際憲法学会など)

新・個人的ニュース

リール大学で集中講義のため渡仏、興津君・西島さん・石上さん・ダヴィッド・リュック・ニコラと再会など)

(リール大学での講義スタート、武田君・タッドと再会、ヒレルと対面、芥川・安倍・荒木・柿原来仏、モンサンミッシェル、トロペール教授と昼食、浜尾君来仏、ヤニック・エティエンヌ・エレーヌと再会、復活祭パーティなど)

パリ行政控訴院で講演コンセイユ・デタ評定官と面談リール大学最終講義、日本へ帰国)

 

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