個人的ニュース 

2001年3月1日〜4月28日分

 

2001.3.1.(木)

 仕事で上京している姉を訪ね、エティエンヌと赤坂へ。姉とエティエンヌは久しぶりの再会。その後3人で参議院へ。参議院には我々3人のうち誰も入ったことがないので、金子さん、村上さんに頼んで、見学させて貰うことにしていた。昼食は議員食堂で。現在参議院にお勤めの、樋口ゼミの先輩と大学院の後輩も来て下さる。尾崎君も。久しぶりでなつかしい。

 参議院のあと、同じ3人で原宿竹下通りへ。夕方、エティエンヌは手島さん宅へ。南野は姉と一緒にホテルオークラへ。バーで「奥様」を待つ。記念財団関係者のお偉方も一緒。楽しい一時だった。

 

2001.3.2.(金)

 エティエンヌと新幹線に乗り、広島へ。途中、新横浜から由希子が、名古屋から美帆が乗って来る。久しぶりの再会だ。京都では、多恵子がホームまで来てくれており、お土産を貰う。南野が広島へ来るのはこれで3度目。前回は中学生の頃だったから、もう10年以上前になる。駅前などは、全く記憶にない。インターネットで予約しておいた駅近くのホテルにいったん荷物を預けたあと、ローカル列車と船を乗りついで、まずは宮島へ。厳島神社を見学したあと、山へ登る。観光客も少なく、天気にも恵まれ、なかなか良いハイキングになった。夕食は、もちろん、お好み焼き。途中、焼き牡蠣も食べた。

 

2001.3.3.(土)

 広島市内を観光する。平和記念聖堂原爆ドーム平和祈念館など。広島城も。夜は広島駅近くの居酒屋。ホテルに戻ったあと、疲れていた南野が早めに寝始めていたとき、ちょうど午前零時を過ぎたころだったか、由希子に起こされる。エティエンヌがケガをしたというのだ。別室で美帆、エティエンヌの三人がトランプで遊んでいたところ、興奮したエティエンヌが大きくのけぞった際に、柱の角に頭を強くぶつけたらしい。パジャマのまま慌てて行ってみると、エティエンヌの頭には5センチほどの傷があり、出血している。頭からの出血にびびってしまい、とりあえずフロントに連絡。119番に連絡して、指示をあおぐ。もちろん、救急車を呼ぶほどのことではなかったから、事情を説明して、病院を紹介してもらうため。脳外科のある救急病院を教えて貰い、タクシーで行く。出血は完全には止まっていないものの、だらだら流れるというほどのこともないし、エティエンヌ自身もしっかりしている。ちゃんと日本語も話せているからそんなに心配することもないだろう。

 梶川病院というところで応急手当をして貰う。なんと2針も縫うことになった。通訳を兼ねて、南野はその一部始終を見せて貰ったけれど、ほんとうに縫うのだな、と今更ながらに驚いた。縫ったあとには正方形の白いガーゼがピンで頭髪にとめられた。これはかなり目立つ。頭を打った、ということで、念のためCTスキャンをして貰うことになる。異常のないことを確認したあと、午前3時頃ホテルに戻る。いやはや驚いた。それにしても、人間なにがきっかけで突然死んでしまうかわからないものだ、ということを実感したとはエティエンヌの弁。お医者さんによると、毎日患部の消毒もしなければならないし、一週間後には抜糸もしなければならない。しかし一週間後はエティエンヌはブラティスラヴァに戻る。ブラティスラヴァでは病院に行きたくないと言うので、東京で、帰国直前に抜糸をすることになるだろう。今回の旅行は、このあと山口方面の温泉へ行く予定だったのに、なんとも出だしからとんだハプニングに見舞われたものだ。

 

2001.3.4.(日)

 広島駅前でレンタカーをして、山口市をめざす。山口市には南野も誰も来たことがない。数年前に火災で全焼してしまい、再建なったザビエル記念聖堂や、瑠璃光寺などを見学。雪が舞い、なかなかの情緒。小京都と言われるのにも納得。夕方、予約しておいた長門湯本温泉のホテルに到着。大きな和室があてがわれ、まずは温泉へ。そして部屋で夕食。上げ膳据え膳に感激する。夜は何もすることがないので、一同浴衣でホテル内の「カラオケバー」へ。シーズンオフでがら空きのこのホテル、その中のバーも、客は我々四人だけ。貸し切り状態となる。ちなみに頭をケガしたエティエンヌ、女性陣から広島駅のコンビニで、いわゆるシャワーハットのようなものを買ってもらい、それを付けて温泉に入っていた。

 

2001.3.5.(月)

 朝食の後長門を発ち、日本海側へ北上する。今日の目的地は。その前に、青海島という小さな島へ渡る。田舎の小さな漁村という感じで、なかなか景色も良い。小学校を突撃訪問したり、釣りをしているおじいさんと話したりする。かなり言葉が違うことを実感する。萩では有名な城下町を散策。そして津和野へ。乙女峠で有名な津和野教会も見学。秋芳洞まで足を伸ばしたところで時間切れ。大急ぎで広島駅へ戻る。

 レンタカーを返したあと、女性陣が先に新幹線で帰る。南野とエティエンヌは梶川病院へ。エティエンヌの傷口を消毒して貰う。幸い化膿していなかった。そして新幹線で京都へ。両親の出迎えを受け、俔子・多恵子宅に寄ってから南野の両親宅へ。

 

2001.3.6.(火)

 エティエンヌと東大阪市の司馬遼太郎邸を訪問。夕方、エティエンヌはかつて京都にホームスティしていた時のホストファミリーを訪ねるため宇治市へ。南野は一人で両親宅へ帰宅。

 

2001.3.7.(水)

 エティエンヌと京都観光。銀閣寺哲学の道からスタートする。その後都ホテルでモニックさんと待ち合わせ。久しぶりの再会にエティエンヌも喜ぶ。昼食をご馳走になったあと、3人で南禅寺。俔子・多恵子宅を訪ね、多恵子にお茶をご馳走になる。京都駅でモニックさんと別れ、エティエンヌと新幹線で東京へ戻る。

 

2001.3.9.(金)

 明日帰国するエティエンヌが、ブラティスラヴァでは病院に行きたくないというので、南野のアパートの近くにある日大板橋病院に行き、抜糸をして貰う。あっという間に終わる。これなら南野でもできたかも。ところが初診料やなんやかやで、9000円もとられてしまう。お医者さんによると、傷口もきれいにふさがっているとのことなので、一安心。午後は、エティエンヌが土産物を買いたいというので、原宿のオリエンタルバザールへ。君子も来てくれる。夜は三人でエティエンヌの好物であるカレーを食べる。

 

2001.3.10.(土)

 護国寺を散歩したあと、最後の荷物整理。そして成田エクスプレスで成田空港へ。エティエンヌは無事に帰国。

 

2001.3.15.(木)

 所用で上京してきた淺野を囲み、巻さん、宍戸君と夕食。かなり久しぶりに会う気がする。憲法専攻の同輩・後輩諸君はみな優秀な人ばかりで、自分もがんばらなければ、という気にされられる。

 

2001.3.18.(金)

 本郷で、八田君の送別会。4月から在外研究ということでケルンへ行くとのこと。研究室のなつかしい先輩後輩も多数出席されており、楽しい一席となる。

 

2001.3.21.(水)

 4月に来日予定のオリヴィエ・ボー教授の講演原稿の翻訳がようやく終わる。20カ所ほど質問したい箇所があり、ボーにメールを送っておく。

 

2001.3.30.(金)

 新宿で、大介、美保子、雅美ちゃんと夕食。大介の就職祝いを兼ねて、一時帰国していた美保子が企画したもの。

 

2001.4.2.(月)

 夕方、長谷部先生の研究室でオリヴィエ・ボーの講演会の案内状発送の手伝い。小島君、福岡さんとともに、夕食を長谷部先生にご馳走になる。楽しいひととき。

 

2001.4.8.(日)

 オリヴィエ・ボー教授夫妻来日。成田空港まで迎えに行く。奥さんとは初対面だけれど、若くて綺麗な人だったのでびっくりした。飯田橋のホテルまで直行のリムジンバスを利用する。ホテルにチェックインの後、皇居北の丸公園を散歩。夕食を一緒にと誘われたので、地下鉄に乗り新宿へ。ここでボー教授、ひげそりを忘れて来たからと、ビッグカメラで電気カミソリをご購入。奥さんの希望で、居酒屋がいいということだったので、東方見聞録へ。ここは内装が日本的なので、外人さんには受けると思っていたのだけれど、はたしてその通りで、とくに奥さんはたいそう喜んでくださった。

 

2001.4.9.(月)

 夕方、飯田橋のホテルへボー夫妻を迎えに行き、赤坂の樋口先生宅へ。夕食をご馳走になる。

 

2001.4.10.(火)

 午後、東大の研究室で、ボー教授の講演会。東大の公法研究会と、日仏法学会の共催ということもあり、東大以外からの参加者も大勢で、なかなかの盛況。日仏法学会会長の山口先生の挨拶に続き、樋口先生による紹介、そしていよいよボーの講演がスタート。講演そのものの通訳は、予め原稿を貰っているし、その和訳も準備してあったから、らくちんらくちん。ただ、その場でアドリブが付け加えられたり、あるいは原稿の一部分を削除したり、ということもありうるから、気は抜けなかったけれど。講演が無事に終わったあと、質疑応答。この通訳はやはり大変。ただ幸いなことに、質問者のなかには南野よりもフランス語の上手な方が沢山おられ、そういう人たちは直接フランス語で質問をしてくださり、ついでにボー教授の応答要旨も日本語に翻訳して下さったりしたので、想像していたよりは軽い負担で済んだ。樋口先生が、質疑応答の始まる前に、通訳も疲れているでしょうから、フランス語で質問できる方はどうぞそうしてやって下さいと仰って下さったのが利いた。講演会の後、一部の先生方とボー夫妻を囲んで簡単な夕食を本郷会館で。

 

2001.4.11.(水)

 午後から早稲田でボー教授の講演会。早大の比較法研究所と、国際憲法学会日本支部の共催。通訳は山元教授。早めに行って早稲田近辺で昼食でも、と思っていたら、地下鉄を降りたところでボー教授と山元教授に出くわす。そしてそのまま比較法研究所の所長室へ樋口先生を訪ねる。結局昼食抜きで講演会に参加することになった。参加者は、若干少な目。こじんまりとした研究会になった。通訳をしなくてよい、というのは大変に気がらく。リラックスして講演を聴かせて貰えた。夕食は早大キャンパス内の大隈会館で。ボーは石川先生とドイツ語で議論をしていた。

 

2001.4.12.(木)

 ボー夫妻とホテルで待ち合わせをし、タクシーで東京駅へ。彼らはこれから新幹線で京都へ行く。奥さんがフランスで買ってきた、Japan Rail Pass という、JRの乗り放題パスの利用手続きなどを緑の窓口でしたあと、ホームでお別れ。京都駅では山下先生が待っていて下さることになっているので、到着時刻などを電話でお知らせする。途中、富士山が車窓から見えると良いのだけれど・・・。

 

2001.4.13.(金)

 パリ大学の民法学者、Leveneur 夫妻の講演会。日仏法学会と東大の民法懇話会との共催により、東大の研究室で。何年ぶりかで久保野さんに再会。非常になつかしかった。夕方より、毎年恒例の、公法判例研究会新人歓迎会。今年は研究室に憲法の院生が一人入ってくるので、やはり嬉しい。フランス留学中はもちろんこの新人歓迎会には出席できなかったから、公法の諸先生方や助手・院生諸君と一同に会するこの宴席も、実になつかしい。岩橋さんとも実に久しぶりだ。

2001.4.14.(土)

 新幹線で京都へ。ボー教授の立命館大学での講演会の通訳のため。山下先生、北村さんや丹羽さんなど、ヨーロッパでお会いして以来の懐かしい方々に再会。講演内容は、早稲田で行われたものと同じ。講演を村田先生が通訳なさり、その後の質疑応答を南野が通訳した。夕食は、京料理美濃吉の本店で。すごいところだった。20畳は優にあるような大広間。竹の植えられた庭。そこにボー夫妻を含めて10名で、本格的な京料理。上質の着物を着たおかみさんの給仕つき。すごいすごい。この歓待には、ボー夫妻もさぞかし感動したことだろうと思う。日本語でもよくわからない京料理の説明を、フランス語に通訳しろなどとからかわれながら、和気藹々と会食はすすんだ。食後、山下先生、中村先生に祇園へ連れて行って貰う。さすが京都だ!

 

2001.4.15.(日)

 午後3時に清水寺で、ボー夫妻、村田教授一家と待ち合わせ。村田先生の奥様、坊ちゃんに会うのはこれまたかなり久しぶりのこと。春の清水は、かなりの人でごった返していた。清水を見学したあと、村田先生の奥さんとぼっちゃんが帰られ、ボー夫妻、村田先生と四条河原町の繁華街をうろうろ。夕食は、先斗町(ぽんとちょう)の小さな料理屋で、お好み焼き。リラックスしすぎて、とてもここでは書くことのできない過激な会話に花が咲く。

 

2001.4.16.(月)

 ボー夫妻にとっては今日が最後の京都滞在となる。南野、親の車を借りて、烏丸今出川へボー夫妻を迎えに行く。そして比叡山延暦寺へ。山のいただきに大きな伽藍を構えたお寺がある、というのはきっとフランス人には珍しいだろうと思い、昨夜南野が提案していた。広大な自然の中のドライブも含めて、気に入って貰えたようだ。延暦寺のあと、時間があったので嵐山へ。渡月橋(とげつきょう)の近辺は、やはり絵になる観光スポット。天龍寺へも行く。修復中だったので、庭園だけを見学。そして京都駅で別れる。南野は荷造りをして、遅めの新幹線で東京へ戻る。

 

2001.4.20.(金)

 パリから一時帰国している栄二郎と、それとは別にパリから遊びに来ているオリヴィエを囲んで、新宿の東方見聞録(最近のお気に入り?)で飲み会。シモン、フレデリック、えり子、ジャメル、大介なども来る。

 

2001.4.21.(土)

 樋口ゼミOB会。

 

2001.4.26.(木)

 法学部学習相談室主催の新3年生向けセミナーに、パネリストとして参加。公法、私法、政治専攻から各一人ずつ、院生がパネリストとして学生に体験談を話したりするので、それにコメントしてくれ、と頼まれていた。横田さんからは、パネリストの発言に好き勝手にケチをつけるだけでいいよ、と言われていたので、気楽に引き受けていた。ところがいざ会場へ行ってみると、南野もパネリストの一人になっていた。しかもトップバッターで10分喋れといきなり言われる。この4月から3年生になった人たちに、本郷での生活のアドバイスをと言われても、南野が3年生になったのは、もうとっくの昔の話し。制度自体も変わっているだろうし、何を話してよいのかわからず、困ってしまった。セミナーの後は、相談室のみなさんによる慰労会。おいしいイタリア料理をいただく。

 

2001.4.28.(土)

 南野邸で映画鑑賞会。南野お気に入りの Central do Brasil というブラジル映画をフランス語字幕付きバージョンで鑑賞。フランス人と日本人、合計7名。夕食は全員で新宿のインド料理。その後一部で麻布へ。

 

 

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(誕生日パーティ、Troper 教授主催研究会、Cayla 教授と夕食、日本へ帰国など)

(花垣・糸ちゃん邸、スマップコンサート、フランス憲法研究会、憲法理論研究会など)

(洛星東京の集い、東大17組クラス会、パリ、ウィーン、ブラティスラヴァなど。)

2001年3月1日〜4月28日分

(エティエンヌ来日、広島・山口旅行ボー教授来日、法学部学習相談室のセミナーなど)

長野旅行、パリで国際憲法学会など)

新・個人的ニュース

リール大学で集中講義のため渡仏、興津君・西島さん・石上さん・ダヴィッド・リュック・ニコラと再会など)

(リール大学での講義スタート、武田君・タッドと再会、ヒレルと対面、芥川・安倍・荒木・柿原来仏、モンサンミッシェル、トロペール教授と昼食、浜尾君来仏、ヤニック・エティエンヌ・エレーヌと再会、復活祭パーティなど)

パリ行政控訴院で講演コンセイユ・デタ評定官と面談リール大学最終講義、日本へ帰国)

 

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