新・個人的ニュース

 

 

リュックの「研究室」

2005.3.1.(火)

 TGVでリールへ。まずはリール中央駅でリュックと待ち合わせ、そのまま昼食。その後リール大学法学部へ。前回ほんの少ししか話せなかった博士課程の研究科長と面談。これからどういう講義をするのかなどについて相談する。こういうことまで研究科長と相談しなければならないのは少し驚き。

 その後はまたしても事務室めぐり。博士課程と学部の事務担当者が別のようで、あちこちをいったりきたり。その途中でダヴィッドの友人でもある行政法学者にすれちがい、リュックが長話を始めたり・・・と、すべてフランススタイル(?)で物事が進む。

 ところで、こちらの建物は、ナンテール(パリ第十大学)もそうだったけれど、特別な鍵がないとエレベータに乗れない。教職員しか使えない仕組みになっているのだ。で、その鍵をもらう。また、南野用に研究室も用意してくれており、その鍵も。これまたナンテール同様、研究室とはいえ完全な個室ではなく、すべて他の教員と共用。リュックの研究室など、机は二つしかないのに、ドアには5人の教員の名前が書いてある。そういえば、ナンテールでも、あのトロペール教授でさえ、もう一人の教授と研究室を共有していた。日本の大学のような「研究」室ではなく、ようするに授業の前後に立ち寄って雑用をこなすためだけのもののようだ。本棚にはほとんど何もない。授業のない日にはこちらの先生方は大学には来ないから、「同居人」とあまり出くわさずにうまくいくようだ。

 南野にあてがわれた研究室には3人の名前が書いてある。そのうちの一人は大学が代わったそうで、現在は二人しか使っていないとのこと。中に入ってみると、机は一つしかない。5人で二つの机よりは、分が良いのかも知れない。とくに何もすることがないので備え付けのパソコンを立ち上げたりしていると、滅多に会わないはずの「同居人」が入ってきた。政治学の教授だそうだ。なんでも家ではインターネットがつながっていないらしく、時々こうしてノートパソコンを抱えてやってくるのだそうだ。南野はこれから毎週火曜日には来る予定なので、遠回しに火曜日には来ないでね、と言っておく(笑)。そういえば、来年だったか九大で世界政治学会が開催されるが、彼は予算もないので参加しない予定と言っていた。ともあれ、政治系の人にはこの来年の学会開催のおかげで九大の名前が通りやすい。

 その後、大学院の事務室で講義の日程調整。これから院生に宣伝するとのこと。というわけであまり学生は集まらないだろう。ま、その方が少しは気が楽だ。。。

 ともあれ明日はいよいよ学部向けの初講義。リュックが担当する「比較法」の授業の時間をまるまる使い、南野が一人で講義することになっている。まずは日本の(憲)法(学)史から話すことにしようか。あまり興味を持ってもらえないだろうなあ。。。気が重くなっている南野を尻目に、明日は講義しなくていいと思うとものすごい開放感だと喜んでいるリュックとTGVでパリまで帰り、北駅で別れてさっさと帰宅。ついに始まる。。。

帰りのパリ行きTGV


 

 

パリ北駅の出発案内板

 

 

 

講義後「研究室」で一服

 

 

 

2005.3.2.(水)

 リール大学での初講義の日。午前9時10分から始まる4年生向けの「比較法」の時間を担当することになっている。7時38分発のTGVに乗れば、リールには8時半に到着するから研究室で講義の最終準備をする時間も少しはあるだろう。というわけで朝6時に起床。積雪を踏み分け、まずは北駅へ向かうバスに乗る。

 バスが北駅に到着したのは7時35分頃! ぎりぎりだが走ればなんとか間に合う。昨日のうちに切符を買っておいてよかった・・・と思いつつ切符を取り出したその瞬間、なんと切符には7時38分発ではなく7時28分発と書いてあることに気づき、愕然とする。というわけですっかり乗り遅れてしまったので、窓口に並び、次のTGVに切符を替えてもらう。次のTGVは8時発。リールに着くのは9時2分。講義は9時10分からなので、少し遅刻してしまう。リュックの携帯にメールを送ったら、まあ、それくらいの遅刻は多めに見ましょうとのこと。九大では遅刻せずに講義を続けたのに、情けない。。。。初めてのフランスでの講義で遅刻するなんて。

 大学に着いてから講義の最終準備をする時間はそういわけで全くなくなったので、TGVの中ですることに。30分ほどがすぎたころ、TGVがゆっくりと畑の真ん中で停車。フランス国鉄にはよくあることだ。いやな予感。で、アナウンス。雪のためしばらく停車するとのこと。もはや絶望。。。リュックにメール。結局TGVは25分遅れで9時半に到着。大急ぎで地下鉄に乗り、大学へ。あいにくリールも積雪多く、早く走れない。

 大学の入り口で、リュックが待ってくれていた。言い訳もそこそこに、二人で教室へ走って行く。すでに教室では30名ほどの学生が待っていた。謝りながらコートを脱ぎ、鞄をおき、準備を始めていると、コートを着たままのリュックが南野の紹介を始めてくれた。そしていよいよ南野がしゃべる番。

 名前やメールアドレスを黒板に書いたりしながら簡単に自己紹介。次にこれから5時間の講義でどういうことを話すか、今日は何を話すかなどを説明。そして講義。明治維新前後の日本の状況を話す。どのようにして西洋近代立憲主義が日本へ「輸入」されていくかということをまずは話す予定だったので。九大では板書をしなくて学生から不評を買ったが、リール大では少し板書してやることにする。さすがに日本の固有名詞などは大変だろうから。あとは大体九大と同じスタイル。ときどき教卓の左や右へ行ったり来たりする。

 岩倉遣欧使節団が日本へ戻って来たころ、また、自由民権運動が盛り上がり始めるあたりで時間切れ。こんなスピードでは、現代日本法の紹介まではきっといけないだろう。ところで岩倉使節団は1872年フランスにもやってきて、時のフランス大統領と会談しているが、その大統領は誰でしょう!?と学生に聞いたらしーんとしてしまった。そこで前に座って僕の講義を聴いているリュックに聞くと、しばらく迷った後に、ティエールかな、とご名答。さすが。

 講義が終わったあと、イスラムスカーフをかぶった女子学生が二人いることに気づき、興味があったので少し話しかけてみた。去年フランスでは、中学や高校などで、こういった宗教上のあからさまなものを身につけてはいけないという法律が制定され、日本でも話題になっていたので。やはり、大学ではまったく問題がないとのこと。

 昼食はダヴィッド2(リール大学講師)、クリストフ(パリ政治学院教授)、フィリップ(パリ大学名誉教授)、リュックとともに、市内の高級レストランで。今日の午後、クリストフとフィリップによる講演会がリール大であって、それを企画したリュックが(というかリール大学が)昼食をご馳走してくれたのだ。クリストフもフィリップも有名な民法学者・法哲学者で、日本にも来たことがあるらしい。たくさんの日本の民法学者の名前がぽんぽんと出てきて驚いた。

 その後5人そろって地下鉄に乗り、大学へ戻って二人の講演会。博士課程の学生やリール大の教員たちが20名ほど来ていた。2時間の講演会が終わったあと、リュックとTGVでパリへ戻る。

 初講義の写真を撮ろうと思っていたのに、それどころではない初講義になってしまい、少々落ち込む。来週は是非写真を撮りたいもの。。。


 

ととやにて

 

カフェ・モリエールにて

 

2005.3.3.(木)

 ほぼ一日中雪が降る。昼食は武田君と。東大法の同期で、パリ留学もたしか一年ほど重なっている。留学中は何度となくつきあってもらい、いろいろ話しまくったのが楽しい思い出だ(詳細は、「旧・個人的ニュース」を参照)。しかしなぜか日本に帰ってからは食事をしたことも飲みに行ったこともないような気がする、不思議な縁だ。現在経済産業省からパリの日本大使館に出向中の彼は2度目のパリ住まい。つくづく羨ましい。会うのは4年ぶりくらいだろうか。あいかわらず若々しくエネルギッシュだ。それにしてももう子供が4歳だなんて。彼我の違いにややショックを覚える。今度自宅にも招いてくれるそうで楽しみだ。

 かつて南野が通い詰め(?)武田君にも紹介した「にせもの」日本料理店<ととや>でなつかしのメニュー。のび太の母親に似たマダムはあいかわらず元気そうで、南野の好物「とんかつ」を覚えていてくれた(このあたりも詳細は「旧・個人的ニュース」をどうぞ)。武田君、ご馳走さまでした!

 夕方、ヒレル君と待ち合わせ。彼はパリ政治学院の一年生で、日本に小さい頃から興味を持っており、グーグルで日本の憲法を検索して偶然南野のHPフランス語バージョンに行き当たり、一年ほど前にメールをくれた若者。今回初めての対面となった。ヒレルという名前から想像はしていたが、ユダヤ人。顔も実にユダヤ人ぽいのが可笑しい。パリ政治学院では日本語のクラスにも出ているそうで、少し日本語が話せるようだ。有名なデュアメル教授の憲法の講義に出ているそうで、興味深い話をいろいろと聞く。

 安物でいいからプリンターを買いたいと思っていた南野、ヒレルに相談したところ、リヨン駅の近くに大きなパソコンショップがあり、そこが一番安いだろうとのこと。雪の降る中、さっそく連れて行ってもらう。たしかに巨大なパソコンショップだ。フナックなどよりも安い気がする。結局ヒューレット社製の一番安いものを購入する。

 その後、バスに乗りオペラ座方面へ。アメリカ大統領選挙の時にパリ在住のアメリカ人が集まったためにすっかり有名になったアメリカンバーで食前酒をひっかけたのち、ヒレルお気に入りのイタリアレストランへ。パスタで夕食。イタリア並みに量が多く、二人とも食べ残してしまった。

 いつもより遅めの地下鉄で帰ってくると、アパートの周りにはまだ雪が大量に残っていた。

 

 

リヨン駅

 


 

オテル・ド・ヴィル(市役所)

2005.3.4.(金)

 方、ポーランドから仕事でパリにやってきているタッドと会う。ワルシャワで会って以来一年半ぶりの再会だ。南野の英語が下手になっているのとタッドのフランス語がうまくなっているのに驚き。それにしても彼はデカい。聞けば身長は1m95cmとのこと。並んで歩くと見上げてばかりで犬になった気分だ。地下鉄の中で偶然彼が一緒にパリに来ているポーランド人たちと出くわしたのには驚いた。

 夕食はリュック宅におよばれ。日本からお土産に持って来ていた京セラ製のデジカメをようやく渡す。たいそう喜んでくれた。動画も撮影できるスグレモノで、他の招待客たちはかなり羨ましがっていた。説明書にフランス語バージョンがあったのはありがたい。さすがは京セラ!


 

2005.3.5.(土)

 食は一人で近所の簡易中華。パリにはいたる所に簡易中華がある。「簡易中華」というのは南野訳で、仏和辞典には中華の「仕出し屋・惣菜屋」、とある。ショーケースの中にいろいろな料理が作り置きしてあり、食べたいものを食べたいだけ購入するシステムだ。持ち帰りもできるし、電子レンジで温めてもらってその場で食べることもできる。一人でも気楽に入れるため、パリでは結構重宝してきた。南野のアパート近くの簡易中華では、いつも酢豚と野菜サラダ、餃子、チャーハンなどを食べている。

 

 

 

  夜、九大法学部4年の芥川君、安部君、柿原君、文学部4年の荒木さん一行がローマからパリに到着。豪華な(?)卒業旅行はまだ始まったばかりのようだ。市役所前広場の特設スケート場で待ち合わせ。かなり寒い。4人とも腹ぺこだというので早速レストランへ行くことにする。すっかりイタメシに飽きている4人は中華をご所望。昼に食べたばかりの南野も異存はない(恥)。 ところが土曜日の夜ということもあり、南野お気に入りの中華は満員。というわけで南野とっておきのフレンチへ。少々高くはつくが仕方あるまい。。。

 前菜、主菜、デザートまでのフルコースと赤ワイン。 期待通りかなりの美味で一同大満足。配膳がやや(かなり?)遅く、レストランを出たのは午前一時頃だった。ま、週末だからいいか。土曜の夜は空車のタクシーを見つけるのはほぼ不可能なので、深夜バスに乗って帰宅。久しぶりに会えてとても幸せだった。

 


 

 

ポン・デ・ザール(芸術橋)

 

サン・ミッシェル広場

2005.3.6.(日)

 昼過ぎ、芥川、安部、荒木、柿原の4人組と市役所前で待ち合わせる。冬になると毎年市役所前の広場にはスケートリンクが設置される。なかなか粋ではある。由緒ある建物にはにつかわしくない「Paris 2012」の派手なパネルは、もちろんオリンピック招致のため。今回の滞在中、様々なところでみかける。昼食は、野菜が食べたいという安部の希望をいれ、カフェ・モリエールの向かいにある「フルーツの天国」というレストランへ。大量の野菜を食し、一同大満足。

 久しぶりに晴れた日曜日の午後、5人でパリを散歩する。これまで曇りまたは雪の毎日だったので、実に気分爽快。ローマからやってきた彼らによると、パリの街には活気があふれているそうだ。右岸から芸術橋をわたって左岸へ入り、サンジェルマン・デプレ、オデオン、サン・ミッシェル界隈などを(ウィンドウ)ショッピングをしながらぶらぶらと歩く。疲れたらカフェで一休み。そしてシテ島に入り、ノートルダム寺院。ちょうど日曜夕方のミサの最中で、厳かな雰囲気が漂っている。

 夕食は、先日満員で入れなかった南野お気に入りの中華へ。先日の轍を踏むまいと、今回は早めに、7時頃には店についた。無事入れて、ようやく南野待望の餃子や、4人待望の米飯にありつける。それにしても、中華が多すぎる。。。南野にはまったく不満はないのだけれど、一部の読者には呆れられ始めているらしい。「呆れるより慣れろ」(笑)。

 

カフェでサッカー中継に見入る

 

ノートルダム寺院

 

 

 

 

 さて、そこでお開きとなるはずのところが、なぜか突然、モン・サン・ミッシェルへ行こうという話になってしまう。4人は明日、TGVとバスを乗り継ぎモン・サン・ミッシェルへ行こうと考えていた。それならばレンタカーをして車で行った方が、他にもいろいろ回れるし、割り勘にすれば安上がりだと南野がふと口をすべらした(?)のがことの始まり。

 この時点で午後9時を回っている。レンタカーは借りられるか、ホテルはとれるか、などなどの不安もあるし、何より、今夜モン・サン・ミッシェルに一泊して月曜の夜パリに帰ってくるとすると、リール大学の火曜日朝の講義の準備が十分にできなくなる。。。言い出したものの、冷静に考えて無理だという気がしてきた。たとえ無理でないにせよ、火曜日の講義が実に不安だ。やはり無茶なドライブはやめようと思ったのだけれど、南野、そこでふと考えた。九大生かリール大生か、どちらが大切かと言えば、それはもちろん九大生だ。たったの数回しか付き合わないリール大学4年生数十名のためによりよい講義をするよりは、かけがえのない九大生4人に生涯思い出に残る経験をしてもらう方がいいだろう(一同感動!)。というわけで、いったん南野のアパートに帰り、まずはレンタカーやホテルが可能かどうか調べてみて、可能であれば、ええい、行ってしまおう、ということになった。

ノートルダムの見事な誤植

 大急ぎで勘定を済ませ、メトロで南野宅へ。南野はインターネットでレンタカー会社の電話番号や、モン・サン・ミッシェルのホテルを探す。そして空室があるのを確認し、次はレンタカー会社に電話。午後10時半まで開いているところに、一台すぐ借りられる車があった。予約する。そしてホテルに電話をかけ直し、部屋を予約。これで行けることになった。その間、荒木と芥川は南野のアパートにある大量の道路地図のなかからノルマンディとブルターニュ地方のものを探す。柿原は南野の着替えなどをかばんに詰める。なぜか安部は一人でソファーに座ってテトリスに熱中。

 この時点で午後10時。バスに乗り、急いで北駅へ。予約してあった車はプジョー206。後ろに3人乗ると少し小さいが、ま、節約節約。運転席周辺は実に快適。もちろんマニュアル車。オートマ車はフランスではごくごく少数派なのだ。手続きを済ませ、いざ出発! 南野、パリ留学中は毎日のように車に乗っていたが、なにせそれももう4年前の話し。勘を取り戻すのにやや時間がかかるかも知れない。まずは4人の宿泊しているホテルへ。一泊するというので、コンタクト関係や着替えやらを取りにいくため。これがちょうどいいリハビリになり、ホテルに着く頃には、南野の運転、すっかり留学時代のそれに戻っていた。これなら無事にモン・サン・ミッシェルまで行けるだろう。彼らのホテルはナシオン広場の近く、パリの東の端にある。そこからすぐに高速へ入ってもよかったのだけれど、せっかくだから、深夜のパリを抜け、見事にライトアップされたオペラ座やシャンゼリゼ大通り、凱旋門などをまわりながら、パリの西の端へ。高速に乗ったのは真夜中頃だった。

 フランス語の読めない助手席の柿原によるナビゲーションはあまり機能せず(笑)なんどか道を間違えたりしたものの、午前3時頃には無事にモン・サン・ミッシェルに到着。残念ながらこの時間になると修道院はライトアップされていない。あの幻想的な風景を見せてやりたかった。。。とりあえず陸側にある安ホテルにチェックインしたあと、ただちに島へ。夜のモン・サン・ミッシェルはこれで2度目だが、人っ子一人おらず、かなり雰囲気が良い。ただ海も何も見えないので、ゆっくりした見学は明日ということで、ホテルに戻り就寝。さすがに南野、くたびれた。


 

一泊一人4000円ほど

 

 

2005.3.7.(月)

 チェックアウト時間ぎりぎりまで寝る。そしていざ、修道院へ。昨日は暗くて見えなかったのが、見事に晴れてくっきり見える。一同歓声をあげる。

 まだ3月上旬ということもあるのだろう、観光客が夏ほどにはいない。静かに見学できてなかなか良い。昼食は島内のレストランにてクレープ。

 次に向かったのはオマハビーチにあるアメリカ人墓地。昨年、ノルマンディー上陸作戦の60周年記念行事が盛大に行われたところだ。南野、ここへ来るのはこれが初めてで、しばし感動。それにしても膨大な数の墓碑。残念ながら今日はスタートが遅かったこともあり、ここですでに午後6時すぎ。

 最後にエトルタを通ってパリへ帰ろうと考えていたのだけれど、さすがに時間がなくなり、あきらめる。悔いを残しておく方が、また来ようという気になるよ、といつもの南野式なぐさめを言っておく。

 あとはひたすらパリへ向かうのみ。高速も順調に流れ、無事にパリに到着したのは午後9時ごろ。4人組のホテルに立ち寄ったりしたあと、北駅にレンタカーを返したのが午後10時半。エトルタに寄っていたらとても間に合わなかった。

 気がついてみたらクレープ以来何も食べていなかったので、一同腹ぺこ。南野のアパート近くの「簡易中華」でかなり遅めの夕食とあいなった。

 南野は合計700kmくらいを一人で運転したわけで、くたくた。明日の講義が不安ではある。。。

 

昼食は地元名産のクレープ

 


 

2005.3.8.(火)

 遅刻しないように朝6時半に起床。5時間弱しか寝られず、かなりきつい。9時のTGVに乗り、リールに10時着。そして10時20分から講義。頭は冴えず、口もうまく回らない。かなり辛い。。。

 とはいえ一応なんとか、大日本帝国憲法も無事に制定され、穂積八束の紹介まで入る。美濃部は明日話すことにする。今日はほとんど講義の準備ができていなかったこともあり、途中で雑談を交えたりして時間を稼ぐ。モンサンミッシェルまで行って昨夜帰ってきたばかりと言ったときには、かなり驚かれた。

 フランスの大学教授は、学生と飲みに行ったりすることがまずない。ましてや、学生とこうして旅行に出かけたりすることなど、なおさらまずない。そういうわけで、かなりリールの学生たちには新鮮な驚きだったようだ。

 実は前回の初講義の後、イスラムスカーフをかぶった女子学生に南野が話しかけていたのをリュックに目撃されていたが、これなども、彼にはちょっとした驚きだったようだ。講義の前後に教授が質問を受けることは当然あるとはいえ、教授の方から学生に近寄っていって教室で雑談するというのは、やはり不思議な光景のようだ。ま、日本でもそれはそうかも知れないけれど。

 ともあれ、こういう雑談のおかげもあってか、少し学生の方もリラックスしてきたような気がする。講義中に挙手して質問もされた。そこで、講義の後、学生の写真を撮影した。ご覧のように(見えるかな?)なぜか男子学生は一人しかおらず、後はすべて女子学生。左下の写真は、決して南野が特定の学生を選んで写真を撮影したわけではなく、向こうから、一緒に撮影してくださいと言われてとったもの(ホントに)。日本語バージョンだけれど南野のHPに掲載するからね、と言っていたので、興味をもったのだろうか?


 

リール市の美術館

2005.3.9.(水)

 リール大での講義(学部4年生向け)は今日が3回目。水曜日は午前9時10分からのスタートのため、7時半のTGVに乗ることにする。8時半につき、時間があるため大学駅前のカフェで講義の最終準備。

 水曜日は一時間のみの短い講義ということもあり、楽だ。昨日の講義とは違って、一応準備も終えていたので、順調にできた。穂積、上杉、美濃部の解説はなかなか興味を持って聴いてもらえたような気がする。あっという間に一時間が終わる。

 パリ行き11時発のTGVには間に合わなかったため、12時発のものにする。少し時間ができたので、リール駅の横にある巨大なショッピングセンターで買い物。そして13時パリ北駅に到着。今朝の飛行機で芥川が日本へ帰ったので、3人組となった安部、荒木、柿原と待ち合わせ昼食。ピザ。

 さすがにくたびれたので、その後はしばし昼寝。3人組は元気にパリ市内観光を続けている。


 

2005.3.10.(木)

 昼食は南野のアパートにパンやチーズなどを持ち寄って軽くすませる。そろそろ学生3人組は節約生活に入らねばならなくなってきたよう。その後3人はパリ市内でそれぞれ単独行動をしたそうだ。今日はフランス全土で交通機関のストライキがあり、パリは地下鉄・バスともにかなりの間引き運転で大混乱していたとのこと。南野は終日外出せず。

 夕食は南野宅の近くのインド料理屋で、カレーやチーズ入りナンに舌鼓。


 

 

見事なおもてなし!

 

デジカメを自慢するリュック

2005.3.11.(金)

 夕方、EHESS(社会科学高等研究院)でケラ教授の研究会に出席。なつかしい場所だ。ケラ教授と会うのも数年ぶり。雰囲気も、機関銃のような早口ぶりも、報告内容のオリジナリティも、まったく変わっておられない。つい最近、ようやく(!)結婚したばかりのとてもチャーミングな奥さんを紹介してくださる。研究会後は約束があったため、再会を約してさっさと退出。

 約束というのは、リュック宅でのホームパーティー。南野のパリ到着を祝して、ほぼ同世代の法学者を15名ほど集めてくれた。ダヴィッドも来ていたし、昨年11月東北大での講演を南野が通訳したダニエル(パリ大学講師)、二年ぶりの再会になるアルメル(ルマン大学教授)、エマニュエル(パリ大学非常勤講師?)など、なつかしい面々に会えて大満足。それにしても、リュックにこんなに料理の才能があったのかと驚かされる。興津君は初めて会う人たちと物怖じもせずに話している。たいしたものだ。南野は、パリ留学中の当初はこういうホームパーティーが苦手だったけれど。。。南野と興津君からは日本酒をプレゼント。

 12時半を過ぎ、地下鉄組が帰ったあとも、南野を含めて5名ほどが残って話し続ける。話題がそのうち有名教授の悪口などになっていくのは日本と同じ(?)で面白かった。憲法学者が多かったが、ルマン大学の副学部長は国際法学者。家の方向が同じで、帰りはタクシーに同乗させてもらい2時頃帰宅。おしゃべりで陽気な感じの良い人だった。


 

2005.3.12.(土)

 安部と荒木はスイスへ出発。残った柿原と昼食を食べたあと、南野は終日アパートに引きこもる。来週は学部の授業の他に、博士課程向けのセミナーも始めなければならない。大変だ。。。

 左の写真は、南野のアパートへ帰る途中にみつけたきれいなアパート。1900年前後建築のものだろう。時折こういう古いアパートを見かけるのも、パリのいいところ。パリ10区、ラファイエット通りにて。


 

2005.3.13.(日)

 朝、柿原はロンドンへ出発。ようやく春らしくなってきた日曜日の昼下がり、昼食がてら近所を一人散歩する。徒歩2分の距離にあるベルヴィル公園では、南野と同じように太陽を求めてやってきた人々がのんびりくつろいでいる。

 ふと、卓球台を発見(右上の写真)。ラケットとボールさえ持参すれば卓球ができる。これは良いものを発見した!

 公園の高台からはパリが一望できる(左中の写真)。遠くにモンパルナスタワー、エッフェル塔が見える。今度もう少し遅い時間に撮影してみよう。右中の教会は「十字架の聖母」教会。日本で言えば明治初年の建築。

 夜、そろそろ寝ようと思っていたら、ヤニックがノルマンディから恋人を連れて来訪。近くに住む友人宅に泊まる予定だったので、とのこと。東京で会い、その後福岡で会い、さらにパリで再会して以来、1年半ぶりくらいだろうか。噂の恋人(将来有名になりそうな服飾デザイナー)には初対面。うれしい突撃訪問だった。


 

 

2005.3.14.(月)

 トロペール教授と昼食。こちらも1,2年ぶりの再会だ。メールでは頻繁にやりとりをしてもらっていたので、そんなに長い間会っていないという気はしない。相変わらずお元気そうだ。

 トロペール教授の自宅は、パリでは珍しい一軒家。その界隈は左の写真のような、いわば閑静な高級住宅街。パリにもこんなところがあるのだ。実は南野のアパートからはわりと近いところにあって、今日も教授の家までは歩いていった。だんだん暖かくなってきて、天気も良い。散歩には最適の季節がついに到来したという感じだ。

 教授宅の近くにあるかなり高級なレストランでフレンチをご馳走になる。ドラードという鯛の一種をメインに食する。やはりたまには高級フレンチも良いものだ(笑)。食後のコーヒーは教授宅でいただく。上品な趣味の広いサロンからは庭も望める。天気の良い日には、庭で研究・執筆することもあるとか。これほどの好環境であれば、あれほどの名論文も書けるだろうというもの。。。(笑)


 

2005.3.15.(火)

 午前の講義では、学生にフランス語を教えてもらった。「鳩は平和の象徴」というつもりで鳩のことをピジョン(pigeon)と言ったら、教室内にくすくす笑いが広がった。あれ? とは思ったのだけれど、そのまま続ける。そして数分後、再び南野が鳩は平和の象徴と言ったとき、後ろの方に座っていた学生が、ピジョンではなくてコロンブ(colombe)だと言ってくれた。教室内は大爆笑。ピジョンというのはどこにでもいる汚い(?)鳩のことで、コロンブというのはセレモニーなどで一斉に放たれるようなきれいな白い鳩のことらしい。勉強になった。南野のフランス語力はつまりその程度のものでしかない。

 この話しを昼食時にリュックにする。するとリュックもピジョンとコロンブの違いって、はてなんだったっけ、と言う。実はリュックのフランス語力もこの程度のものでしかない(笑)。

 夕方、博士課程の講義があるはずだったのだけれど、来週に延期することになった。ドイツのマックス・プランク研究所から数週間だけリールに戻って来ているという法制史専攻の学生は、日本の憲法史についての講義をたいへん楽しみにしているとのこと。困った困った。。。

 リュックとTGVでパリに戻る。帰宅したあと、気になったのでピジョンとコロンブの違いを仏和辞典で調べてみる。コロンブの欄には、「白鳩(柔和、純情、平和の象徴。キリスト教では聖霊の象徴)」とあった。コロンブの形容詞はコロンバン(colombin)。そこで南野、ふと思い出した。カトリックの修道会で、「コロンバン会」というのがあることを。日本にも来ている。昔はこの会の名前を聞くとなぜか「転ばぬ先の杖」を連想していたのだけれど、これはきっと、聖霊の象徴であるコロンブを会の名前にしているに違いない。間違いない! うーん、違うかな?

 (追記)気になったのでインターネットで「コロンバン会」を調べてみた。上の南野説、まったくの間違いだった(恥)。6〜7世紀のアイルランド出身の聖人、聖コロンバンを会の保護者と仰いでいるからそういう名前になっているとのこと。聖コロンバンのスペルは、英語ではSt. Columban。白鳩ではなかったようだ。しかしまあ、コロンバンという名字(?)は日本で言えば鳩山さんみたいなもので、なんらかの関係があるのかも知れない。誰か教えてください。コロンバン会のホームページはこちら。こういうのを「転んでもタダでは起きない」と言うのだろうか。言わないか。

お向かいの小学校の朝

 

 

リール大学正面入口


 

リール大学中庭

2005.3.16.(水)

 リール大講義。8時北駅発のTGVに乗り、9時10分からの授業を10分遅れでスタート。これくらいの遅刻はフランスでは常識だろう(たぶん)。今日は日本国憲法の統治機構についての解説。アメリカやフランス・ドイツとの比較に話しがどんどんそれていき(ただしこれは好評だったようだ)、さらに日本の参議院の存在価値は何かなどという学生の質問から、比例代表制の話しやワイマール共和国、フランス第三共和制、ルネ・カピタン、日本の憲法調査会へとさらに話しがふくらんでしまったりする。そんな訳で予定していたところまで終えることができなかった。とはいえ、今日の講義は南野にとっては一番楽しかった。その分疲れたけれど。

 午後はあまりにも良い天気だったので、リュックとの昼食の約束をキャンセルし、旅に出ることにした。市内バスの地図を見ていると、ベルギーまで行くバスがあることを発見したため。想像していた以上にリールとベルギーは近い。おまけにパリとは違い、方向さえ同じであれば一枚の切符でバス・地下鉄・路面電車を乗り継ぐことができるとのこと。というわけで国境の街、Leers(レース)まで行ってみる。通りの名前が読みづらくなってきたり、フライドポテトのお店が目立つようになってきたのは、ベルギーに近づいている証拠だ。

 ベルギーへ入るはずだったのだけれど、南野の乗ったバスはレースのはずれで終点。運転手によるとこちらからベルギーへ入るバスは本数が少ないとのこと。別の方面から越えるべきだった。。。仕方なく、同じ運転手のバスに乗って戻る。地元の人だそうで、日本はどんな国なのか、パリはどんなところか、いろいろと聞かれる。

 月曜日からほとんど寝ていないこともあり、人と話していないとすぐにバスでも電車でも居眠りをしてしまう。しかもスーツだし。リール周辺の旅は後日あらためてということにして、夕方パリへ戻る。


 

ソルボンヌ広場で

2005.3.18.(金)

 卒業旅行でパリにやってきた浜尾君と街をぶらぶら。それにしてもほんとうに暖かくなってきた。カフェでもレストランでも、テラスに出て座っている人がたくさんいる。一週間前にはほとんど見られなかった景色。本格的に春の到来を感じさせ、気分も明るくなってくる。

 夜、エティエンヌがスロヴァキアからパリに到着。2週間のヴァカンスで、一週間をパリで、もう一週間をロンドンで過ごす予定とのこと。それにしてもフランス人サラリーマンは恵まれている。

 夕食は3人で、「にせもの」日本料理屋で。寿司と焼き鳥という組み合わせはこちらの「にせもの」日本料理屋での典型的メニューだ。


 

近所のメトロにて

 

 

シャトレーにて

2005.3.20.(日)

 福岡で大きな地震があったそうで、こちらでも少し報道されています。お見舞い申し上げます。

 昼食はエレーヌと。南仏のトゥーロンに引っ越してしまってから長らく会っていない。久しぶりにパリに戻ってきてくれた。お互い変わっていないね、と誉め合う(?)。さて以下はエレーヌに聞いたお話し。

 エレーヌと両親、弟4人がそろってバカンスで南仏モンプリエへ出かけたときのこと。数ヶ月前の話しだ。外で食事をしていると野良猫が寄ってきた。もともと猫を3匹も飼っている猫好きのエレーヌ一家、この猫に食べ物をやったりしていた。この猫、なぜかエレーヌの母親に妙になつき、膝の上に乗ってきたりする。次の日、近くで食事をしていると、またしてもこの同じ猫がやってきた。4日間連続で毎日この猫と遭遇したのだそうだ。

 そこでエレーヌ一家、この猫を拾って帰ることに決めた。ところが出発の日だけは、どうしてもこの猫に会えなかった。あきらめてトゥーロンへ戻る。数日後、やはりこの猫のことが忘れられず、なんと両親は車でモンプリエまでこの野良猫を探しに行った。そして運良くこの猫を見つけて車に乗せ、帰宅。

 すっかり家族の一員となったこの猫は、どこへ行くのもエレーヌたちと一緒。つい最近亡くなったエレーヌの祖母のアパートを片付けるため、アルプスへ行くときもそうだった。エレーヌのお母さん、山のような荷物のなかから、どうしても大切なドレスを探し出すことができない。と、突然、この猫が別の部屋に走り去り、隅に置いてあった段ボールの上にちょこんと座り動かなくなった。で、エレーヌのお母さんがこの段ボールを開けてみると、その中に探していたドレスがあった。すごいすごいと家族は大騒ぎ。ちなみにこのおばあさん、リュシーヌ(Lucine)という名前で、家族からは生前いつもリュリュ(Lulu)という愛称で呼ばれていた。

 トゥーロンに戻り、猫に予防接種と傷の手当てを施した。耳をけがしており、少しただれていたのだそうだ。その後、獣医さんから電話があり、耳をきれいにしたら、前の飼い主が猫の名前などを入れ墨にしておいたのが見つかったとのこと。そこでこの猫がどういう名前だったのかが判明した。耳の内側に書いてあったこの猫の名前は、Lulu だったそうな。


 

2005.3.21.(月)

 昨夜スイス方面から無事パリに戻ってきた荒木、安部に、エティエンヌ、ニコラ、浜尾を加え、合計6名で夕食。いつもいく中華料理屋のとなりのピザ屋にて。中華料理屋の店員に顔を覚えられており、挨拶されてしまう。学生3人組は明日と明後日の飛行機で日本へ戻る。南野は明日の夜予定があるため、今夜が全員での最後の食事となる。荒木と安部は三週間を超える長い卒業旅行、浜尾はほんの数日間の短い卒業旅行だった。それにしても、中華料理しか思い出に残らない旅でなかったのであれば良いのだけれど。。。

 そういえば、今日の昼過ぎ、南野、散髪をした。


 

2005.3.22.(火)

 安部、荒木、浜尾との最後の昼食は、トランプで負けたエティエンヌと荒木が買ってきた簡易中華。最後の最後まで中華なんて、とは誰も言わない(笑)。

 昼食後、4人を残して南野は一人リール大へ。今日は博士課程向けのセミナー初日だ。集まった院生は8名。ちょうど良い人数かな。憲法のみならず、国際法、政治学、法哲学、法制史、EU法・・・と参加者の専攻は多彩。それにリュックと南野を加え、合計10名での第一回セミナーとなる。最初にリュックが自由にリラックスして質問をどうぞと余計な(?)ことを言ったのと、院生のなかに一人国際公法専攻のアメリカ人留学生がいたために、ここはフランスかと思うほどに参加者の質問・発言が相次ぐ。南野は四苦八苦。フランス人学生はほんとうは静かでほとんど発言しないはずなのに。。。話そうと予定していたことの半分も終えられなかった。ともあれ、そういう雰囲気のなかで休憩を挟んでの4時間近いセミナーは終了。かなりの「重労働」だけれど、次回が楽しみではある。

 夜、リュックと同世代の行政法学者ジェラルディーヌと3人でパリへ戻る。


 

 

2005.3.23.(水)

 先々週、学生4人組とモンサンミッシェルへドライブをしたけれど、その後日談。今朝、郵便受けに南野宛の一通の封書が届いていた。なんたることか、道路交通法違反の通知書だった。。。ずばり、スピード違反。

 たしかに国道でオービスが光った記憶がある。あ、いま撮影されちゃったかも、そういえば周囲の車がなぜか急にスピードを落としていたもんね、などと車内で話していたのも記憶している。。。通知書によると、制限速度70キロのところを、南野の車は104キロで走っていたことになっている。罰金は、135ユーロ(約2万円!)。ただし、2週間以内に罰金を払うのならば90ユーロ(約1万3千円)に減額され、45日以内に払わなければ375ユーロ(約5万5千円)に増額される(左の写真の赤で囲んだ部分を参照)。異議申立ての方法も詳しく説明してあり、実際に異議を申し立てればどうなるのかは、法律学の観点からはたいへん興味深いところではあるけれど、ここはおとなしく2週間以内に罰金を払うことにしよう(笑)。そもそも申し立てる異議がない。

 昼食は、エティエンヌとモンパルナスで。すっかり春だ。太陽がまぶしいくらい。


 

2005.3.25.(金)

 夕方、ヒレルが誘い出した、パリ政治学院で日本語を学んでいる彼の同級生3人とカフェ。同級生とはいうものの、日本語のクラスが同じというだけで、他の3人は学部で言えば4年生。ヒレルの先輩にあたる。友人関係に年齢差が意識されないのは、フランスのいいところではある。

 写真の右隅にいる女子は昨年一年間東大駒場に留学したとか。しかしみな英語ばかり話していて、日本語はほとんどうまくならなかったと不満らしい。是非九大へ留学して欲しい。ヒレルとこの女子の間にいる男子はロシアからの留学生。さすがにシアンスポの4年生だけのことはあり、驚くほどフランス語が上手だ。もう一人の女子は断固撮影拒否(笑)。決して譲らないところもフランスらしい。

 夜は、エティエンヌ、ジールと3人で夕食後、観劇。久しぶりのテアトルで、大満足ではあるものの、やはり演劇のフランス語はなかなか難しい。明日からフランスは復活祭の3連休に入る。


 

 

2005.3.26.(土)

 エティエンヌの両親宅で、復活祭恒例のパーティー。久しぶりに会う子供たちが大きくなっているのに驚く。たとえば左上写真のリュカは4歳半になった。南野はリュカの洗礼式にも出席しているが、その頃の写真と比べると成長ぶりに驚いてしまう。ま、生後3ヶ月だったのだから当然だけれど(ここをクリック)。

 昼食はメインディッシュがチキン。フランスでは5月末に国民投票が迫っている「欧州憲法」について、憲法学者としての(?)解説を大人たちに求められる。

 昼食後、復活祭恒例の「卵さがし」。大人たちが大小の卵型チョコレートを部屋の隅々に隠し、それを子供たちが見つけて食べるというフランス版宝探しゲームだ。前回は庭でやったのだけれど、今回は雨のため室内で。復活祭の伝統行事だ。右下の写真はセリアーヌ(3歳半)がチョコレートを見つけて喜んでいるところ。ところでこのセリアーヌ、実は九大法関係者にはひょっとするとおなじみかも知れない(笑)。2003年度版の法学部紹介パンフレットに南野と一緒に写っているのが彼女(ここをクリック)。一部でフランス人形か、あるいは南野の隠し子か、という噂がたったようだけれど(笑)、真相は、エティエンヌのお兄さんの娘。

 深夜、日曜日の午前2時、フランスの時計は午前3時となる。夏時間のスタートだ。

 


 

2005.3.27.(日)

 今日からサマータイム。一時間時計が早まった。日本との時差は7時間に。日本が例えば午後7時だと、こちらはちょうど正午となる。こちらが昼食のとき、日本は夕食というわけだ。

 夕方、エティエンヌがロンドンへ出発。北駅からユーロスターで3時間の距離だ。思わず一緒に行きたくなってしまう。そう言えばロンドンにはもう何年も行っていないなあ。。。しかし明後日、南野は同じ北駅からリールへ行かねばならない。


 
 

2005.3.29.(火)

 午後、TGVでリールへ。本日のセミナーももりだくさんの内容となる。ドイツに詳しいリュックにドイツ国法学の解説をしてもらったりして、南野は少しラクをした。リュックはかなりおしゃべりなタイプなので、うまく話を振るとかなりこちらが話さなくて済む。。。(笑) とはいえ、くたくた。


 

 

日 付
主な内容
旧・個人的ニュース

学士院研究会報告顛末記、ブルターニュ週末旅行、オリヴィエ誕生日パーティーなど

ステファン誕生日パーティー、ストラスブール日仏公法セミナー、ブルジュ・ヌヴェール週末旅行、大晦日仮装パーティーなど

元旦、武田・岩月君、EHESSセミナー、大村先生宅、伊藤先生、Cayla 先生宅など

スト、岡田先生、ベルギー週末旅行、クリストフ、武田君、瑞香来訪、美帆・由希子帰国など

Mel Madsen 氏来訪、辛い研究会、樋口先生、ススム来訪、灰の水曜日、早坂先生、皮膚・性病科、健太郎来訪、ニース珍道中記など

カレーパーティー、大村先生宅大嶽先生宅、復活徹夜祭、アントニー来泊、緑の桜の謎、花沢夫妻来訪など

アムステルダム週末旅行日本シリーズ参議院調査団通訳、多恵子一行来訪など

南野邸お茶会、ルカ洗礼式、ローラン・ギャロス、子どもモーツァルト、イタリア旅行、樋口先生、音楽祭り、研究会「違憲審査制の起源」など

日本人の集い、フランソワ・フランソワーズ夫妻宅、フレデリック誕生日パーティー、モニックさん・彩子ちゃん来訪、北欧旅行など

北欧旅行続き、ゲオルギ来訪、玲子兄・藤田君来訪、オリヴィエ4号来訪、色川君来訪、ピアノ片付けなど

姉・奥様来訪、日本へ帰国、東京でアパート探し、再びパリ行など

誕生日パーティ、Troper 教授主催研究会、Cayla 教授と夕食、日本へ帰国など

花垣・糸ちゃん邸、スマップコンサート、フランス憲法研究会、憲法理論研究会など

洛星東京の集い、東大17組クラス会、パリ、ウィーン、ブラティスラヴァなど

エティエンヌ来日、広島・山口旅行ボー教授来日、法学部学習相談室のセミナーなど

長野旅行、パリで国際憲法学会など

新・個人的ニュース

リール大学で集中講義のため渡仏、興津君・西島さん・石上さん・ダヴィッド・リュック・ニコラと再会など

2005年3月1日〜29日

リール大学での講義スタート、武田君・タッドと再会、ヒレルと対面、芥川・安倍・荒木・柿原来仏、モンサンミッシェル、トロペール教授と昼食、浜尾君来仏、ヤニック・エティエンヌ・エレーヌと再会、復活祭パーティなど

パリ行政控訴院で講演コンセイユ・デタ評定官と面談リール大学最終講義、日本へ帰国

 

 

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