新・個人的ニュース

 

旧・個人的ニュース(フランス留学時代)はこちら

2007.6.9.(土)

 岡を早朝に出発し、成田経由でパリに到着。現地時間は午後5時過ぎ。

 液体の機内持ち込み規制が大幅に強化されており、南野の手荷物にあった歯磨き粉や化粧水が成田の手荷物チェックでひっかかってしまった。歯磨き粉は液体なんけ。歯磨き粉はともかく、化粧水の方は少々お高いものなので、捨てるにしのびなく、いったん手荷物検査場を出て、全日空カウンターで交渉。この化粧水、高いんすよ〜とお願いしたところ、桃井かおり姉さんの宣伝効果のたまものか、「よくわかります」とお姉さんが快諾してくれ、丁重に梱包し、パリまで運んでくれることになった。そこまでしてもらうとやや気が引ける。

 さて、パリに到着したあとは、早速着替え、南野とエティエンヌの共通の友人であるフレデリックとマーシアルの「結婚式」へ。時差ボケもあり旅の疲れもあり翌朝早いこともあり、早々に帰りたかったのだけれども、(エティエンヌによれば)なかなかそういう訳にもいかず、結局12時過ぎに退散。のところが、途中まで送ってもらうことになったマーシアルのご両親が運転する車がちょっとした「トラブル」に会い、結局エティエンヌ宅に無事に戻ったのは午前3時とあいなった。爆睡。

 

 

2007.6.10.(日)

 テネに到着しました。詳細は後日。。。とりあえずもう深夜2時を回っているので、、、寝ます。

 パリを出発する直前に、フランクフルトからアテネに向かう福岡さんが連絡をくれ、アテネ空港で落ち合うことに。15年ぶりにオリンピック航空機に乗り、3度目のアテネへ。15年前にはなかった新しい空港に到着。福岡さんとは1年半ぶりの再会になる。『地球の歩き方』ではあまり評判の良くないタクシーも、パリのそれとほとんど変わることのない様子で、無事に南野のホテルまで到着。もうすぐ7時という夕刻だけれど、まだまだ明るい。ごく近所に投宿した福岡さんと連れだって、早速市内観光へ。17年前に初めて一人でアテネへ来たときに、『地球の歩き方』を頼りに一人で登ったリカヴィトスの丘を目指す。市内が一望できる、標高273mの「丘」。

 我々のホテルはいずれも、市内中心部の北側、オモニア広場の近くにある。そこから大通りに沿ってまずはシンタグマ広場へ向かう。地下鉄では二駅の距離だけれど、駅と駅の距離がたいしたことないので15分くらいで到着。シンタグマというのは憲法という意味で、1834年にここで憲法が発布されたためこの名が付いているそう。無名戦士の墓があり、それを守る衛兵が民族衣装に身を包んで直立不動。毎正時に行われる衛兵交代にタイミング良く遭遇(写真)。この明るさで夜8時だ。サマータイムはなかなか良い。この広場の向かいには、きっと偉い先生方が投宿されている豪華ホテル「グランドブルターニュ」があった。ドゥオーキンもここにいるのだろうか。ちなみに、無名戦士の墓の裏にそびえる大きな建物は、大統領宮殿、と福岡さんに得意顔で説明していたのだけれど、『地球の歩き方』によると国会議事堂だった。

 さらに地下鉄一駅分を歩き、リカヴィトスの丘のケーブル乗り場を目指す。17年前、たった一人の孤独な貧乏旅で、日本人にも巡り会わず、実に寂しくとぼとぼと歩いていたのを思い出す。今回は愉快な道連れができたおかげで、道の両端のテラスで楽しそうに夕食を採るグループやカップルをみても、おのれの不遇が悲しくなるということは、まるでない。すっかり綺麗にリニューアルされたモダンなケーブルカーで、あっという間に頂上に到着。

 アテネが一望できる見事な眺めだ。アクロポリスの丘も見えるし、そのさらに向こうには、ピレウスの海も(写真)。たしか17年前に来たときは、しばし景色を眺めたあと、どうしようもない程の暇と孤独を紛らわすために絵はがきを書いたりビデオカメラに向かって一人ごちたりしていたはず。今回はやはりそれとも無縁。頂上には、アテネオリンピック効果なのか、当時にはなかったはずの綺麗なカフェレストランが出来ており、福岡さんと落ち着く。ビールと紅茶だけを注文したのだけれど、いくら待っても来ないのと、風がややあって少し肌寒くなってきたのと、何より空腹を覚えてきたので、もういいや、と何も言わずに立ち去る(反省)。アクロポリスの丘は上品にライトアップされている(写真)。我々のいるリカヴィトスの丘もまた然り、のはず。

 すでに9時半になっている。急いでケーブルで降り、徒歩でシンタグマ広場に戻り、プラカ地区を目指す。アクロポリスの丘の下に広がる旧市街地区で、19世紀の家並みがそのままに保存されている。観光客の一番多く集まっているところだ。雰囲気の良さそうなレストランを探しながらぶらぶら歩いていると、あっという間にアクロポリスの丘の直下に到着。少し階段を上ったところにあるレストランに入る。かつての一人旅では、夕食がもっとも孤独を感じさせる時間で辛かった。ヨーロッパには、日本にはどこにでもあるような、一人で気安く入れるような定食屋っぽいところがあまりないように思う。二人で堂々と(?)入り、ギリシアサラダとスパイシーチーズ(たぶんフェタチーズだろう)のサラダを前菜に、ムサカとチキンローストをメインに。福岡さんの座った席からは、やはり上品にライトアップされたリカヴィトスの丘が遠くに見える。こうしてみるとかなり遠く見えるものだ。

 ちょうど12時頃にレストランを出る。レミ君から携帯にメールが届く。昨年9月にモンペリエで知り合った博士課程の学生だ。モンペリエから今回の学会にやってきた4人でカフェバーにいるとのこと。少し顔を出すことにする。モンペリエ大法学部事務室で一番の大物(?)アビバ女史、モンペリエ大法学部博士課程で一番の美人(?)ファニー嬢とは久しぶりの再会、モンペリエ大法学部で一番のイケメン(?)講師ピエール=イヴ君とは初対面になる。彼らは土曜日にアテネに入り、早速船でエーゲ海に浮かぶイドラ島にわたり、泳いできたそうな。たくましい、うらやましい。アビバ女史はかなり愉快で豪快な人。英語とオランダ語とドイツ語しか(!)できない福岡さんには少し申し訳なかったけれど、基本はフランス語で大いに盛り上がる。

 2時頃、解散。モンペリエグループは徒歩で近くのホテルに、日本人二人はタクシーでオモニア広場に戻る。ようやくつながったネットでメールをチェックして就寝。

 

 

 

 

 

 


 

2007.6.11.(月)

 際憲法学会第7回世界大会スタート。詳細は後ほど。。。

 会場はザピオン国際展示場(写真→後日ジュリスト1339号に掲載されています)。「1874〜78年に建てられ、正面玄関の列柱が非常に均整の取れた美しい姿を見せている。建築に興味のある人には、見逃せないものだ。通常中には入れない」(『地球の歩き方』)とのこと。もちろん、堂々と入る。

 登録手続を済ませ、早速オープニングセレモニーの会場へ。長谷部先生と辻村先生の姿をみつけ、隣に座る。福岡さんも。しばらくするとピエール=イヴ君とファニー嬢もやってき、我々の前に座る。アビバ女史とレミ君は観光に行っているそう(笑)。少し離れた席に、オリヴィエ・ボー教授の姿も見える。ボー教授については、この「個人的ニュース」では、かつて、フランス人には珍しく、退屈な報告が始まると研究会の最中に居眠りをする人、と書いたことがある。今回はどうだろうか。

 オープニングセレモニーは来賓挨拶が延々と続く。ギリシアの内務大臣に始まり、国会議員、学士院会員、ギリシア憲法学会会長等々、そして最後に国際憲法学会会長に至るまで、総勢10名。これまで南野は、東京大会、ロッテルダム大会、そしてサンチアゴ大会に参加してきたが、ここまで長く多い来賓挨拶は初めて。あまりにも退屈で、3人目の挨拶ぐらいからぐっすりと眠らせていただく。目がさめて、そうそうボー教授はどうしているだろうとその姿を探すと消えていた。今回は居眠りをする代わりに、会場を離れて観光にでも行かれたのかもしれない。いや、きっと明日の報告に備えての最終準備をされているに違いない。

 その後は隣の会場で昼食。ワインが出ないのはいかがなものだろうか(笑)。ギリシアチーズやギリシアサラダ、ギリシアチキンやギリシアラムに舌鼓。

 さて。午後の全体会は、諸般の事情により早引きをし、いったんホテルに戻り着替えたあと、福岡さんと市内観光。モンペリエグループも同様の決断をしたようで、オモニア広場でいったん合流し、アクロポリスの丘まで同行。そこで別れ、福岡さんとアクロポリスの丘に登る。ドイツの学生証を持参していた福岡さんは無料、学生でない南野は、アクロポリスの丘のみならず市内の博物館等にも入れる共通チケットしかないと言われ、仕方なく12ユーロも払って入場。とにかく暑い。強烈な日差しだ。

 パルテノン神殿は、修復(?)作業中だったけれど、17年前に一人で登ってきたときの記憶とそう変わらない風景に不思議な感慨を覚える(15年前に海老沢・水口と来たときにもここに来ているはずなのだけれど、あまり記憶がない)。15年どころか、千年以上、もしかすると二千年以上、こういった風景がここには忽然と存在していたのだろう。昨夜ケーブルで登ったリカヴィトスの丘もよく見える。のんびり、十分、アクロポリスの丘を堪能したあと、プラカ地区に戻ってビールで休憩。そしてホテルに戻り、再び着替え、学会に復帰。

 初日の歓迎ディナーはアテネ市主催。学会会場のザピオン展示場のちょうど真ん中にある円形広場にテーブルが用意されていた(写真)。天井がないので、たいへん心地よい。江島・辻村・西原・長谷部各先生や福岡さん、そして明日ドゥオーキンと並んで報告をなさる井上先生らと並んで会食。井上先生とはかなり久しぶりなので、嬉しかった。

 福岡さんとタクシーでオモニア広場へ戻り、それぞれ帰宅。もう12時だから就寝、となるはずが、ちょうど寝ようとしていたころに、モンペリエグループから呼び出しをくらい、メトロでほんの一駅の場所にいるというので、つい行ってしまう。。。さすがはフランス人、観光客ではなく、現地人が集まるような地区になかなかにぎやかなバーを発見していた。


 
        
        
        
        

 

2007.6.12.(火)

 会2日目。今回の学会のメインイベント(?)、ロナルド・ドゥオーキンの登場である。モンペリエグループも、今回の学会にはこのためにだけ来たと言ってはばからないくらい。参加者の多くが期待している。南野も、あのドゥオーキンがいったいどんな顔をしているのか、どんな話し方をするのか、どんな服を着ているのか、かなり興味津々である。つまりは、ミーハーということか。というわけで、午後の全体会には多大な関心をもって参加。長谷部先生の横に座る。

 パネリストは司会者を除いて5名。井上先生は少し席を外されている(写真)。向かって一番右側が、オリヴィエ・ボー教授。その左がドゥオーキン。南野がイメージしていた外見とは大いに異なる人であった。ボー教授のみフランス語、他のパネリストは全員英語による報告。井上先生の英語は早口過ぎてうまく聞き取れなかったため、同時通訳イヤホンでフランス語ヴァージョンを聴く(笑)。対照的に、ドゥオーキンの英語はかなりゆっくりで、驚くほど聞き取りやすかった。3時間ほどかけて5人の報告が終わったあと、カフェ・ポーズ。昨夜の夕食会場が、コーヒー会場になっている(写真)。

 そこでモンペリエグループと再会。昨日メトロのホームで撮影した写真はぶれていたため、モンペリエ大法学部事務室一番の大物はどんなヤツだ、一番美人の博士課程学生はどんなヤツだ、一番イケメンの講師はどんなヤツだ、と南野の学生からすでに問い合わせが殺到しているという真っ赤な嘘をついて、きちんと写真を撮影(笑)。ちなみに事務室の大物アビバ女史は来ていない。なお、いったいこいつのどこが美人やねん、とか、いったいこいつのどこがイケメンやねん、とかいう苦情は受け付けておりません。

 30分ほどのコーヒー休憩が終わったあと、研究会が再開。質疑応答が始まる。その前に、演題にいるボー教授に挨拶。5年ぶりなので、なつかしい。残念ながら明日の早朝パリに戻るとのこと。質疑応答中に、勇気を出して席をたち、パネリストたちの写真を撮影。井上先生、ドゥオーキン、ボー教授を望遠で(写真→これも後日ジュリスト1339号に掲載されています)。

 小一時間ほどの質疑応答が終わったあと、井上先生の慰労をかねて、夕食を採るため西原・長谷部両先生、福岡さんとプラカ地区へ向かう。我々日本人グループがぞろぞろと会場を後にしているとき、ふと振り返ると、スーツに運動靴姿のドゥオーキンが一人でぽつぽつと歩いていた。おいおいほったらかしかよ。

 すかさず井上先生が駆け寄られ、旧交を温められているのか、あるいは議論の続きをされているのか、あるいはまたその両方か、いずれにせよ、並んで歩かれ始めたので、すかさず、へたくそな英語で、写真とらせておくれやす〜と頼んでパシリ(写真)。これって、そのスジの人(ドゥオーキニアンとか、タツオニストとか笑)にはかなりお値打ちの写真ではないだろうか(笑)。

 井上・長谷部両先生、そしてドゥオーキンの投宿している豪華ホテルを通り過ぎ、日本人グループでアクロポリスの丘のふもとにあるレストランへ。一昨日福岡さんと南野がやってきたレストランの一軒隣のレストランに入る。屋上に席が設けられており、市内も一望できるし、またアクロポリスの丘も望めるという、観光客には絶好のロケーション。アクロポリスをバックに井上先生をパシリ(写真)。市内をバックに、長谷部先生とも一枚カシャッ(写真)。

 ゆっくり食後酒まで楽しんで、夜10時ごろに解散。明日分科会の司会をなさる長谷部先生や報告を控えておられる西原先生はホテルに直行(たぶん)。まだ飲み足りない(?)井上先生と、南野、福岡さんで、少しだけ飲み直すことになる。井上先生の泊まっておられる豪華ホテルの5階にテラスバーがあり、そこからアクロポリスの丘がよく見えるということなので、そこへ連れて行っていただく。

 すっかり綺麗にライトアップされたアクロポリスが眼前にそびえ立つ眺めは、なるほど最高だ(写真)。12時過ぎまで井上先生に付き合っていただき、その後福岡さんとタクシーで帰宅。今夜はもう飲みに出かけませんから。。。

 

 

 

 

        
        

 

2007.6.13.(水)

 っとー。危うく寝過ごすところだったけれど、なんとか学会3日目、午前の分科会(9h30〜13h00)に間に合った。南野の出席した第七分科会の司会者は、長谷部先生と、パリ第一大学のオットー・プフェルスマン教授。この「個人的日記」にも何度も登場したこわ〜い先生である。

 昼休みには、本日午後の飛行機でモンペリエへ帰るレミ君にお土産を渡す(他の3人は朝6時まで踊っていたそうでまだご就寝中とのこと)。お土産は、出発直前に、ゆめタウンで購入した甚平。大きな箱に入っているため、軽いものの邪魔になっていた。海外旅行先でこのようなものを渡された方も迷惑だとは思ったけれど、月曜日に会った時から、大きくて邪魔になるプレゼントを持ってきたと予告していたこともあり、まあ、喜んでもらえた。キモノ!キモノ!と興奮気味ですらあった。甚平は着物だっけ?

 さて、本日は、午後が理事会開催につき学会自体はお休みのため、昼食はない。そこで辻村・長谷部先生、福岡さんとプラカ地区のカフェレストランへ行く。3時からの理事会に出席のため両先生と別れたあと、そぞろ歩き+地下鉄でホテルに戻る。着替えて観光に出発。

 そうだ、海を見に行こう、エーゲ海を!ということになり、オモニア駅から地下鉄に乗り、終点のピレウス駅で下車。いきなり海。とはいえそこは、いわゆるエーゲ海クルーズ等の巨大なフェリーや客船が停泊する大きな港(写真)で、のんびり夕方に散歩してみようか、といった雰囲気のところではなかった。せっかく来たのだから船に乗るか、ということになる。とはいえ、もう夕方の5時。福岡さんがいろいろと聞き歩いてくれた結果、一番近くにあるエギナ島というところなら、5時45分発のフェリーがあり、片道約一時間、帰りの最終は7時45分発とのこと。滞在時間は一時間しかないけれど、まぁ行けないことはない。往復料金は約15ユーロ。安くはないけれど、まぁ行けないことはない。というわけで行くことにする。

 船は豪華ではあったけれど、がらがら。こんな時間にエギナ島へ行く観光客はいないらしい。いちゃつくカップルくらいしかいない(写真)。伴走するカモメはたくさんいる(写真)。仙台松島でかつて遊覧船に乗ったとき、カモメがたくさんやってきたのを思い出す。ギリシアのカモメもまた、きっと観光客からポテトチップスを投げてもらうことを覚えたに違いない。学習能力はあるものの、観光客が乗っているかいないかの判断能力はあまりない、ということだろうか。それとも単なる運動か。

 フェリーを降りてすぐのところにあるビーチは閑散としていた(写真)。さらにその近くにある遺跡はもう閉まっていた。『地球の歩き方』によれば、バスなりタクシーなりレンタルバイクなりで島の反対側に回ると、すばらしいビーチがあったり、紀元前5〜6世紀に建立された神殿が残っていたりするらしいけれど、我々にはとてもそこまで行く時間がない。船着き場近辺の土産物屋街をぶらぶらする(写真)。この島は、ピスタチオが名産らしいので、お土産に少し購入(一部の方、乞うご期待)。そしてさっき降りたばかりのフェリーに乗り、ピレウスに戻る。地下鉄でアテネ中心部に戻って夕食へ。

 アテネ滞在も半分が過ぎたことだし、いったんギリシア料理は休憩ということにする。某日本料理店は一部の方にオススメしないと言われていたので避け、また中華料理店は市内中心部に見つけられなかったので諦め、『地球の歩き方』に載っていた韓国料理店を探して入店。プルコギ、チャーハン、キムチなど。おいしかった。

 

 

 

        

 

2007.6.14.(木)

 日目の学会。いつも通り、オモニア駅から地下鉄に乗り、二駅目のシンタグマ駅(写真)で下車。ぴかぴかでかなり清潔感のある地下鉄だ。さて、だんだん参加者の減って来た感のある学会(笑)、午前は長谷部先生司会の全体会、午後は分科会を二つはしごする。今日はテーマとしては政教分離漬けの一日となった。

 いったんホテルに戻ったあと、一人で市内をかなり大きく歩いて回る。色々迷ったこともあり、結果として観光地でも何でもないところをうろうろすることになった。ようやくアクロポリスの丘が近くに見えるあたりに戻ってきたとき、まったく偶然に、西原先生と福岡さんに出くわす。今夜は南アフリカ共和国大使館が、学会参加者を招待してレセプションを開催していたのだけれど、南野は参加せずに一人散歩を楽しんでいたところ、そのレセプションから帰ってきた二人にばったり出会った、というわけ。その後も一人で歩き続ける。今夜は一人さまようことに決めたので。アテネ市役所前にあるギリシア中央銀行前の広場では、なぜかコンサートをやっていた(写真)。午後11時を回っているというのに、大音量で。しかも今日は木曜日、平日ちゃうんけ? しばらく見物していたら、11時半に終了とあいなった。

 話が前後するけれど、そういえば、郊外を歩いていると、突如現れた広場というか廃工場跡というか、なんともいわく言い難い場所に多くのテントがたてられ、奥の方ではこれまた大音量でロックコンサートをやっていた。日本で言えば夜店・露店のようなものもたくさん出て、サンドイッチやホットドッグ、氷で冷やしたビールなどを売っている。いったい何事かとずんずん入っていくと、たくさんあるテントではマンガを売っていた。しかもその装丁は小冊子のような手作りっぽいもので、カウンターの向こう側にはおそらくそれらの作者であろう若者がずらっと並び、買ってくれた人にサインをしたりしていた。ようするに、同人誌の販売会といったものだろうか。ギリシアでは夜中にロックコンサート付きでやるんけ? というわけで、あまりオタクっぽい雰囲気はなし。それにしても、今日はなんかのお祭り日だったのだろうか。

 


 

2007.6.15.(金)

 いに学会最終日。午前は全体会。午後は閉会式。閉会式は次回4年後の学会開催地の発表とか、次期学会会長の発表とかがメインといえばメインであるけれど。いずれもすでに長谷部先生から教えてもらっているので、欠席することにする。そもそも長谷部先生も今朝の飛行機で帰国されているはず。というわけで、福岡さん、井上先生と最後の市内観光にでかけることになった。

 世界各国どこへ行ってもナイトライフ(文化的な)をとことん楽しまれるという井上先生は、今夜はアテネ郊外の劇場でダンスパフォーマンスの舞台を予約しておられるとのこと。せっかくだから一緒にどうぞと言われたので、飲むだけのナイトライフを満喫してきた南野、まあ行ってみようかな、という気になる。予約の電話番号にチケットを申し込むため電話をしたところ、なかなかつながらないため、いっそのこと現地に行ってみようということになり、3人でタクシーに乗る。運転手もよく知らない住所に向かう我々のタクシーは、どんどん中心部を離れ、昨夜一人で南野が歩き回った郊外地区をさらに通り過ぎて離れて行く。まあ劇場はいろんなところにあるだろう。

 30分ほど乗ったあと、井上メモにある通りの番地に到着。しかしそこに劇場はなかった。あったのは巨大な倉庫群。タクシー運転手女史は、大笑いしている。ここでタクシーに離れられると帰るすべがなくなりそうだったので、とりあえず待機してもらって3人で降りてみる。やはり倉庫ではあるけれど、ガードマンらしき人がおり、英語も通じる。ここで今夜9時から舞台があるということは間違いなく、しかしながらチケットオフィスは午後7時半に開くとのこと。つまり今、午後1時頃にここに来てもチケットは買えないとのこと。こういった雰囲気をみて、南野、なんとなく読めてきた。。。

 要するに、売れない新興劇団が、場所代の安い郊外の空き倉庫を借りて、訳のわからない前衛(?)パフォーマンスをするのだろう。客は現代舞踊を理解し愛する奇特な少数の(?)人々で、そのメンバーでない南野は、アテネ最後の夜をこんな郊外でこんな人々と過ごすよりは、観光客の集まる中心部でゆっくり土産物漁りでもしたほうが楽しいに決まっている。行くのやーめた。

 とりあえず、午後7時にここにやってきて当日券の余りがなければ困るので、後でもう一度予約電話番号にかけ直してみようということになり、待たせてあってタクシーに再度乗り、中心部へ戻る。まずはケラミコスの遺跡へ(写真)。プラトンがアカデミアへ通った道の跡など、ちょいと想像を絶する大昔のものが残っている。貴人の墓地の見事な装飾などに感動。併設されている、ケラミコスから発掘されたものを納める博物館(写真)でも、おいおい、これって2500年以上も前のものなんだよな、と感動。それにしても、遺跡にしても遺物にしても、もうちょっとマシな管理の方法があるようにも思われる。ギリシア政府っつうのは、おおらかというか、やる気がないというか。。。まぁ、この暑さだと無理もないかと3人で納得(?)。

 とにかく日差しがきついため、ケラミコスを出たときにはもう3人ともくたくた。少し歩いて遅めのビールと昼食。観光地のど真ん中のため、びみょーな音楽家やびみょーな物売りなどが食事中の我々をさんざん邪魔してくれる。一部を無視、一部に寄付。食事が終わったころ、井上先生が今夜の舞台の予約電話番号に再コール。どうか満席でありますように。チケット予約の締め切り時間はもう過ぎてしまったそうで(いいぞ、いいぞ)、ところがまだ当日券が150枚ほど余っているため、直接現地へ行っても大丈夫だろうと電話子は答えたとのこと(え。。。↓)。南野、なんとなく読めてきた。。。。

 150枚も当日券が余っているぅ? やはりそうだ。倉庫でやる現代舞踊を見に来る客なんて、その筋の人だけなんだ。あの倉庫、座席も何もなかったけれど、どうせ少数の客は地べたに座らされて、ダンサーも地べたでびみょーな踊りをするだけに違いない。井上先生がアメリカやドイツで楽しまれたであろう、フツーの現地人や観光客も大勢楽しめる愉快な舞台とはまるで異なる性質の、やばいタイプの集会なのだ、きっと。南野、アテネ最後の夜に、あんな遠いところに行って、そのスジの人々と現代舞踊を見るわけには行かない。今夜はかわいいゼミ生や九大関係者にたくさんお土産を買わねばならないのだ。と考えていたそのとき・・・

 井上先生 「南野君、今夜の舞台、一緒に行くよね?」

 南野 「は、はい、是非ご一緒させてください」

 。。。

 これが大人の態度というものではないだろうか。ゼミ生諸君、是非とも見習いたまえ。

 というのは冗談で、正直なところ、その頃には、倉庫で踊るやばいダンサーをやばい少数のプロ市民と並んで地べたに三角座りをして来なけりゃよかったと思いながら見つめておられる井上先生のお姿を見るのも一興、行ってみようという気にはなっていた。150枚当日券が余っているということだったけれど、きっと売れたのは先生の予約分を含めて5枚くらいでしょう、もし満席になっていたら今晩の夕飯、南野がおごらせていただきます、と申し上げる。観光客が決して来ないような舞台を見に行くのも、南野一人では決してしていないはずのこと、これまた貴重な経験になるだろう。モノは考えようで、少し楽しみにすらなってきた。

 さて、昼食後は本日のメインイベント、古代アゴラの見学へ。今回が3度目のアテネではあるけれど、これまで一度も入ったことのないところ。そのなかには、「ギリシアで最も原形を残している神殿」と『地球の歩き方』に書かれているヘファイトス(テセイオン)神殿がある。アクロポリスの丘から眺めたときも、たくさんの列柱と屋根がきちんと見えたため、きっと最近になって再建されたものだろうと勝手に思いこんでいたところ、「建築時期はパルテノン神殿が建てられた頃とあまり変わらない」そうだ。そういうわけで数日前からずっと気になっていた神殿に、ようやくご対面とあいなった(写真)。神殿まで登ると、見晴らしは最高。アゴラが一望できるのみならず、アクロポリスの丘も、リカヴィトスの丘も視野に入る。井上先生もたいそう喜んでおられる。アクロポリスの丘を遠くに望み、アゴラをバックに先生と記念撮影(写真)。

 この神殿、たしかに極めて保存状態が良い。列柱は、なかにはだるま落としよろしく危うげにずれているものもあるけれど(写真)みんな残っているし、屋根もほとんど残っている。古代の神殿がどういうものだったのかということは、アクロポリスの丘のパルテノン神殿をみただけではなかなか想像できない。ソクラテスが裁判にかけられたところの跡(と我々が勝手に同定したところ)では、哲学者の井上先生はやはり感慨深そうであった。博物館もゆっくり見学。福岡さんがちょうど少し離れたところで、井上先生と声を潜めて古代ギリシア彫刻における男性器の表現のあり方について学問的に検討する。一応の結論は、きわめて写実的である、ということに(論拠省略)。

 アゴラをゆっくり見学したのち、近くのカフェでまた休憩。とにかく暑いし、今日はとことん歩いている。というわけで、生ビールが実においしい。気がつけば8時過ぎ。というか周りが明るいためなかなか気がつかない。舞台は9時からなので、急いでカフェを出る。タクシーを捕まえるのに一苦労したものの、9時10分ほど前に倉庫に到着。

 当然当日券は余っている。福岡さんは学生割引で15ユーロ、南野は25ユーロ。この時点であれ?と思い始める。客が多いのだ。当日券売り場にも人がたくさん来ている。倉庫へ向かう道にも人が歩いている。ん? しかも、昼過ぎに「下見」にやってきたがらんどうの倉庫には自家用車がたくさん停まっている。つまり駐車場になっていた。そして舞台がある倉庫は下見で見たのとは別な倉庫であった。。。

 入り口にはきちんとチケットチェックの男性が二人おり、二人ともブルーの制服を着ている。中に入ると階段状の客席と立派な舞台が設営されており、やはりブルーの制服を着た女性たちが座席案内をしてくれている。客席は、満員とはいかないものの、数百人もの、しかも一見したところ、フツーのギリシア人が集まっている。南野、読み違えておりました。フツーの舞台でした。

 そしていざ開場。ギリシア語のアナウンスに続き、なんと英語で、撮影禁止とか携帯切れよとかのアナウンスがある。え? 観光客も来るような舞台なわけ? というわけで、南野の予想は完全に裏切られ、なにやらすてきな舞台が始まる予感。

 男女1人ずつ、合計二人だけの舞台で、台詞はない。音楽に合わせ一時間ほど踊るだけの舞台。興味深くはあったものの、結局なんのこっちゃ、という感想をもつ類のものだった。しかし終わってみると会場からはさかんな拍手がなり響く。井上先生によると、どうやら二人のダンスはトロイ戦争の有名な逸話をモチーフにしたものだったのとこと。冒頭に二人が胸と背中に付けていたゼッケンに書かれていた名前からも間違いないだろうとのこと。なるほど、普通のギリシア人や歴史を知っている観光客ならばきちんと楽しめるはずのストーリーがきちんと存在していたのだ。うーむと感心してしまう。

 10時半頃、タクシーでアテネ中心部にある井上先生行きつけ(?)のイタリア料理の高級レストランへ。最後の夜ということで、かなり豪華なお酒で乾杯。

 時のたつのも忘れ、さまざまなおしゃべりに花が咲く。気がつくと午前1時をとうにまわっていた。ほんとうに楽しい、長い充実した半日であった。先生に心よりの御礼を申し上げ、福岡さんと徒歩でオモニア広場まで戻ってホテル着。南野の飛行機は翌朝(というか今朝)早い。この「個人的ニュース」を書いてほんの数時間だけ寝ることにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

            


 

2007.6.16.(土)-17.(日)

 朝起床。結局睡眠時間は3時間ほど。ホテルをチェックアウトした後、のんびり地下鉄で空港へ行くことにする。今回のアテネ滞在で、改装なった地下鉄駅にはすべてエスカレータがあることがわかったので、大きなスーツケースを持っても苦労なく行けるだろう。

 3時間ほどのフライトで昼過ぎにパリのシャルル・ド・ゴール空港着。タクシーでエティエンヌのアパートへ。パリ発成田行きの飛行機は夜8時発なので、まだしばらく時間がある。つい最近エティエンヌが購入したマンションを見に行ったり、簡易中華で軽く食べたり。そして荷造り。タクシーでCDG空港へ戻り、日本へ出発。日付が変わって17日(日)、無事に成田到着。そして帰福。空港近くの餃子の王将で夕食をとり(笑)、午後10時前に帰宅、爆睡。

 
   

 

日 付
主な内容
旧・個人的ニュース

学士院研究会報告顛末記、ブルターニュ週末旅行、オリヴィエ誕生日パーティーなど

ステファン誕生日パーティー、ストラスブール日仏公法セミナー、ブルジュ・ヌヴェール週末旅行、大晦日仮装パーティーなど

元旦、武田・岩月君、EHESSセミナー、大村先生宅、伊藤先生、Cayla 先生宅など

スト、岡田先生、ベルギー週末旅行、クリストフ、武田君、瑞香来訪、美帆・由希子帰国など

Mel Madsen 氏来訪、辛い研究会、樋口先生、ススム来訪、灰の水曜日、早坂先生、皮膚・性病科、健太郎来訪、ニース珍道中記など

カレーパーティー、大村先生宅大嶽先生宅、復活徹夜祭、アントニー来泊、緑の桜の謎、花沢夫妻来訪など

アムステルダム週末旅行日本シリーズ参議院調査団通訳、多恵子一行来訪など

南野邸お茶会、ルカ洗礼式、ローラン・ギャロス、子どもモーツァルト、イタリア旅行、樋口先生、音楽祭り、研究会「違憲審査制の起源」など

日本人の集い、フランソワ・フランソワーズ夫妻宅、フレデリック誕生日パーティー、モニックさん・彩子ちゃん来訪、北欧旅行など

北欧旅行続き、ゲオルギ来訪、玲子兄・藤田君来訪、オリヴィエ4号来訪、色川君来訪、ピアノ片付けなど

姉・奥様来訪、日本へ帰国、東京でアパート探し、再びパリ行など

誕生日パーティ、Troper 教授主催研究会、Cayla 教授と夕食、日本へ帰国など

花垣・糸ちゃん邸、スマップコンサート、フランス憲法研究会、憲法理論研究会など

洛星東京の集い、東大17組クラス会、パリ、ウィーン、ブラティスラヴァなど

エティエンヌ来日、広島・山口旅行ボー教授来日、法学部学習相談室のセミナーなど

長野旅行、パリで国際憲法学会など

新・個人的ニュース

リール大学で集中講義のため渡仏、興津君・西島さん・石上さん・ダヴィッド・リュック・ニコラと再会など

リール大学での講義スタート、武田君・タッドと再会、ヒレルと対面、芥川・安倍・荒木・柿原来仏、モンサンミッシェル、トロペール教授と昼食、浜尾君来仏、ヤニック・エティエンヌ・エレーヌと再会、復活祭パーティなど

パリ行政控訴院で講演コンセイユ・デタ評定官と面談リール大学最終講義、日本へ帰国

2007年6月9日〜17日

アテネへ出発国際憲法学会、日本へ帰国

北京、中国人民大学での学会に参加

 

 

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