個人的ニュース

1999年12月2日〜12月31日分

 

1999.12.2.(木)

 Cayla 教授のゼミは二人減っただけだった。とりあえずほっとする。ゼミのあと、近くに住んでいる武田君が一階のロビーで待っていてくれたので、一緒に食事にでかける。彼はパリ第一大学に留学していて、今日、ゼミ発表を終えたばかり。以前から彼の発表が終わったら一度飲もう、と約束していたのだ。ゼミでの報告の方は大成功だった由。上機嫌でモンパルナスまで歩き、韓国焼肉料理店へ行く。韓国焼肉といっても、どうやら経営者は日本人らしく、タレだって辛くはなく、甘口だ。しかも焼肉と刺身のセットメニューなんてものもあったりする。しかし店員さんは韓国人。かつてはすごくきれいなお姉さんがいたが、今回はきつい顔をしたお姉さんに変わっていた。チーフらしい太めの感じのいいおばさんは相変わらずだ。焼肉のあとは、モンパルナス界隈でおそらく一番大きなレストラン、「ラ・クーポル」のカフェテラスでお茶。とにかく巨大なレストランで、いつも満員。地下はダンスホールになっていて、深夜になると着飾った紳士淑女が集まってくるらしい。南野はカフェテラスにしか入ったことがないが、レストランとのあいだに特別なしきりはなく、カフェも高級感が漂っている。満席のレストランをみつめながら、しかし、この巨大さと人の入りようは、昔懐かしいデパートの大食堂ではないか、と思ったりする。東京のデパートがそうなのか、それとも最近のデパートはみなそうなのか知らないが、南野が知っている東京のデパートは、上の方にレストラン階というのがあって、いろいろな和食・洋食レストランがたくさん入居している。そういうのではなくて、南野が小さかった頃、関西のデパートの上層階には、ただ一つだけの巨大な「食堂」というのがあって、入り口で買った食券をテーブルの上に置いて給仕されるのを待つものすごい数の客と、それを巧みにこなすこれまたすごい数の従業員でごった返している、というのがあったのである。モンパルナスの「ラ・クーポル」では、客の服装、荷物、従業員のコスチュームもまるでそれとは違うのだけれど、なんだかその巨大さに、ふと昔の関西のデパートを思い出した。その後武田君と我が家に戻り、明け方までワインを飲みながら語る。すっかり酔っぱらってしまい、南野はさっさと自室で就寝。日本のテレビ番組のビデオを見ていた武田氏は午前6時くらいに出ていったようで、置き手紙があった。同居人のエティエンヌは、たぶん武田君とうるさくするから耳栓をして寝ておいてくれるよう前日に頼んでおいたのだが、それが効を奏したのだろう、かつて一度あったように、午前3時頃に「うるさい!」と彼の部屋から起き出てくることはなかった。

 

1999.12.5.(日)

 ステファンの誕生日パーティー。マニュエルに車で迎えに来てもらい、エティエンヌと出かける。ステファンの同居人フレデリックは、イナルコ(国立東洋言語文化学院)で日本語を専攻しており、昨年一年間、奨学金を得て、東京学芸大学に留学していたこともあり、日本語が少し話せる。もともとエティエンヌとフレデリックが友人だったのが我々の縁の始まり。最近このような誕生日パーティーが多い。しかし南野はパーティーは苦手。立食だとなおさら。知らない人が大勢いるなか、ワイン片手にうろうろしながら目があったら挨拶して話しをして・・・というのは、とても外国語で簡単にできる代物ではない。自己紹介はまあ、なんとかなる。日本人でーす、名前は南野でーす、法律勉強してまーす、パリの14区に住んでまーす、くらいはまあ、言える。だから最初の1,2分はちゃんと間が持つ。しかしそれから。とくに話題もないし、話題があってもとくに話せもしない。こうして辛い時間が始まる。日本語だと南野は関西人の本領を発揮して大いにおしゃべりなものだから、なおさら、本来のおしゃべりな自分の姿と、こうして白けた時間にびくびくしながら、しかし押し黙っているしかできない自分の姿とのギャップに、情けなさがつのる、というわけである。パーティーではよっぽど気に入った人を見つけるか、よっぽど話しの合う人を見つけるか、あるいはよっぽど酔っぱらって恥も恥じらいもなくなるかしなければ、到着して一通りの人と挨拶が終わった瞬間から、すでに「早く帰りたい早く帰りたい」、という気持ちになってしまう。今回は日曜日の午後4時開会ということもあって、乳幼児を連れた人たちもおり、「放し飼い」状態の幼児と話してみる。子供ならば相手にできるだろうと思っていたが、むしろ子供の方が外国人の変なフランス語を理解する能力に欠けている、という当たり前の事実がわかっただけであった。具合が悪いといつわって、早めに失礼し、レ・アールの巨大な映画館「Cine cite」で新作のフランス映画「La buche」を観て帰宅。

 

1999.12.6.(月)〜7.(火)

 風邪を引いたようだ。二日間寝込む。

 

1999.12.8.(水)

 風邪は少しましになり、Troper 教授の授業に出席。

 

1999.12.9.(木)

 風邪がぶり返したようで、Cayla 教授のゼミ、欠席させてもらう。

 

1999.12.14.(火)

 ストラスブールへ出発。今日の午後から同地の大学で行われる「第三回日仏公法セミナー」に参加するためだ。パリ東駅を午前7時19分発、そしてストラスブール駅に11時41分着という列車に乗る。予想通り寝坊したので、急遽タクシーを呼んで東駅まで行く。無事乗れた列車では、同じくセミナー参加者の石川さん、石埼さん、大藤さん、高村君、高佐さん、塚本さん、馬場さんと一緒になる。食堂車でコーヒーなどを飲みながら話していると、佐々木さんがひょっこり姿を現された。参加されるとは聞いていたが、いつどこからどういう経由でストラスブール入りされるかは聞いていなかったので、少し驚く。というよりも、二年以上も会っていない研究室の先輩に思わず会えて、感激だった。その後座席に戻り、高村君と少し話したりしたあと、ぐっすりと寝る。駅について、先にストラスブール入りしておられる長谷川先生などとの待ち合わせ場所に行く。同じ列車には棟居先生も乗っておられたようだ。ストラスブール大学の Eckly 先生がバンで我々の荷物を運んで下さり、身軽になった日本人一行は、駅前の食堂でまず昼食。南野は石川さん、石埼さん、大津先生、棟居先生と同じテーブル。飲もう飲もうアルザスワイン! ということで、おいしい白ワインをいただく。棟居先生は幸せそうだ。ワインを注文しなかった隣のテーブルに座っておられた長谷川先生が欲しそうにしておられたので、もう一本、こんどは赤ワインを注文してお裾分け。この直後に研究発表を控えておられた村田先生は、アルコールは飲まないぞ、と「りんごジュース」。時間も押していたので、さっさと昼食を終え、タクシーに分乗して、ストラスブール大学へ。キャンパスはまだ冬休みには入っていないので、学生であふれている。会場は法学部棟4階の会議室。かつてこの大学の法学部長でもあった、レズロープの名前が冠してある。そういえば、階下には、やはりこの大学で教鞭をとった、我々フランス憲法学の研究家には有名なカレ・ド・マルベールの名前をつけられた階段教室などもあった。開会式は、まずストラスブール大学の副学長の歓迎挨拶で始まる。続いて法学部長。最後に、在ストラスブール日本総領事の挨拶。それらが終わったあと、いよいよ研究会が始まる。トップバッターは新潟大学の山元さん。そして関西大学の村田先生。一橋大学の只野さんの報告は、時間がなくなってしまい、別の日に回された。今日は、研究会初日ということもあり、在ストラスブールの日本総領事館で歓迎パーティーが行われるため、研究会をだらだらと延長するわけにもいかなかったためだ。

 総領事館は、すばらしい建物。正面玄関には大きな「菊のご紋」がある。庭園に面した巨大なガラス窓は、防弾性だそうだ。そしてサロンにはグランドピアノがおいてあり、その上には、天皇夫妻および皇太子夫妻の立派な写真。首相の写真がおいてあるものだと思っていたので少々驚く。メニューは、飲み物のほか、焼き鳥など。お寿司がでなかったのが残念。セミナー参加者のほかには、領事館関係者や、若干のストラスブール在住の日本人などが集まっていた。

 この歓迎会の席上、南野は、ヴェロニク嬢とついに対面を果たす。ヴェロニク嬢は、ストラスブール大学の博士課程の学生。つまり、身分的には南野と同じである。実は今回のセミナーに参加する日本人は、一週間分のホテルをあらかじめまとまって予約していたのだが、日本人参加者のうち博士課程の学生には、まあ、お金もないだろうから、ということで、ストラスブール大学の博士課程の学生が自分のアパートに無料で泊めてくれるということになっていたのである。結局日本人の博士課程の参加者は南野をいれて5人ほどだったのだが、このありがたい申し出を受けたのは南野と塚本さんの二人だけ。11月ごろからストラスブール側の院生の代表者フレデリック君とメールをやりとりしていたのだが、直前まで、南野は誰のアパートに泊めてもらうことになるのかを知らずにいた。まず塚本さんがフレデリック君のアパートに泊めてもらうことが決まり、南野を泊めてくれる人についてはしばらく決まっていなかったのである。ようやく出発の一週間ほど前になって、ヴェロニク嬢からメールが来て、自分のアパートへどうぞ、ということになった。どうぞ、と言われても、相手は顔も知らねば歳も知らない女性宅である。しばしとまどったものの、フランスでは普通のことなのかも知れない、と思い直し、あまり悩まないことにした。南野が女性院生宅に泊めてもらうことになったらしいという話しは、日本人参加者の間にぱっと広まり、当のヴェロニク嬢が授業の関係もあってセミナーそのものには参加できず、領事館まで南野を迎えに来てくれそこでようやくご対面、というじらすような(?)状況もあいまって、どんな人が現れるかねえ、と南野は一部の参加者にからかわれ続けていた。

 フレデリック君、そしてもう一人の院生ヤニック君と領事館に現れたヴェロニク嬢は、とても感じの良い、かわいらしい女の子だった。歳も同じくらいだろうか。さっそく、「おめでとう」と何人かの日本人参加者にひやかされてしまう。いやしかし、南野自身にも、彼女を見た瞬間、安心というか、興奮というか、よくわからないが、とにかく嬉しい感情がわき起こった。話してみても、感じのいい人だったので一安心。しばらく立ち話をしたあと、他の日本人参加者よりは一足お先にアパートへ戻ることにした。我々もパリからの長旅で疲れていたし、ちょうどよかった。ヤニックの運転する車に、塚本さん、フレデリック、ヴェロニクと同乗し、まずヴェロニクのアパートまで運んでもらう。ストラスブール駅から歩いて5分ほどの、バス通りに面した便利そうなところにあるアパートだった。ヴェロニクと南野を降ろしたヤニックの車はすぐに見えなくなった。さあ、いよいよだ。なにがいよいよなのかよく分からないが、なんとなく、いよいよだ、という気持ちになった。

 原因不明だがどきどきしている南野に、ヴェロニクから衝撃的な言葉がかけられた。「この時間だとまだルームメイトは帰ってないと思うわ。」 おいおい、一人で住んでるんじゃないのか。7階の彼女の部屋まで上るエレベータ内での彼女の説明によると、彼女はコロンビア人女性とドイツ人男性と一緒に、つまり3人でアパートをシェアしているという。コロンビア人女性がバカンスでスペインに出かけているとかで、彼女の部屋に僕を寝かせてくれるらしい。そういうことだったのか。冷静に考えてみると当たり前かもしれない。アパートは大きなサロン、それから個室が3つで、完全に3人で住めるようになっている。小さなトイレとだだっぴろい浴室、それから物置のような部屋が2つ、そしてキッチンもあり、それからきれいな黒猫が一匹。とても感じのいいアパートだ。こんな物件、パリで借りたらすごく高いだろうな、などと思う。

 ヴェロニクは欧州人権条約をテーマとして博士論文を執筆(構想?)中で、将来は研究者ではなく、国際機関などで働こうと思っているらしい。フランスの博士課程の学生は、学部一年生に対して補習授業のようなものをしなければならず、これが大変な負担で、最初の一年間はとても博士論文どころではないらしい。ちょうどクリスマスバカンス直前の時期にあたり、答案やレポートをたくさん採点しなければならないとかで、実に大変そうだった。ヴェロニクと話していると、ルームメイトのドイツ人パトリック君が帰ってきた。彼は国際私法が専門で、やはり博士課程在籍中。ヴェロニク同様、大変感じのいい人だったので、ほっとする。

 考えてみると、今日は早朝列車に乗ってストラスブールまでやって来たあと、休憩をするひまもなく、セミナーの開会式、そしてセミナーそのもの、それから総領事館での歓迎式、と、実にハードな一日だった。ヴェロニクもパトリックもまだまだ寝る気配はなかったけれど、南野はもうくたくただったので、深夜12時頃、先に寝させてもらうことにした。猫がドアをあけて入ってくるとかで、鍵のないドアの内側にカバンを置いて、ドアが開かないようにするよう言われる。その通りにしておとなしく寝る。

 

1999.12.15.(水)

 日仏公法セミナー二日目。昼食はストラスブールの職員食堂のようなところ。全員揃って案内される。夜は、一部の参加者がストラスブール大学の Hertzog 教授宅へ夕食に招かれたので、招かれなかった組の何人かで夕食をともにする。カテドラルの真ん前のレストラン。アルザス地方の名物料理、Tarte flambeeChoucroute を食べる。前者は薄いピザのようなもの。後者はゆでキャベツの上に、ソーセージやハムなどを載せたもの。

 

1999.12.16.(木)

 午前中は欧州人権裁判所を揃って見学。新しい建物で、たいそうきれいだった。記念撮影なども。午後はセミナー三日目。夜は明日報告をなさるメッツ(メス)大学の Pollmann 氏と何人かの日本人参加者とともに、Petite France と呼ばれる有名な地区で郷土料理。この地区は、アルザス独特の古い建物が集まっていて、また小運河の合流地点でもあったりして、有名な観光スポットとなっているらしい。

 

1999.12.17.(金)

 セミナー四日目。夜は、ストラスブール大学に留学しておられた大津先生のご友人夫妻宅に招待され、10人ほどの参加者とともにおじゃまする。奥さんはピアニストだそうで、大きなグランドピアノと電子ピアノならぬ電子チェンバロなるものがおいてあった。現在同地に留学中で国際法がご専門の徳川さん夫妻や、現在同大学で日本経済を講義しておられる新田先生などもお見え。いろいろなコーナーでいろいろな人と、いろいろな話しで盛り上がり、たいへん楽しい一時を過ごさせていただいた。棟居先生のデジタルカメラに、南野は(ほんの片隅にだが)収まった。 (写真をクリックすると大きくなります)

 

1999.12.18.(土)

 セミナー最終日。残念なことに、Troper 教授の閉会講演は、教授が風邪を引いたらしく急遽キャンセル。何人かの日本人参加者は、トロペール教授にサインをしてもらおうと、彼の著書を持ってきておられたようで、やはり残念がっておられた。閉会後の昼食会は、大学近くのきれいなレストラン。大藤さん、石埼さん、中村先生、Eckly 先生などと同じテーブルになる。棟居先生ご撮影の写真をどうぞ(写真をクリックすると大きくなります) 昼食後、大学にもどり、「カレ・ド・マルベール教室」で全員で記念撮影。そのあと、ようやく初めての市内観光にでかける。これまでまったくのハードスケジュールで、市内観光の時間など全然とれなかったのである。高佐さん、永山さんとともに、カテドラル、ストラスブール名物のクリスマスマーケット(marche de Noel)などをぶらぶらする。この一週間泊めてもらったヴェロニク嬢になにかお礼のプレゼントを、と物色しながら。結局、彼女へのプレゼントは、香水にする。香りは高佐女史に選んでもらう。8時頃、待ち合わせの駅前ホテルに戻り、そこからタクシーに分乗して郊外のヴェトナム・中華料理店へ。大津、大藤、只野、高佐、永山、長谷川、水鳥、村田、山元各氏、そして山元さんの大親友(?)でもある、リヨン大学の講師に採用されたばかりのクリストフ君とともに、久しぶりの中華料理。こうして無事、セミナーは終わった。午前も午後も、とにかく休む暇がなかった、実にハードな5日間であった。

 

1999.12.19.(日)

 パリへ戻る。列車は丹羽、村田両先生、クリストフと一緒になる。

 

1999.12.20.(月)

 ミカイル宅で昼食会。ミカイルと奥さんのみかさん、生後一ヶ月の真弥ちゃん、そして村田先生、ミカイル夫妻の友人の片岡さん、の5人。ミカイルのアパートにおじゃまするのは初めてだが、すばらしい日本風のサロンにおどろく。バナナカレーグラタン(?)という不思議な料理とおいしいお酒をいただきながら、夜の8時半ごろまで、とにかくしゃべりっぱなし。いやあ楽しかった。

 

1999.12.24.(金)

 フランソワーズ、フランソワ夫妻宅に招待され、ディナー。フランソワーズは、エティエンヌのお母さんの古くからの友人で、家族ぐるみの付き合いとか。エティエンヌの洗礼時の代母(ゴッド・マザー)でもある人。昨年のクリスマスも我々を招待してくれた。まずシャンパンで乾杯、それから生牡蠣、しばらくしてフォアグラ、メインにチキン、続いてチーズとデザート、食事中はワインを飲みながら、そして最後はコーヒーという、クリスマスの立派なコース料理。南野は、生牡蠣を日本で食べると必ず食中りを起こしていたのだが、不思議とフランスでは、これまで一度もあたったことがない。フランソワーズおばさんのアイデアで、参加者があらかじめ抽選で相手を選んでプレゼント交換するということになっていたのだが、南野には、フランソワーズの友人のジャックという60歳くらいのおじさんへのプレゼントが課されていた。フランソワーズによると、読書と映画が好きで、ビジネスマンとして日本にも住んだことがあるということだったので、黒澤明の「七人の侍」のビデオを贈ることにした。エティエンヌは抽選でジャックの奥さん担当となっていたそうで、「お香セット」(?)をプレゼントしていた。南野にはジャックから現代文学の大きな本。読む自信はないぞ・・・。エティエンヌにはフランソワーズからキッチュなおきもの。他の招待者は、フランソワーズのお母さんシモーヌ(90歳)、それから旦那さんフランソワの友人のおばさん(名前は忘れた)、さらにエティエンヌの幼なじみでもあるフィリップ君で、合計9人。前にも書いたとおり、南野は大勢の人数のパーティーが苦手だが、これくらいの数だと大丈夫だ。とても楽しいクリスマスイヴだった。

 

1999.12.25.(土)

 とくにすることもなかったので、突然、車で一泊旅行に出かけることにした。行き先は、行ったことのないところでそんなに遠くないところ、という条件だけで選び、フランス中央部の Bourges (ブルジュ)という街にした。午後3時頃出発、大風の吹くなか高速道路をゆっくり走り、オルレアンを過ぎてブルジュについたのは夕方の6時頃。カテドラルなどを見学するが、フランスの12月25日というのは、日本の正月元日のようなもので、ほとんどのお店、カフェやレストランなどはお休み。街全体が静まり帰っていた。ようやくみつけたレストランで、生牡蠣と舌平目のムニエル。でもやっぱり中華風サラダと餃子が食べたかった(!)。

 

1999.12.26.(日)

 朝からすごい風。フランス全土が大嵐に見舞われていたらしい(政治・社会情報に関連記事)。ブルジュの東にある、Nevers(ヌヴェール)を目指す。ここはカトリック信者の間ではまあまあ有名なところ。南仏ルルド(Lourdes)で1858年に聖母マリアの出現を見たとされている少女ベルナデッタが、のちにルルドを離れ、このヌヴェール市にある女子修道会に入会し、ここで亡くなったのだが、その死後、彼女を聖人にしようという運動(列聖運動という)が起こったため、バチカンからの列聖調査団が修道院敷地内にある彼女の墓を掘り起こした(列聖調査では墓を掘り返すのが通例となっている)ところ、彼女の遺骸は全く腐敗していなかったそうで、その後彼女は列聖され「聖ベルナデッタ」となり、その腐敗を免れた遺骸がガラスケースに入れられて、ここヌヴェールの「ヌヴェール愛徳修道女会」の本部修道院のチャペルに安置されているのである。南野の出身地京都には、聖母学院という幼稚園から大学までを経営する学校法人があるが、この学校法人を運営しているのが、このヌヴェール愛徳修道女会である。また、南野が東京日仏学院でフランス語を習っていたとき、同修道会の目黒修道院に住んでいるシスターがクラスメートとしておられたこともある。そういうわけで、なんとなく南野は昔からヌヴェールに縁があると思いこんでいる。ヌヴェールを訪れるのは今回で二度目であるが、前回訪れた夏と違い、チャペルには他に誰もおらず、街全体も静まりかえっており、大変すばらしい雰囲気であった。その後やや北東へ移動し、Vezelay(ヴェズレー)という街へ。ここは「地球の歩き方」にも乗っており、ユネスコの世界遺産に指定されている街らしい。なるほど、中世風の石畳の残る、実に趣のある街だった。南仏にコルド(Cordes)というこれまた古い町があるが、そこと似た雰囲気だと思った。残念なのは、夕方6時頃にはすでに真っ暗になり、しかも大雨が降り出してきたので、ゆっくり散策する暇もなく、パリへの帰途につかざるを得なかったこと。また改めて行ってみたい。

 

1999.12.31.(金)

 クリスマス・イヴが家族親族パーティーなら、大晦日は友人知人パーティー、というのがフランスでは一般的らしい。パリではどちらにも縁のない南野は、さて大晦日、どのように過ごそうかと思っていたところ、フレデリックとステファンが彼らのアパートで盛大なパーティーを催すという。盛大なパーティーは苦手。しかもこの日は、全員仮装(おまけに今世紀の有名人に似せて、という条件つき!)をして来なければならない、という。ますます行く気をそがれる。仮装など、ハロウィンでバカ騒ぎをするアメリカ人じゃあるまいし、生まれてこのかたしたことがない。シャンゼリゼやエッフェル塔は、花火やパフォーマンスでたしかに魅力的だが、警察の予想では150万人の人出になるとか。やや怖い。家でおとなしくテレビの特番を見ているのが、世界中のハッピーニューイヤーを段取りよく見られて一番よさそうだ、とも思う。しかし我が家のテレビは先日の大嵐以降、白黒になったままである。由希子に電話したら、今夜はバレエを観にでかけるとか。美帆は恋人とディナー。武田君は日本からきた奥さんと旅行中。すっかり仮装に乗り気になっているエティエンヌは、実家から軍服を持ち帰り、さらに仮装ショップで大きなヒゲを買って来て、キューバーのカストロ議長になりきって大はしゃぎ。葉巻はどこで買えばいいんだろうなどと、もう自分の仮装のことしか考えていない。面白いから一緒に行こう行こうと言う。そりゃあんたはカストロそっくりになれていいだろう。おいらはどうしたらいいねん。南野の同居人は、即座に一言、「じゃあ、ヒロヒトはどう!?」。もうだめだ、こりゃ。

 結局、葉巻を近くのたばこ屋で難なく買えたエティエンヌが、仮装ショップに南野を連れていってくれ、そこでなにか適当な衣装が借りられればステファンたちのパーティーに一緒に行こう、ということになる。エティエンヌがヒゲを買ったお店は、レンタル衣装を扱っていなかったので、ミニテルで「変装」と入力してお店をリストアップする。以外とたくさんあるのに驚く。エティエンヌが適当に電話をして聞いてくれるが、どのお店も、電話口からすごい混雑の様子がうかがえるほどで、詳しい説明をする暇はないからとにかく店まで直接来い、と言う。エティエンヌによると、フランス人は仮装が大好きで、大晦日(それに最近ではアメリカ化してハロウィンも)はよく仮装するのだそうな。レピュブリック広場近くのお店に行ってみる。驚いた。とにかくすごい客、客、客。一年間の売り上げをこの一日でまかなっているのではないかと思われるくらいの込み具合だった。店員も、おじいさん夫婦、息子さん夫婦、そして孫の家族総出といった感じだ。すぐ二階の衣装部屋につれていかれ、いろいろ選んでもらう。担当のおばさんとエティエンヌが適当に相談して、なんと、あろうことか、南野には修道女の真っ黒な衣装があてがわれてしまった。おばさんはまず南野の背丈と修道服を比べて、「パーフェクト!」と叫ぶ。そしてどんどん、頭につけるヴェールなど小物を奥から取り出してきて、しきりに「パーフェクト」を連発。そうそう、十字架もいるわね、などと言いながら最後の小物を階下から持って来られてしまっては、もう断れない。エティエンヌは隣で必死に笑いをこらえている。南野、腹をくくる。

 いったいこの修道女が20世紀のどの有名人に似ているねん、と帰りの車のなかでエティエンヌに怒ると、彼は「マザー・テレサ!」という。マザー・テレサはいつも真っ白の修道服だったぞ、こんな黒い服のシスターじゃなかったというと、大丈夫、フランス人は誰もマザー・テレサの衣装まで覚えていないから、という。本当にいい加減な人だ。もう時間も迫っているし、有名人に似せる、というのはあきらかに失敗に終わっているため、このうえはお笑い路線でいくしかない、と関西人の南野は決意する。普通、修道女は化粧をしないはずだが、南野はすることにした。しかし化粧などしたことがないから、美帆に電話して、どこでどういう化粧品を買えばいいのかとアドバイスをもらう。なんと普通のスーパーで買えるらしい。そこでスーパーの化粧品売場で「ファンデーション」を探していると、若い女の子が、あんたたち仮装するんでしょ、と言って近寄ってきて、3点セット(?)、つまりファンデーション、口紅、アイシャドーを選んでくれた。やはり大晦日はすごい。

 思ったより化粧は簡単で、自分でも大笑いするほどの美しい(?)修道女(恥ずかしい写真ができたのでご笑覧あれ)になって、カストロ議長の運転する車でステファン宅へ到着。だいたい30人ほどの男女が集まっていただろうか。ステファンたちの隣のアパートに住む大柄な女性はマリリン・モンローそっくりだった。バービー人形をまねたイギリス人女性もいた。セーラームーン的な女性も。シルクハットと付け髭、ステッキに蝶ネクタイという、漫画「タンタン」に登場する双子の男性に変装した二人組もいた(この双子とカストロ議長もご笑覧あれ)。チャールズ皇太子そっくりの人もいたが、この人はもともと顔がそっくりだそうで、ちょっと髪に色を付けただけらしい。サッカーのワールドカップで優勝したフランスチームのユニフォームだけというシンプルな男女8人組は、半そで半ズボンでやや寒そうだ。結局女装した男性は、南野の他には一人だけ。その少なさにやや恥ずかしくなった。もっといるかと思っていたのに。

 おしゃべりとダンスと立ち食いだけで延々と時間が流れていき、いよいよカウントダウン。そしてシャンパンで乾杯、全員と順番にキス。一人だけどうしてもキスしたくない人がいた。シルベスター・スタローンの「ランボー」に仮装した男性で、ランボーが汚いからか、この男性がもともと汚いからかはわからないが、とにかく汚らしい人だった。おまけにここへ来る前にもう一つのパーティーに参加していたそうで、へべれけによっぱらっていた。なんとかこの人を避けて、バルコニーから外をみると、向かいのアパートのバルコニーにも人が出ていて、互いに「Bonne Annee !」と叫びあう。道行く人にも。やはり修道女姿に笑われる。十字を切っておどける人もいた。午前4時頃、さすがに疲れたので帰ることにする。オリヴィエを送ったあと、エッフェル塔の近くまで行ってみる。ルーヴルからコンコルド広場、シャンゼリゼにかけての右岸一帯は車両進入禁止になっていたので、左岸の道路は大渋滞。歩道にも人が溢れている。さらにメトロの入り口には大群衆。朝5時半の始発を待っている人たちだ。エッフェル塔は、なんというか、ちかちか、きらきらする類の電飾で、最上部からはビーム線が灯台のように水平にぐるぐるまわっていて、大変きれいであった。ヒッチハイクする多くの人を追い越し、ようやく午前5時過ぎ、我が家に無事帰着。そして爆睡。

 

 

日 付
主な内容
旧・個人的ニュース

学士院研究会報告顛末記、ブルターニュ週末旅行、オリヴィエ誕生日パーティーなど)

1999年12月2日〜31日分

(ステファン誕生日パーティー、ストラスブール日仏公法セミナー、ブルジュ・ヌヴェール週末旅行、大晦日仮装パーティーなど)

(元旦、武田・岩月君、EHESSセミナー、大村先生宅、伊藤先生、Cayla 先生宅など)

(スト、岡田先生、ベルギー週末旅行、クリストフ、武田君、瑞香来訪、美帆・由希子帰国など)

(Mel Madsen 氏来訪、辛い研究会、樋口先生、ススム来訪、灰の水曜日、早坂先生、皮膚・性病科、健太郎来訪、ニース珍道中記など)

(カレーパーティー、大村先生宅大嶽先生宅、復活徹夜祭、アントニー来泊、緑の桜の謎、花沢夫妻来訪など)

アムステルダム週末旅行日本シリーズ参議院調査団通訳、多恵子一行来訪など)

南野邸お茶会、ルカ洗礼式、ローラン・ギャロス、子どもモーツァルト、イタリア旅行、樋口先生、音楽祭り、研究会「違憲審査制の起源」など)

(日本人の集い、フランソワ・フランソワーズ夫妻宅、フレデリック誕生日パーティー、モニックさん・彩子ちゃん来訪、北欧旅行など)

北欧旅行続き、ゲオルギ来訪、玲子兄・藤田君来訪、オリヴィエ4号来訪、色川君来訪、ピアノ片付けなど)

姉・奥様来訪、日本へ帰国、東京でアパート探し、再びパリ行など)

(誕生日パーティ、Troper 教授主催研究会、Cayla 教授と夕食、日本へ帰国など)

(花垣・糸ちゃん邸、スマップコンサート、フランス憲法研究会、憲法理論研究会など)

(洛星東京の集い、東大17組クラス会、パリ、ウィーン、ブラティスラヴァなど。)

(エティエンヌ来日、広島・山口旅行ボー教授来日、法学部学習相談室のセミナーなど)

長野旅行、パリで国際憲法学会など)

新・個人的ニュース

リール大学で集中講義のため渡仏、興津君・西島さん・石上さん・ダヴィッド・リュック・ニコラと再会など)

(リール大学での講義スタート、武田君・タッドと再会、ヒレルと対面、芥川・安倍・荒木・柿原来仏、モンサンミッシェル、トロペール教授と昼食、浜尾君来仏、ヤニック・エティエンヌ・エレーヌと再会、復活祭パーティなど)

パリ行政控訴院で講演コンセイユ・デタ評定官と面談リール大学最終講義、日本へ帰国)

 

 

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