南野梅雄「京都で江戸を撮る〜ロケ地ベストテン」

 

 

京都市立上高野小学校育友会広報委員会発行「上高野」第12号、1981年10月9日発行)

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2016年8月17日更新

 

 

 

 石ならぬ、テレビのチャンネルをひねるとマゲモノドラマにいきあたる当節です。

 時代劇をやるなら《京都で》と、この世界にとびこんだ私には、時代劇が盛んな今の状況は、嬉しいことには違いありません。が、制作本数はともかく、その中味の方はどうかといいますと、類型化したストーリー、バッタバッタと人を殺めるだけの侍、安直な結末等残念ながら大いに疑問があるところです、が、今日は時代劇論をぶつのが目的でもないので、一つ肩のこらない裏話しでもしてみようと思います。

 「時代劇」と一口にいっても、実に曖昧なとらえ方で、いったいどの時代を指して時代劇というのかと思われるかもわかりませんが、我々がいうところの時代劇とは江戸時代を背景にしているドラマをそう呼んでいて、江戸以前、桃山とか室町時代ももちろん時代劇といっていいわけですが、安土桃山から鎌倉時代にかけては、便宜上、それを《戦国もの》或は《鎧もの》といい平安時代になると《王朝もの》などと呼称しているわけです。

 ところでテレビ映画の時代劇はその殆んどが恐らく8割は京都製でしょう。なぜ、時代劇ものといえば京都なのか、それはもうよく知られているように、明治以前に出来上った歴史的建造物が、日本で最もたくさん現存している地、車で10分も走れば大自然の真只中に達することが出来る地の利、そんな二大環境に恵まれているからに他ならないでしょう。私などは、そんな古都千年の文化財と自然にくらいついている小判鮫みたいなものかもわかりません。

 さて、映画では撮影場所を大別すると二つに分かれます。屋内撮影と屋外撮影で前者をセット、後者をロケと簡単にいっています。もう少し細かくいえば、セットとロケの間にもう一つあって、それをオープンセット撮影といいます。西部劇などでは必ずでてくる町、酒場、銀行、店などが立並ぶ通り、家屋などを特別に屋外に建造したセット、それをオープンといっています。それでこの稿はロケに限って、それも最もよく使われる場所、京都の方なら《あ、あこかいナ》とよく御存知の、まあいってみればロケ地ベストテンみたいなものを記してみようかと思います。

 決められた予算と日数内で仕上げるということは何でもそうでしょうが映画づくりの場合特に重要で、したがって例えば九州まで行けば台本のイメージ通りの素晴らしい撮影場所、ロケ地があると判っていても限られた予算と制約の中では到底九州まではいっておれなくて、イメージ通りの土地を求めて撮影行ができるのは製作費数億円以上の大作ぐらいです。先ず、理想の地をあきらめて代替地を探し求めることになるわけです。

 撮影所から近いこと(大体において日帰りができて、しかもその時間内で予定通りの内容を撮り終えることが可能なこと)。

 近くでもロケ費(主なる費用はロケ先への謝礼金)が予算の枠よりオーバーするようなら不可(今や謝礼金不要といった場所は殆んどなく、中には一時間の使用料が数万円といったロケ地もあります)、更にいくら劇内容に合う場所があっても《うちはお貸しできません》といわれれば、それは勿論、不可!(例えば重要文化財とか「御所」などの宮内庁関係のものは先ず不許可になります)。

 ところで時代劇にひんぱんに出てくる場所としては武家屋敷とその周辺、神社仏閣の境内、旅から旅への街道、その道中にある川、渡し場、山中、橋そしてお城などでしょうか。その他に江戸の市中、長屋などがあるのですがこれらは日本中どこを探してもあるわけがないので、そこでこれは先にいいましたオープンセットに頼ることになるわけです。

 では近くにこんな場面がとれる場所があるのか。ドンピシャかどうかわかりませんが、それがうまくしたものであるのです。《オイオイ俺はな、江戸をこの眼で見てきたばっかりだ、こんなベラ棒な嘘っ八の江戸なんぞあるものか》という人は幸いにも1980年代には現存していないという絶対の切札(?)を我々は握っているので京都で江戸が撮れる次第なのです。摩訶不思議な江戸だなとは思いつつ……。

 京都製江戸の第一位は嵯峨野一体でしょう。何といっても撮影所から近い、これが有難いことです。なにしろ朝からの雨が午後にやんでも《さあ、いけるぞ》と急きょでかけていってロケが出来る位、近いのですから。それにここら辺りには武家屋敷があり(むろん本物の武家屋敷ではありません。寺院の立派な門と塀をそう見立てるわけです)、不忍の池があり(むろん上野のシノバズのイケもどきの池を写すことになります)、東海道があり(フジならぬ愛宕山が見える東海道です)、八丈送りの罪人を見送る霊岸島があり(池の手前に柵を立て、沖を海に見立てる)、売られていく娘との悲しい別離の渡し場があり(やはり池に桟橋をつくり舟を浮べるだけ)、木馬(きんま)道のある嶮しい山中があり(これは正真正銘の山道があります)、恋人たちが語らう夕日の沈む品川の海辺があり(広沢の池を薄暮に撮るとまさに一幅の絵です)、辰巳芸者の嬌声が聞える舟宿の舟着場があり、……時代劇には欠かせない、ここら辺りは宝庫です。嵯峨野一帯のそれらは大覚寺であり、大沢の池、連なる田園地帯、それに接する広沢の池などがその主役です。

 こんなところですから晴れた日などこの近くを歩いてみますとどこかで一度位は必ずロケに出会うでしょう。それに人家からこんな近いところなのにこの春には眼の前を美しいキジがスタスタと歩き回っているのに会いましたし、3年ほど前には5月5日の子供の日に蝉の声を耳にしこれにはビックリしました。そんな思わぬ自然の恵みに浴する喜びもロケにはあります。更に近いといえば嵐山、ここは京都観光のメッカみたいなところですから、どこを見ても人、人、人で時代劇など撮れそうもないのですが、ここには貴重な橋があるので見逃すことができません。ここの渡月橋支流にかかる太鼓橋(と我々は呼んでいますが正式な名称かどうか)が目指すターゲットです。橋。こればかりはどうふんばっても鉄やコンクリートのものを撮るわけにはいきません。全くわらぶき屋根の農家と土橋、木橋はまるで失くなってしまいました。嵐山の橋も鉄筋コンクリート製ですが幸い観光地の橋だけあってどことなく表面は木橋風になっているおかげで充分江戸時代の橋に見立てることができるのです。ただし、ここの欠点?は先にもいいましたようになんせ人が多い、とても真っ昼間キャメラを向けることなどできません。そこで撮影は人が現れない早朝か車も減る深夜に限られてくるわけです。しんどい所です。ここは。

 橋といえばもう一つ忘れることのできない名物橋があります。国道一号線の木津川にかかる御幸橋の少し上流にある俗に我々が《流れ橋》と呼ぶ長さ二百メートルは優にある素晴らしい木の橋です。全く、京都近郊にこんな木の橋がかかっていること自体、私には奇跡のように思えます。《流れ橋》などという縁起でもない名で呼ぶのは奇妙なことですが何しろ木の橋、大水がでると一部流失してしまうからなのです。そしてその都度なぜかコンクリートにはならなくて元のままの木の橋に復元されるという次第、素晴らしいことです。この姿のまま、いつまでも健在であることを願わずにはいられません。

 ベストテンに必ず入るロケ地としては同志社大学の北にある相国寺があります。本堂の長廊下、枯山水の庭は江戸城に模してよく使わせていただき、塔頭が多くある外周は先の大覚寺同様武家屋敷街として見逃せないロケ地です。

 江戸市中の場面としてよく出てくるのは神社仏閣です。これはさすがに京都です。選ぶのに苦労する位ですが筆頭は北区にある今宮神社でしょうか。祭礼や繁華な場面には絶好で特に《本家》と《元祖》というキャッチフレーズで競い合っておられるあぶり餅屋さんをはさんで神社の裏門を見るアングルは殆んど手を加えないでもそのまま撮れば《はい、これが江戸時代でございます》といえる位得難い場所です。これまた《流れ橋》同様どうかこのままいつまでも《本家》《元祖》で張り合っていっていただきたいと願う次第です。

 麹町にも狸がいたといわれる江戸のことです。寂しい江戸の場面なら素晴らしい原生林の森、下鴨神社糺の森を忘れることができません。登城のの乗物を襲う覆面の武士団そんな場面にこれほどピッタリする場面は一寸見当ありません。

 あと、屋敷町としてよく使うロケ地は黒谷。見事な山門から広い石段、石畳の道、広大な墓地、ずいぶん撮り手のあるベストテンに当然入る場所です。

 次は街道や川の渡し場などのロケ地としては一寸遠くなりますが亀岡に敵うところはありません。《座頭市》《木枯らし紋次郎》などでは随分とここのお世話になりました。この二作の主人公は二人共アウトロー、将軍様のお膝元の江戸や東海道といったメーンストリートから顔をそむけて生きている流れ者です。必然的に歩く道も木の葉が舞、寒風吹き荒む裏街道が主舞台となります。

 何度通いましたか。こうなると土地の人よりひょっとしたら詳しくなっているかもわかりません。あの畔道をたどればどこそこへ出る、そこには画になる大きな木があったな、といったようなものです。この亀岡には他に聖武天皇建立の国分寺、惚れ惚れ見とれてしまうような油土塀がある毘沙門町。渡し場には保津川がいい安配です。保津川といえば山陰線の保津峡駅下流、清滝川と合流する地点もなんとよく時代劇にはでてくる名所でしょう。激流が岩に突き当って大きく曲がり一瞬渦を巻いて淀む深淵。それを絶壁から見下ろせる立地の妙味。昼の弁当がとってもうまい所です。

 こうして拾い上げていくと切りがありませんが建仁寺、高雄の神護寺、中川の菩提の滝、花背の別所村、坂本の西教寺、琵琶湖、彦根城、日本海の間人などはよく行くところです。他に開かずの宝庫、京都御所、妙心寺、西本願寺、二条城など京都にはよだれの出そうな場所が数多くあります。一部でも撮影が許されたら作品の奥行きがぐっと深まるでしょうに、実に残念です。

 日一日とロケ地の環境汚染?が進み、道は舗装され、ガードレールで囲われ、住宅が建ち、奥地へおいこまれる野生動物と同じように我々のロケ地もどんどん奥へ追いやられていきます。それでも探せば尽きることなく時代劇をとれる場所は発見できるものです。何気なく入った道の億に、そんな宝物を見つけた時の喜びは知る人ぞ知るです。今日も字で書かれた想像の場所を具体的なイメージに置きかえる作業、ロケハンに何組ものグループが京都のあちこちを飛び回っていることでしょう。

 《あゝ、あの電柱がなかったらなァ》

 《あかん、ここはロケに使わしてくれへん》

 《ええとこやけど、一寸遠すぎるなァ》

ー 了 —      

 

 

 

 

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